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Film05.手紙は人の手に ―SAYURI’S EYE―


『本日、放課後。体育館の裏手にあるイチョウの木まで来てください。内密に話したいことがあります。くれぐれも周りの人に気づかれないようにしてください』

 開いた物理の教科書にその手紙が挟まれていたのを見つけ、私は恐くなった。白い封筒とルーズリーフ。封筒には「梶原さゆり」と赤いペンで宛て名書きがしてある。
(と、とりあえず、さやちゃんに見つからないようにしなきゃ)
 私は慌てて手紙を机の中に押し込んだ。けど、さやちゃんはそれに気づいてしまった。
「さゆり、今の何?」
 さやちゃんには悪気はないんだろうけど、その言葉は私の心臓を跳ね上がらせるのに十分だった。
「な、なんでもないよ。ほ、ほら、先生が来ちゃうよ。早く教科書とノート開けなきゃ」
「何で隠すの? ……ねぇ、さゆり。あたくし達って、親友よね?」
 さやちゃんはイスごと私ににじり寄って来た。私は机を庇うようにさやちゃんの前に出る。
「あの、さ。さやちゃん、先生が来ちゃうから……」
「問答無用!」
 さやちゃんは私に覆い被さるようにして、ぐわっと手を広げて向かって来た。
 私は思わず自分を庇ってしゃがみこんだ。目を開けると、さやちゃんが封筒を手にしていた。フェイントをかけられたと知って、あたしはまずいと思った。でも、あたしなんかと友達やってくれるさやちゃんには、何も言えない。言えなくて、ただじっとさやちゃんを見た。
ガララッ
 間の悪いことに、そこにちょうど晃兄ちゃん――先生が入って来た。
 晃兄ちゃんは私のはとこで、小さい頃からいろいろと面倒を見てくれたんだけど、今はこのクラスの教師でとっても厳しいの。曰く「教師が入って来る前に、着席して教科書とノートを開いているのが、教えを請う立場の者の最低限の礼儀だ」って。
 晃兄ちゃんは立ち上がっていた私とさやちゃんを見た。
「津堂、……梶原、何をしている」
 さやちゃんはちらりと私に意味ありげな視線を向けると、演技力抜群の声でこう言った。
「実は、梶原さんの物理の教科書にこのような手紙が挟まれていまして……」
 と、さやちゃんは白い封筒を先生に見せた。もちろん、先生だけでなくこのクラスの皆がそれに注目した。
「それだけでしたら、あたくしもこのような真似はしないのですが、これの中身を見た梶原さんが、まるで『不幸の手紙』を受け取ったかのような表情でしたので、あたくしは気になって、つい、無理に取り上げてしまったのです」
 さやちゃんは「不幸の手紙」というのをやけに強調した。その理由は、日頃さやちゃんからニブいと言われている私にもわかった。
――以前に不幸の手紙が流行った時があって、その時もやっぱり私の机から不幸の手紙が二通も見つかって、それまで鼻にもかけなかった晃兄ちゃんが俄然その問題に取り組んだことがあったの。
 ……ちょっと恥ずかしいけど、その時に私も、皆の言うことがようやく実感できたの。私が晃兄ちゃんに「ちょっと」贔屓されてるってこと。
 晃兄ちゃんはつかつかと私たちの席に歩いて来て、さやちゃんの手から封筒を受け取った。そして、中身を見た晃兄ちゃんは憤怒の表情になった。
「誰がこんないたずらをしたんだっ!」
 晃兄ちゃんは授業前に私とさやちゃんが騒いでいたことには目もくれず、この手紙に猛然と怒り出した。そして、やっぱり怒りながら物理の授業をした。
 私は授業が終わると、非難の目がさやちゃんに向いている間にそそくさと職員室に行った。
「失礼します」
 そこから、私は晃兄ちゃんに言われるがままに会議室へ行く。
「こ……じゃない、九十九先生、その手紙をどうするんですか?」
「今は晃兄ちゃんでいい、二人しかいないから。とりあえず、ゆーちゃんには心当たりはないんだね?」
 優しい顔で尋ねた晃兄ちゃんに私はうん、と頷いた。「ゆーちゃん」っていうのは、晃兄ちゃんだけが使う私のニックネーム呼称で、さゆりのゆからとったらしい。
「とりあえず、ゆーちゃんは今日の放課後は早く帰りなさい。こんな手紙に従う必要はないから。代わりに俺が行っておくからな」
 私はとてもうれ嬉しかったけど、晃兄ちゃんの仕事は大丈夫なのかと気になる。
「俺がガツンと言ってやるから、心配するなよ。じゃぁ、次の授業があるから、これで。報告は今日の夕食の時にな」
 晃兄ちゃんはそれだけ言うと、会議室を出て行った。夕食の時っていうのは、今日は晃兄ちゃんがうちに夕食を食べに来る日だから、その時にってことだろう。
(晃兄ちゃんって、やっぱり頼りになる)
 私は晃兄ちゃんがいてくれて、本当に良かったと思った。


 その日のお昼休みのこと。私はさやちゃんに聞かれ、晃兄ちゃんが言ってくれたことを話した。
「やっぱり九十九って、さゆりに甘いわね」
 さやちゃんは上品な感じに笑いながら、率直な感想を洩らした。
「それで、梶原。いったい何て書いてあったんだ?」
 いきなり私のすぐ横に白石くんの顔が出て来たので、私はカァッと顔が赤くなるのを感じた。いつの間にか直くんと一緒に移動して来て、四人で昼食を食べるような格好になっていた。
「え……と、放課後に体育館裏のイチョウに来てって。くれぐれも内密に……そんな感じの文面だったと思う」
 私は自分でも蚊の鳴くような声だったと自覚していた。だから、この後の言葉に図星を指されてショックを受けた。
「なぁ、梶原って、そんなふうにしかしゃべれねぇの? 人の顔も見ないって、失礼じゃねぇのか?」
 言ったのは直くんだった。昔と変わらず厳しい口調に、私は危うく涙を浮かべそうになった。
「なおりーん、それってキツすぎる言葉じゃねぇ?」
 白石くんの言葉に「だって本当のことだろ?」と、こともなげに答える直くんは、笑いもせずに私の方を見ていた。
「だからそういう手紙が来るんじゃねぇの?」
 あからさまで、歯に衣着せないものの言い方に、私の目が涙で潤んだ。喉の奥がグッて詰まって、言葉が出せなくなる。出せたとしてもきっと涙声になってしまう。
「んなことねぇって、ある或いはあれはラブレターだったのかもよ、なおりん?」
 白石くんが、私を元気づけようと話題を変える。その優しさはとてもありがたかった。直くんもこれ以上つっこむ気はないらしく、「そんな物好きいるかよ」と答えていた。
 不思議と言葉に詰まった白石くんを見ながら、さやちゃんが私に声をかけた。
「トイレに付き合って」
 私は渡りに船とばかりに頷いた。元々、断ることはないけれど。
 私たちは「連れションかよ」とボヤく白石くんを残してそそくさと席を立った。


「ほら、さゆり、泣くなら泣いちゃいなさいよ」
 お手洗いの鏡の前で、さやちゃんが私にハンカチを渡してくれた。私の目に遅らばせながら涙がにじむ。
「……んっ、ごめんね、さやちゃん……っく、ごめん、ね」
「いいって、アイツの言い方もキツかったよ。――――でもね」
 ここで、さやちゃんの声が途切れた。お説教を一発くらうのかと思って身をすくめた私だったけど、次の瞬間、それが全くの杞憂であることを知った。
「でもね……内緒だよ。なんか、アイツのことが気になってさ」
 この時の私と来たら、奇妙な顔を返すのが精一杯だった。泣いたせいで止まらなかったしゃっくりも止まり、ただただ唖然としていた。
「あいつって、直くん……三沢くんだよね?」
「……うん。ほら、いつか『乱暴な女』って言われた時、あったじゃない。何か、率直に物を言う人でさ、いいじゃん」
(さやちゃんに対して率直に物を言うのは白石くんも一緒じゃないのかな?)
 私はそう思ったけど、それを口にする勇気はなかった。口に出したら最後のような気がしたからだ。
「それでね、さゆりの言う『直くん』について、いろいろききたいなーって」
 『直くん』と言われ、私はどきっとした。常にそう呼ばないように気をつけていたからだ。さっきはボロを出してしまったものの。
「……聞きたいこと、紙に書いておいて」
 私はそれだけを言うのがやっとだった。
 
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