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Film10.雪解けは電車の中 ―SAYURI’S EYE―


(はぁ……)
 私は満員電車の中で、ため息をついた。ドアにほど近い場所で、壁に寄り添うようにして立っている。昨日の帰りに、さやちゃんと交わした会話を反芻していたのだ。
(まさか、みのりちゃんが手紙の中身を見た……なんてね)
 さやちゃんは『恋する乙女の第六感』なんて連呼してたけど、まさかそんなわけないじゃない。あんなに明るくていい感じの女の子なのに。
(明るい……かぁ)
 自分にないものを持っている、あの後輩を思い出して、私は思いきりため息をついた。
――そうやって、ぼんやり考えことをしていたからだろうか、私は前の人の背中に、顔をぽすっと突っ込んでしまった。
「あ、すいませ……」
 ん、と言おうとしたのだが、前の人は電車の揺れ以上にぐらぐらと、危なっかしいほどに揺れていた。上半身だけならいいけど、座席につながる鉄の棒を握った右手を中心に足元もふらついていた。
(な……何このひとっ!)
 私はその人からできる限り離れるように、ドアに自分の身体を押しつけた。「次は八坂駅~、八坂駅~」とアナウンスが聞こえた。あと少し我慢すれば、と思う。
 このまま、この人が乗り続けたら話にもならないけれど。
(まさか、酔っぱらいとか、……新手の痴漢とかだったりしないよね?)
 電車がガタンとひときわ大きく揺れて止まろうとする頃には、背広を着たその人は座り込んでしまっていた。
プシュー
 ドアが開き、何人かは降り、その倍の人数が乗ろうとしているが、その座り込んだ人を見て、幾人かが乗り口を変える。サラリーマンっぽいその人はゆっくりと立ち上がり、降りようと歩き出した。私を含むドア際の何人かが避けるように道をあける。ふらふらしながら彼が降りる直前、ドアが閉まる――――
(あ!)
―――彼の右手を挟んで。
 私はさすがにこれはいけないと思った。慌ててドアを開けようと、手をかける。こういうときは結構手で開けられるものだと聞いたことがある。
 ぐっと力を込めてもびくともしないドアに、反対側から、誰かが同じように手をかけた。そで袖を見る限り同じ制服……男子のようだった。顔を確かめようにも、下を向いた状態で力を掛けているので、それはできなかった。できていたとしてもそうしなかっただろう。知っている人だったら余計に恥ずかしいし。
 唐突に――駅員さんが気づいたのか――ドアが開いた。向かい側の男子は座り込んでいる人の肩を持ち上げた。
(直くん!)
 男子生徒が直くんだと知ってびっくりしたけど、私は会社員のもう片方の肩を持ち上げようとしたが、車内に取り残されたままの会社員のカバンを拾い上げ、直くんの後に続いて電車を降りた。すぐに、電車のドアが閉まる。
(あぁ、遅刻だぁ)
 直くんは、ホームのベンチに会社員を座らせていた。
「……すいません」
 弱々しい声はどうやらその会社員のものらしかった。
「あんた、貧血だろ? だったらしょうがねぇんじゃん?」
 直くんはポンポンと彼の肩を叩く。
「駅長室行って、休むのに使わせてもらうように頼んでくる」
 ぐったりと座る会社員の横に、自分のスポーツバッグをどさっと置いて、小走りに去っていく直くんの背中を見送って、私は会社員の隣に座った。そこで私はその人の顔を見たのだけど……真っ白だった。土気色というわけではないが『血の気がない』という形容を始めて目の当たりにした。
「本当に……すみません」
 再び、弱々しい声が謝る。
「いいんですよ。それよりも大丈夫ですか」
 と、言うべきことはあるのに声には出せず、ただ黙ってうつむく。話すのも辛そうだから、と自己弁護を我知らず考える。
 空を仰いだ状態の会社員の様子を横目で確認していると、直くんが駅員さんを伴って戻ってきた。


 直くんと駅員さんが二人がかりで男性を駅長室に運び(私は三人分のカバンを持っていった)、次の電車が来るまでの時間、私たちは駅長室で過ごすことになった。
「君たち、緑丘高校の生徒だろ。一応、名前いいかな?」
 だいぶ顔色も戻った会社員に手帳を取り出され、私はちょっととまどった。
「ついでに遅刻も取り消すように学校側に行っといてくれよ」
 私の名前も書きながら、直くんが軽口を叩く。私は思うところあって慌てて生徒手帳を取り出した。
「これ、学校の電話番号」
 直くんはニヤリと笑い、名前の上に2-Dと付け加えた。
―――まだ休んでいる会社員を置いて、私たちは次の電車に乗った。
「もっと早めの電車に乗ってると思ったのになぁ」
 直くんがぽつりとも洩らす。さすがに一本遅らせると車内がすきずきとしている。
「さやちゃんと、待ち合わせてるから……」
 私は下を向いたまま答えた。
(あぁ、さやちゃん、ごめん……)
 待ち合わせと、直くんと二人で登校していることの二つの意味で謝りつつ、私はちょっと深呼吸をして、自分の中に勇気をため込む。
「直くん……ありがとう」
「別に、お前にお礼を言われる筋合いじゃない。……ようやく直くんって呼んだな。無視されてっかと思ってたのに」
「そ、そんなことないよ!」
 視線を感じて、思わず叫んでしまった口を押さえながら、私は言葉を続けた。
 心臓がまだバクバクと鳴っている。
「あたしの方こそ、迷惑かなって……」
 そう言ってうつむく私に、直くんの声が頭上から響く。
「お前、そのクセやめろっつったろ?」
「……ごめん」
「あやまんなよ。俺がいじめてるみたいじゃねぇか」
「じゃぁ、やっぱり、ありがとう、だよ」
「だから礼は――」
「だって、私一人じゃ、あの人運べなかったし、貧血だなんて気づかなかったし……」
 どんどん声が尻つぼみになっていく私の頭に、直くんの手がぽすっと乗った。
「ドア開けようと、手ぇ出したのは見直したよ」
 私は耳から首まで火照る自分の顔を抑えられなかった。
 
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