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Film13.ショックは戸惑いの波 ―KOTARO’S EYE―


 俺はその時、ただぼんやりと歩いていた。
 とりあえず、ゆーちゃんを帰りのホームルームで誉めるしかなかったことが悔やまれてならない。ゆーちゃんは恥ずかしがり屋なのに……
(でないと、集会で言うとか……言ってたしなぁ)
「くそ……ハゲ校長が!」
 小さな声で悪態をつき、俺は廊下の壁を蹴る。もちろん、まわり周囲に人が居ないのは確認済みだ。
(後で、謝っとかなきゃいけないな)
ドンッ!
「おっとっと」
 特攻隊のように、いや当たり屋か。とにかく突っ込んできた誰かにバランスを崩され、俺は二、三歩よろめいた。
「すみません!」
 走り去ろうとする人間――どうやら女生徒――を、俺はその腕を掴んで引き止めようとした。
(……!)
 俺がその見覚えのある顔と涙にひるんだ瞬間、彼女は俺の手を振り払って逃げるように行ってしまった。
(増山……みのり?)
 混乱した頭がその名を吐き出す。
 俺は過負荷のかかった思考回路をどうにか抑えようと、深呼吸をして、泣きながら走り去った理由を考えた。
 一、鬼教師に一日に二回もぶつかって怖くなった。
 二、廊下を走るのが好きで、それが見つかって恥ずかしかった。
 三、泣くほどショックなことがあった。
 とりあえず、無難な三番目の答えを採用してみた。
 泣くほどショック。現実から逃げる。増山は俺のクラスの三沢を好いているらしい。
(もしかして、三沢にふられただけか?)
 増山を追いかけるべきか悩むが、泣いて逃げ去った理由が一や二の場合、それもどうかと思い直す。
(……忘れておくか)
 さすがに色恋沙汰にはあまり足を突っ込みたくない。高校生にはよくある熱病だから、と自分に言い訳をしながら、つい行き慣れた教室へ足を運んだ。
ガラガラッ
 ドアを開けて、目に飛び込んできたのは抱き合う男女。
(不純異性交遊だっ! 神聖な教育の場でそんなこと、この俺が許さんっ!)
「よぉ、九十九先生」
 男の方が俺に気づき、軽く手を挙げて挨拶をした。女の方は男の胸に顔を埋めたまま、ぴくりともしない。
 怒鳴る前に声をかけられ、気勢をそがれた俺は、男子生徒の名を呼ぶにとどめた。
「三沢。ここは勉学に励む場であって、不純異性交遊の場ではない」
 俺の言葉に、三沢がニヤリと笑う。
「じゃぁ、先生。こいつを引き取ってくれ。何しろこれだけヒイキしてる生徒をきつく叱るわけにはいかねぇだろ?」
 そこで、俺はまじまじと女生徒を見た。
(ゆーちゃん――――?)
「今日の遅刻もオレだけだったら、おおっぴらに怒れたんだろーけどな。なぁ、『晃兄ちゃん』?」
 三沢の使った呼び名に、俺は体を震わせた。
(何でコイツがそれを知ってるんだ?)
「それじゃ、頼んだぜ?」
 三沢はゆーちゃんの身体を俺に預けると、スタスタと教室を出ていった。
 それからしばらくして、ようやく冷静になってくる。
「ゆーちゃん?」
 ぴくりとも動かない従姉妹に不安を覚え、呼吸を確かめる。
 すーすーという規則正しい音。上下する胸。どうやら寝ているらしい。
(……何とか、ようやく落ち着いてきたな)
 正常に戻りつつある思考を愛しくも思いながら、俺は起きた出来事を整理し始める。
(――――増山が泣いていたのは、さっきの俺と同じものを見てしまったからだろう)
(三沢は、『晃兄ちゃん』という呼び名をどこから聞いたんだ?)
(三沢は危険だ。どこまで知っているか分からない)
(ゆーちゃんは、どうしてヤツの胸なんかで寝ていたのか)
(起こすべきだろうか)
(もっとこの安らかな寝顔を見ていたいのに……)
 泡のように浮かんでは消えていくちりぢりの思考の末、俺はゆーちゃんを起こすことにした。
「ゆーちゃん。……ゆーちゃん!」
 穏やかな寝顔を僅かにしかめ、ゆーちゃんが目を薄くあけた。
「ん……んん? あれ、こーにーちゃん?」
「起きたか?」
 俺は「九十九先生」でなく「晃兄ちゃん」の顔で優しく尋ねる。
 しばらくぼぉーっとしていたゆーちゃんだったが、突然、バッと表情が慌てたものになる。
「うそっ! 私……寝てた?」
「……ぐっすりと」
「えっと……あれ? そっか、直くんに泣きついて――――」
 泣きながら寝ちゃったんだ、と恥ずかしそうに言うゆーちゃんに、少しばかり安堵を覚えながら、俺はふっと笑う。
「それじゃ、ゆーちゃん。俺はまだ仕事があるから、ちゃんと帰るんだぞ……と、そう言えば」
 俺は教室を出て行こうとした自分の足を止めた。
「誰かにオレ達が従兄妹だって行ったか?」
「? ううん? だってナイショって言ってたでしょ?」
(ゆーちゃんから三沢にも洩れたのではない、か)
 俺は「じゃぁ、気をつけて」と教室を出た。
 そういえば、今日中に小テストの問題を作っておくはずだった。なのに、どうして教室に足を運んだのだったか?
「頑張ってね、晃兄ちゃん」
 後ろから出てきたゆーちゃんにそう励まされ、俺は些細な疑問も忘れ、軽やかな足取りで職員室へ戻っていった。
 
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