TOPページへ    小説トップへ    アオいハルの練習曲

Film16.アプローチは恋敵の妨害 ―SAYAKA’S EYE―


「昨日はごめんなさいね、さゆり」
 待ち合わせ、いつも通りの電車の中で、そう言ってから三十分。あたくしとさゆりの仲はいつも通りに修復したわ。ただ、さゆりは少し元気がないように見えた。時々、ふっと黙り込んだり、あたくしの話に頷くでもなく、どこも見ていないような目で……何かを考えこんでいるようね。
「さゆり、何かあったの?」
 とは、さすがに聞けない。昨日の今日では仕方がないわね。仕方ないから、ちょっと間を持たせるために窓の外の校庭でも眺めていようかしら?
「おっす、なおりん」
 イッペーの声があたくしの耳に届いた。
「おはよう、ナオト」
「おはよっす。……っと、梶原、これ、おばさんに渡しといて。頼まれた本って言えば分かるって」
 軽く挨拶を返したナオトは、あたくしの前を通り過ぎて、カバンの中から出した「季節のお菓子百選」という本をさゆりに渡した。
「う、うん。分かった」
 こちらを気にしながら、さゆりはそれを受け取る。
 あたくしは早速ナオトに恋のアプローチをすべく、声をかけた。
「あのね、ナオ――――」
「センパーイ!」
 突如現れたクソ生意気な、いいえ、少々、他人の迷惑を顧みない後輩が、ナオトとあたくしの間に割って入った。
「昨日はごめんなさい。あたしったら早とちりで……」
(は?)
 あたくしの知る限り、昨日のこの下級生とナオトには謝るほどの接点なんて……
「センパイは優しいから。慰めてあげてただけなんですねー? あたし、お邪魔虫になったかと思って、逃げちゃいましたぁ」
 あははと軽く笑うこの女の言葉の内容が、何一つ分からないまま、あたくしはナオトの方に目をやった。
「昨日って、何があったの? ナオト」
「いや、その……」
 ナオトが珍しく口ごもる。すると、それを助けるように増山とかいう、あたくしの仮想敵が口を開いた。
「昨日の放課後、センパイと、誰か女の人が抱き合ってたんですよ。それで、あたし誤解しちゃって――――」
 瞬間、あたくしの脳が凍りついたわ。
 ……。
 ………。
 …………。
 ナオトが、
 ――他の女と、
 ――――抱き合って?
 しかも、何故あたくしはそれを敵の口から聞いているの?
「……あら、ナオトに彼女でもできたの?」
 あたくしは努めてなんでもないことのように振る舞った。
 声も震えていない。えぇ、大丈夫。
「泣いてた人を慰めてたら、その人が泣き疲れて眠っちゃって、困ってたって後で聞きましたよー。……あ、いっけない。もうこんな時間。それじゃセンパイ、また後で!」
 敵は爆弾を落とすだけ落として去っていったわ。迷惑この上ないったら。
 残されたあたくしは、ナオトよりもまずさゆりを見た。一番ナオトに近い女生徒はさゆり。泣き虫のさゆり。問題の相手である可能性が一番高いのも、もちろんさゆり。
 さゆりは、困ったような、申し訳なさそうな顔でこちらを見ている。
「相手はさゆりだったのね? ナオト」
 あたくしはさゆりを見ながら、ナオトに尋ねた。
「……ん? あぁ」
 誰から聞いたんだ?と呟いていたナオトが、慌てて答える。
「あ、あのね、さやちゃん……」
「来たぞっ!」
 週番の九十九警報に、あたくし達はそれぞれの席に戻らざるを得なくなった。
――――ホームルームが終わった後、体育の授業のために女子更衣室へ向かうあたくしをイッペーが呼び止めた。
「おい、お嬢。……ちょっと」
 あたくしはさゆりに先に行っているように言うと、イッペーの方へ近寄った。
「なによ」
 ついつい不機嫌な声で応対する。
「あんまり、梶原のこと責めるなよな。悪気があってやったわけじゃないんだろうし、な?」
 あたくしは、あまりに自分勝手で想像通りのイッペーの物言いに、カチンときた。
「イッペー? もし、あたくしが他の男子とさゆりの仲を取り持ったら、どうするの? 問い詰めるでしょう? おれの気持ちを知りながら、どうしてあんな奴にって。それと同じことよ?」
 あたくしはにっこりと微笑んでやって、考え込むイッペーを後にした。
(人のこういう行動を、慇懃無礼スマイルだなんて言っておいて――――)
 あたくしがナオトのことを好きなのを知っていて、放課後の教室で抱き合うなんて、れっきとした裏切りだと思わない?
 だいたいイッペーもイッペーよね。そんなことあるごとにあたくしにクギをささなくてもいいじゃない。自分だってナオトに嫉妬してるのではないの? 全く、梶原が、梶原は、とか、女々しいことこの上ないわ。
(あー、もう。いらいらするわね)


「!」
「さやちゃん! 大丈夫?」
 マズった。考え事しすぎたわ。このあたくしが突き指するなんて。よりにもよって、イッペーお得意のバスケ中に。
 あたくしはズキズキと痛みを訴える右中指を押さえつつ、さゆりに「大丈夫」と気休めを言う。
「保健室に行って来るわ」
 バスケボールを抱えたままのさゆりがついていくと言わないうちに、あたくしは体育館を出ていく。
 大人げないことをしているのは自覚がある。でも、あたくしを裏切ったさゆりも、そのさゆりに出し抜かれたあたくしも、何かとさゆりを庇うイッペーも、何もかもに腹が立っているのよ。
「失礼します」
 保健室のドアを開けると、そこには誰もいなかった。保健室に付き物の養護教諭の先生はいないことが多い。屋上でたばこをふかしているとか、夕飯の買い物を保健室の冷蔵庫に入れているとか、とにかく不真面目な人だから、仕方がないといえば仕方がない。
 あたくしは引き出しをいくつかあさって湿布を見つけた。指に張るとひんやりとしたその感触が、右の手全体に広がる。包帯で固定しておこうとして……
ガラガラッ
「失礼します」
 入って来たのは、こともあろうにナオトだった。
「あれ、お嬢もか。……先生は?」
「いないわよ。たぶん夕飯の買い物にでも行ってるのではないかしら? 膝を擦りむいたの?」
 あたくしの目は、土と血の混じったナオトのひざ小僧に吸い寄せられるように止まった。
「あぁ、これ? ちょっと転んでさ」
 そういえば、男子はサッカーだったわね。
「ちょっと洗ってらっしゃい。消毒とかはやってあげるわ」
「ありがとな」
 廊下の向こうに消えるナオトを見送りながら、あたくしはチャンスが来たのを感じていた。
(誰もいないし、告白するには絶好の機会ね)
 すぐに戻ってきたナオトに、あたくしは脱脂綿に含ませた消毒液で処置をする。
「実はね、ナオト……」
 膝の傷を丁寧に消毒しながら、あたくしは切り出した。卑怯にも下を向いたあたくしの顔は向こうには見えないはず。
 さぁ!
ガラガラッ
「さやちゃん、大丈夫―?」
 邪魔者のさゆりが入って来たのは、告白の直前だった。
 
<<Film15.愚痴は元気の源 >>Film17.本音はカーテンの向こう


TOPページへ    小説トップへ    アオいハルの練習曲