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Ⅳ.来襲

 2.猛々しい


「まさか、気合いだけで吹き飛ばしたって言うノ?」
 見れば獣は無傷で、その獣の周りには白い羽根が散らばっていた。ハルピュイアの呟きが真実とするなら、鋭く放たれた羽根の全てをあの大音声で吹き飛ばしたということなのだろう。
「よく見えなかったなら、もう一度試してみるか?」
 たぶん、凶悪な表情でも浮かべたのだろう。ハルピュイアが気圧され、半歩下がるのが見えた。
「それならそれで……攻め方を変えるだけヨ!」
 羽ばたくように両腕を動かすと、多くの羽毛が渦を巻いて飛び、ハルピュイアの姿を隠す。
 すると、その羽毛の雲からギラリと剣呑な光を帯びた鉤爪が飛び出て来る。
「くだらん」
 獣はそれをいなそうと軽く右腕を上げた、すると、相手は自らの腕を引っ込め、左の鉤爪で獣の眉間を襲った!
 軽く舌打ちをした獣が上半身をひねってかわすと、それを予想していたのだろう、ハルピュイアはそのまま身体を回転させ、右足で頭を狙う!
―――一瞬、獣がこちらを見た気がした。
 上半身の崩れた無理な体勢で、獣は自分の右腕を犠牲にして頭を守る。猛禽類さながらの足の爪が、灰色の毛皮を突き破り、赤い花を散らす。
 だが、獣もやられたままではない。右腕に当たったことによって速度を奪われた相手の右足を掴む。
「くソ!」
 その動きを察知したハルピュイアは翼を羽ばたかせて体勢を変え、間一髪でその手を逃れた。だが、無傷というわけにはいかなかった。捕まることこそ避けたものの、右足首の羽根が無惨にむしられ、うっすらと血の筋ができていた。
「このケダモノ!」
 呪いの言葉を吐き捨て、ハルピュイアは獣の手の届かない上空へと飛び上がった。
 その一連の流れを、あたしはただ、立ち尽くして見ていることしかできなかった。正直なところ、怖くてたまらない。初めてあの獣と遭遇した時の比じゃない。本当は逃げ出してしまいたい。
(でも―――)
 あの獣は目の届く位置にいるようにと言った。さっきも、もしかしたら避けられたものを、後ろにいるあたしのことを考えてそうしなかったのかもしれない。
(あたしを、守ってくれている……?)
 そんなあたしの思考をよそに、二人の戦いはまた違った流れになっていた。
 ハルピュイアは上空から勢いよく滑空し、獣の頭部めがけて爪を繰り出す。獣はそれを防ぐものの、すぐさま相手が上空へ逃げてしまうため、反撃の道がない。
「地べたを這うケダモノは不便ネ」
「飛ぶことに執着するあまり、脳味噌まで軽くしたヤツに言われたくない」
 獣が相手を挑発しようとしているのは明らかだ。だが、それに乗るハルピュイアでもない。
「口を動かしていられるのも今のうちヨ! 空も飛べないケダモノに生まれたことを悔やむがいいワ!」
 ハルピュイアは上空からヒット&アウェイを繰り返す。滑空するたび、獣の腕に、頭に、傷が増えていった。
 あたしは、ぎゅっとカラクリ人形を抱きしめた。この先、どうなるのか、怖くて怖くて仕方がない。どちらを応援したらいいのかも分からない。ただ、見守ることしかできなかった。
 何回ハルピュイアが滑空と上昇を繰り返した時だったのだろう。上空へと逃げる際に、バランスを崩したように見えた。
「この、ケダモノ……!」
 表情は陰になって見えないが、憎々しげな声にあたしは驚いた。あの戦い方を繰り返す限り、優勢だったんじゃないだろうか。
 獣に視線を移すと、両腕がまだらに赤く染まり、頭も血こそ出ていないが爪がかすったところが毛羽だっている。満身創痍とまではいかないが、傷だらけで見るに堪えない。
(あれ……?)
 獣が握っていた拳を開くと、何かがはらはらと舞い落ちるのが見えた。白い色をした何かが風に翻弄されてひらひらと地面に落ちる。
「よくも、アタシの大切な尾羽ヲ……!」
「ふん、お前のそれは見慣れてきた。次は掴むぞ、アホ鳥」
「許さないワ! このケダモノ!」
 ハルピュイアの羽根が白から赤に染め上がる。それは、めちゃくちゃ怒っていることの証のようだった。
 陽光を背に受け、陰になっているにも関わらず、ハルピュイアの目が妖しく赤い光を放っているのが見えた。
「来いよ、ずたぼろ鳥」
 その言葉に、ハルピュイアの瞳が一層険しく光った。そしてくるりと体勢を変え、矢のように獣に向かって落ちて来る。
 右の爪をまっすぐ伸ばし、ひねり回転を加えながら獣の頭を狙ったハルピュイアが、いきなり、その角度を変えた。
「手に入らないなら、壊すまでヨ!」
 ハルピュイアはまっすぐこちらへと向かって来る! あたしは固く目をつぶって、カラクリ人形を抱きしめた。
(殺される!)
 迫ってくるハルピュイアに、あたしは死を覚悟する。
 でも、結局、その爪はあたしには届かなかった。
 数秒後、恐る恐る目を開けたあたしの前には、灰色の毛並みがあった。
「この、ケダ、モノっ!」
 憎々しげに吐き捨てるハルピュイアの右腕が、獣の両手に掴まれ、あり得ない方向に曲がっていた。
「そう来ると思ったぜ。この陰険鳥」
 ハルピュイアの赤い目が、あたしの方をギロリと睨む。
「こ、ノぉっ!」
 ハルピュイアの残った左腕が、獣の背中で庇われているあたしへと突き出された!
「往生際が悪いな、クソ鳥!」
 それを防ごうと、獣は掴んだままの右腕を軸に、力任せに中空へと放り投げた。
「覚えていらっしゃイ! このケダモノ!」
 どこからともなく、鳥の大群がやってきて、ハルピュイアの姿を覆い隠す。その隙間から、まるで運ばれるようにしてハルピュイアが去って行くのが見えた。
「二度と来るな! このブス鳥! ―――ケガはないか?」
 罵声を浴びせかけた獣が、くるりとこちらを向く。
「っ!」
 不吉に輝く赤い瞳に、あたしの身体が大きく震えた。
 守られていたから忘れていた。目の前の獣は、あのハルピュイアと同じく、とんでもないモノじゃないか――。

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