Ⅵ.誘惑と裏切り3.疲労困憊最悪の朝を迎えたあたしは、朝食もそこそこに、庭へ向かった。 「ニワニ デルノデスカ?」 「う、ん。あの、ほら、せっかくだから、朝露に濡れている所を見たいな~って」 苦しい言い訳をするあたしをどう判断したのか、カラクリ人形はあたしの後ろにぴったりとくっついて来た。 (うぅ、このやり取りも筒抜けになっちゃうのよね) 昨晩、あれから寝台に再び潜り込んだ後も、やっぱりごろごろじたばた悩んで、一睡もできなかったのだ。たぶん、今、あたしはひどい顔をしているのだろう。 (こんなんじゃ、直接会わせる顔もないよ) そう、あたしは、ラスから逃げる選択肢を選んだ。嘘の下手なあたしが、この先ずっと彼を欺き続けるなんて、できるはずがない。だいたい、歌えば心の動揺は全てバレてしまうだろう。 ハルピュイアの誘いを良しとしたのではなく、ラスから逃げるために。 あたしは屋敷から離れ、庭の端にあるあのユリの所へ近づいた。庭のどことは指定されていない。ただ、庭のどこに居ても、鳥の目は捉えられるだろうという確信があった。 「ソノユリヲ カザルノデスカ?」 「うぅん、ただ、見たかっただけなの。摘むのは、ちょっと勿体ない気がするし―――」 ガタンッ 大きな物音が聞こえたのと、あたしが強い重力に体を軋ませたのは、たぶん同時だった。 「え、え、えぇーっ!」 いつの間にかあたしは庭を屋敷を見下ろすぐらいの高さにいた。 「応じてくれたのネ。感謝するワ」 その足の鉤爪であたしをがっしりと掴んだハルピュイアが、甲高い声でそう言った。 「悪いけど、ここでもたつくわけにはいかないのヨ。あのケダモノが追って来ないうちに、とっとと行くわヨ」 「行く、って、どこへ?」 「アタシの巣に決まってるじゃなイ。そこで具体的な取り決めについて話をしましょウ」 しましょうと言われても、たぶん、あたしには拒否権がない。 この高さから落とされたら、まず間違いなく命も落とす。そんな状況で冷静に答えることもできないまま、血の気の引いたあたしは、ただ、遠く小さくなっていくラスの屋敷を眺めていた。 ![]() ―――どれぐらい飛んだのだろう。 山を一つ二つ越え、ラスのものよりも幾分小さな屋敷が目に入った。ラスのが豪邸だとすれば、こちらは別荘と言ったところだろうか。 「あそこヨ」 そう口にしたハルピュイアは、その庭先へと急降下をかける。正面から打ち付ける風と気持ち悪い浮遊感で、あたしの体中を寒気が襲った。 「少し乱暴だったかしラ?」 気遣う言葉をかけてくるも、その声は明らかに笑っていた。ただ、それが分かったところで、あたしに何かできるわけでもないけど。 バサバサと羽ばたき、スピードを緩めてあたしを庭に置くと、すぐ隣に着地をした。 「お茶でも用意させるわネ」 へたりこんだあたしを置いて、ハルピュイアが一足先に屋内へと向かう。その後に付いて行こうとしたあたしは、立った途端にめまいを感じて、ふらり、とよろけた。 (……あれ?) 足がガクガクしている、というのもあるが、今のはまるで体に力が入らないような感じだった。それでも何とか屋敷の中へと向かう。 あたしが到着した時には、庭のよく見えるサンルームでは、既にお茶の支度が整っていた。 勧められるままに、紅茶に口をつける。目の前にはおいしそうなスコーンがあるが、口に運ぶ気にはなれなかった。 「どうしたノ?」 「……いえ、なんか、ちょっと疲れたみたいで」 「そうネ。昨晩は寝ていないんじゃなかっタ?」 「え? なんでそれを―――」 「見ていたワ。フクロウの目を通して」 そうか、鳥の中にも夜行性のものがいるんだ。 「あちらの部屋にベッドがあるワ。寝ちゃいなさイ。今後の話はそれからでもいいわヨ」 指差された先には、白木の上品なベッドがあった。だが、来て早々寝てしまうのも、さすがに失礼ではないかと常識が告げる。 「今後のことを話すのに、お互いベストな状態の方がいいでしょウ? 女同士、気にすることはないワ」 あたしの躊躇を見てとったのか、ハルピュイアが重ねて勧めてくる。 昨晩の寝不足と、空での移動で疲れていたあたしには、とてもよい申し出のように思えて、あたしは素直に従うことにした。 「ゆっくりお休みなさイ。その代わり、次に目が覚めたら、歌ってちょうだいネ」 ベッドに潜り込んだあたしの脳裏にラスの姿が浮かんで、胸がちくりと痛んだ。それでも、睡魔はあたしに手を伸ばしてくる。 (何も考えたくない……) あたしは睡魔の手を取り、眠りの淵に沈んで行った。 | |
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