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 ハナウタ・カエウタ


 人間、随分と好みが変われば変わるものなんだと思う。
 町に住んでいた頃は、獣の毛並みにこんなにキュンキュンするなんて思ってもみなかった。
 ふわふわと柔らかいお腹の毛に手を、顔を埋めた時の至福と言ったら、あたしはこれまでの人生を損していたんじゃないかと思えるほど。
「もっふもふはー 歩いてこない だーから もふりに行くんだねー」
 あたしは珍しく一人で、散歩をしていた。いつもはカラクリ人形が1体は傍に居るはずなのに、今日はその姿が見えない。
 もちろん、意図して撒いたわけじゃない。たとえあたしの行動がラスに筒抜けになるとしても、彼らはあたしを守っているんだから。
「いっちにち1モフっ! 三日で3モフっ! 三度モフって 二度モフるー」
 誰にも見られていないという久々の解放感に、あたしはつい口慣れた曲の歌詞を適当に変更しながら歌っていた。
 自分でも思うが、本当にどうしようもない歌詞だ。
 つまり、それぐらい、あたしはラスのもっふもふの毛皮に心酔してしまっているということ。
 考えたら、なんだか気恥ずかしくなった。
ドン
 ちょっと変な替え歌と妙な思考に囚われすぎていたせいだろう。うっかり何かにぶつかってしまった。
 ここは温室、木がたくさん生えているから、ちゃんと気をつけないと―――
「聞いたことのない歌だな」
 ぶつかった木がしゃべった。
 いや、この木、なんだか銀色じゃないかな? ついでに言うと、なんだか光っているような気がする。
 ……。
 …………。
 うん、そろそろ現実を見よう。これ、木じゃなくて、ラスだ。
 その証拠に、ぼんやりと銀色に光っていた身体が元の灰色に戻っていく。
「え……と、ラス。もしかして、聞いちゃってた?」
「お前の歌を聞くのは当たり前だろう?」
 ふ。
 ふふふふふ。
 あの、こっぱずかしい毛皮礼賛の歌を耳にしていたと言うのね。
 それなら、あたしの取る手段は限られて来る。

 ①何も歌っていなかったことにする
 ②今すぐ走って部屋に逃げ込む
 ③ラスの頭を殴って記憶を飛ばす

 さて、どれを選ぶべきか迷うところね。


 ①何も歌っていなかったことにする

 うん、これで行きましょう。
「えぇと、何の話だっけ? あぁ、今日はどんな歌がいい?」
「いや、別に今の続きで―――」
「昨日みたいな、お花の歌がいいかしら? それとも趣向を変えて雨の歌とか?」
「さっき、モフるとか何とか―――」
「それとも子守歌がいいかな? ラスが選んでくれて構わないよ?」
 あ、何だかちょっとムッとしたのかな。ヒゲが小刻みに動いてる。
「ユーリア」
 うぐ、尻尾がびったん、びったんと地面を叩くように揺れるのは、不機嫌な徴だと分かっている。分かっているんだけれども……!
「な、なぁに、ラス」
 顔を見上げれば、藍色の瞳が真っ直ぐにあたしを射抜いていた。
「オレが、何を、言いたいか。―――分かるな?」
 いいえ、分かりませんとも!
 思わず答えそうになった自分の口を慌てて押さえた。
「ラ、ラス。もしかして、怒ってたり、する?」
「いいや?」
「で、でもね、ちょっと、目が怖いかなー、って思ったりなんかしちゃったりして?」
「ユーリア、歌い手が変な言葉を使うな」
 あれ、ちょっと説教モードになって、不機嫌オーラは消えた、かな?
「あ、うん、ごめんなさい。それで、えぇと……」
「オレの言葉を封じようとは、いい度胸だな」
 そ、そこを怒っていらっしゃいましたかー!
 でも、でもでもでもっ、あたしにだって追及されたくないことの一つや二つや三つや四つぐらいあるわけで。
 そんなことを考えながら、青くなってわたわたと慌てるあたしを見下ろしたラスは、低くくぐもった声で告げる。
「葛を摘む人、丘の麻畑、次郎さんお願い、の三曲で許してやろう」
「えぇっ!?」
 思わず声を上げてしまった。どれも甘い甘い恋の歌だったからだ。
 一つ目は、都に出稼ぎに行った恋人を偲ぶ歌。
 二つ目は、丘で農作業をしながら遠くからやってくる恋人が別の娘に話しかけられているのを見て、やきもきする歌。
 最後のは、頻繁に自分の家に通ってくる恋人を、嬉しいと思いながらも家族の目もあるから、と諌める歌。
 どれも砂を吐けるほどに甘い歌だ。
「ラ、ラス、それは、その……」
「オレが選んで構わないのだろう?」
 や、やられたー!
 藍色の瞳が、どこか楽しそうに輝くのを見て、あたしは悟った。
 分かってる。ラスが恋の歌を好んでいるのは分かっているの。
 でもね、あたしが精神的にすごく疲れてしまうんだ。いっそ、心を無にして歌ってしまえば、とも思ったけれど、それだとどうしても「美味な歌」にならないらしいし。
 結局、心を込めて歌うことになる。心をこめるということは、その……ラスへの思いも乗せて歌うということで。
(あぁ~~~)
 一転、上機嫌となったラスを前に、あたしはがっくりと膝をついた。


 ②今すぐ走って部屋に逃げ込む

 うん、これで行きましょう。
 そうと決まれば、一気に駆け抜ける!
 あたしはくるりと踵を返して、思い切り地面を蹴った。
 目指すはあたしに割り当てられた私室。そこまで逃げ込めば、立てこもることもできるに違いない!

 なんて、思った時もありました。
 二秒と立たないうちに、捕まったあたしは、両脇に手を入れられてぷらーん、とラスの目の前に吊り下がってます。
「獣の習性を分かってないようだな」
 えぇと、獣ではなく、肉食獣の、ということだよね?
 やっぱりラスって肉食だったんだ?
「エモノが逃げれば追うに決まっているだろう。それとも追われたかったのか?」
 ハイ、ソウデスネ。返す言葉もありません。
「……あの、ラス?」
「なんだ?」
 あたしは目の前のラスからやや目を逸らした。逃げるエモノ(泣)に興奮したのか、目の色が変わっている。不吉な赤い目は、やっぱりどこか直視をためらってしまう雰囲気がある。いつものラスだとは分かっているんだけれど、本能的な恐怖に勝てるはずもない。
「ちょっと、落ち着いて欲しいの」
「―――ほぅ」
 何故か一段低くなった声音が、あたしの背筋を凍らせた。恐る恐る視線を顔に戻せば、突き刺さるような視線に思わず身体が震えた。視界の端で尻尾が不機嫌そうにばったん、ばったんと右に左に振れている。
「声を掛けるなりいきなり逃げたお前に『落ち着け』と言われるとはな」
「えと、それは、そのちゃんと理由が―――」
「理由?」
 えぇい、こうなったら正直に話すか。
「その、気を抜いてたから、適当な鼻歌なんか歌ってたし、いきなりラスが来たからビックリして、あと、気が抜けた所を見られたのも恥ずかしくって……」
「ずっと居たぞ?」
「……え?」
 ずっと、居た? どこに?
「え、うそ、でも、誰も―――」
「オレが昼寝をしていた温室にやって来たのはお前の方だろう?」
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
 つまり、護衛役のカラクリ人形が温室に入って来なかったのは、最初からラスが居たからで?
 それは……あのモフモフ礼賛の替え歌を最初っから聞かれてたと?
「いいぃぃぃやぁぁぁぁっ!」
 あたしは羞恥のあまりジタバタともがく。顔が赤い。絶対に赤くなってる。
「ユーリア?」
 お願いだから離してー! もう温室の隅っこに穴掘って埋まって肥料になるからー!
 そんなことを考えていたら、体がふわりと柔らかいものに包まれた。
 このぬくもりをしっている。この肌触りを知っている。あたしが魅了されてやまないラスのお腹の毛皮。
「落ち着け、ユーリア」
 上から落ちてくる声は低く、喉の奥でこもるような不明瞭な響きをしている。でも、その言葉はあたしの耳にすんなり入って来た。
「何をそんなに慌てている? 別に変なことはしていなかっただろう。いつものように歌を―――」
「忘れてぇぇぇっ!」
 思わず胸倉を掴んで、あたしはラスを見上げた。羞恥に目も潤む。
 何故か、ラスがふい、と目を逸らした。なんだか口の中でもごもごと呟いている。聞かせるつもりのないその言葉は、残念ながら拾うことはできなかったけど、目の毒、とか言われたような? あたしは今、そんなに酷い顔をしているのだろうか。
「あー、分かった。そこまで言うなら忘れる」
「ほんと? ほんとに忘れてくれるっ?」
「あぁ」
 いつになく優しいラスの言葉に、あたしはホッとして彼の腕の中で力を抜いた。


 ③ラスの頭を殴って記憶を飛ばす

 これっきゃない! 人だろうと獣だろうと、大きなショックで記憶が飛ぶことは同じはずっ!
「ラス、ごめんっ!」
 あたしは、右手を大きく上に振り上げた。
 何かを打ち抜く硬い感触に、手首がじんじんと痺れた。
 その行動は反射に近いものだったけど、気がつけば、ラスの巨体があたしの足元に倒れていた。
 ど、どうしよう?
 えっと、えっと、いいや、逃げちゃえ!
 あたしは念のためにラスの呼吸に問題ないことだけ確認すると、一目散に自分の部屋へ駆け出した。
 
 もちろん、夕食時に顔を合わせたラスに思い切り怒られた上、喉が嗄れる寸前まで歌わされることになったのは言うまでもない。
 
 もう、鼻歌も替え歌も絶対に歌わないんだからっ!
ノベルゲーにありがちな、選択肢で行ってみました。
このエピソードで変動する好感度は①+1ポイント、②+2ポイント、③-1ポイント、といったところでしょうか。


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