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 そうだ、TKGにしよう


 最初に思ったのは、「あれ、おかしいな」だった。

ぎゅあ

 朝の情報番組で「今日はたまごかけごはんの日」って言ってたから、久々に食べようと思ってみただけだった。「たまごかけごはん」を「TKG」って略すことも初めて知った。

ぎゅい?

 お茶碗にごはんをよそい、真ん中にくぼみを作った。小さな小鉢を取り出したところで、普通のTKGにしようか、少し変わり種にしようかとちょっと迷う。冷蔵庫の中身を確認すると、明太子があったので、それをほぐして混ぜようかと考えたけど、せっかくTKGの日なんだから、プレーンな方でいこうと思い直す。

ぎゅぐぁぁ

 冷蔵庫から出した卵を小鉢のふちにカンカン、と叩いてひびを入れると、何も考えずにぱっかん、と落とす。その時、確かにボテッという音がした。

「ああぁぁぁ、もう……」

 ツッコミたい点はいろいろとある。冷蔵庫でよく孵化したな、とか、そもそもどうしてヒヨコじゃないんだよ、とか。
 でも、言わせて欲しい。

「なんっで、よりによって俺の苦手な蛇なんだよぉぉ~~~」

 もうこの小鉢は使えない。それは間違いない。
 ついでに俺、一度小鉢に卵を落としてから食べる派で良かった。ご飯の上に直接落とす派だったら、とんでもない大惨事になってた。

ぎゅあ?

 いい。もういいから鳴くな。俺が泣きたい。
 とりあえず、卵はまだ残っているが、とてもTKGな気分にはなれなかったので、明太子を取り出した。
 あ? 現実逃避? 当たり前だろ。分かってる。

 蛇入りの小鉢をそのままに、昨日の残りのサラダと味噌汁をダイニングのテーブルに乗っけると、誰もいない部屋で一人、「いただきます」と呟いた。

ぐぁ

 いや、お前に言ったんじゃない。
 ちらりと台所を伺えば、蛇in小鉢はその小さな身体を持ち上げてこちらを見ていた。それどころか、小鉢のふちに手をかけてよじよじと脱出を試みる。

 いや、待て。脱出?
 俺は慌てて立ち上がった。がちゃんと音を立てて足をぶつけたテーブルが揺れる。蛇は小鉢から身体の半分を乗り出し、小鉢から這い出た。そこまでは良かったが、小鉢から上体を落とした反動で、ころん、と前転するようにころがり、そのまま調理台の端まで勢いを殺さずにころころりんとダイブする。
 ちょっと待て床に激突即死したらそれ(死骸)片づけるのは俺なわけで―――

ぎゅっ?

 差し出した手は何とか蛇をキャッチ。
 ……キャッチ?

 今、自分の手のひらに蛇が乗っていると理解した俺の肌が、いっせいに粟立った。

「うあぁぁぁぁぁ!」

 悲鳴を上げた俺の手のひらで、何が楽しいのか蛇がきゅあきゅあと鳴いている。そのちっちゃい手を俺の指の先にかけて、はしゃぐ様子は憎めない、が、蛇だ。

「ん? 手?」

 俺は初めてそいつをじっくりと見た。
 蛇は手がない。「蛇足」なんていう言葉もあるぐらいだから足もない。

「お前、蛇、じゃない?」

ぐゅあぁ

 あ、怒ったみたいだ。尻尾を振り回している。
 とりあえず、タオルを引っ張り出してダイニングテーブルの上に乗せると、そこにそいつを移してみた。

ぎゅいっ

 どうやらお気に召したらしい。
 わけがわからないまま、とりあえず冷めないうちに、と朝食を再開する。

 じーっとこちらを見る黒い目に負けて、スライスされたきゅうりをそっと差し出してみると、口を開けてはむり、と咥えた。もむもむと口を動かしているところを見ると、ちゃんと食べているらしい。
 それを食べ終わると、まだこちらを見てくるのでプレッシャーに負けてレタスを与えてみる。再びもむもむと食べる。草食なのか雑食なのか。そもそもこいつは何なのか。

 明太子ごはんを食べ終えて、腹いっぱいになったところで、腰を据えてじっとそいつを見つめる。深緑色の身体はごつごつしていて、鱗が生えているみたいだ。にょろり、と長い胴体は蛇を思い出してぞっとするが、合計4本の短い脚が生えている。顔も蛇よりはトカゲに近いようだ。これはいったい何ていう胴長トカゲなんだろう。

 そこまで考えて気がついた。

「なんか、玉集めたら願い叶えてくれるアレに似てるな」

ぎゅうぅ?

 首を傾げるそれは、ちょっと可愛かった。
 まぁ、龍なんてものは、鯉が滝を登りきったらなるもんだって相場が決まっている。どうせこいつはトカゲの一種だろう。


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「……困った」

 通勤途中で適当な野原に放とうと思ったのに、なぜかデカい声できゅうきゅうと鳴くから、結局、ワイシャツの胸ポケットに入れたまま今に至る。もう昼休みだ。

「お前さ、今日昼メシどうすんの」
「あー、ちょっと買いたいモンあるから外で食うわ」

 食堂に誘う同僚に返事をして、俺はコンビニへ向かう。幸い、午前中は大人しくしていてくれたが、午後もそうしてくれるとは限らない。どうにかしないと。

「あとはペットショップ、か?」

 コンビニ袋を片手に会社裏手の非常階段に陣取った俺は、胸ポケットを覗いた。とぐろを巻いて落ち着いたそいつは、のっそりと顔を上げた。つぶらな黒い瞳と目が合う。
 つまみだしたそいつをタオル地のハンカチの上に置くと、弁当のふたにご飯一つまみとキャベツと鶏肉の唐揚げの切れ端を並べてみる。

ぎゅ?

 寝ぼけ眼ながら、自分の目の前に食べ物が置かれたことはちゃんと分かるようで、ふんふん、とそれらの匂いを嗅いでいた。犬みたいだ。
 ついでにペットボトルの蓋にミネラルウォーターをそそいで置いてみる。まぁ、どれかは食べるだろう。

 見られているのも落ち着かないだろう、と俺は弁当を咀嚼しながらスマホで爬虫類を扱うペットショップを検索する。残念なことに会社の近くにはないが、帰りに少し足を伸ばせば専門店があることが分かった。俺にペットが飼えるはずもないし、そこで引き取ってもらおう。

「お前、ちゃんと午後も大人しくしてるんだぞ……って、いつの間にか完食してるし」

ぐあ?

 小首をかしげるそれは、まぁ、かわいいと言えなくもない。

「まだ食うか?」

 俺が尋ねる言葉が分かるのか、そいつは、ふい、と首を逸らした。とりあえずいらないという意思表示だと判断する。トカゲって意外と賢いんだな。

「さてと、そうと決まれば残業できねぇし、午後は頑張るかー」

 ぎゅあぁ!

 ぐぐっと伸びをした俺に呼応するように、トカゲも鳴いた。


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―――まぁ、何ていうか、俺も考えが浅かった。
 帰りに寄ったペットショップで店主にそいつの外見とかを話した途端、すわ新種か!と目をぎらりと輝かせた店主にドン引きした俺が、結局そいつを手放せなかったり。
 ちまちまと与えた分だけ食べるそいつが一向に排泄しないので、濡れティッシュで排泄を促そうとしたら、かぷりと噛まれたり。(歯は生えそろってないので痛くなかった)
 俺の話をやたらと聞いて、頷く仕草さえ見せるそいつがいつの間にか一人暮らしの俺の愚痴相手になっていたり。
 そいつが意外にも風呂好きで、毎日あの小鉢にぬるま湯を満たしてご満悦な顔で入っていたり。

 なんか、色々あって、判明した、その事実は。

「まぁ、うすうす気づいてるかもしれんが、わたしは龍でな」

 1年後の「たまごかけごはんの日」に、突然しゃべり出したそいつの口から正体が分かったとき、俺はすごく遠い目で「あー、うん、そうか」なんて頷いてしまった。

 ちなみにまだそいつは俺の部屋にいる。
 さすがに職場には持ち込んでいないが、たまにカバンに忍び込まれていてギョッとさせられる。

「仲間とかいねぇの?」
「いるだろうが、探すのは面倒だ」

 結構、世の中に龍はいるらしい。人化の術を会得したら行動範囲が広がるとか言っていたけれど、居候する気は満々だ。どうしたものか。俺に彼女を作るなというのか。

「どうした?」
「いや、あー……、夕飯どうすっかな」

 こいつとの生活は悪くない。気を遣うような相手でもないし。
 強いて挙げるなら、あれ以来、卵を割る前に、じっと卵を観察するクセがついた。2度もあんなことがあるとは思いたくないけれど。

「久々に、たまごかけごはんにするか」




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