TOPページへ    小説トップへ    ミッション:砂時計を直せ!

 その1:いきなり石像(未満)に頼まれること。


「いやぁぁ―――――!」
 さしてオリジナリティもない悲鳴を上げながら、私は落ちていた。無重力感と風圧を感じているだけで、周囲が全く見えないから、本当は落ちていないのかもしれないけれど、心情的にも落ちていたんだ。
「あぁ――――――っ!」
 よくもここまで肺活量があるもんだ、と我ながら感心してしまう。しかし、暗闇の中で、下から吹き付ける風にあおられながら、時間感覚さえも失ってしまっているので、本当に肺活量があるのかどうかさえ確かではない。それでも、叫ばずにはいられなかった。
「こっちだ! こっちに来るんだ!」
 誰かの声が聞こえた。
 周囲を見回せば、その方向には光が見えていて、それが自分を呼んでいるのだと直感した。
「早く! 時間がない!」
 その男の声は本当にせっぱ詰まった様子で、私を急かす。私は暗闇の中で縋るように、その唯一の光に手を伸ばした。
 視界が白濁して、私の意識が遠のく。
「大丈夫か! 早く……目を覚ましてくれ!」
 意識が遠のいたままの私の耳に届いた声は、危機感を覚えるほどに焦っていた。気力を振り絞って、何とか目をこじ開けることに成功する。
「よかった! お願いだ! もう長くは保たない。……どうか」
 額に脂汗を浮かべた青年の顔が間近にあった。おじさんと呼んでも差し支えない年齢かもしれない。ただ、そのダークブラウンの瞳が疲弊で彩られていたことが印象的で。
「時間を、頼む。君に頼むしかないんだ。いきなり呼びつけて悪いとは思うが……」
 青年の吐く息は荒く不規則で、それもだんだんと弱々しいものになっていく。それでも必死に頼んでくるものだから、つい、答えてしまったのだ。
「わかりました。わかりましたから……」
 私の了承を確認すると、青年は一瞬だけ笑ったように見えた。しかし、すぐに苦悶の表情を浮かべ、その顔が―――灰色に染まった。茶色っぽい金の髪もみるみるうちに灰色になっていく。
「や、な、なに――――」
 比喩ではなかった。
 私は、自分が立っていることをようやく確認すると、目の前の青年の顔に、おそるおそる手を伸ばした。ひんやりとした冷たい感触に、慌てて手を引っ込める。
 そして、再び、今度はもっと大胆に触れた。それは、石像だった。
(気のせい、だったの?)
 ついさっきまで、自分に語りかけていたと思ったのは夢だったのだろうか?
 そして、気づいた。
「……ここ、どこ?」
 どこかカビ臭い湿った空気、四方を石壁で囲まれた部屋、床に積まれた分厚い洋書の数々、何よりも、耳がおかしくなったと思うぐらい、物音一つしない世界。
(どうして、こんなことになった、の?)
 私は、ゆっくりと自分の記憶を辿り始めた。


 私の名前は、藤谷 つぶら。高校2年生で17歳。今日は7月10日。
 今、着ているのは、うちの高校の制服。濃い緑とえんじ色と黄色のタータンチェックのスカートは、規定通りの膝下丈で、足首までの長さの白いソックスを履いている。白いブラウスにスカートと同じ柄のリボン。冬なら濃い緑のブレザーが必要だけど、この季節には必要ない。
(うん、記憶もちゃんとしてるし、服装も問題ない)
 残念ながらカバンは見あたらないみたいだけど……
(そもそも、何してたんだっけ?)
 今日の4限が体育で、体調悪くて見学してて、見学するのも辛いからって保健室に行って、みんなより一足先に着替えて教室に戻って来たんだ。
 それで、我ながら未練がましいと思いながら、あの人の席に―――
『へぇ、あの人ってのは?』
 あの人っていうのは、同じクラスの男子で。思い切って告白したんだけど―――
「誰か、いるんですか?」
 私の顔から表情が消えた。比喩ではないし、恐怖からでもない。誰かに見られているかもしれないという意識がそうさせたのだ。無意識にメガネを上げ、前髪を直す。
『おー、いるぜ。お前の目の前にな』
 言われて私は視線だけで室内をぐるりと見渡した。だが、それらしい人影の「ひ」の字も見つからない。
「気のせい、みたいですね」
『気のせいじゃねーよ!』
 私の視界の端で、何かが動いた気がした。それが何なのか確かめようと首を動かして―――
「えーと、これ、ですか?」
『これとはなんだ、これとはっ!』
 声と同時に動いたのは、手のひらサイズの毛玉だった。毛の塊とでも形容しておくべきだろうか。真っ白のふわふわした毛むくじゃらの何かがもしゃもしゃと動いている。
「音に反応しているのでしょうか……」
 随分前にテレビで見たことのある、サングラスをかけたひまわりのオモチャを思い出した。音に反応して茎をくねらせるようなコミカルな動きをするやつだ。
『おい、てめぇ。現実から目ェ背けてねぇか?』
 声と共に毛玉が私に向かって飛んで来た。つい、それを両手でキャッチすると、思いのほか柔らかい毛並みと、温かいぬくもりが伝わってくる。
「……分かりました。では、このしゃべる毛玉が現実のものとして」
『毛玉じゃねぇっ! オレにはれっきとしたユジィって名前があんだ!』
「ユジィ。―――そういう名前なんですか」
 これでも驚いているのだけれど、どうやら反応がお気に召さなかったらしい。
『まだ夢とでも思ってやがんのか、このボケナス! 体を80度右に回転してみろ!』
 親の教育のたまものか、それとも義務教育の条件付けか、私は言われるがままに右向きに体を回した。
「……」
 そこには、苦悶の表情を浮かべた青年の石像があった。
『お前はコイツの頼みを引き受けたんだろ?』
(……頼み)
 私の脳裏に、彼の必死の形相、そして了承を告げた時の柔らかな微笑が思い浮かんだ。
「時間を、頼む、と、言ってました」
『そうだ。ちゃんと覚えてるんじゃねぇか』
 ユジィが私の手を離れて、ゆっくりと浮かび上がった。
『それにしても、お前、表情が全然変わんねぇから、こっちの言うこと聞いてんのか、聞いてねぇのか分かんねぇな』
(!)
 どくん、と心臓が跳ね上がった。
 自分でも、呆れるぐらい無表情なのは知っている。今だってユジィがいると分かってからずっと、表情に変化はないはずだ。
『? まぁ、声の調子で何となく分かるけどな』
「……そう」
 私は、自分でも安堵したんだと思った。無表情=無感動と考える人間のいかに多いことか。
『まったく、人間ってのは、飽きねぇな』
(?)
 私は小首を傾げて見せた。
「人間ってのは、ということは、人間じゃないんですか?」
『オレが人間に見えるか?』
 気のせいかもしれないが、毛玉、もといユジィがわずかに膨らんだように見えた。もしかしたら、怒っているのかもしれない。
 私は、慎重に手を伸ばし、ふよふよと浮いたままのユジィのまわりの空間を探った。てっきり、釣り糸とかテグスとか、ファイバーとか、透明な何かで吊したりしているのかと思っていたのだ。
『おいおい、オレは人形か何かか?』
 私は、もう一度ユジィの体に触れると、その輪郭をシラベるように、さわさわと撫でる。絹糸のような毛並みは触り心地がよかった。
「アンテナもありませんし、遠隔操作しているわけでもないんでしょうか?」
『おうよ。まったく、鈍いヤツだな。一応はっきり危機感煽ってやるけどよぉ、時間をどうにかしねぇと、てめぇは元の世界にゃ帰れねぇからな』
「う……そでしょう?」
『ついでに言うと、帰れなきゃ、行き着く先は餓死だ。有機体はみんな石だかんな』
 有機体。有機物。あぁ、生物の授業で習ったような。
 相づちもなく黙ってしまった私をどう見たのか知らないが、ユジィはくるるん、と回転した。
『そう真面目に考えず、思考転換してみろよ。頼まれ事なんて、ちょいとアスレチックゲームでもするぐれぇの気持ちでいいさ。―――簡単に状況を説明してやる』
 私は口を開かずに、ただ頷くことで先を促した。
『お前のいた場所は、えーと、地球って星のちっちぇ島国だな。ニホン、だったか』
「知ってるんですか?」
 思わず話の途中で聞き返してしまった私は、慌てて自分の口を押さえ、身振りで続きをどうぞ、と促した。
 動揺が表に出てないといいけれど、心臓が高鳴っていた。
『知っていると言えば知っている。てめぇのためにニホンの尺度で説明してやるから拝聴さいやがれ』
 変な言い回しだな、と思うが、今度は静かに聞く。そもそも最初から日本語を話しているじゃないか。
(あれ、でも……)
 それなら、どうして最初から話しかけて来なかったのだろう。あの青年が石像になっても、しばらくは黙ったままだったし。
『ここはマラム。北海道ぐらいの大きさの島だ。島の中央には、この世界の時間を司る聖遺物がある。こいつの都合が悪くなっちまって、時が止まった。……まったく、めんどくせぇ世界だぜ』
 ユジィがたるそうに説明をする。まるで、世界史の先生みたいだと思った。やる気のない先生には本当にやる気のない授業しかしない先生なんだよね。
『けっ、だいたい、オレだってあいつのお願いでなきゃ、こんなかったりーことやってねぇのに。―――いや、あいつのせいってわけでもねぇけどよ』
「あいつというのは、誰ですか?」
 いかにも尋ねて欲しそうに「あいつ」とボカして言うものだから、私は自然な流れだと思いながら質問する。
『あれだよ、あ・れ』
 言ってユジィはふわふわと浮いた。空気抵抗にそよぐ白い毛がやっぱりかわいい。滑らかに空を泳いだ毛玉は、苦痛の表情を刻み込んだままの石像に向かう。
「その人、ですか?」
 最初に頼みごとをしてきた青年だ。距離を置いて、落ち着いた目で見ると、彼が見慣れない服を着ているのが分かる。幼い頃に見たきりのアニメの魔法使いのような長衣だ。
『こいつはエディ。こんな若造に見えるが、一流の魔術師なんだ。エドワード・サティムって言やぁ、この世界では有名なんだぜ』
 えっへん、と誇らしげに胸(?)を張るユジィを見て、私は驚いた。別にユジィとエドワードという青年の間柄がどうこうというわけではないけれど―――
「ちょっと、ごめんなさい」
 石像の肩の上に乗っていたユジィを、片手でわしづかみ、もう片方の手でふわふわした毛をそっとかき分けた。
『おい、何しやがる……!』
 そこには3つのつぶらな瞳があった。黒金剛石のようなきれいな輝きが白い毛のなかに埋もれていたのだ。
『まぶしいじゃねぇか!』
「あ、ごめんなさい」
 私はそっと彼を肩の上に戻した。そういえば、ユジィに性別はあるんだろうか。
『まったく。―――とにかく、動けんのはオレとお前だけだからな。二人でやるしかねぇぞ』
「え……?」
『おいおい、お前なぁ』
「あ、違うんです。目的はちゃんと理解してます。どうして私とあなただけが動けるんでしょうか」
 ユジィの目に気を取られてはいたが、ちゃんと耳は働いていた。だが、どこか疑惑を含む眼差し睨まれてしまった。
『まぁ、いい。オレらが石像みてぇにならずに済んでんのは、この世界の時間に囚われていないからだ。オレもこの世界に長いこと居るが、お前と同じく、ここではない別の場所から来たんだ』
「別の、世界?」
『まぁ、それはどうでもいいことだろ』
 どこか拗ねたように、ふいっと横を向いたユジィに、私は手を挙げて質問の許可を求めた。
「世界の時間が止まっても、その、別の世界から来たという理由で私たちが動けるのはどうしてなんでしょう? ……えぇと、例えば、水の中に葉っぱを入れて、その水が凍ってしまったら、やっぱり葉っぱは動きませんよね?」
『理解の方向が間違ってんだ。オレとてめぇはこうしてこの世界にいるような気になってるが、それぞれ本体は元の世界にあるんだ。ここにいるのは、水面に映った影みたいなもんだからな』
 ユジィは私の目の前までふわふわと移動してくる。
『稀に、影でしかないのに、よその世界に影響を及ぼせるヤツがいるんだ。エディもそうだが、聖遺物に悪さしやがったヤツもそうだ』
 私が水をすくうような手つきでユジィの足下に手を伸ばすと、躊躇なくそこに乗って来る。遠慮のなさに呆れる一方で、心地よい手触りに心が和んだ。
『自分の周囲に嫌気がさしていたり、思わず逃げたくなるようなことが起こっていたり、そういうヤツがこうやって世界を飛び越えて来やがる』
 ユジィの言葉に、ずきり、と胸が痛んだ。
『まぁ、お前はエディが呼んだんだ。こっちに来やすいような鬱屈はあるんだろうが、あいつの人選が間違ってないことを祈るぜ』
 言うなり、ふわり、と浮き上がった。
『さぁ、こっからはオレの仕事だ!』
 ユジィの体が光り輝き、私は思わず手をかざして目を瞑った。暴力的な輝きに、痛くて目も開けていられない―――
その2>>


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