TOPページへ    小説トップへ    ミッション:砂時計を直せ!

 その5:かわいいコンピュータと付き合うこと。


 最初は、何に影響を受けたのか覚えていない。
 特撮のヒーロー物に出てくる怪人だったのか、それとも合体ロボの出て来るアニメだったのか、もしくはそういったクリーチャーの出て来るようなホラー映画だったのか。
 気付けば、僕は実在しない空想の動物を描くことに夢中になっていた。
 実際に広く知られているユニコーンやスフィンクス、ペガサスやケルベロスなどはもちろん、自分で色々な動物の特徴を抜き出して合体させた獣もたくさん描いた。
 ただ、小学校の頃に軽いいじめに遭ってからは、ただひたすらに描き続けるのではなく、周囲の空気を読んで明るく立ち振る舞って笑いを取ることを覚えた。ただ、それでも描くことはやめなかった。
「後藤ちん、まだ貼るのかよー?」
「もういいだろ?」
 高校1年のとき、文化祭でクラスの出し物はフリーマーケットだった。基本的にあまりやる気のないクラスだったから、皆で不要なものを集めて、店番だけをすればいいんじゃないか、そんな流れだったと思う。
 ただ、壁の飾りがあんまり寂しかったから、文化祭実行委員に話して僕の絵を貼ってもらうことにした。いつも描いているような二足歩行するようなワニの絵やリアル過ぎる蛇の絵なんかは少な目にして、少しだけ可愛いものも描いてみようと思った。
 別に壁なんて誰も気にしない。あくまで自己満足だと思っていた。
「このウサギ、羽根が生えてて可愛いですね」
 画鋲を片手に振り向けば、見知らぬ女生徒が立っていた。見覚えのない女子だったから、誰だろうと思ったけれど、それよりもまず絵を誉められた気恥ずかしさに動揺した。
「物理的に考えたら、とても飛べないんだけどね」
 僕の答えをどう思ったのか、その女生徒は「それもそうですね」という言葉を最後に離れて行ってしまった。
 今時、三つ編みお下げなんて珍しい、と思ったが、上履きの色から同じ学年だということだけは見て取れた。ただ、それだけだった。

 高校2年になった時、あの彼女と再会した。
 顔なんか覚えていなかったけれど、彼女は相変わらず三つ編みお下げのスタイルを貫いていたので、間違えようもなかった。
「ねぇ、あれって……」
「ん? 何、後藤ちん、コンピュータに興味あんの?」
 クラスが変わって最初の日、僕の後ろの席に座った佐藤が無機物の名詞を口にした。
「コンピュータ? いや、ああいうレトロなスタイルって珍しいと思ってさ」
 僕はとっさに興味のないフリをした。蔑称に近いあだ名を付けられる女子に興味を持ったなんて知られたら、からかいのネタになることは良く分かっていた。
「レトロってかオールドじゃね? 無表情だし、成績良いし、運動神経もあんまし良くないみたいだし、去年からコンピュータって呼ばれてんだぜ、あいつ」
 佐藤は、ああいうのと一緒のクラスだと、全体の雰囲気も悪くなりそうだからイヤだよなー、と続けた。
 そのコンピュータは、女子の間では別に浮いている様子もなく、笑いこそしないものの、女子の輪の中でおしゃべりをしていた。いや、おしゃべりに相槌を打っていた。
 乏しい表情にレトロな髪型、真面目を印象付けるようなメガネ。
 B専でないどころか、むしろ面食いな僕にとっては、どうでも良い存在だった。彼女がかつて僕の絵を誉めてくれたということを除けば。

「えー? それホントなら、めちゃカワイソーじゃない?」
「だよねー。でも、本人は別に気にしてそうにないしー」
「そーだよね、あの藤谷だもんねー」
 その話を耳にしたのは、クラスの男女数名でカラオケに行った時のことだった。
「なになに、何の話?」
 鈴木が某ロックグループの曲を熱唱しているのを放置して、僕はこそこそと話していた女子の輪に混ざった。
「いやー、藤谷なんだけどね。コンピュータな理由があるってハナシー」
 母親がやたらと神経質で「女の子らしくあること」「貞淑であること」に拘った結果、大声で笑うことすら許されないのだという。
「藤谷とオナ中の友達に聞いたんだけどー、家に遊びに行った時に、少しでも雰囲気を良くしようと思って、笑える話をしてみたり、色つきリップで装ってみたりってやったら、怒鳴られてー、家から追い出されてー、ついでに親に電話で文句言われたとかー。話盛ってるかもしんないけど、ほとんどマジらしいよ?」
「あー、なるほどねー。いや、僕さ、同じクラスになった時に、どうやったらああいう女子が出来上がるのかって不思議に思ってたんだよね。そういうことかー」
 親の影響か。色々勿体ないことをしてるんだな、というのがその時の印象だった。
「男子は藤谷のこと、コンピュータって呼んでるみたいだけど、結構優しいよ?」
「そうなの?」
 コンピュータと呼ばれているぐらいだから、本当にそういう人なのかと思っていた僕はびっくりした。
「分かんない問題とか、聞けば丁寧に教えてくれるし、あと、意外とカワイイものが好きなのかな? 教科書とか問題集にウサギの形した付箋使ってるの」
「あ、あたしも見たそれー。ちょっとギザギザしてるから、あれ自分で切ったのかな、って思ってたー」
「え、わたしそこまで見てない。ホント?」
 ウサギの付箋か。
 おじいちゃんの家でウサギを飼っていたせいか、ウサギ好きに育った僕としては、その出来は確認しておきたいな、と思った。
「お、次の曲だれー?」
 いつの間にか声を嗄らして熱唱していた鈴木の曲が終わり、また別の人気アイドルのイントロが流れ出した。
 少しだけ、コンピュータ藤谷に興味を持った。

 最初に思ったことは、意外と頭悪いな、だった。
 いや、めんどくさいことになった、だったかもしれない。
 視聴覚室から教室に戻ろうとして、ペンケースを忘れたのに気付いて慌てて戻った時のこと。友達を付き合わせるのも何だか悪いと思ったから、一人で廊下を走って戻った。
 視聴覚室では、丁度藤谷が先生から鍵を閉めておくようにと頼まれていた。他には誰もいなかった。
「後藤くん」
 ペンケースを机から拾い上げた時に、名前を呼ばれた。そして、告白された。
 その瞬間、色々なことが頭をよぎった。YESと答えた場合、Noと答えた場合、どんなことが起こるかとシミュレーションが開始される。まるで目の前の藤谷よりも僕の方がコンピュータになった気分だった。
「後藤ちん、見つかったかー?」
 佐藤が教室に入って来て、思わず現実に立ち戻った僕の頭には「保身」が先にあった。
「ごめん、保留にさせて」
 藤谷が、小さく「え」と言ったのが聞こえた。でも僕は、佐藤と一緒にそのまま視聴覚室に背を向けた。
「後藤ちん、藤谷に何か頼まれたんか?」
「うん、ちょっとね」
 僕はバクバクする心臓を懸命に抑えながら、ことさら何でもないことのように振舞った。
『よければ、男女交際しませんか?』
 実に、コンピュータとあだ名される藤谷らしい告白だった、と思いながら。
―――結局、変に敏感な佐藤にしつこく尋ねられ、うっかりと告白の件を口にしてしまったわけで。
 放課後の教室で、ついついいつものメンツと話し込むことになってしまった。
「っつーか、藤谷とか、マジないわー。後藤ちん、かわいそ」
 ゲラゲラと周囲に合わせて笑いながら、僕らはひとしきりネタとして告白のことを話し、そして教室を後にした。
「―――?」
 廊下に落ちていた「それ」を拾い上げたのは清水だった。
「なんだ?」
 鈴木の声に引かれ、清水の手の中にあるものを見た時、僕の心臓はキシリ、と痛んだ。
 少し、不恰好な黄色の付箋。片端がウサギの形になっている付箋。
 僕は全てを理解した。そして、罪悪感が鎖となって心臓を締め付けるのを感じた。断片的な情報を思い出すたび、鎖はギチギチと音を立てて締め上げてくる。
「後藤ちん? どうかした?」
「う、ううん。別に何でもないよ。どこかでその付箋を見たことがあったかなーって思ってただけ」
 口先だけで軽くあしらいながら、僕はそのまま帰宅した。
 そこからの記憶は少しだけ曖昧になっている。
 スケッチブックを開き、ひたすらに絵を描き続けた。と思う。
 あの付箋は去年、僕が作ったものだった。文化祭でバザーに出すものを一人5点ずつ出すように言われていたのに、あまり良いものがなかったから、新品の付箋をウサギの形に切り抜いて出したんだ。
 そして、いつだったか女子から聞いた藤谷の参考書に貼ってあったウサギの付箋の話。
 聞かれていた。どう思っただろう。僕のことを嫌いになっただろうか。
 いやそれよりも、とても傷ついたはずだ。
 あの藤谷が、何を思って僕に告白してきたのかは知らない。けれど、その思いを僕は踏みにじるような真似をした。
 あんな笑い話に。友達と。ゲラゲラ笑って。
 あぁ、いっそ、時間が戻ればいい。
 それでなくても、明日が来なければいい。とても合わせる顔がない。
 あぁ、どうか。
 時間が――――。


「後藤くん?」
 呼びかけられて、ハッとした。
 今日は休日。何とあの藤谷とデートだ。
 メガネを外し、髪もサイドを緩く編みこんだかわいいものになっている。きっと、クラスメイトが見たら別人だと騒いだだろう。そのぐらいかわいい。
 惜しむらくは、スカートが少し長いせいで、きれいな足があまり見えないということか。
「どうかした?」
 新しいスニーカーが欲しいからと付き合わせた店で、ボンヤリと昔の記憶にひたっていたらしい。
「ちょっと、変なこと思い出してただけだよ」
「これ、どうかな、って思ったんだけど。エア入ってクッション効いてるし、紐の穴のところも工夫してあるみたいで結びやすくなってるの」
 藤谷の残念なところは、見た目よりも機能性重視なところだ。僕の買い物だから、ではなく、自分の身の回りのものすらその価値観で選ぶから困ったものだ。今度、服を買う時には、是非一緒に行かせてもらおう。うん、そうしよう。
 ただなぁ。問題は藤谷に自分がかわいい、って自覚がないことなんだよな。迂闊にかわいくし過ぎると、変なのが寄って来るかもしれないし。現に佐藤や清水、鈴木は「詐欺だ」「目の錯覚だ」「世界に変なフィルタが」とかうるさい。
「まぁ、このままが悪いってわけじゃないけど」
「後藤くん?」
 そのあたりは、ゆっくり変えて行こう。僕もかわいい女の子と一緒に出かけるのは嬉しいし、かわいい格好をしていた方がもっと嬉しい。
「どうしたの? あ、これは気に入らない? 確かに中敷はちょっと質が悪いかなと思ったんだけど―――」
 僕は藤谷の頭を軽く撫でた。いきなりの行動にびっくりしたんだろう、目を丸くした彼女だったけど、その頬が徐々に赤く染まって……
「っ!」
 はにかむような表情を浮かべた藤谷を見て、僕は慌てて顔を背け、スニーカー選びを再開した。とはいえ、あの顔は脳内にしっかり焼きついて離れない。
―――もっと人物画とかも描いておけば良かった。そうしたら、あの表情もスケッチブックに残せるのに。
 そんなことを考えた自分に気がついて、僕は自分の火照った顔がさらに茹で上がるのを感じた。


<<その4


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