TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 74.それは、お説教だったのです。


「それで、全部か?」
「……はい」

 怖くて顔が上げられません。
 あれからマンションに文字通り運ばれた私は、リビングでソファにどっかりと腰を下ろすトキくんに事情説明しました。後で何も問題ないように、取りこぼすことなく。
 反省していることを分かってもらおうと、ちゃんと床に正座です。小さい頃から正座の生活に慣れている私ですが、そろそろ足がピンチです。久しぶりだからか、座布団もない状態だからなのか、判断に困るところなのです。

「パーティの情報を得るためにハヤトに連絡とったら、あのオッサンがしゃしゃり出て、しかもドゥームまで寄って来た、と」
「はい」
「しかも、アンタは(おとり)になることを承諾した挙げ句、あのオッサンに言い寄られた」
「……はい」
「で? 結局オレはアンタが囮になる作戦に、参加が決定しているって?」
「そ、そうみたい、なのです」

 ひぃぃぃ! 何だかブリザードが吹き荒れている気がするのです! ビバーク! ビバークできる場所を探したいのですよ!

「ミオ」
「ひゃい!」

 お、思わず噛んでしまいました! べ、別に舌足らずなキャラではないのですよ?

「あれほど言ったにも関わらず、また猪突猛進しやがって」
「……すみません」
「そんなにオレは頼れねぇかよ」
「そ、それは違うのです! トキくんはそういったパーティに出たことがないという話でしたので、徳益さんの方が詳しいかもと思った次第でありまして」
「じゃぁ、どうしてオレを通さねぇんだ」
「……徳益さんに聞いたら、佐多さんまで話が伝わるかもしれないと思ったのです」

 だって、トキくん、お父さんと関わりたくないってオーラ出してるじゃないですか。
 そう続けたかったのですが、とても怖くて声に出せませんでした。おとなしくフローリングの溝を数えていることにします。

「その挙げ句に口説かれてりゃ、世話ねぇだろ」
「申し訳ないのです……」

 正直、トキくんにバレたら怒られると思っていたのですけど、ここまで怒られるとは思いませんでした。もう怖くて顔を上げることができないので、いっそのこと土下座でもしてみた方がよいのでしょうか?

「は、どうせアンタは何度も同じようなことやるんだろ。オレは頼りねぇからな」
「え……」

 そんなこと、思ったこともないのです。だって、トキくんは、何だかんだと言いつつ、ちゃんと私を手助けしてくれて―――

「もういい。アンタに何話しても無駄だ」

 すっくと立ち上がったトキくんの足が、自分の部屋に向かって歩き出すのを見て、私の頭がすぅっと冷えました。
 とんでもない誤解をされたまま、部屋に籠もられてしまっては(こじ)れてしまうと、私のセブンセンシズが(ささや)くのです!

「待ってください、トキく……に゛ゃっ!」

―――知ってますか?
 しびれたままの足で慌てて立とうとすると、ですね。びっくりするぐらい足首の角度がおかしいまま接地してしまうのです。きっと足の感覚がないので、うまく動かないのでしょうね。
 私も例に洩れず、立てたはずの足をぐきりとやってしまいまして、行き着く先は、ステーン、というかドテーンというか、えぇ、転びますよね。転びま……せん?

「阿呆」

 顔を上げれば、呆れた顔のトキくんが、倒れかけた私の腕を掴んで引っ張りあげてくれるところでした。でも、呆れた顔の向こうには、やっぱり先ほどまで放っていた怒気がスタンバイしています。

「と、トキくん! ありがとうございます! それと、誤解しないで欲しいのですよ!」

 私はトキくんの腕に手を添えました。ここで逃がしてはならないのです! ミオさんは言いたいことをちゃんと言える子なのです!

「トキくんが頼りないと思っているわけではなくて、ですね。必要以上にトキくんの負担になりたくなかっただけなのです! だって、トキくん、まだケガ人じゃないですか! ―――って、ぎゃぁっ! すみません! 私、左腕に手を……っ!」

 慌てて手を放して、距離を取ろうとすると、まだじんじんと痺れて感覚がないくせにズキズキと痛む足は、私をちゃんと支えてはくれませんでした。

「阿呆。自分から転ぼうとするな」
「うぅ、すみません。たびたびお手数をおかけして。……その、足の感覚が戻るまでちょっと待ってください」
「……アンタ、それ、計算か?」
「え?」

 じっとりとした視線で見下ろされ、私はようやく状況を思い出したのです。

「トキくん! 私はすっごくトキくんのことを頼りにしているのですよ! 確かに今回は先走り過ぎたとは思うのですけど、でも、ケガ人にご迷惑をかけるのは、私の中の義侠心が許さないのです! しかも、今回のことは、トキくんには直接関係のないことで―――」
「……」
「えっと、何が言いたいかというと、その、今回は本当に申し訳なかったと」
「もういい」

 え?
 も、もしかして、これは、本格的に嫌われてしまいました……?

 これは、まさかの『追い出されフラグ』かと慌てる私の頬に、トキくんの親指がぐいっと擦りつけられました。

「アンタがそんな顔してると、調子狂う」
「え?」
「しかも男に縋りついてるって今の状況分かってんのか?」
「…え?」
「それに、アンタ、気づいてねぇだろ」
「……ふぇ?」

 トキくんは真面目くさった顔で、私を見下ろします。そこには、あれほど淀んでいた怒気が消えていて、通常の羅刹の顔があります。もちろん、怖いです。

「オレの腹あたりにアンタの胸めっちゃ当たってんだが」
「にゃんとぁーっっ!?」

 思わず目の前のトキくんを突き飛ばした私でしたが、残念ながら腹筋は堅かったのです。なぜか、ひょいっと持ち上げられてソファに下ろされました。

「足ひねってんだろ」
「え? それは、その」

 まだ痺れが微妙に残っているので、触られるとビリビリくるのですが……

「で、なんでアンタ泣いてんだよ」
「……泣いてないですよ?」
「阿呆」

 トキくんの指が、また私の頬をぐいっと擦りました。……って、濡れてるのです?

「そんな、つもりじゃなかったんです」
「あぁ?」
「トキくんのこと、困らせるつもりはなくて」
「何の話だ」
「トキくんに、見放されたと、思ったのです……」

 どこかで甘えがあったのかもしれません。トキくんは羅刹で怖い人だけど、とても優しい人でもあったから、ついつい厚意に(すが)ってしまったのです。

「……はぁ、惚れた女の涙に弱いって、いざなってみると本気で始末に負えねぇ」
「? トキくんは別に私に惚れてませんよね? ……いひゃい! いひゃいです!」

 人の頬をむにーっと引っ張るのはやめて欲しいのです!

「惚れてもいねぇ女にプロポーズするような男に見えんのかよ」
「ちひゃいまふ! ……だって、トキくん、そういうこと言わないじゃないですか」
「あぁ?」
「その、私の所有権を主張したりしますけど、えぇと、なんというか、世間一般の告白で使われるような言葉、使いませんよね?」
「……これが恋愛不感症ってやつか」
「ひ、ひどくないですか? そりゃ確かに」
「好きだぞ」

 一瞬、その音の羅列を理解することができませんでした。

「アンタのことを気に入ってるから、側に置いておきたいし、アンタが作るメシも好きだし、人の顔をまっすぐに見て話すアンタ……ミオが大好きだ」

 ……ダイスキ?

「だから、正直に言えば、アンタが母親のために囮になるっていうのも反対したい。アンタを腕の中に囲い込んで外に出したくねぇし。正直に言えば、婚姻届なんていくらでも出せるのを、アンタの意志を尊重してやってるぐらいに、アンタが大事だ」

 ちょ、ま、……え? 目の前にいるのは、羅刹、ですよね?

「ついでに言うと、そうやって涙浮かべてる顔を見ると、着ているもの全部はいで、ガンガンに揺さぶって犯し尽くしてやりたいって気持ちがこう―――」
「教育的指導なのです!」

 思わず振り上げた拳は、あっさりと捕まえられてしまいました。

「本音だぞ?」
「も、もう、十分なのですよ! いっぱいいっぱいなのです!」
「アンタにオレの気持ちが伝わってないみたいだから、オレなりに率直なところを述べてやったのに、不満か?」
「率直というか、あまり口に出してはいけない煩悩とかも出ていたのですよ! そこはもっとオブラートに包んで欲しいのです!」
「あ? そうでもしねぇと伝わらねぇだろ、アンタ相手だと」
「えぇ、すみませんでした! 鈍感で本当にすみません!」

 だから、とりあえず口を閉じて欲しいのです! 誰も十代の赤裸々な欲望とか聞きたくはないのですよ!

「伝わったか?」
「はい、伝わりましたとも! 大丈夫なのです!」
「それなら、囮は辞退するな?」
「しません」

 そこは譲れないので、はっきり拒絶します。

「どうしてだ? 宮地が怖いんだろ?」
「もちろんなのですよ! でも、それと同じくらい―――」

 私は、しっかりとトキくんの顔を見つめました。

「それと同じくらい、恨みがあるのです」

 私の言葉に、なぜか、トキくんが驚いたように目を見開きました。

「アンタでも、そういうこと考えるのか」
「トキくん。私だって聖人君子ではないのですよ。トキくんから見たら、脳天気で何も考えていないように見えるかもしれませんが、これでも、恨み辛みを溜め込んでいたりするのですよ?」

 正直、あの男が憎いかと聞かれれば、すっぱり憎いと答えられる自信があります。あの男がお母さんにまとわりつかなければ、と何度思ったことでしょうか。

「これは、千載一遇のチャンスなのです。私やお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんだけでは、一時的に追い払うことしかできなかった蛇を、退治するチャンスなのです」

 トキくんに捕まれた手を、ぐぐっと握りしめます。

「今まで不思議だったんだが、どうして警察に任せなかったんだ?」
「コネクションって知ってますか? 自分が持ってなくて、相手が持っていると、本当に腹立たしいことこの上ないですよね」
「……あぁ、なるほどな」

 警察に相談しなかったわけではないのです。けれど、相談したことそのものが『なかったこと』にされてしまったのです。一般市民の私には、どんなコネを使ってそんなことができるかなんてわかりません。でも、だからこそ、お母さんは実家を出て私と一緒に二人暮らしをすることに決めたわけですし、その上、何回もアパートを変えたのです。

「その迷惑極まりない蛇を駆除できるかもしれないのです。その機を逃さないためなら、他の蛇の力を借りることも、私がちょっと危険な目に遭うかもしれないことだって、へいちゃらなのですよ」
「アンタ、本当に苦労してたんだな」

 ちょ、わしわしっと撫でるのはよいのですけど、力加減に気をつけてください。

「……オレは宮地に感謝すべきか?」
「はい?」
「宮地がいなけりゃ、オレはアンタと会えてなかっただろうからな」
「そういうものですか?」

 別に、あの蛇がいなくても、春原高校には通っていたと思うのですけど。実家からも通える範囲ですし。

「そういう境遇で鍛えられたアンタだからこそ、ここにいる。そういうことだ」
「? 分かりませんけど、そういうことなんですか?」
「オレにとっちゃ、そういうことだ」

 首を傾げていたら、トキくんの手が私のほっぺをさわさわと撫でてきました。なんだか、いつもの羅刹顔が怖さ2割減なのです。珍しい。
 んん? 顔が近付いて来るのです。これはもしかして―――

「ん……っ」

 頑張って逃げずに立ち向かったら、何故か後頭部をいい子いい子とするように撫でられました。……でも、いつになったら、この唇は離れてくれるのでしょう?

「んん~~っ」

 ちょっと息が苦しくなったので、たしたし、と腕をタップしたら、ようやく離れてくれたのです。
 でも、どうしてでしょう? 何だか、トキくんが何かを言いたそうにこっちを見ています。

「……くそ、食っちまいてぇ」

 ん? そういえば、今、何時でしたっけ?

「トキくん。夕食のリクエストはありますか? お魚がいいとか、お肉がいいとか」

 魚であればホッケがありますし、お肉なら牛肉メインで炒め物ができます。今日はどちらの気分でしょうか?

「……ミオが食いたい」
「すみません、人肉は調理したことありませんし、作り手の私が食材なのは難しいのです」
「なら、なんでもいい」

 ふ、ミオさんの貞操観念を嘗めないでいただきたいのです! そこはきっちりお爺ちゃんから口を酸っぱくして言われていますからね!

 って、「いつかきっちり食う」とか言いませんでしたか? 不穏はセリフはやめて欲しいのですよ!

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