TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 91.【番外】それは、容態急変だったのです。


ブィ―――ン、ブィ―――ン、ブィ―――ン

 着信を示す振動が響いたのは、ちょうどトキくんと一緒に作法室でお昼を食べ終えて、教室に戻ってきた後でした。

「すみません、玉名さん」
「めずらしいね、ミオっち。どぞどぞー」

 数学の宿題の話をしていた玉名さんにおことわりして、ブイブイと震え続けるスマホをカバンの中から引っ張り出しました。……って、お母さん?

「もしもし」
『……ミオおねえちゃん?』

 ふぁっ? どうしてレイくんの声がするのですか?

『あのね、ママのジンツウはじまったの』

 じんつう。
 あぁ、あれですね、神通ですね。軽巡洋艦。もしかしてお母さんは、レイくんそっちのけで、戦艦擬人化の某ゲームにでもハマってしまったのでしょうか。まったく妊婦だからアウトドアなことができないからって、インドアなことに……

――――にんぷ?

 陣痛じゃないですか!

「そ、それで、今はどういう状況なのですか?」

 教室でひそひそ通話を心がけていたはずなのに、ついボリュームが大きくなってしまったのです。玉名さんも、ちょっと目をぱちくりさせて、こっちを見てしまいました。

『これから、タクシーで、ママとびょういん行くの。ママは荷物の準備してるの』

 レイくんの声がいつになく弱々しいことに、私はようやく気付いたのです。もしかして、とは思うのですが……

「ドゥームさんは?」
『パパ、れんらくつかないの。だいじなかいぎちゅうって』

 はい、ようやく飲み込めました。どうしてお母さんではなくレイくんが電話することになったのかは分かりませんが、これはヘルプ要請なのです。

「分かったのです。学校を早退してすぐ行きます。病院に直接行くので、そこで合流するってお母さんに伝えて欲しいのです」
『ありがとう、ミオおねえちゃん。その、ごめんなさい。おねえちゃん、じゅけんせい、なのに』
「そこは気にするところではないのです! 私はレイくんのお姉ちゃんですし、家族なのですよ?」

 電話の向こうから、「ありがとう」という声と、お母さんがレイくんを呼ぶ声が聞こえました。

「お母さんにもそう言っておいてください。それでは、また、あとで、なのです」
『うん!』

 通話を終えると、目の前でこちらを心配そうに見ている玉名さんに、大丈夫なのです、と笑いました。

「ちょっと早退して病院行ってきます」
「ミオ、それ『ちょっと』じゃないから!」
「大丈夫なのですよ。そんな深刻な状況ではありませんから」

 と言っても、さすがにこの年になって、新しい兄弟ができるとか、何となく恥ずかしくて言えないのですけど。そこは勘弁してください。
 机の上に出してあった教科書とノートをバタバタと仕舞ったところで、大きな影がさしました。

「ミオ、今のは」
「レイくんからなのです。お母さんと一緒に病院に行くそうなので、私もこれから行きます。ドゥームさんとも連絡がとれないみたいなので、さすがに付き添いがレイくんだけというのは」
「ドゥームに?」
「なんか、大事な会議みたいなのです」

 私の言葉に、「ありえねぇだろ」な顔で見てくるトキくんに、玉名さんが「ひっ」と小さく悲鳴を上げて後ずさりました。……私ですか? 確かに周囲から見たら睨まれているようにも見えると思いますが、このぐらいなら許容範囲内なのです。いつまでもトキくんの顔に脅えるミオさんではないのです!

「オレも行く」
「え? でも、トキくんはこのまま授業受けてていいのですよ?」
「病院まで行くんだろ。バイク使った方が早い」
「いやいやいや、学生の本分は勉強なのですよ?」
「……行くぞ」

 固辞しているというのに、トキくんは、ひょい、と私を小脇に抱えました。また、手荷物ミオさんなのですか……。

 あっさり運ばれていった私ですが、一応、トキくんを説得して早退届をきっちり書くことには成功したのです。

「ミオ、あの状態の羅刹を置いていったら、クラス全員から恨まれるわよ……」
「だよな。俺の方が逆に早退するってばよ」
「オンダ、いたの?」
「……玉名がヒド過ぎるってばよ」

 教室で、そんな会話がされているとも知らずに。


「レイくん!」
「おねえちゃん!」

 病院の入り口で待っていてくれたレイくんと、無事に合流することができました。え、トキくんですか? ちゃんと私の斜め後ろにいますとも。バイクでここまで送ってもらえたのは有り難いのですけど、学生の本分は勉強なのですよ? 学校の駐輪場まで向かう道すがら、懸命に説得したのですが「授業に出るなんて時間の無駄だろ」なんて言われてしまっては、……ねぇ。出席率が悪くても好成績を保っているトキくんが、ロボットなのではないかと、たまに思います。

「ドゥームさんとは、まだ連絡がつきませんか?」

 私の質問に、レイくんは首を哀しげに横に振ります。

「あのね。パパのsecretary、新しい人なの。女の人なんだ。だから、もしかしたら……」

 セクレタリーって、えぇと、秘書でしたっけ。……え、それはもしかして、お母さんという正妻がいるのに愛人志望とかそういうアレですか? どこの昼ドラですか? この大変なときにっっ!

「なるほどな。おかしいと思った。―――オレの方から連絡しといてやる」
「え? 本当なのですか?」
「あぁ、とりあえず先に行ってろ」
「ありがとうございます!」

 スマホを取り出したトキくんに、ぺこりと頭を下げてから、私はレイくんと手をつないで、お母さんのいる部屋へ向かいました。
 うぅ、本当にトキくんは頼りになるのです。後でお礼をしないとですね。何がいいのでしょう。やっぱり甘いものでしょうか? でも、夏の暑い時期にケーキはちょっと……? 夏っぽいスイーツ? うーん……。

「あら、ミオちゃん、ごめんねぇ?」
「はいはい、水臭いですよ。娘なのですから、当たり前なのです。……えぇと、今はどういう状況なのです?」
「うーんと、陣痛の間隔がもっと短くなるまでは、待機って感じかしらぁ?」
「できることがあれば、言ってくださいね。経験がないので、何をしたらよいのか、さっぱり分からないのですよ」
「ふふ、頼りにしてるわ、ミオちゃん♪ レイもごくろうさま」

 お母さんに撫でられて、少しくすぐったそうにはにかむレイくんを、心のスクショフォルダに保管しながら、私は改めて室内をぐるりと見回しました。
 えぇ、ドゥームさんのすることですから。たとえホテルの一室かと思うぐらいに豪華でも、気にしないのです。この病室が一泊いくらするのかなんて、考えたら負けなのですよ。

「そういえば、レイくんの学校は大丈夫だったのですか?」
「きょうはね、たんしゅくじゅぎょうの日だったんだよ」
「そうなのよー。早く帰って来る日で助かっちゃったぁ」

 お母さん。その言い方からすると、早く帰って来ない日だったら、レイくんが帰って来るまで痛みを堪えつつ待つつもりだったってことなのですか。母親としては正しいのかどうかは分かりませんが、私に連絡してレイくんを迎えに行かせて、一緒に病院に連れてくるという選択肢もあったと思うのですけれど。

 暢気に話をしていたら、痛みが来たいうので、指示されるままにお母さんの腰をせっせと(さす)ってみます。結構、力を入れているのですが、これでもまだ足りないみたいなのです。うぅ、レイくんにバトンタッチもできませんし、あまり続けると、明日の私が筋肉痛になってしまいそうなのです。

「あ、あら、トキくん、来て、くれたの?」

 お母さんの声に顔を上げると、我が物顔でトキくんが部屋のソファに座っていました。レイくんが、じーっとトキくんを見上げているのは、うーん、どうしてなのでしょう。

「心配すんな。オッサン経由で連絡つけるよう頼んだから」

 レイくんの頭をわしわしっと撫でるトキくん……なのですが、ちょ、それ、破壊力が抜群なのです。視界の暴力なのです! 小さくて可愛くて天使なレイくんの頭に、トキくんの大きくて少しゴツい感じの手がわしわしって、ちょっとそのままポロリとマミられないか心配にならないわけではありませんが、そのギャップが……

「ミオ?」
「お姉ちゃん?」
「っ、な、なんでもないの、です!」

 痛みがひとまず引いたというお母さんから手を離すと、私はそっとトキくんの方に近寄りました。

「えっと、佐多さんに、借りを作ったとかですか?」
「あぁ、大丈夫だろ。借りを作ったとしても、それはドゥームの、ドゥームさんの方だからな」

 あ、言い直しましたね。私しかいない時は、呼び捨てなのですが、お母さんやレイくんが居るので、ちょっと自重したみたいなのです。

「うーん。でも、会議中に伝言なんて、大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫だろ。っつか、緊急事態も伝えられねぇ会議とかありえねぇし」
「緊急……事態?」

 別に予定日から離れているわけでもありませんし、ドゥームさんだって初めてお父さんになるわけでもないのですから……思い出しました。そういえば、出産の話はドゥームさんのトラウマスイッチだったのです。
 そういえばお姉さんが出産の際にお亡くなりになっていたのでした。あれだけ悶着あったのに、すっかり忘れてしまっていたのです。喉元過ぎれば熱さも、ってやつですね。

ぱらっぱぱっぱ~ぱ~ ぱぱぱぱ~

 ちょ、どうしてマナーモードにしていないのですか! 自分の病室内ですが、れっきとした病院の中なのですよ、お母さん! しかも大地を揺るがす超電磁ロボのテーマなんて、また古いものを!

「はい、……あらぁ、ダーリン?」

 はやっ!
 思わずトキくんを見上げると、「だろ?」とドヤ顔なのです。うぅ、私よりもドゥームさんのことを理解しているなんて、べ、別に悔しくなんてないのですよ。……あれ、本当に全然悔しくないのです。

 パパなの?とお母さんに駆け寄るレイくんを見送っていたら、なぜか、ぐいっと引っ張られました。……あれれ、どうして、いつもの抱え込まれ体勢なのでしょう?

「褒美ぐらいくれるだろ?」
「……夏っぽいスイーツって、やっぱりゼリーとか、でしょうか? でも、あれって寒天溶かして固めるだけなので、逆に物足りないというか申し訳ないというか」
「何言ってんだ?」
「え? お礼の話ですよね?」
「……これに決まってんだろ」

 何のことでしょう、と首をぐいっと動かしてトキくんの顔を見上げると……と、ととととと!
 た、隊長! 隊長! く、くくく口を吸われたのであります!
 まずいのです。じわじわと顔が熱くなってきて、……って、この部屋にはお母さんとレイくんが……!

 視線を動かせば、ドゥームさんとの電話に夢中で、二人とも気付いていないようなのです。いえ、二人ともではないのです。お母さんが「うふふ」って笑ってますから。こっち見て笑ってますから……!

「トキくん……!」
「阿呆。そろそろ慣れろ」
「慣れることができるほど、図太くなれません!」

 あぁ、もう、こんな『お礼』なら、お菓子作った方がよいのです……!


「ミオちゃんは、心配じゃないのかい?」
「え?」

 藪から棒に疑問をぶつけられたのは、お母さんが分娩のための部屋に入ってすぐのことでした。
 会議そっちのけで駆けつけたドゥームさんを待っていたかのように、陣痛感覚が狭くなったので、ほんの僅かなイチャラブを見せ付けて、お母さんはあっちの部屋に。
 それが、かれこれ4時間ぐらい前のことでしょうか? 家族のための待合室でひたすら待っていますが、さっきまでジュースを飲んでいたレイくんは、今は私の膝枕でお休み中なのです。
 まぁ、膝枕になるまで一悶着あったのですけどね!
 お母さんを心配してカリカリするドゥームさんの緊張がうつったのか、どこか不安げなレイくんをお腹あわせで抱っこしていたら、そのまま寝入ってしまったのですよ。私としては、少し重いけど、まぁいいかな、って思っていたのですが……トキくんの眼光に負けて、結局、ソファに座ったままの膝枕で落ち着きました。
 え、トキくんですか? タブレット端末片手に時間を潰しています。たまにレイくんを睨んでますが、これ以上の譲歩はしません。

「心配はしていますけど」
「とても、そうは見えないね」

 指摘されると、確かに落ち着いてはいます。逆に落ち着かざるをえなかった、のですけれど。

「ドゥームさんが心配しているので、逆に落ち着いたのですよ?」
「ワタシが?」
「はい。ドゥームさんが、そうやって余裕なく、ちょっと苛々しているのを見ていると、私がしっかりしないと、って気分になるといいますか」

 実際、ドゥームさんてば、レイくんを宥めようともしませんでしたし。

「だから、心配するのは、全部ドゥームさんにお任せしますね」
「……」

 あれ、どうしてそんな呆れた顔をするのですか。これ、一般的な考え方ですよね?

「どうしてそういうところまで、リコに似ているんだろうね」
「……まぁ、親子ですから」
「リコもそうなんだよね。この間のパーティも『何かやらかしても、ダーリンがいるから大丈夫でしょ』って言って、すごく自然体のままで……」
「そういう人なのです」

 ドゥームさんはお母さんをちょっと美化し過ぎだと思うのですよ。お母さんのことだから、何かあってもドゥームさんに押し付ければ楽ちん楽ちん~ぐらいにしか思っていないはずなのです。

「ドゥームさんのご家族の方」

 看護師さんに呼ばれ、珍しくドゥームさんが動揺も露わにびくっとしました。そう、こういうところを見てしまうと、私がしっかりしなくては、と思うのですよ。

「無事、お生まれになりましたよ。どうぞ、こちらへ」

 言われた途端、私やレイくんを放置して駆け出すドゥームさん。思わずトキくんを見たら、トキくんも信じられないものを見たようで、目を丸くしていました。

「レイくん、レイくん」

 ゆさゆさと膝の上の天使を揺り動かしますが、なかなか起きてくれません。あー、これ、熟睡モードなのです?

「んっこいしょ、っと」

 掛け声をかけて抱き上げても、わずかに動くだけで起きる気配はありません。レイくんも気疲れしてますよね。

「トキくん。行きましょう」
「あー、いや、俺は別に……」
「遠慮することはないと思いますよ? こんな機会はそうそうありませんし、生まれたてのぐにゃぐにゃのサルっとした赤ちゃんを見てみたいと思いませんか?」
「……わかった」

 トキくんがレイくんを預かるというのを丁重に断り、私達も、お母さんの待つ部屋へと急ぎました。え? 天使を抱っこできるチャンスを逃すわけがありませんよね? レイくんは寝顔も天使なのです!

 案内された部屋に入ると、大仕事を終えて顔を赤くしたお母さんと、そのお母さんの手をぎゅっと握って、額に押し頂いているドゥームさんがいました。……ほんの少しの間に何があったのでしょうか?

「お母さん、お疲れ様なのです」
「ふふ、ありがとー。ミオちゃん。もっと誉めて誉めて!」

 えぇ、誉めるのはいいのですけど、さっきから微動だにしないドゥームさんは、いったい?

「あら、レイは寝ちゃったの? もう、ママすっごく頑張ってたのに」
「……むぅ?」

 あ、お母さんの声で起きたみたいなのです。こすこすと目をこする仕草も可愛くて、至近距離で見てしまったミオさんの心臓がピンチです。

「ママ……?」

 覚醒しかけのレイくんを下ろすと、ドゥームさんの隣に立って、不思議そうに眺めています。そうですよね。レイくんの目から見ても不思議ですよね。

「そういえば、赤ちゃんは?」
「今、お風呂中なのよ」

 あぁ、なるほど。産湯ですか。

「ドゥームさん。お風呂終わりましたよー。測ってみたら3000グラムジャストのお嬢さんでしたー」

 まっしろなおくるみに包まれていたのは、赤い顔をした、えぇと、宇宙人みたいにしわしわの顔のおさるさんです。

「ダーリンが手を放してくれないから、そっちの娘に抱かせてやってくださいな」
「え、ちょ、ちょっと、お母さん?」
「あら、お姉ちゃんなの? ふふ、持ち方はね、こうして―――」

 ちょ、レクチャー受けてる私に「これで自分のときも大丈夫ね」なんて言わないで欲しいのです、お母さん!
 あー、それにしても3キロですか。さっきまでその十倍弱はありそうなレイくんを抱き上げていたので、随分と頼りなく感じてしまいます。

「なんか、変な顔……」

 レイくんの素直な感想に、見事な手腕でお母さんの手をドゥームさんから解放した看護師さんが、くすくすと笑いました。

「すぐ人間らしい可愛い顔になりますよ」

 そんな風にレイくんに答えながら、その手はテキパキとお母さんの胸をはだけさせて……って!
 私が注意する前に、とっくにトキくんは入り口の方を向いてます。もしかして、さっき微妙な態度だったのは、こうなることが分かっていたからなのですか? そうですよね、お母さんのおっぱい見ちゃったら、ドゥームさんに何されるか分かりませんものね。無理に誘って申し訳ないのです!

「はい、待望のおっぱいですよー」

 私の腕の中で「ふぇ、ふぇ」ともがいていた赤ちゃんが、お母さんの腕の中にすっぽり収まりました。最初から、その場所で良かったのではないでしょうか?
 口元に乳首が当たるよう誘導すると、まぐ、と吸い付いた赤ちゃんは、そのままんぐんぐと喉を鳴らしています。こんなにちっちゃくって、生まれたばかりでも、ちゃんと分かるのはすごいのです。

「リコ……」
「なぁに、ダーリン?」
「……」

 あー、なんでしょう、見つめ合っちゃって。自分の親のラブラブっぷりなんて、見たくもないのですけれど。

「それじゃ、私は帰りますね」
「えー? ミオちゃん。もう帰っちゃうのぉ?」
「はいはい。明日もちゃんと学校があるのですよ」

 お母さんの不満の声を切り捨て、駆け寄って来たレイくんの頭をぽんぽんと撫でると、いまだドアの方を向いたままのトキくんに「帰りましょう」と声を掛けます。

「―――あ」

 大事なことを、言い忘れていました。

「無事にお子さん誕生おめでとうございます。……お父さん」

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