TOPページへ    小説トップへ    泣いた赤鬼

泣いた赤鬼・2


 秋雨が降り続き、待ちに待った晴天の日。森でぼんやりとたたずむホムラの姿があった。
(おかしいですね……)
 静まり返った森の中で、彼は一人首を傾げていた。
(雨の日は、いつも来ないけれど、こんな風に晴れた日には必ず、と言っていいほど来ていたのに……)
 今日は木の実を採ろうと思って来ていたのだが、思うようにうまく行かない。
ザザッ!
「ミギワ?」
 焦って振り向くと、そこには小さなシマリスの姿があった。彼と目を合わせたとたん、あわてて逃げ出してしまったけれど。
(仕方ない、私は、鬼……ですからね)
 鬼は傍若無人に振る舞い、他人の物を奪うことに悦びを見いだす。そんな中、明らかに異端の彼は、一人ひっそりと森での生活を営んでいた。しかし、異端とは言え、他の生き物にとっては『鬼』でしかないのだ。
(これが寂しい、ということなのでしょうかねぇ……)
 小動物の逃げた方角を見つめ、ホムラは嘆息した。
「……っと」
(まぁ、自分で選んだことですし、仕方ないとは思うのですが……)
「ちょっと……」
(ほんの少し前までは、全部食糧としか考えてませんでしたからねぇ……)
「ちょっと! アンタよ、ア・ン・タ!」
 そこで初めてホムラは、自分に声をかける存在に気づいた。
「アンタでしょ。エンだかホムラだか言う鬼は」
 ホムラは自分の新旧二つの名前を並べられて、困惑の表情を見せた。人間の子供であるようだが、初めて見る顔……だと思う。どちらにしてもミギワ以外の人間の顔など彼には見分けがつかないのだが。
「ちょっと、何? まさか、人違い? 鬼違いなワケ?」
 その子供が、少し不安そうに訪ねる。そして、ようやくホムラは気づいた。堅く握りしめられた両方の拳が震えていることに。
「いえ、私がホムラです。あなたはミギワを知っている人ですか?」
「妹よ。兄ちゃんは風邪引いちゃって、伝言を持ってきただけ」
 あからさまに安堵した様子で、その子供は、えーっと……と一字一句漏らさず覚えてきた『伝言』を復唱する。
「今回は僕の都合でお前を泣かせに行けないけど、次に会うときは必ず泣かしてやる。首洗って……じゃなかった、今のなしだぞ、ユウ。水分ちゃんととって待ってろよ」
 この妹――どうやらユウという名前らしい――のあまりの正直さに、ホムラはついつい吹き出してしまった。
「ありがとう、ユウ。伝言は確かに受け取りましたよ」
 まだ、こみ上げてくる笑いを押し殺しながらいうホムラに、ユウは何かを言いたげに口をもごもごと動かす。
「……何か?」
「そういう風に笑った鬼って、初めて見た。」
 この鬼の不思議な表情の変化を見つめて、目をはなさないユウに、ちょっと困ったように彼は口を開いた。
「そういえば、ミギワもユウも水の属の人ですね?」
「うん。『湧』も『汀』兄ちゃんも、お母さんも『澪』っていって、お父さんは……」
 そこで少女はハッとして口を押さえた。
「……伝言はちゃんと渡したからね。それじゃ」
 急にくるりとホムラに背を向け、走り去っていくユウの後ろ姿を見送りながら、彼は、はて、と首を傾げる。
(父さんは……で、何で止めてしまったのでしょう。何か悪いことでも聞いてしまったのですかねぇ)
 少女の態度の変化の理由をあれこれ思い浮かべながら、彼は木の実取りを再開する。
(それにしても、変な兄妹ですよ、ほんとに)
 くすくすと一人笑いをしながら、夕方には彼はかごいっぱいの実を住処へと持ち帰った。


「お兄ちゃん、行って来たよ!」
 息を弾ませて帰ってきた妹に、寝台で寝ていた兄は、待ってましたとばかりに顔を輝かせた。
「言ったとおりだったろ? 怖くないって」
「うん! 結構銀色の髪もきれいだよね!」
 自分を含め、彼女の知る人はみな黒髪だ。それとあの鬼を比べ、ユウはほうっとため息をついた。鬼はみな銀髪というわけでもないが、恐ろしい鬼の形容として銀髪は避けられないのだが、ホムラのそれは美しかった。
「……僕に何か言ってた?」
「うぅん、伝言確かに受け取りましたって」
 そうか、とだけ答え、兄――ミギワは窓の外に目をやる。あまりに切ないその顔に、妹は、仕方ないなぁ、と言いたげに腰に手を当てた。
「もう、これっきりだからね! 長雨のおかげで、地面ぐちゃぐちゃ。靴、汚れちゃった」
「……そうか」
 うわのそらで答えるミギワの視線は、まだ窓の外だ。
「――って言いたいけど、いいよ。お兄ちゃんが、あそこに行くときは、あたしが監視役として、一緒に行くから。こーゆー日はあたし一人で行けばいいんでしょ?」
「本当か?」
 ぐりっと、振り向いた兄の目はただただ期待と感謝に満ちていた。
(……これだもんね。ま、へたに沈んでるよりはいいけど)
「ユウ? ミギワの部屋にいるの?」
 出し抜けに扉の向こうから聞こえてきた母の声に、はい、と答えてユウは廊下にでる。
「ちゃんと外から帰ったら、挨拶ぐらいしなさい。ただでさえ森の方に鬼の目撃があったばかりなんだから」
 ユウは、その鬼と会ってきたなんて言えないな、と心の中で舌を出して、はぁい、とうわべの返事を口にする。
「……まったく、あんな銀の髪なんて、忌々しい!」
 ぶつぶつと鬼に対して呪いの文句を呟きながら、母が去った後、ユウはそっとため息をついた。
 お父さんは出稼ぎに行った先で鬼に殺された。けど、その残虐な鬼と、あのホムラはどうしても違うようにしか見えない。ホムラは銀の髪と角さえなければ、人間としか思えないのだから。

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