TOPページへ    小説トップへ    泣いた赤鬼

泣いた赤鬼・3


 その日、いつも通り食料調達に励んでいたホムラは、偶然、こちらへ近づいてくる幼い兄妹を見つけてしまった。結局、晴れの日は毎日のように二人で来るのが日課となっているようだ。
(一応、気づかないフリをした方がいいんでしょうね)
 一人でくすくすと笑いながら、彼は晩秋の森に落ちている木の実を再び探し始める。
 そして、足音が聞こえ始めたとき、彼は異変に気づいた。先ほど発見したときは確かに二人だったのに、足音はいつの間にか一つになっていたのだ。
(……もしや、何かあったんでしょうか? まさか、熊か野犬かに……?)
 その答えに思い当たった彼は、あわてて足音の主を探した。
「きゃあっ!」
 と、すぐそこにいた少女が悲鳴を上げた。
「ユウ、一人だけなんですか……? ミギワは……?」
 冬眠間近の熊は食糧探しに我を忘れる季節だ。妹だけを逃がしたのかもしれない。
「お兄ちゃんは、あっちの、池の方に……」
 胸を押さえてうつむくユウに、ホムラの中の推測が確信に変わった。それと同時に、彼は森の唯一の池に向かう。動物達を怯えさせてしまうから、とそれまでその場所を避けてきたホムラだったが、今はそんな悠長なことは言ってられない。
「ミギワっ!」
 池の周囲を覆う藪をかき分けて、ホムラが声を張り上げる。そして、程なく彼は仰向けに倒れた少年を見つけた。
「ミギワ、大丈夫ですか、ミギワっ!」
 駆け寄るも、少年はぴくりともしなかった。慌てて顔に触れる、……まだ暖かい。心音は?
「う……うん? あれ、ホムラ?」
 うっすらと目を開けたミギワが小さな声で問いかける。
「ミギワ? 誰に、何にやられたんですか!」
「え……? 僕が、何? ただ荷物番をしてただけだよ?」
 気持ち良くってついつい寝ちゃった、と続けるミギワの顔を見ながら、ホムラは自分を縛っていた緊張がほどけていくのを感じた。
「まったく、人騒がせな……。しかし、どうして今日は何もしてこないんですか? いつもの『覚悟ぉーっ!』っていうのは?」
「今日はピクニックだからね。ユウに聞かなかった? ホムラの分もお弁当作ってもらったから、水辺でみんなで食べようって……」
「ユウ? そういえば……」
 ふと、ホムラの胸に疑問が浮かび上がった。ミギワの身に何もないのなら、どうしてあんなに顔をこわばらせて……
「お兄ちゃーんっ!」
「ユウ?」
 ホムラとミギワの視線の先には、駆けて来るユウの姿があった。
「遅いぞ、ユウ!」
 ユウの顔は恐怖のためか泣きそうになっている。森の中を一人で歩くのはさすがに怖かったのだろう。必死で茶色くなった草の間をかき分けてくる。
「なんだ、だらしない。……!」
 ミギワが言葉を途中で止めるのと同時に、ホムラがユウの方へ走った。少女の後ろには、草が邪魔しているが、四つ足の獣が見え隠れしている。
「うわぁん、お兄ちゃーんっ! ……あっ!」
 足がもつれたのか、それとも何かにつまづいたのか、ユウの姿が茶色の海の中に沈んだ。すかさず追いすがる獣――どうやら野犬のようだ――が数匹で少女を取り囲む。
「やめろ!」
 ミギワが野犬を怒鳴りつけるが、彼らは聞く耳さえ持たない。へたりこんで動くことすらできないユウを中心に、その輪を狭めていく。
「やめなさい!」
 ホムラの声にうち数匹が一瞬だけびくっと反応するが、『狩り』をやめる気配はない。
「どこかへ行きなさい! さもないと……」
 野犬の群はもはや邪魔者を邪魔者とも思わずに『狩り』を続けるつもりらしい。
「……殺すぞ」
 一瞬、ミギワは、それが誰の声だか分からなかった。ただ、その声の与える圧倒的な恐怖に足がすくみ、体が震えた。
 野犬の方も、髪を逆立てて今にも殺戮を始めんばかりの鬼の形相に、文字通りしっぽを巻いて逃げていった。
「あ……あ……」
 結果的にその豹変ぶりを目の当たりにしてしまったユウは、言葉を失ってしまっている。
「すいません。でも、ああするより他に方法が……」
 恐怖に打ちふるえる二人の様子に、ホムラは言葉尻を濁してうつむいた。
(やっぱり、私は『鬼』なんですね……)
 秋の終わりを告げる、肌寒い風が三人の間を吹き抜けていく。人と鬼との相容れない溝を象徴するかのように。
 最初に動いたのはミギワだった。
 立ち尽くすホムラの腕をぐい、と引っ張り、自分の方を向かせる。
「……ありがとう、ホムラ」
「……」
「何、しけたツラしてんだよ。おかげでユウが助かったんだ。感謝しないわけにはいかないだろ?」
「そうだよ。……ありがとう。んで、ごめんね。あんなに怖い顔したホムラって初めて見たから」
「……」
「さ、早いトコ弁当食おうぜ。こー言っちゃなんだけど、母さんの料理ってなかなかうまいから」
「そうそう、早くしないと、さっきの犬とかに食べられちゃうかもよ?」
 自己嫌悪で一気に沈んでしまったホムラを、二人はそれぞれ手を引っ張って、荷物の置いてある場所まで連れていった。
「食事の後にはお楽しみもあるしな」
 ミギワはにやりと笑う。いつも通りの彼である。それを見てとって、ようやくホムラの表情が和らいだ。
 三人は弁当を囲んで楽しい時間を過ごした。途中、ミギワの言う『お楽しみ』――泣けるおとぎ話の朗読――があったが、成功はしなかった。
「……ねぇ、お兄ちゃん?」
 帰り道、妹がそっと問いかけた。
「今日、ちょっと、怖かった……」
 困ったような表情でそう言ったユウの頭をミギワはにっこりと笑ってなでる。
「でも、お前を助けてくれただろ? いいやつなんだよ」
 お父さんが会ってしまった鬼とは別人、いや別鬼だから。と続ける兄の目に、今まで見たこともないような輝きを見て、妹は安堵の笑みを浮かべた。

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