泣いた赤鬼・4寒い冬を乗り越え、花の蕾が膨らむ頃、森では銀髪の人影があった。冬は雪のためか、彼の友人達の来訪は少なかった。しかし、春になれば……と彼はぼんやりと二人を待っていたのである。 (今日も、来ないんですかねぇ……) 雲一つない空を見ながら、彼はとうとう、ごろんと寝転がった。 天気の悪い日は来ない。天気のいい日は必ず来る。……時々、ユウしか来ない。そんな日はユウもすぐに帰ってしまう。 (そして、ここ二、三日、天気も良いのに二人とも来ない) 嫌われてしまったのか、何か気に障ることでも言ってしまったのか。いろいろ考えてはみるものの…… (来た!) 森を走ってくる気配に気づいてホムラはばっと身を起こした。 (……一人。ユウだけでしょうか?) 程なく、森の奥から人影が近づいてきた。ホムラの予測通り、ユウ一人で。 「ホムラぁーっ!」 今にも泣き出しそうな勢い出かけてくる少女の声に、よもや熊にでも襲われているのかと、ホムラが身構える。 「ユウ! ここです!」 駆けてくるユウの後ろに獣の気配がないことを確かめ、ホムラは少女に向かって両手を広げた。 「ホムラぁっ!」 トスッとユウの小さな体がホムラの胸におさまった。 「ユウ、どうしたんですか。まさか、今度はミギワが……?」 いつかのピクニックと逆のことがあったとしたら? もし、ミギワがユウを逃がし、一人で熊と―――― 「お兄ちゃんが……、さっき……、んで、むらで……」 嗚咽を繰り返しながらも、何とか紡ぎ出される言葉は要領を得ない。 「ユウ、落ち着いて。……ゆっくりでいいですから話して下さい」 一刻も早く事態を知りたい、その気持ちを抑えつつ、ホムラはユウをなだめる。 「……ん、違くて、今朝……ね、お兄ちゃんが」 ユウの言わんとしていることを理解するや否や、ホムラはユウを抱え上げて、ものすごい速さで村へと走った。 ユウは風圧に耐えながら、溢れてくる涙を抑えもせず、村のあるであろう方向を睨み付けていた。 ――――長くは生きられないって町のお医者様が ――――鬼の涙はお兄ちゃん自身のために ――――看病に疲れたお母さんがかわいそうで ――――でも、もう…… とぎれとぎれの言葉。少女を抱えている彼の耳に届いているのだろうか…… ![]() 村はかつてない恐慌状態に陥った。村の子供一人を人質にとって、鬼が乗り込んできたのだ。 人間からはぎ取ったと思われる衣をまとい、銀の髪を振り乱して村へ入った鬼は、何故か人を襲う様子もなく、その日行われていた葬儀の列に突っ込んで行った。喪服を着た人々、喪章を付けた人々が逃げまどい、何人かはその恐怖に動けなくなり、棺桶が取り残された。 棺桶の前でようやく鬼の足が止まり、人質の少女が解放された。しかし、少女は鬼のそばを離れない。いや、むしろ棺から離れようとしなかった。 鬼は花に埋もれた死人にじっと見入っていた。そして、おもむろにその頬を触る。すぐに弾かれたようにその冷たさに手を引っ込めた。 人質の少女が小さく首を振る。鬼は意を決したようにもう一度死人に触れる。何度もその頬を、髪をなでた。その手も、やがて、止まる。 グォォォォォォォン! 突然、鬼が咆哮した。腰を抜かして動けなかった参列者たちが慌てて逃げ出す。 そして、鬼は声をあげながら棺の主――それはまだ十ぐらいの少年だった――を天に向かってかかげ上げ、何回も揺さぶった。そうすれば目を覚ましてくれると信じるように。 鬼の絶叫に村の人々は震え上がっていた。ただ一人、人質の少女を除いて。少女は今はもう儚い人となってしまった兄の抜け殻が力無く揺れるのを見ながら、ぼんやりとしていた。そこにない何かを見るように。 と、不意に、鬼の動きが止まった。かかげ上げた少年の亡骸をそっと棺に戻す。 「……ミギワ」 鬼は小さく呟いた。少年の名前を。 鬼の双膀から透明なものが流れ落ちる。少女はその滴を手に受けた。空気に触れたそれは、玉の形のまま固まっていた。いくつもいくつもその玉が少女の手に落ちていく。 「鬼の……涙?」 少女が呟いたとき、鬼の姿はまるで陽炎のように薄くなり、景色にとけるようにして消えてしまった。 鬼は情がない。情を持った鬼は鬼ではない。彼はその存在を常識という名の制約に否定され、消えてしまった……。 一人生き残った少女は、兄の墓に一つの名前を付け加えた。石でひっかいたそのつたない字は『ホムラ』と読めた。 墓の下には鬼に涙を流させた少年と、心優しい鬼の、涙の結晶が眠っている。 少女は一つだけ手元に残した結晶を見る度に、そっと涙を流す。 彼女は置いていかれたのだ。身体の弱かった兄と心優しい鬼に。 遠いあの森を思い出す。三人で過ごした木漏れ日。 再び、少女の瞳に涙が溢れた。 | |
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