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Ⅲ.立派なお邸

 5.おぼつかない


 夕食後、あたしは割り当てられた部屋のソファに沈み込んでいた。
(夕食は、おいしかった)
 厚切り肉を一口大に切ったものは、少し酸味のあるソースがよく絡んで、口の中でほどけるようだった。キノコのソテーは、ぴりりと胡椒が効いていて、塩加減もちょうどよかった。スープはミルクのなめらかな舌触りがあって、ミルク特有の臭みもなかった。火を入れたせいなのか、それともヤギミルクじゃないとか、なのかな。パンも外はカリカリ、中はもちっとした感じに仕上がっていて、もしかしたら焼きたてだったのかもしれない。
 ただ一つの難点は、あの青年が同席していたことだった。
(人に見られて食事するのって、無駄に緊張するんだけど)
 しかも、向こうは食べてないし……。人形だから当たり前だけど、ただ眺めてくるのも勘弁して欲しい。
 仕方がないので、話をして気を紛らわそうとも思ったが、こちらから何か提供できる話題もないと考えていたら、相手の方から爆弾を落としてきたのだ。
「お前、『つがい』が居たのか?」
 ちょうど一口ステーキに舌鼓を打っていた時で、しかも脈絡もなく、言われたことを理解するのに時間がかかった。
「つがい、って、別に結婚もしてないし……」
「手紙に書いていただろう」
 言われて、家族に宛てた手紙を読まれていたのだと分かって、怒ろうかとも思ったが、あの状況で読まない方がおかしいと考え直した。
(助けて、とか書いたら、破り捨てられていたかもね)
「同じ商家の跡取り息子と縁組の話が出ていただけ。知らない仲じゃなかったけど――」
 あたしは、少しだけ息を切った。
「それほど親密だったわけでもないわ」
 相手の顔を思い浮かべると、食事が喉を通らなくなりそうだと感じて、あえて強い言葉で切り離した。
 それからも、ぽつりぽつり、と言葉を交わす以外は淡々と食事を終え、請われるままに歌を聞かせ、そうしてこの部屋へ戻ってきたのだ。
 ……ちなみに、カラクリ人形は部屋の隅に、まるで壁にとけ込むように控え、微動だにしない。どうやら、寝ている間も監視をするようだ。
(気にしない気にしない。あれは柱みたいなもの)
 そうやって自分に言い聞かせる。
「あたしはもう寝るけど……」
「ハイ、オヤスミクダサイ」
 カクカクと顎だけが動き、挨拶を返してきた。夕食時の会話の中で、このカラクリ人形についても聞いてみたところ、
「いくつかの命令を前もって与えておけば、後は勝手に動くもの」
なんだそうだ。命令は分かるけど、勝手に、というのがよく分からない。人間のようにその場その場で判断するのだろうか?
 考えても仕方がない。そう割り切って、あたしは寝台に上がった。すると、カラクリ人形が動いて、天蓋から下りる薄い紗の幕を引いてくれた。
 そうか、あそこの紐で調節するんだ。
 幕越しにぼんやりと映るカラクリ人形の影は部屋のあちこちにある燭台、ランプから火を落とし、部屋はあっという間に暗くなって、ナイトテーブルの灯りだけがぼんやりと残る。
 仕事を終えたカラクリ人形は、ギシギシと動き、カタカタと足音を鳴らして、壁際に戻って行った。
 暗闇の中でぼんやり光るランプの灯りを見つめながら、ふと、思い出したことがある。
 夕食をとったのは、大きな窓のある部屋だった。歌い終わった時に気がついたのだけど、カーテンの一つがぼんやりと光っているように見えたのだ。足下の方だけ、しかもすぐに光は消えてしまったので、目の錯覚かもしれないと思ったのだが……。
(明日、またあの部屋に入ることがあったら、確認してみよう)
 まだまだ考えたいことが山ほどあったが、柔らかくて暖かい布団の中、睡魔に抗うことは難しかった。


 翌朝、青年(カラクリ)が同席することもなく、のびのびと朝食を味わったあたしは、昼過ぎまで、あの獣が起きて来ないと聞いて、ほっとしていた。獣の王だけあって、きっと夜行性なんだろう。だが、その一方で暇を持て余すことは明らかだった。
 掃除は必要ないぐらいにきれいだし、食事の後かたづけも必要ないみたいだし、昨日の売り上げ計算をする必要もないし、薬草摘みだって意味がない。
(さて、なにをしよう?)
 食後の紅茶を飲む手を止めて、あたしは一番近くにいたカラクリ人形に聞いてみた。
「ねぇ、あたしって、ずっと自分の部屋にいた方がいいの?」
「イイエ、アルジノ ヘヤイガイナラ、タチイッテモ、モンダイ アリマセン」
 それなら、屋敷内の散策でもしよう、と残った紅茶をくいっと飲み干した。万が一、あの獣の部屋へ足を向ければ、きっとこのカラクリ人形が止めてくれるだろう。
 どんな部屋があるのか聞いてみようとも思ったが、時間はたっぷりある、片っ端から歩いてみることにした。
 食堂を出て、一番近い扉から順繰りに開けてみる。厨房への通路だったり、食料庫だったり、動かないカラクリ人形が何体も詰め込まれている部屋だったり、そうかと思えば、何の変哲もない客室だったりした。
 そして、いくつめの扉だったのだろうか。開いた途端、目の前に飛び込んだ光景にため息が漏れた。広い部屋の中に、古今東西、いろいろな楽器が並べられていたのだ。
 あたしは足を踏み入れ、一つ一つを触らないように、それでも、楽器の細かい部品をじっくりと眺めた。グロッケンやリュートなど、あたしでも知っている楽器が並んでいるかと思えば、どうやって音が出るのか検討もつかないものもあった。壁際の本棚には、楽器の教本や楽譜がいくつも並べられている。
 たぶん、歌を食う獣だからこその、この充実した品ぞろえなんだろう。
「ナラシテモ、カマイマセンヨ」
「え、でも、慣れない楽器は壊しちゃうかもしれないし……」
「ドウセ、フヨウナ モノデスカラ」
 不要なもの、ということは、これらの楽器で奏でられた音では、獣の食事にならないってことだろうか。
 あたしは見慣れたオルガンに近づくと、ドの音を鳴らしてみた。聞き慣れた音階に、しばし耳を浸す。
 まだお母さんが生きていて、商売が上手くいっていた頃には、うちにもオルガンがあって、習わせてもらっていた。もっとも、家が傾いてから売り払ってしまったけど。
 簡単な練習曲なら、いくつか指が覚えていたようで、弾くことができた。ただ、自分の指が思うように動かなくなっている実感はあった。
 オルガンを離れ、今度は本棚の方に行く。
 弦楽器から打楽器まで、色々な教本が揃えられていた。これだけ音楽関係の本が揃えられているなら、と、あたしはあるジャンルの本を探す。
「……ヴィオラ、シタール、バンジョー、ケーナ、メロディパン、うーん、読めないのもあるわ……」
 字を見ただけではどんな楽器かも分からないけど、たぶん、この部屋にあるものなんだろう。
「オルガンに、……あった、歌の教本」
 毎日何回も歌わされていては、すぐにネタも尽きてしまう。自分で創作するほどに才能はないし、どうしようかと思っていたのだ。
 一冊、手に取ってみると、古い形式ではあったが、楽譜は読めそうだった。ぱらぱらとめくると、知っている歌もいくつか散見できる。
「あ、懐かしい、この歌」
 あたしは本を手にオルガンに近づくと、鍵盤で音を確かめながら声を出した。
 しばらく、退屈はしそうになかった。

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