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Ⅲ.立派なお邸

 4.受け入れられない


 記憶を頼りに階段を下り、廊下を歩いて行くと、先ほどの豪奢な扉が見えた。扉の前で待っていたカラクリ人形が扉を開ける。
 あたしは、部屋の中へ入り、まっすぐに寝台へ飛び込むように倒れ込んだ。
「キブンガワルイト、キキマシタ。ツメタイノミモノハ…」
「いらない。……出てって。一人にして」
 なんで? 迷わずここへ来たはずなのに、どうしてあたしの気分が悪いということを知っているの?
 ギシギシカタカタと足音がして、開け放ったままの扉がガチャンと閉まる音がした。どうやら、あたしの言ったことを、守ってくれたらしい。
 正直なところ、あたしの中はしっちゃかめっちゃかになっていた。恐ろしい獣の王。弟や町の人の安全のために、あたし一人がこうしている。望まれた歌は食事だと言っていた。食べられる歌を歌える人は限られる。あたしがここにいるのは、ヤギと一緒。家畜。
(しかも、また夕食後に歌えって?)
 あたしは寝台の上に座り直し、手を伸ばしてクッションを手に取った。布団と一緒でふかふかで、きっとここで寝られるのはすごくいいに違いない。
(――家畜)
 あたしは、クッションを寝台に叩きつけた。履きっぱなしだった部屋履きを脱ぎ、靴下を脱ぎ、はだしでひたひたと窓に歩み寄った。窓の外は、いつの間にか夕暮れに近づいている。
(夕食後、なんてすぐに来ちゃうよ)
 こんな混乱したまま、歌なんて気持ちよく歌えない。きっと、ただ旋律をなぞるだけだ。それは歌に対する冒涜だ。
 窓枠を押してみると、あっさり開いた。外には小さいバルコニーと、一組のテーブルとイスがあり、そのまま庭に出られるようになっていた。
 一瞬、逃げようか、と考えてしまう。でも、そんなことをしたら、あの獣がどんな報復に出るかも分からない。
 あたしは、窓にすがるように、ずるずるとへたり込んでしまった。
 力が抜けたあたしの頬を、涙がつたう。止まることのない流れが、次々と目から溢れては雫となって床に落ちた。
(本当は、分かっているの)
 どんなに辛い言葉を投げつけられても、あたしは、ここで、あの獣の言うがままに歌うしか、道はないということ。それは、理性がちゃんと理解している。
 だけど、感情が辛い痛いと喚き散らして、それを認めようともしないのだ。
「ソトヘ、デルノナラ、クツヲ、ハイテクダサイ」
 いつの間にか、隣にカラクリ人形が立っていた。手にはどこから取り出したのか、可愛らしいサンダルが乗っている。
「なんで、いるの? あたし、出てって、って」
「ソノヨウキュウニハ、シタガエマセン。アナタカラ、メヲハナスナトノ、メイレイガ ユウセンデス」
 目を離すな……?
 カラクリ人形は、どこにしまっていたのか、小さなハンカチを差し出して来た。
「ドウゾ」
 冷静過ぎる対応に、あたしはカッとなってその手を払いのけた。勢いあまって、ハンカチとサンダル落としてしまったけれど、いい気味だ。
 落としたものを拾おうとするカラクリ人形に背を向け、あたしは裸足のままバルコニーに出て、そのまま庭へ足を向けた。短く刈り込まれた芝が足に刺さって小さく痛む。小石を踏みつけた踵が悲鳴を上げる。
 そのまま2歩、3歩と庭に裸足で踏み入れ、遠くに見える門を目指して歩こうとして――やめた。
 代わりに、くるりと一八〇度回転して、ゆっくりと背中から倒れ込む。それほど柔らかくない芝がクッションになることもなく、背中が地面に打ちつけられた瞬間、あたしの息がひゅっと小さな音を立てて止まった。
 痛い。当たり前だ。
 オレンジ味を帯びてきた空を見上げる。鳶か鷹か、大きな鳥がゆっくりと右から左へ流れるように飛んで行くのが見えた。
 止まっていた涙が、また流れ出す。
 あんなに自由には、もう飛べない。もう歌えない。
 ただここで、獣の王のために歌うしか道がない。
 もうあたしには、カナリヤのように生きていくしか術がないのだ。

―――どれくらい、そこに寝転がっていたんだろう。
 いつの間にか、西の空は橙色に染め上がり、東の空は藍色に沈みはじめていた。
(そうか、あたしの部屋は南向きなんだ)
 日が射して暖かいし、明るくて気分も和む。一応、「家畜」に余計なストレスを与えないように配慮はあるらしい。
 ゆっくりと体を起こして、部屋の方に視線を巡らせば、カラクリ人形がバルコニーに立っているのが見えた。手にはランプと、何か香のようなものを持っている。
(まさか、怪しげなお香とかじゃ……)
 くん、と匂いに注意を向けると、あたしは思わず苦笑いした。お香があるとは知らなかったけど、その匂いは除虫菊のものだった。
 これも家畜への配慮なのだろう。
(もう、いいや。家畜なら家畜で)
 少なくとも、獣の望むように歌っている限り、危害を与えられるようなことはないだろうし、衣食住も贅沢なぐらいに備わっている。借金返済のために、どこぞの金持ちの妾になるのよりは、全然マシだろう。……そんな話が舞い込んで来たこともないけど。
 立ち上がってバルコニーのカラクリ人形に近づく。
「すっかり冷えちゃった。熱い紅茶か何か入れてもらえる?」
 カラクリ人形は短く返事をして、すぐさま部屋の中に戻ろうとする。
「あ、待って。――さっきは、手を叩いちゃってごめんなさい」
 あたしは人形の手を軽くさする。顔を見れば、目の代わりにはめ込まれたガラス玉が申し訳なさそうなあたしの姿を反射していた。
「ベツニ、アヤマッテ モラウコトデハ、アリマセン」
 きびきびとお茶を入れる作業に戻るカラクリ人形の背中を見ながら、そうだよね、と思う。どういう仕組みなのかはわからないけど、自分の意志で動いているように見えるけど、作られたものだから、心なんてないのかもしれない。
「まぁ、でも、悪かったと思うからには、謝りたいし」
 小さく呟くと、あたしも部屋の中に足を踏み入れた。

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