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Ⅵ.誘惑と裏切り

 1.目挑心招


「ララル~……」
 ネコ足バスタブに沈みながら、調子外れの鼻歌を口にする。
 カラクリ人形には、衝立の向こうに控えてもらったので、気兼ねなく体を伸ばす。やっぱり、最終的にラスに伝わってしまうと分かった以上、目の前で風呂に入るのは避けたい。
「髪の毛も~」
 手入れしておこうと、後ろでひとくくりにした紐をほどくと、何やらはらり、と湯に舞い落ちた。
「…ゃっ!」
 あたしは慌てて払いのけようと手を出した。すると、不思議なことに、たった今、目の前に落ちてきたと思ったそれは、どこにも見つからなくなっていた。
(気のせい……? 目の錯覚……?)
「ナニカ、アリマシタカ?」
「あ、ううん、なんでもないの。ちょっとお尻が滑りそうになっただけ」
 心配するカラクリ人形をごまかし、あたしはたった今見た(ような気がした)それの形を思い出す。
 白い羽根。
 大きさといい、形といい、あのハルピュイアのものだと思ったのだけど―――
(心配のし過ぎで目の錯覚が起きちゃったのかな?)
 今日は少し疲れたのかもしれない。そう思ったあたしは、とりあえず手早く入浴を済ませ、今夜はとっとと寝てしまおう、と思った。


(あー、もう!)
 あたしはいつもより早くベッドにもぐりこんだものの、寝返りを繰り返していた。原因は単純明快、ラスのことだ。
『心配するな、オレが守る』
 どんな顔で言ったか知らないが、よくもまぁ、そんなセリフを臆面もなく口にできたものだ。
「……でも、家畜、か」
 あたしは吐息だけで呟いた。ラスの言う「守る」は、あたしがヤギのメイちゃんに「守る」というのと何ら変わらない。そう思うと、ひどく胸が痛んだ。
(これ、って、対等に扱って欲しいってことだよね)
 まずい。
 こんなモヤモヤした気持ちのままだと、そのうち、歌の味(?)から、この状態が気づかれかねない。
 どうしたらいいのか分からなくて、あたしは、クッションに抱き着いてごろごろと無意味に転がる。
「―――はぁ」
 転がるのに疲れ、あたしは仰向けで大きく息をついた。そして、異常に気が付いた。
「はぁ?」
 空中に文字が浮かんで見えた。目を何回かパチクリさせてみたが、やっぱりそこに文字がある。
人の社会に戻してあげる。恋人を作ろうが、子供を産もうが気にしないわ。定期的に歌ってさえくれれば
 青白く光る文字はこう綴られていた。差出人は、きっとあのハルピュイアなのだろう。
(とりあえず、ラスに知らせないと)
 紗幕の外で控えているカラクリ人形に声をかけようとして、あたしはやめた。
(人の社会に戻る……?)
 家族の元に戻れる、普通の暮らしができる、そして
(自分を家畜だなんて、苦しまなくて済む)
 あたしはぎゅっと拳を握った。自分の気持ちがぐらぐらと揺れているのが分かる。
 それに不安要素もある。あたしはあのハルピュイアのことを知らない。これが本当なのか嘘なのか、それを判断することはできない。
(でも、良く知ってるから、とラスに尋ねるわけにもいかないし)
 あたしはむむむ、と考え込んだ。堅実な商売の鉄則に従えば、判断材料の少ない博打のような選択はしない。でも、これは商売じゃない。
 すると、あたしの視界の隅で何かが動いた。
(あれは……)
 大きな白い羽がふわりと舞い、空中に浮かんだ文字を払いのける。まるで魔法のように文字が消えると、まるで羽ペンのように、また文字を書き始めた。
今、アタシはとても困っているの。
 トカゲ野郎に縄張りを狙われていて、それをどうにか撃退したいの。
 ほんの少しでもいい、協力して欲しい。
 ここに未練があるのなら、1回だけでいい、アタシのために歌って

 トカゲ野郎、ということは、他にもラスのような人がいるのだろうか。
 そんなことを考えている間にも、羽はひらひらと動き、文字を綴る。
トカゲ野郎はケダモノより大嫌い
今のアタシでは、うまく撃退できるか分からない
これ以上、縄張りを失ったら困る
あなただけが頼りなの
 空中に浮かぶ文字に圧迫され、あたしの呼吸がいつの間にか荒くなる。
「……もういい、やめて!」
 思わず叫ぶと、紗幕の外から「ドウシマシタ?」とカラクリ人形の声が聞こえた。
早朝、庭で待ってるから
 空中に浮かんだ光る文字の群れが集まり、その言葉を紡ぎあげる。そして、文字とともに、羽根が溶けるように消えていった。

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