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Ⅴ.忍び寄る恐怖

 5.re・joice~喜ぶ~


「今日もいい天気でよかった」
 青空を見上げ、あたしは大きく息を吸った。
 ふんわりとした香りをたどれば、手のひらぐらいの黄色い花が咲き乱れていた。
「こんなことが楽しいのか?」
 すぐ後ろに居たラスが、少し億劫そうに声を上げた。
「お日様は気持ちいいし、風もさわやかだし、花はきれいだし、十分楽しいわ。―――あ、この花」
 あたしは、記憶に残るユリを見つけて立ち止まった。黄色い花びらの中央から星のように赤い筋が広がっている。
「前にこの花を贈ってもらったことがあるの、懐かしいな」
「……ずいぶんと、嬉しかったようだな」
 何故か不機嫌そうなラスの声が聞こえて、あたしは首を傾げた。
(こういう話はつまらないのかな?)
 ちょいちょい、と花びらの先端を触りながら、そういう風に結論付けた。
「誰からもらったんだ?」
 興味ないと思えば、そうでもなかったらしい。じゃぁ、どうして不機嫌なんだろう、と考えつつ、あたしは誰からもらったんだっけ、と記憶を探った。
「……あー」
 忘れていた。そうだ。この花だった。
「どうした?」
「あ、ううん。そう、この花を誰からもらったかってことよね。えっと、前にも話したかしら、縁談相手の人からもらったの」
「……そうか」
 ラスの低い返事を聞き流しつつ、あたしはイヤなこと思い出しちゃったなぁ、と嘆息した。
「―――ろうか?」
「え?」
 低い上にこもった声だ。あたしは突然のラスの言葉を聞き取れなかった。
「そんなことで嬉しくなるものなら、毎朝届けてやろうか?」
「それ、嬉しいかもしれない。……あ、でも」
「でも、なんだ?」
 あたしは、くるりと回転し、後ろにいるラスを振り向き仰いだ。
「こうやって、一緒に散歩する方が楽しいし、嬉しいかも」
 一人だと寂しいしね、と笑って、あたしはまた前に向き直った。いつの間にか、舞って来た小さな蝶が、ひらりひらりとユリに止まる。
「……」
「あれ、やっぱり、わがまま言い過ぎちゃった? ごめんなさい、あまり気にしないで」
「いや、構わん。……お前がそういう顔をするなら」
 残念なことに、あたしの耳は後半の呟きを聞き取ることができなかった。もし、それが、きちんと耳に届いていたら、あたし達はあんなことにならなかったかもしれない。
 その時、あたしは、このユリをもらった時のこと、そしてその後日談を思い出していたんだ。
「ホントはね、あんまり良い思い出じゃないの。そりゃ、もらった時は嬉しかったんだけどね」
「―――その花か?」
「そう、まだ縁談の話も出る前でね、お互いに商家だったから、自然と日頃の愚痴とか言い合うぐらいの仲だったんだけどね……」
 その時のことを思い出すと、少し面映ゆい。
 仕入先の町で見つけた、珍しいユリだと言って、そのユリが2、3本混ざった小さな花束をおみやげにもらったのだ。
「あの頃は、誰かに花をもらうなんて初めてで、本当に嬉しかったのを覚えてる。だって、特別な花だから、あたしだけに特別って言われたし。―――ただ、そこからは、あんまり良い思い出じゃないんだけど」
 あたしは顛末を後ろにいるラスに続けて聞かせる。
 あの後、同じような口説き文句、同じような花束を、あたしの知っている限り3人にやっていたのだ。確かに、あいつは女性の扱いが上手で、顔も良かったから、色んな女の子に人気があった。
「自分では、『博愛主義』って言ってたけど、あれは立派な浮気性よね」
 あたしは後ろのラスにも分かるよう、大げさに肩をすくめた。
「悔しかったな~。あの頃は、本当に信じてた分、裏切られたショックが大きかったのね」
 何か仕返しをしてやろうと思った矢先に縁談話が持ち上がったのだ。あいつ自身はともかく、あいつの両親は本当に良い人だったから、断るのも悪い気がして、ずるずると受けてしまったのだ。
(あいつ自身、商売に熱心にはなっていなかったから、同じ商家で、しっかり者のあたしを、って話だったみたいだけどね)
「あいつと結婚しないで済んだことを考えると、ここへ来たこともそう悪くなかったのかもしれない、かな?」
「……そうか」
 ラスが明らかにホッとしたように言うので、あたしは何だか気恥ずかしくなって、少し先に行ったところにある、ピンク色の花が密集して咲いている方へ、早足で向かった。
「こっちの花は初めてみるけど、かわいいのね。それに、柔らかい香りがす……っ!」
 最初に感じたのはお腹への圧迫。次いで、後ろから温かいものに包まれるような感触だった。
「懲りないな、クソ鳥」
 一瞬のうちにラスに抱きかかえられたあたしは、彼の視線の先に一羽の小鳥を見つける。その茶色い羽の中に、一本だけ、きらきら輝く羽が見えた。
「ずいぶんと警戒してるじゃなイ?」
「いきなり、こんなものを投げつけるアバズレ鳥には、このぐらいの警戒でも足りないかもな」
 ラスが前足で掴んでいたものをひらひらと見せた。それは、見間違いようもなくあのハルピュイアの羽だ。あんなに大きな白い鳥は、このあたりでは見かけない。
「おおかた、これを媒介に何か仕掛けるつもりだったんだろうが、ふざけるなよ、ブタ鳥」
「! 誰がブタ鳥ですっテ? ケダモノと一緒にしないでちょうだイ!」
 あー、怒るポイントはそこなんだ。ブスと言われても怒らないけど、四つ足の獣と一緒にされると怒るんだ。
 守られているという安心感からか、あたしはのんきにそんなことを思った。
「ふん、まぁいいワ。せいぜいアタシの影に怯えて疲労するがいいワ!」
 鳥はパタパタと羽ばたき、あっという間に手の届かない上空へ飛び上がった。
「大丈夫か?」
「あ、うん。ありがとう。……あと、ごめんなさい。あたしが離れちゃったから、襲ってきたのよね?」
「気にするな。潜んでいるのは分かっていた」
「え?」
「あいつの臭いがぷんぷんしてたからな」
(あー、臭いで分かるんだ。そうなんだ。だったら、教えてくれれば、こっちも身構えできるのに)
 それにしても、いつになったら放してくれるんだろう。あたしはラスの毛皮に包まれるように埋もれたまま、そう考える。お腹の毛は、ふわふわと柔らかく、お日様のにおいがして気持ちがいい。
「やっぱり、お散歩は諦めた方がいいのかな」
「逆に見せつけてやればいい。オレが隣にいる限り、手を出せずに悔しがるだろうよ」
 低く笑うのに合わせて、あたしの頭が小刻みに揺れる。
「心配するな、オレが守る」
 何を言われたのか分からず、あたしはポカンと口を開けた。頭の中に言葉の意味が浸透すると、あたしの全身に熱が回る。
(なん、て、セリフ……!)
 嬉しいのか恥ずかしいのか、どちらにしても、あたしの顔が真っ赤になっているのは確かだった。

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