Ⅴ.忍び寄る恐怖4.re・cover~回復する~―――結論から言ってしまえば、夕食までの少ない時間に、ここまでグダグダになってしまった感情を立て直すことなどできなかったわけで。 救いがあるとすれば、家畜はイヤだと叫ぶ自分がいる一方で、カナリヤでいいと諦める自分もいると分かったことぐらいだろうか。 「さっきは、取り乱してしまって、ごめんなさい」 テーブルにつくと、あたしは正面に座っているラスに小さく頭を下げた。 「構わん」 あたしはカラクリ人形の給仕を受けながら、スープに手を伸ばす。 「しばらく、散歩とかは控えた方がいいの?」 とりあえず、ラスにとっては、あたしは「ハルピュイアのことがあって混乱していた」わけだから、最初の話題はそこへ持ってきた。 「あいつにちょっかい出されたくなければな。……何かあるのか?」 「え? その、お散歩できないのは、残念かな、って」 温室もダメだし……、とため息をつく。正直、根っからの貧乏性なのか、何かしたり、体を動かしていないとツラいのだ。 それに何より、綺麗に整えられている庭を散策しきれないことが悲しい。窓越しに眺めるのではなく、やっぱり葉っぱを陽光に透かしてみたり、花の香りを楽しみたい。 「よく分からんが、それほど大事なことならつき合うぞ。ちょうどいい撒き餌にもなるしな」 「え、ホントに?」 「オレが起きている時間でよければな」 「ありがとう! すっごく嬉しい!」 あたしは両手を合わせて感謝の気持ちを示すと、続いてメインディッシュの煮魚に手をつける。 「……そんなことでいいのか?」 「え?」 「いや、人間の女は、高価な贈り物がないと、喜ばないと思っていた」 そりゃ、酒場で情報収集とかしていたら、そうなるよね。とあたしは一人納得する。 「プレゼントは確かに嬉しくなるけど、でも、小さな思いやりでも嬉しくなるものよ。―――あなたは違うの?」 「さぁな。よく分からん」 ぶっきらぼうに言ったラスを見て、まぁ、個人差もあるし、とあたしも思う。 「あ、今日のデザートもすてきね」 目の前に出された黒すぐりのパイを、あたしは3口で平らげた。 「さて、今日はどんな歌がいいかしら」 あたしは、水をくいっと飲み干すと、ラスの返事を待った。 「別に何でも構わん。好きなように歌え」 いつも通りの返事に、あたしは「はい」と答える。本当は、今日はちゃんと何を歌うのか決めていた。落ち込むようなことがあるときに、必ずと言っていいほど歌う曲だ。 あたしは、すっと立ち上がると、大きく息を吸う。 「ふわふわ綿毛が飛んできて ヤギの頭に乗りました ヤギは、それに気づかずに もしゃもしゃ草を食べてます そんな天気の良い日です ふわふわ綿毛は風に乗り ヤギの頭を離れます 今度はどこへ行きましょか 風の吹くまま飛んでった 今日も青空、いい天気 ところが雷鳴り出して 湿った風に吹かれてわ ふわふわ綿毛もしおしおに 風に乗れずに落ちてった お日様隠れる曇りの日 ざあざあ雨が降り出して 綿毛は地べたに座ります ここらでひとつ眠ろうか ぐうぐうぐうっと高いびき パラパラしとしと雨模様 綿毛はぐうぐう寝ています 何回夜が過ぎたでしょう 枯れ葉に埋もれて冬を越し 暖かくなって芽を出した 今日は雪解けいい天気 すくすく茎を伸ばします 葉っぱを広く茂らせて 小さなつぼみを持ち上げて 黄色い花を咲かせます そんな天気の良い日です」 小さい頃に母親が「タンポポの歌よ」なんて教えてくれた童歌だったが、軽妙なリズムとどこかユーモラスな歌詞が今でも大好きでよく歌っていた。 「ふわふわのんきに見えても、ちゃんと自分のすべきことが分かってるの。タンポポってすごいでしょ」 母の言葉がよみがえる。歌いながら、あたしの頭の中では、たんぽぽの綿毛が風に飛ばされ、ヤギに出会い、雨に遭い、そして地面に寝ころんで、やがてタンポポの花を咲かせる情景が浮かぶ。 歌い終わり、目を開ければ、ラスの毛皮が銀色に光っていた。今日もちゃんと食べるに値する歌は歌えたらしい。 「オミズヲ、ドウゾ」 カラクリ人形の気遣いに感謝しつつ、あたしはイスにちょこん、と座ると、喉を湿らせる。 「なぜだ」 食べ終わり、毛並みを元の灰色に戻したラスが呟く。 音もなく立ち上がった獣は、あたしのすぐ隣までするりと近づくと、その両前足で顔の両側を挟み、強引に自分の方を向かせた。 「あの、……今の歌が、何か問題だった、の?」 予想もしない行動に、あたしの心臓がばくばくと悲鳴を上げる。最初に会った時もこんな感じだった、と思い出すが、今は体をラスの方へ向けて、無理な体勢を直すぐらいの余裕はあった。 「歌い手のメンタルに左右されるのではなかったのか?」 メンタルって精神状態とか、そんな意味なんだろうか。 「え、そうな、の? じゃ、今の歌ってあまり美味しくなかった、ってこと?」 「違う、逆だ」 「え?」 「変換しやすい、いい歌だった。そうだな、人間の言葉で言えば、『口当たりがまろやか』とでも言うべきか」 口当たりが、って、プディングみたいなもんだろうか。 「鳥女に動揺していただろう。だから今日も刺々しい歌になるかと思っていたが―――」 今日「も」って、そんな歌を歌った覚えはない、というか刺々しい歌ってどんな? 「え、と、刺々しい歌、なんて、あたし、いつ歌いました?」 「初日が特に酷かったな。食っていて、チクチクと刺さるようだった」 (それは確かに、『メンタル』の問題かもしれない) 恐怖を押し殺して歌ってたもんなぁ、たぶん。 でも、それなら、今日の精神状態だって、表には出していないが、かなりの荒れ模様だ。痛々しい味の歌になってもおかしくない。 ふと、あることに思い至って、あたしの両頬を挟むラスの手に、そっと手を添えた。 「もしかしたら、歌そのもののせいじゃない?」 「何だと?」 「今日歌った歌は、よく落ち込んだ気分を吹き飛ばしたい時に歌う曲だから、そっちに引きずられて、えーと、まろやかな歌になったとか?」 「……なるほど、歌い手の条件反射か」 条件反射、って、ある意味、そうかもしれない。あたしはいつもこの歌を歌って、イヤなことをポーンと空に放り投げてしまっていた。この歌は心を楽にする、という条件付けがされていたのかもしれない。 納得してもらえたのだろう。ラスはあたしの両頬に押し当てていた肉球を引いた。それに伴い、あたしの心臓も落ち着きを取り戻す。 「明日も、今日と同じ歌の方がいいの?」 「いや、それはつまらん。歌っているお前も飽きるだろう」 「そういうものなの?」 「そういうものだ」 | |
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