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Ⅶ.かごの鳥

 4.だから歌う


「あたしは、……ラスのことが好き、なんだ」
 混乱していた頭が、きっちりとあるべき姿に戻った。
 彼のこんな姿を見たくない。万が一にでも死なせたくない。
 だったら、やることは一つじゃないか。
 元々、あたしにはやるべきことが一つしかない。それを、ただこなすだけ。
ガラガラガラ……ズズン
 突然、横から熱風が吹き付け、あたしはたまらず目を閉じた。熱いのもそうだが、何かの破片か、小石か、いくつも当って痛い。
 恐る恐る目を開け、屋敷が崩れ落ちたのを見て、まだ燃えているこの屋敷から離れた方がいいかと考え―――それを見つけてしまった。
 黒い塊が、ズルズル、ズルズルと這うようにこちらに近づいて来る。
 それがハルピュイアだと分かるのに、そう長い時間はかからなかった。
「歌う、のヨ。……でないと、そいつも死ぬワ」
 絶え絶えに、けれどはっきり聞こえたその声に、あたしはすぐ傍で横たわるラスを見た。
「歌う、の、ヨ」
 じりじりとハルピュイアが近づいて来る。その身体に羽根は残っていないし、片腕もあり得ない方向に曲がったままの悲惨な状況で、それでも、あたしに歌えと迫る。
 怖い。
 ハルピュイアも怖いが、彼女の言うことが真実だったらと思うと、そっちの方が怖かった。
 (でも、ここで歌えば、きっとハルピュイアも治ってしまう)
 そうだ。彼女が近づいて来るのは、きっとあたしの歌声を聞き逃さないためだ。
「歌え、ないわけ、ないわよネ。さっき、歌ったも、ノ」
 ずるずると、ゆっくりと這ってくるハルピュイアに、あたしは思わずラスの前足を握った。ピクリと小さく反応したが、それ以上の動きはない。
 歌うの?
 歌わないの?
 自分に尋ねてみるけど、答えは最初から一つしかない。だって、あたしにはもう、歌しかないんだから。
「歌うに決まってるでしょ。……でも、勘違いしないで。あなたに歌うんじゃない。あたしは、ラスのために歌うんだから」
「おバカ、さん、ネ。歌うの、なら……、同じ、こと、ヨ」
 あたしは、さっきの熱風で飛んで来た木の破片を掴むと、えいっとハルピュイアに投げつけた。残念ながら、ハルピュイアには当たらず、その手前に転がる。
(歌う。……でも、何を歌う?)
 あたしはラスに歌いたい。ようやく整理のついた、この気持ちを。
 あたしは小さく息を吸った。焦げ臭い空気で、あたしの喉は決してベストな状態ではない。
 だけど、歌うんだ。

あなたの服を 縫いましょう
 青く染めた 麻の布
 少し細くて 背の高い
 あなたに似合いますでしょうか

 これは私の 罪滅ぼし
 あなたの気持ちを 裏切った
 それでも私を愛すると
 あなたは言ってくれますか


 歌うあたしの膝元で、ラスの身体が銀色に光る。

優しい目をした あの人に
 今度は何を作ろうか
 上着とズボンと下着まで
 あなたが帰って来るまでに

 
 ラスがあたしを静止することはない。それだけ傷ついているのか、それとも深く眠っているのか。
「そ、んな、ど……して?」
 ハルピュイアの茫然とした声が聞こえた気がした。

愛するあなたが 帰ったら
 私の方から 告げましょうか
 一生愛し続けると
 あなたが何と言ってもね

 
 ラスの前足にぐぐっと力が入る。その鋭い爪があたしの手のひらに食い込んだ。
 痛くて、血が出てるかもしれなかったけど、あたしは離す気はなかった。
「なん、で、食えな、い……ノ」

早く帰って来てください
 私はずっと 待ってるの
 あなたの笑顔 それだけで
 私はとても満ち足りる


 歌い終えたあたしは、まだ目を開けないラスの額に、そっと唇を落とした。銀色に輝く毛並は、全てとは言わないが、そのほとんどが元の通りに治っている。
「な……んで、そいつ、だけ」
 ハルピュイアの声が聞こえた。
 彼女は光ってもいない。治ってもいない。
「当たり前じゃない」
 あたしはハルピュイアに向けて言った。
「あたしは、ラスに向けて歌ってるの。あなたになんて歌ってないもの」
 ハルピュイアは力尽きたのか、それ以上、声はなかった。
『歌詞か、旋律か、はたまた歌い手の素養によるものかは知らないが、漠然とした〈力〉でなく、その場、状況に応じて何かに特化した形を取ることがある』
 ラスの説明がよみがえる。そういうことなのかもしれない。
 あたしは、横たわるラスの首元に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。
「だからお願い……目を覚まして」

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