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Ⅷ.うた

 1.物語はハッピーエンドがいい


―――夢を見た。
 毛布にくるまれ、ゆらゆらと揺れる。
 きっと幼い頃の記憶だろう。母の子守歌も、きっと聞こえてくるはずだ。
「ねぇ、お母さん、聞いてくれる?」
 心地よい揺れに身を任せて、そう口にした。
「あたしね、好きな人が、できたの」
 母はとっくに亡くなっている。だから、これは夢だ。
「とっても、大きくて、優しいの」
 きっと母はあの素敵な微笑みで聞いてくれているに違いない。父が惚れたという柔らかい微笑。
「昔の人って、嘘つきね。獣の王は、怖いかもしれないけど、優しいわ」
 揺れが、止まった。
「……好きなの。いつか、面と向かってラスって呼べたらいいのに」
 あたしは毛布越しに、その温かい体温に甘えるように頬ずりをした。
「―――呼べばいい」
 低い声が、聞こえた気がした。そうだ、ラスの声みたい……な。
(嘘……。だって、これは夢、で、だよね?)
 ぽかぽかぬくぬくしていた頭が、ぎゅるぎゅると時計にネジを巻くように覚醒していく。
 あたしは、恐る恐る目を開けた。
 目の前には凶暴な牙、黒い鼻、そして灰色の毛並。
「ようやく目を覚ましたか」
 ラスの顔越しに見えるのは、綺麗な星空。あたしは、いわゆるお姫様抱っこの状態だった。
「え、だって、夢で、お母さんが……」
「オレはお前の母親じゃない」
「あたし、声に出して……た?」
「あぁ。だから、呼べばいい、と言った」
「いやぁ―――っ!」
 あたしは思わず拳を突き上げた。予想外の行動だったのだろう、その拳がラスの口元に当り、その反動で、あたしは地面に転げ落ちた。
「……いたた」
 腰をさするあたしに、「痛いのはこっちだ」と不機嫌そうなラスの声が降ってくる。
(聞かれてた。めっちゃ聞かれてたし!)
 あたしの顔だけじゃなく全身が熱を帯びる。もうイヤだ。穴掘って埋まりたい。
「ここ、どこなの?」
 とりあえずなかったことにしようと、尻もちをついたまま、あたしは当たり障りのない質問をする。
「鳥小屋から山一つ下ったところだ。……大丈夫か」
 大きい腕があたしを無理やりに立たせる。
「大丈夫かは、こっちのセリフよ。傷は、身体は大丈夫なの?」
「あぁ、問題ない。お前が歌ったからな。―――歌うなと言ったはずだが、本当にお前はオレの言うことをきかない」
「それは、その、ごめんなさい。……でも、全然反応なくて、このままじゃ、死んじゃうかもって、死なせたくないって」
「―――『好き』だから、死なせたくない、か?」
(ぎゃーっ! やっぱり聞かれてた!)
 顔を真っ赤にして口をぱくぱくとさせるあたしを見て、何と思ったか、ラスは片腕でひょいとあたしを担ぎ上げた。
「まぁ、話はあとだ。お前が起きたなら、急ぐぞ」
 ラスの顔を間近にして、あたしは慌てて顔を逸らせた。ダメだ。直視できない。
 すると、あたしの視界に、ラスの尻尾が入った。
 パタパタと勢いよく左右に振っている。
 思わずラスの顔を確認すると、すこし口元が緩んでいるように見えた。
「ねぇ―――」
「声を出すな、舌を噛むぞ」
 あたしの声を遮るように、ラスは地面を強く蹴った。
 風があたしの頬を強く打ち、勢いよく景色が後ろに流れていく。
(期待、してもいいのかな?)
 話はあとだと言うなら、屋敷についてから確認してみよう。とっても勇気のいることだけど、きっと素敵な結果になるから。


「お姉ちゃんの夢を見たの」
 タブーとなった単語を、昼食の席で口にしたのは、次女だった。
 優しく厳しかった長女を思い出し、父と弟が視線を落とす。だが、すぐに弟が口を開いた。
「どんな夢だったの?」
「森の中の、すっごいお屋敷で、きれいな服着てたよ。……灰色の、狼みたいな獣がそばにいて」
「僕が見た『獣の王』かな」
「きっと、そうだろう。神様がユーリアの様子を伝えてくれたんだよ」
 と、これは父親のセリフだ。まるで自分に言い聞かせて呟くように口にした。
「ねぇ、ねぇ、お姉ちゃんはどんな風だった?」
 弟の質問に、次女はなぜか、少しだけ視線を逸らした。
「……なんか、楽しそうに歌ってた」
 その言葉に、父親も弟も不思議と黙ってうつむいた。
 重たい沈黙の中、昼食が再開される。オート麦の粥は、材料費が安くて長女のお気に入りだった。おかずは庭で育てている野菜――を間引きしたものだ。
「―――なぁ、手紙に書いてあったこと、本当なのか?」
 耐え切れずに沈黙を破ったのは父親だった。
「歌を気に入られた、って書いてあったよな」
「……お父さん、それはもう、何回も確認したじゃない」
「本当だよ。だって、あの『獣の王』が僕を人質にして、歌えって言ってたもん。何回も聞いたもん」
「……なぁ、夢で聞いた歌って」
「相変わらずよ、お父さん」
「……そうか」
「……変わんないんだ、お姉ちゃん」
 しんみりとした、というには重い沈黙が横たわる。
「―――お姉ちゃん、あんなに音痴なのに、どうして」
「それは言わない約束でしょ」

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