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 9.手弱女は不釣合いに決闘する


 翌朝、ユーディリアの気分はどん底だった。
 昨夜は散々ベリンダに恋愛指南ならぬ恋愛説教を受け、逃げるように眠りに落ちた。ちなみに、リカッロは彼女が寝た後にやってきて、彼女が起きる前出て行ったようだ。起床時に朝の挨拶を交わしたようなのだが、ユーディリアにその記憶はない。自分の寝起きの悪さを改めて実感したのは、また別の話である。
 ベリンダの選ぶまま、鴇色に赤の刺繍が施された部屋着に着替えたユーディリアは、朝食を終えてようやく覚醒し、暗鬱たる気分に沈んだのである。
 単純に面白そうだと思っているベリンダの隣で、リッキーはそんな時間あるなら書斎に行きたいのに、とぼやいている。出番を待ち望んでいる将軍は、はやる心を抑えきれずに素振りをしていた。
(意味あるのかしら、あれ……)
 彼らの様子をひとしきり眺めて、ユーディリアは大きく溜息をついた。
 ふと、複数の足音が小走りに近づいてくるのを聞きつけ、ユーディリアはカウチにだらりと投げ出していた身体を起こし、慌てて座りなおした。
コン、コン
 礼儀正しいノックの音に答えると、「失礼いたします」と中年のメイドと若いメイドが部屋に入って来た。
「リカッロ様の命令で、着替えをお持ちいたしました」
「お手数ではございますが、どうぞ、こちらにお召しかえください」
 彼女らが持ってきた着替えを見て、ユーディリアは思わず顔をしかめた。
「靴もこちらに用意してございます。どうぞ」
「どうぞ」
 どうやってリカッロに言い含められたのかは知らないが、とても逆らえる雰囲気ではなかった。
「……分かりました」
 もはや、どうしようもないと、ユーディリアは覚悟を決め、部屋着の胸元のリボンをほどいた。
―――着替えが終わった後、ユーディリアは迎えに来たボタニカに連れられ、親衛隊の鍛練場へと向かうことになった。
 ユーディリアは慣れない服に、少しだけ気恥ずかしさを感じて俯きがちのまま、衛兵の詰所を通り抜けて、奥の鍛練場へ通じる扉を目指す。
ガタン
 半分だけ屋根のかかった鍛練場は、輿入れ前にも見せてもらったことがあったが、ユーディリアは目の前に広がる光景に、思わず逃げ出したくなった。
 そこに居たのは、ミレイスの兵だけでなく、セクリア兵も含まれていた。濃紺の軍服の中にモスグリーンの軍服が混ざっている。人数を考えると、昨日の謁見の間と大して変わらないように思える。
 彼らの目が一斉にユーディリアに注目し、次いで、小さくないどよめきが上がった。
「よぉ、思った以上に似合ってるじゃねぇか」
 ど真ん中で待ち構えていたリカッロが、ユーディリアの姿を見るなり評価した。
「男物の動きやすい服を、適当に寸法詰めろって言ったわりには、うんうん、なかなか?」
 その言葉に、着替えを持って来たメイド二人との会話を思い出し、苦笑した。
「女性に男の服着せるって、どういう性癖なんでしょう?」
「サイズも違うし、そもそも女性には不便な作りになっていますのに。ねぇ?」
 昨日の夜、リカッロの命令を受けた彼女らは、「男性のものに見えなくもない動きやすい服」を目指し、徹夜して一着縫い上げたのだそうだ。
 正直、ハルベルトに散々な仕打ちをしたことで、セクリア人の使用人からは総スカンを食らうと覚悟していたユーディリアだったので、思わず、謁見の間での出来事は聞いているのか、と尋ねてしまった。
「聞いてますよ、もちろん。でも、使用人の間では、支持七に対して反対三というぐらいですね」
「私達だって、この城に勤めて長いんです。そりゃ、ミレイスを恨む気持ちもありますけど、ハルベルト様のご気性だって理解してますし、愛人のことだって、……っと」
「いいのよ、マギーのことでしょ?」
「やっぱりご存知だったんですねぇ」
「マギーは、実家に帰ったみたいですよ。他にも、ミレイス人に使われるのはまっぴらだって人も何人か辞めてます」
 私達はユーディリア様の味方ですよ、と朗らかに笑う彼女らに、本当に救われる思いだった。
 鉄紺のズボンの上に、縹色のシャツを羽織ったユーディリアは、その腰のあたりで浅葱色のサッシュをきつめに巻いて、裾がひるがえるのを防いでいた。シャツの襟元を締める紐を薄桃色のリボンに差し替えて女性らしさをアピールするが、居並ぶ男達は、むしろ強調された細い腰と大きいシャツの下に隠されたヒップのラインに色気を感じ、おぉ、と感嘆していた。明らかにサイズの大きいシャツは、袖と肩口にギャザーを寄せて留めることで動きにくさを軽減させていたが、ぶかぶかの袖口から覗く細い手に、ある種のロマンを感じた者も少なくない。
 ユーディリアを「なかなか」と評したリカッロも、かえって華奢な身体を強調する結果となったこの出で立ちに満足していた。
「あの……、人が多くありませんか?」
「あぁ、大変だったぜ? 見たいと言い出すヤツらが殺到しやがって、昨日は通常警備を決めるくじ引きが白熱したとか言ってたな」
「それに、セクリアの方々もいるなんて―――」
「しばらくはオレの部下二人に対して一人を割り当ててセットで行動させることにしたからなぁ。ま、様子見ってヤツだ。……なんだ、怖気づいたか?」
「正直に言わせていただければ、回れ右して、帰りたいです」
「それなら、とっとと終わらせようぜ。―――ほらよ」
 突然、放り投げられた木剣に、ユーディリアは驚き、二、三回お手玉をして、なんとかキャッチする。
 その様子に、居合わせている兵の間から失笑が漏れた。「やっぱり……」とか「無謀だったんじゃね?」という声も混ざっている。
「手合せしないという選択肢はないんですね……」
 大きく息を吐いたユーディリアに、リカッロは意地悪い笑みを浮かべて「もちろん」と答えた。
 ユーディリアはリカッロに背を向けて一歩離れる。そして、つま先を何度か地面に打って、靴の状態を確かめた。用意された靴は、この国独特のステップが複雑なダンスを踊るためのもので、ヒールはなくペタンとしており、足の甲にあたる部分に小さなガラスがいくつもはめ込まれている以外は装飾のないものだった。柔らかい皮でできているので、靴擦れの心配もなさそうだ。
 きっちりと編み込んでもらった三つ編みを、邪魔にならないように襟元から服の中に入れた。
 地面を見つめて、蚊の鳴くような声で「将軍」と名前を呼ぶ。すぐ耳元で、『承知』という声を聞いたユーディリアは、自分の身体の主導権を将軍に委ねた。
 将軍はユーディリアの華奢な手をわきわきと感触を確かめるように動かす。そして、片手剣サイズの木剣の柄を、両手で強く握りしめた。
 ユーディリアの身体が、くるり、とリカッロの方に向けられる。教科書通りの構えをとったその顔に浮かんだ厳しい表情に、リカッロは「やる気まんまんじゃねぇか」と口の端を持ち上げ、自らも剣を構えた。
「先制は譲ってやるぜ? どっからでも―――」
 言葉の終わりを待たず、ユーディリアの足が地面を蹴った!
 上段から振り下ろされた剣をリカッロが弾くと、弾かれた勢いそのままに弧を描いたユーディリアの切っ先が、今度は左下から切り上げた。
 速さこそあれ、重さのない一撃をいなしたリカッロは、空いた脇腹に狙いを定めて――――
 ユーディリアが知覚できたのは、そこまでだった。動きこそよく分からないものの、将軍や将軍と互角に打ち合っているリカッロの技量がすごいということは分かる。ついでに、将軍がいかに無茶にユーディリアの身体を使っているのかも分かった。一合交わすごとに、ユーディリアの指や肩や足がビキビキと軋むように痛んだ。
 十合ほど打ち交わした二人は、ようやく距離を空けた。
 途端、周囲からどよめきが巻き起こり、誰も彼もが息を詰めて見守っていたのだと分かる。
 ユーディリアの肩が上下しているのに対し、リカッロは汗ひとつ流した様子はなかったが、余裕の笑みはその顔から消えていた。
 将軍は息を整えると、右足を引いて腰を落とし、剣を下段に構えた。見慣れない型に、どよめきが一層広がる。
「……全く、とんだじゃじゃ馬だなっ!」
 再び、二人の木剣が高く澄んだ音を立ててぶつかり合う。さらに十合ほど打ち合った頃だろうか、ユーディリアの心に不安が浸みだしてきた。
 さっきから、手がじんじんと痺れるように痛い。手のひらもじっとりと濡れているような感触があるが、汗で濡れているだけだといいなぁ、と願うように思った。
(将軍……、わたしの身体を壊す気じゃないでしょうね?)
 何とかして止めたいとは思うが、主導権を奪い返す隙が見いだせない。めまぐるしく変わる体勢に、うっかりしてると酔いそうだ。
カィンッ!
 もう何回打ち合っているのだろう。心臓がバクバクと踊りだし、肺が酸素を欲して喘ぐ。酷使している両腕の感覚は既に麻痺していた。
 何度目かのユーディリアの切り上げが打ち落とされ、その隙を逃さないように、リカッロの切っ先がユーディリアの肩を狙って突かれる。ついさっきも似た流れがあった、その時と同じように身体を捻って―――
『いっ……!』
 痛いとも叫べないぐらいの衝撃の中、リカッロが「しまった」という顔をしているのが見えた。だが、将軍はその油断を狙っていたのだろう。右肩を突かれた反動で、ユーディリアの身体が回転し、左肩が前に出る。その力を利用して、左手一本に持ち替えていた剣を相手の胴に振り抜いた!
「ちぃっ!」
 リカッロは舌打ちと共に、足に力を込めた。肩を突いた勢いそのままに前へと身体を動かす。
 一瞬、切り合う二人がお互いに背中を見せるという奇妙な状況が生まれた。
 だが、二人ともすぐに体を回転させると、何事もなかったかのように、再び剣を合わせた!
 腕力のないユーディリアが鍔迫り合いを避けているため、自然と素早い打ち合いになる。だが、決着は意外にも呆気なく終わりを迎えた。
 右肩に受けた突きのせいで、ユーディリアの右手の握力がほとんど失われてしまったのだ。そんな状態では、両手でなければ支えられないリカッロの斬撃を受ける方が無謀というものだ。
 下から切り上げたユーディリアの木剣をリカッロが受け止めた時、とうとう、その反動に耐え兼ね、ユーディリアの手から剣が叩き落とされた。
カラン、と乾いた音を立てて剣が転がると同時に、リカッロの剣がユーディリアの胸元に突き付けられた。
『将軍! もういいでしょうっ!』
 その絶叫に、武器を落としてなお、続ける気のあった将軍は、しぶしぶと主導権を明け渡した。
『ふむぅ、やはり、もちっと鍛えてもらいたいのぅ……』
 やれやれ、と自分勝手な感想を洩らして肩をすくめた将軍に苦情を言いたい所だったが、ユーディリア自身にはもう、そんな気力はなかった。
 ただただ、ようやく終わってくれた身体の酷使に安堵するだけだった。


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