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 8.失敗者は不当に翻弄される


 結局、ユーディリアは決闘を果たせず、部屋に軟禁される結果となった。夕食を運んできたのはマギーとは別のメイドで、聞けば彼女は、行方が分からなくなってしまったということだった。昼間の失敗を受けて、逃げ出したのだろう。
『―――不満か?』
 寝間着に着替え、カウチに横になったユーディリアに、将軍が問いかけた。軟禁されてから何度となくされる質問に、ユーディリアもまた「当たり前よ」と同じ返事を口にした。
 受けた侮辱を考えれば、あのぐらいで許せるわけがない。
 一度は勝利を確信させた上で、これ以上ないぐらいに勢いよく突き落とした。王子としての矜持をズタズタにしてやったという自覚はある。あとは、決闘で――本来、女性の決闘は代理人を立てるのが筋だが――将軍にコテンパンにのしてもらうことで、男としての自尊心を打ち砕こうと目論んでいたのだ。ある程度の達成感はあるが、やはりやり遂げられなかったとくすぶる気持ちもある。
(これ以上ないチャンスだったのに……!)
 ユーディリアのピリピリとした感情を敏感に感じ取っているのか、ベリンダは遠巻きにして話しかけてくることはない。リッキーに至っては部屋の隅に身を隠してしまった。
『それで? これからどうするんじゃ?』
 面白がって話しかけてくるのは、将軍だけだ。
「別に、どうもしないわ。後は流れに任せるだけよ」
『復讐を諦めて?』
「助かるという希望を見せた上で一気に叩き落とすことに意義があったのよ。もう時期を逸してしまったわ」
 だらんと、重力に引かれるままに放り出していた腕を胸の上で組むと、ユーディリアは目を閉じた。傍目にはまるで棺の中で安らかに眠っているように見えるが、その内側は、嵐の後の浜辺のようだった。もてあました感情の欠片が、波打ち際にたくさん打ち上げられている。その欠片を拾い集め、一つずつ整理していく必要があった。幸い、事後処理でリカッロも忙しいようで、邪魔が入る心配は―――
『来たぞ。王子だ』
 将軍はいつの間にかリカッロの靴音を判断できるようになったらしく、自信満々の声で断定した。
『あれだけ派手に動いたんじゃ。《儂ら》について勘付かれても不思議ではないぞ』
 ユーディリアは小さく肩をすくめて見せて、「わたしは無能よ」と吐息だけで呟いた。
 靴音は止まることなく、勢いそのままにドアが開いた。レディの居る部屋にノックも無しで入るとは無礼この上ないが、どうせ無視されるだろうし、わざわざ指摘する気もなかった。
「あん? 寝てんのか?」
 一瞬、寝たふりをしようかと考えたが、バレた後のことを考え、ユーディリアは目を開けた。
「起きております。……何か御用ですか?」
 上半身を起こし、足を下ろして座り直すと、リカッロは彼女の隣にどっかりと腰を落ち着けた。その距離の近さにユーディリアが体を固くする。
「お前なぁ……。やり過ぎにも程があるだろ」
「あら、そう思うのでしたら、止めればよろしかったでしょう」
 きょとんとした表情を浮かべたユーディリアに、リカッロはその黒い瞳を細めた。まるでユーディリアの表情から、何かを掬い上げるように。
 その表情にユーディリアは失言を悟ったが、今さら取り消せるわけでもないとあっさり後悔を捨て去った。この先のやり取りに集中するためだ。
「伏兵に気づいていやがったな?」
「まぁ、なんのことでしょう?」
 頬に手を当てて、首を傾げて見せたユーディリアは、横から無造作に伸びてきた手に、びくりと体を強張らせた。リカッロの手が彼女の頸動脈に触れる。
「それは、ずるいと思います」
「阿呆。平然と嘘をつくやつに正攻法が通じるか」
 緊張して脈動が早くなるのは仕方がないので、ちょっとでも気を逸らそうと、視線を右頬の傷跡に定めた。茶色く変色したこの古傷を怖いと思う人もいるだろうが、少なくとも、視線をまともに受け止めるよりはましだ。
「そんなに気になるか? この傷が」
「えぇ、今までこんな目立つ傷を持った方に会ったことがありませんでしたので」
 しばらく無言のまま、リカッロはユーディリアの瞳を、ユーディリアはリカッロの傷を見つめ合う。
「気にならないのか? 元婚約者がどうなったのか、とか」
「いいえ、まったく」
 脈動に乱れがないことから、リカッロはそれが本心だと確信する。
 理解できない、といった表情を浮かべたリカッロに、ユーディリアは柔らかく微笑んだ。初めて微笑みかけられたリカッロは困惑して眉間にしわを寄せた。
「もう終わったことですもの。中途半端にはなってしまいましたけど、ちゃんとお返しはできましたし」
 普通に会話することで、少しずつ脈拍も落ち着いてくる。リカッロと話すたびに緊張を強いられてきたが、本当はそんなに警戒する必要はなかったのかもしれない、とさえ思えた。
「お前は本当に決闘する気だったのか?」
「えぇ、もちろんです」
「代理人は? 誰を立てるつもりだったんだ?」
 言われて、顔色ひとつ変えずに「そこまでは考えていませんでしたわ」と答えたユーディリアの脈が乱れた。
「―――もう一度だけチャンスをやろう。代理人をどうするつもりだった?」
 鼓動が明らかに早くなった。だが、ユーディリアの表情は変わらない。
「……やっぱり、ずるいと思います」
 文句を口にしても、回答しようとしないユーディリアに、リカッロの黒い瞳が苛立ちを帯びる。
「代理人は、……立てないつもりでしたわ」
 根負けしたユーディリアは、大きく息を吐いた。すると、リカッロがニヤリと笑みを浮かべる。
「やっぱりな。……お前が素直に認めたなら、話は早い。あの腰抜け王子の代わりに、オレがお前と剣を合わせてやろう」
 脳がその言葉を理解するのを拒否した。
「そーかそーか、言葉を失うほど嬉しいか」
 満面に意地悪な笑みを浮かべ、リカッロは彼女の首元に当てていた手を引き、立ち上がろうとする。
「ちょ、ちょっとお待ちください!」
 ユーディリアは慌てて去ろうとするリカッロの手を掴んだ。思い返して見れば、初めて自分から彼に触れたかもしれない。だが、そんなことを考える余裕はなかった。
「おっしゃっていることの意味がよく分からないんですけど!」
「オレと、お前が、木剣で、立ち会う。あぁ、早い方がいいな、明日の昼前でいいだろ?」
「どうしてそういう結論になるんですかっ!」
 カウチに押しとどめることに成功したユーディリアは、手を膝の上に乗せ、ぐっとリカッロに厳しい視線を向けた。
「お前の体捌きが半端ねぇって話が、オレのかわいい部下の間に出てるんだ。その理由はお前自身も分かってんだろ?」
 ユーディリアの視界の端で、将軍が満足げにヒゲを撫でているのが見えた。
「まぁ、もちろん、一国の王女がそんなわきゃねぇって話もあるんだが―――」
「当たり前です! それに、わたしに武器が扱えるはずがないと言ったのは、リカッロ殿下でしょう?」
 すると、「そうだな」と納得したリカッロが、ユーディリアの両手首を掴んで引っ張った。
「きゃっ!」
 突然の行動に反応の遅れたユーディリアはバランスを崩し、リカッロの胸元に額をぶつけた。
「こんな手でなぁ、ありえねぇとは思うが」
 倒れ込むような恰好になってしまったユーディリアは、慌てて体を起こそうとするが、両手を持って行かれた状態では、どうにもならない。
 そんな彼女の様子に気が付いているのかいないのか、リカッロはしげしげとマメ一つないきれいな手を見つめている。
「あの、放してっ、ください!」
 決してそういった雰囲気ではないとはいえ、異性の胸にもたれかかることに耐えられず、顔を真っ赤にして懇願するが、リカッロはさらなる確認作業に入る。
 斜めになっていたユーディリアの体を引き寄せると、両肩を軽くもむように触り、二の腕も同じようにむにむにと揉む。次いで、まるで抱きしめるように背中に手を回すと肩甲骨から背筋にかけてを撫でまわした。
「筋肉がついてないにも程があるぜ。……なんだ、その顔」
 確認を終えたリカッロは、ようやくユーディリアの上気した肌に気付いた。
「なんでもありませんっ! これで分かりましたよね? わたし、木剣で手合せなんてできませんから」
 リカッロを睨みつける青い瞳が、恥ずかしさによる涙で潤む。
「そんなこと言ったって、納得しねぇヤツが少なくとも二人いるんだ。お前のせいだぜ?」
 何とかリカッロから体を放したユーディリアは火照った頬を軽く叩いた。
「お前に武器を奪われたヤツらの株がだだ下がりでなぁ。オレのかわいい部下は、どうしても腕っぷしで決めたがる連中が多くて困るぜ」
「そ、それは、運が悪かったというか、……そ、そう! 油断してたんですね、きっと!」
 なかなか平静を取り戻せないユーディリアに、リカッロは再び手を伸ばし、……左の頬をむにっとつまんだ。
「オレのモノには、そうそう手出しはしねぇと思うが、何せ元々が下町でくすぶってた連中だしなぁ? どんな手を使ってくるか分からねぇぞ?」
「っ! 脅しているんですか?」
 もはや頬をむにむにとされることは諦めたユーディリアが、視線を下げる。
「いいや? 実のところ、明日に手合せするのは決定事項だ。お前が本気出すかどうかは知らねぇが、な」
 手を抜けば、あとでその二人からの報復なり嫌がらせが待っていると暗にほのめかし、リカッロは手を放して立ち上がる。
「さて、話は終わりだ。せいぜい覚悟決めておけよ」
 そう言い置くと、リカッロは当惑するユーディリアを置いてさっさと部屋を出て行ってしまう。
 残されたユーディリアは、がっくりと肩を落とした。靴音が離れていったのを確認してから、「将軍……」と情けない声を上げる。
『承知した。腕がなるのぅ』
「そうじゃなくてっ! ……どうしてこうなっちゃったのかしら」
 はぁ、とため息をついたユーディリアを、将軍はまじまじと不思議なものでも見るかのように見つめた。
『隠し通さなかったのは、自らの復讐を優先したからじゃろう? 今さら何を言っておる』
「だからって、普通、王女と手合せなんてするもの? 信じられない」
『信じようが、信じまいが、あの王子は本気じゃろう。それとも儂の手はいらんか?』
「……うぅ、お願いします」
 ユーディリアはふらふらと立ち上がると、寝台に倒れ込むように寝転んだ。
『ねぇねぇ、ユーリ! どうだった? やっぱり厚かった?』
 声をかけてきたのはベリンダだった。どうしてかは分からないが、いやにはしゃいでいる。
「えぇと、何の話?」
『やっだ、リカッロ王子の胸板の話よぉ! アンタ、抱きしめられて真っ赤になってたじゃん?』
 ユーディリアの顔がみるみる赤く染まった。
『そーそー、そんな感じでさ。ってゆーか、あの王子さぁ、女に触れるのに遠慮ないわよねー。相当慣れてんのかしら? ユーリはどう思う?』
「ど、どう、って……」
『もー! ユーリってば、恋愛が面倒だって言っておきながら、きっちり反応してるじゃん? そーゆー嘘よくないよ?』
「別に、嘘なんて―――」
『いーい? こーゆーのは最初が肝心なんだよ? そりゃ、男にリードさせるのだっていいけどさ、やっぱ最終的に手綱は握っておかないと!』
 ユーディリアは耐えられないとばかりに、ばふっと顔を布団にうずめた。
 リカッロの言う「手合せする覚悟」なんて、とても決められる環境ではなかった。


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