TOPページへ    小説トップへ    バケモノ姫

 7.復讐者は不偏不党に見せかける


 ボタニカに案内された彼女が姿を見せると、ただでさえ物々しい雰囲気だった謁見の間にざわつきが広がった。
 漆黒に染められたシルクのドレスに、同じく黒いレースの名が手袋、目端のきく者は、僅かに見える靴すら黒かったのを見て取った。
「なんだ、あの服は……」
「まさか、この場でハルベルト王子が殺されると思っているのか?」
「国王夫妻の死を悼んで……?」
「リカッロ様をバカにしているのか?」
 様々な憶測が乱れ飛ぶ中、注目の的であるユーディリアはしずしずと玉座に座るリカッロの方へと歩いていく。きっちりと結い上げられた金髪がやはり黒いリボンで飾られているのだが、そのひらひらと揺れる様子は、まるで小麦畑に舞い込んだ蝶々のようだ。
「よく来たな」
 室内の動揺など目にくれず、玉座に悠然と腰掛けていたリカッロはニヤリと笑みを浮かべた。
「お前の席はそっちだ」
 示されたのは、玉座に負けず劣らず装飾の施された椅子だった。本来、王の伴侶か次代の王が座るべき場所だと聞いている。
 ユーディリアは数拍、目を閉じて考える素振りを見せ、「遠慮いたしますわ」と答えると、示された席の斜め後ろに立った。
「座らねェのか?」
「えぇ、わたしが座るべき場所ではありませんもの」
 反抗する態度を見せたユーディリアに、リカッロの部下の間に動揺が広がる。だが、リカッロは軽く肩をすくめただけで、特にその席へ強要はしなかった。
 小さく息を吐いたユーディリアは、謁見の間に集まった人々を見回した。濃紺の軍服を着ているのが、ミレイスの兵。そしてモスグリーンの軍服はセクリアの親衛隊のものだ。親衛隊は帯刀こそ許されていないものの、両手足ともに自由な状態だ。
(いったい、何を考えてるんだろう。親衛隊までこの場に呼ぶなんて)
『ここで騒ぎが起きないようなら、セクリア人に対して、この流れに乗るしかないという諦念を植え付ける結果となろう。親衛隊の連中が何か行動を起こせば、反乱分子を一掃できるチャンスじゃ』
 ユーディリアの心を読んだかのように、隣に立った将軍が、ヒゲを撫でながら呟いた。
『ミレイス側とて無策ではない。窓の外には弓をつがえた射手、後ろの緞帳の奥にも兵を隠している気配がある。よほどの奇策か事故でもない限り、セクリアの勝ちはなかろう』
 事故、という言葉にユーディリアはきゅっと下唇を噛みしめた。
『ここ十数年、戦の経験がないセクリアは、圧倒的に不利じゃな』
 将軍はそこまで言い切って口をつぐんだ。
 将軍には、力を借りることになるかもしれないから、と隣に居てもらっているが、ベリンダとリッキーの姿は見えない。
 ベリンダは元々こういった争い事は苦手だから、ひとしきり品定めしてから隠れるわ、と言っていた。正直、幽霊になってまでいい男を探す意味が分からない。
 リッキーも荒事全般が苦手なのだが、彼は良くも悪くも好奇心の塊なので、どこか安全そうな場所を見つけて隠れて覗いているのだろう。
 バタン、とドアが開き、その向こうに見えた人物に、謁見の間が静寂に包まれた。
「リカッロ様。ハルベルト王子を連れてまいりました」
 二人の兵士に挟まれ、後ろ手に縛られたハルベルトの目が、憎々しげにリカッロを睨みつける。
「おう、ようやく来たか、王子殿下?」
 玉座で行儀悪く足を組んで、より傲慢な姿勢になったリカッロは、余裕の笑みを浮かべて彼を迎え入れる。
「貴様……。よくも玉座を汚してくれたな」
 かつて父親が座り、次に自分が座るはずだった玉座に我が物顔で座っているリカッロが気に食わないのだろう。ハルベルトはその青い瞳に憎悪を灯らせる。
 後ろから押されるように歩かされたハルベルトは、玉座の五歩ぐらい手前で、強制的に膝をつかされた。その様子に親衛隊の面々が痛ましげな視線を送る。
「さて、決心はついたか? ミレイス国内のセラドン地方、ここと同じ鉱山を擁する領地を任せてやろうと言うんだ。ここまでお膳立てをされて、断る道理がないだろう?」
「ふざ、けるなっ! 人の国に無断で上がり込んだ挙句、盗人猛々しいとはこのことだ!」
 憎しみに歪んだ顔も荒げた声も、平穏に婚約者であった頃はユーディリアに見せたことのないものだった。それだけ憎悪が深いのだろうと思いつつ、どこか違和感を感じる。
『……どうやら、あの王子は耳目を集める役割らしいのぅ。何人か動きだしよった』
 ユーディリアの視界には、動き出した親衛隊など映らなかったが、将軍が言うのであれば、そうなのだろう、と納得する。
「下賤な血を引く貴様が、高貴な血を引く僕を貶めて、さぞや楽しいだろう! だが、僕は決して貴様になど屈しない!」
 ユーディリアは耳障りに声を枯らすハルベルトを悼むように、両手を胸の前で軽く組み合わせた。
『ふむ、そうしておれば、いかにも悲運の王女よのぅ』
(からかわないで!)
 もちろん、そう見えるように意図的にやったことだ。だが、これから起こることに、決して目を背けないように、と高鳴る心臓を押さえ込んでもいるのだ。
「言いたいことは、それだけか?」
 リカッロは肘掛に置いた手を立て、軽く拳を作って頬杖をついた。正直、ハルベルトとは役者が違う。
 一瞬、その雰囲気に飲まれかけたハルベルトだったが、自分の役割を思い出したのだろう。さらに声を張り上げた。
「ユーリ、どうして君は何も言わない? そこの下郎に何を言われたかは知らないが、君は僕の婚約者だろう?」
 いきなり水を向けられたユーディリアは、びくり、と傍目にも分かるほど身体を固くした。視線が自分に集まるのが分かったが、慌てて口を開いても、かけるべき言葉が突いて出るわけでもなく、空しく口を閉じた。
「君はそいつの味方をするのか? ……はっ、神秘の国レ・セゾンの姫君が、聞いて呆れる! バケモノというだけでなく、こんな尻軽の売女だったとはな!」
 罵声を浴びせられたユーディリアは、祈るように組み合わされた手をふるふると小刻みに震わせた。
 また泣き出してしまうのではないかと、牢でのやり取りを知っているボタニカは、姫をこの場から連れ出そうと、控えている部下に指示を出すべく首を巡らせた。
「クソの役にも立たねぇ理屈をこねて、ムダにプライドだけで騒ぎ立てる。まったく、父親にそっくりだな、ハルベルト?」
 ユーディリアは目を丸くして、口を挟んだリカッロに視線を向けた。
「貴様、父上を愚弄するかぁっ!」
「愚弄? 違うな。敬意を表しているからこそ、死体を晒すようなことはしてねぇだろ」
 再び、ユーディリアを置き去りに、両国の王子だけの会話に戻った。
(もしかして、庇ってくれた?)
 いやいやまさか、とユーディリアは心の中で首を振る。
『そろそろ動くぞ、気を緩めるな』
 将軍の声に現実に引き戻された時、
「動くな!」
 ハルベルトの大声よりも、声量・迫力ともに勝る一喝が謁見の間に響き渡った。
「ミレイスの兵達よ。武器を捨てろ」
 声の主は、リカッロの首筋に短剣を突き付けていた。見覚えのあるその顔に、ユーディリアはセクリア親衛隊の副隊長ベルナールだとすぐに分かった。
リカッロの周囲を固めていた副官以下三名が、地面に伏しているのが見える。ベルナールを守るようにして立つ親衛隊の数名が、瞬く間に叩き伏せたのだろう。
「お前ら、剣は捨てるな。ハルベルトを盾に取れ」
 自分が命の危機に晒されている自覚があるのかどうか、リカッロは狼狽する自分の部下への命令を下す。
 双方が互いの主の命を握る、拮抗した場面に、ユーディリアは思わず口元に笑みを浮かべた。
 そうだ、この時を待っていた。
 武器を持っていなかったはずの親衛隊が、どこから取り出したのかサーベルを構えている。リカッロの安否を気遣いながらも、ミレイス兵もそれに対抗すべく腰の剣を抜き放っていた。
 そんな緊迫した雰囲気の中で、ユーディリアは、まるで中庭を散策するような気安さで、歩き出した。目指すのは後ろ手に縛られたままのハルベルトだ。
「来るな! いかに姫君といえど―――」
 人質を渡すまいと、一人がユーディリアに剣を向け、もう一人がハルベルトの首根っこを掴んで遠ざけた。
 ユーディリアは、切っ先を向けられているにも関わらず、綺麗な笑みを浮かべた。その表情に、切っ先を向けている兵が得体のしれないものを感じて、気圧される。
「将軍?」
 小さく歌うように名前を呼ぶと、『承知した』と渋い声で返答があり、ユーディリアの身体が素早く動いた。
 数秒後、二人のミレイス兵は倒れ、ユーディリアの手にはうち一人から奪った剣があった。
 睨み合っていたミレイス・セクリアの兵は、幻でも見たかのように、目を見開いていた。
『将軍、一度、返してくださいな。もし、不穏な気配があれば、再び使ってくださって結構ですから』
 ユーディリアの言葉に、将軍は『まぁ、良かろう』と快く承諾する。この場面でまだ自分の活躍の場は十分にあると考えているのだろう。その眼光は鋭いままだ。
「ハルベルト様、ご無事ですか?」
「あぁ、ユーリ。無事だとも。君が味方に立ってくれるなんて、これほど力強いことはない。さぁ、この無粋な戒めを……?」
 ハルベルトの言葉がふいに途切れた。首筋に鋭い刃がぴたり、と寄せられたのだ。
「ユーディリア姫! ご乱心なされたか!」
 セクリアの親衛隊から、非難の声が飛ぶ。ミレイス兵も想像の上を行く展開に、ただただ唖然としていた。唯一、リカッロだけが面白そうな笑みを浮かべたまま、状況を観察している。
「ユーディリア姫。レ・セゾンはミレイス側に立つ、ということですか?」
 固い声を絞り出したのは、リカッロに剣を突き付けている親衛隊副隊長ベルナールだった。
「親衛隊副隊長ベルナール。あなたがそう考えるのはもっともだけど、そういう話ではありません。あなたがリカッロ殿下の首を斬り落としても、わたしは一向に構わないのですから」
 この城に入ってから、ついぞ見せたことのない優雅な笑みを浮かべるユーディリアに、狂気めいたものを感じ、所属に関わらず何人かの腰が引けた。
「ミレイスでもセクリアでも、どちらが勝っても、わたしの扱いは変わりませんわ、そうでしょう?」
「ならば、どうして邪魔をするのですか!」
 迫力あるベルナールの声に、何名かが体を大きく震わせた。その中にはハルベルトも含まれている。
「ねぇ、ベルナール。あなた、料理上手な奥様と、来春から城に仕えることになる予定の息子さんがいらっしゃると、前に話して下さいましたね」
 ころっと話題を変えたユーディリアに、副隊長は一瞬、意表を突かれた顔をしたが、すぐに表情を立て直した。
「過去の話です。離縁いたしました」
「万が一失敗したときに、責が及ばないためね。素敵だわ。……でも、本当にそれでよろしいの?」
「何が、言いたいのですか?」
「ハルベルト様が王座に返り咲いたら、この国はダメになるでしょうね。失策に失策を重ねる姿が目に浮かぶようです」
「ユーリ! このバケモノ姫! 僕を愚弄するか!」
「まぁ、ハルベルト様。手元が狂ってしまいますので、どうぞお静かになさって」
 ハルベルトに見えるように刃先をゆらゆらと揺らし、ユーディリアは微笑んだ。
「元々、ハルベルト殿下に嫁がれようという方のセリフとは思えません」
「えぇ、陛下がご存命でしたら、このような心配もなかったと思いますわ。それに、マーベリック卿も亡くなられたのでしょう? ご老体にも関わらず、城を守るために剣をとったと聞きましたわ」
「ユーディリア姫。……何が言いたいのです?」
 ベルナールは苛立ちを表に出し、話の先を促した。
「陛下のご指導や、マーベリック卿のような気骨ある臣下のサポートがあるならともかく、ハルベルト様が中心となってこの国を治めていくのには無理があります。力不足だと申し上げているのです」
 予想もしていなかった言葉なのだろう。親衛隊の間に、ざわり、と動揺が走った。
「ねぇ、ベルナール、それに親衛隊の皆様。あなた方の守るべきものは王家ですか? それとも国民ですか?」
 歌うように優しく問いかけるユーディリアの声に、ベルナールの顔に苦悩の色が浮かぶ。ベルナール自身、ハルベルトを含む王族とも会話することが度々あったはずだ。だからこそ、ユーディリアの言う為政者の素質について思うところがあるのだろう。そんな副隊長の様子に、親衛隊の面々も困惑した表情を浮かべた。
「ユーディリア姫。……あなたは、困った方だ」
 ベルナールは険しかった表情を徐々に緩めていった。
「聞け! セクリアの兵よ! 今、その剣を引くのなら、今回のことを不問とはいかないまでも、軽い罰のみに止めよう!」
 緩んだ隙に切り込むように響いたその声は、リカッロのものだった。剣を突き付けられているとは思えない堂々とした声音に、親衛隊の動揺がピークに達する。
『ほうほう、大した役者じゃ。この場を一気に掴みよった』
 将軍の言う通り、ミレイスの兵はもちろん、セクリアの親衛隊の者もリカッロと彼に剣を突き付ける副隊長に視線を集中させる。
 カラン、と最初に剣を捨てたのは、ベルナールだった。
「みんな、武器を下ろせ。……リカッロ王子。今回のこと、すべては私一人の計画です。どうか、私のみを罰してください」
「その心意気は認めてやる。――他の者はどうする?」
 まるでベルナールの申し出を予想していたように、リカッロはあらかじめ決められていた台本に従う役者のように堂々と謁見の間を見回した。
 すると、モスグリーンの軍服に身を包んだ親衛隊は、お互いに顔を見合わせると、次々と剣を捨て始めた。
「ベルナールさんにだけ、そんなことをさせるわけには行きません。罰を与えるというのなら、我々も一緒です!」
「そうですよ! 副隊長殿一人が責任を負うようなことではありません」
「……だそうだ。随分、人望が厚いようだな。―――ボタニカ、親衛隊のヤツらを一旦、地下牢にぶちこんどけ、頭も冷えるだろ」
 リカッロの指示によって、親衛隊の人間が次々と謁見の間を出て行くのを見て、ユーディリアはガタガタと震えるハルベルトから剣を引いた。
「手荒なことをしてしまい、大変申し訳ありませんでした」
 ユーディリアは、深々と頭を下げると、借りていた剣をミレイスの兵に返す。びっくりした様子で剣を受け取った兵に微笑むと、怯え震えながら何かをぶつぶつと呟くハルベルトの前に立った。
「なんだ、これは……。僕はセクリアの次期国王なんだぞ。そうだ、悪い夢だ。目を覚ませばいい」
「あらまぁ、この期に及んで愚かな方ですこと」
 緩慢な動作で顔を上げたハルベルトに、ユーディリアは上機嫌そのものの顔で微笑んだ。
「この疫病神……っ! 貴様さえいなければっっ! こんなことにはっ! このバケモノめっ!」
『無様じゃのぅ』
 隣で呆れる将軍を無視し、ユーディリアは黙ってハルベルトを見下ろしていた。セクリア・ミレイスに関わらず注目されているのは知っていたが、この男への復讐はまだ終わっていなかった。
「ちくしょう! 誰も彼も僕を正当に評価しない! 侮辱しやがって!」
「まぁ、侮辱ですか? そうですね。そうやって他人をバケモノ呼ばわりすることが、わたしと、わたしの国への侮辱に他ならないと、お分かりになっていらっしゃるの?」
 その言葉は、残念ながらハルベルトの心には届かなかったらしい。変わらず怨嗟の言葉を呟いている。
『おい、来てるぞ』
 将軍の言葉に、ユーディリアは黒いレースの手袋をするりと両方とも外した。そして、それを無造作にハルベルトに投げつける。
「殿方は侮辱された時、こうやって対処するのでしょう? 代わりにやってさしあげます。―――決闘を申し込みますわ」
 謁見の間のざわめきが、一気に静まった。親衛隊も彼らを連行するミレイス兵も、まるで信じられないものでも見るかのように、上機嫌で微笑むユーディリアを見つめていた。
 と、ふいに、後ろからユーディリアの手首を掴む者がいた。
「そこまでだ。でしゃばるのもいい加減にしやがれ」
「まぁ、リカッロ殿下は無粋な方ですのね」
 きょとん、と無邪気な表情を浮かべた彼女に、リカッロは眉根にしわを寄せた。
「ちっ、人形じゃねぇ顔なのは結構だが、怖すぎだろ、お前」
「ねぇ、ハルベルト様、わたしの決闘の申し込み、受けてくださいますか?」
 力づくでハルベルトから引き離されるユーディリアだったが、その視線は膝をついたままのハルベルトに注がれている。
 だが、ハルベルトは何も答えなかった。


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