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 6.幽霊たちは無遠慮に振る舞う


 朝食を終えたユーディリアは目的の書斎へとやって来ると、自分の体の主導権を、興奮に目を輝かせていたリッキーへと渡した。
 監視のひとつぐらい付けるかと思ったが、将軍に尋ねてもその気配はないという。
 こうやって彼らに身体を貸すことは、時々便利だが、不便にも思う。新しい知識に貪欲なリッキーは、まるで薄っぺらい夢物語を読むかのように、難解な書物のページを次々とめくる。その間、彼女の意識はどうなっているかというと、リッキーと同じように文字を目で追っているのだ。その内容は、リッキーの頭に蓄積されているのだろうが、ユーディリアはさっぱり分からない。
(いっそのこと、切り離して近くに漂えたらいいのに)
 だが、逆に、それができないからこそ、自分は生きている人間で、彼らは死んでしまった幽霊なのだろう。体と心を切り離してしまえば、人は生きていけないのだ。
『まったく、なんでそんなことに夢中になれるのかねぇ』
 ベリンダの声がする。
 そのボヤきは、ユーディリアがリッキーに体を貸す度に彼女が呟くお決まりの文句だった。
 その言葉に、ユーディリアは苦笑する。といっても、表面上はリッキーの支配下にあるので、何も変わらない。
 不思議なものだ。
 昨日から色んなことがありすぎて、それこそ取り乱して泣き叫んでも仕方がない状況なのに、この三人がいるだけで、まるで自国にいるように、落ち着ける雰囲気になる。
『このまま、あの王子の言うまま、嫁になっちゃうの?』
 ベリンダの心配そうな声に、ユーディリアは「さぁ?」と答えた。
『でも、どちらにしろ、お父様との交渉は難航するでしょうね』
 体の主導権を譲っている時だけ、声に出さずに会話できるのは良いことなのかは分からない。密談するために誰かに体を明け渡すと、主導権を握った人がうっかり会話に加わってしまい、密談にならないからだ。だからこそ、リッキーがこんな時にしか使えない。
『国王であっても親ということか』
 将軍の答えを、彼女は「違うわ」ときっぱり否定した。
『セクリアからの対価は既に支払い済みよ。あのお父様がミレイスからもふんだくろうと考えない方がおかしいわ。……ねぇ、リッキー、目がかゆくなってきたわ、そろそろ瞬きして?』
 主導権を譲っても、その感覚が失われるわけではない。瞬きする間を惜しんでいたリッキーは、忠告に従って二度、三度と目を閉じた。下手に拒否すれば、この夢のような時間を取り上げられてしまうと、彼も十分理解していた。
『ねぇ、ユーリ。つらくないの? 好きでもない男と一緒になるなんてさ』
『ベリンダ。心配してくれるのね、ありがとう』
 彼女は城下の酒場で毎夜歌っていた歌姫だった。恋に生き、恋に殉じたと自分で話していた彼女のことだ、今のユーリの境遇を不憫に思っているのだろう。
『でもね、わたしは王女だから。わたしは国民の税金で育っているのよ。国の意向に従うのは当然だわ』
『ホントにそう思ってるの? 自分を騙してるんじゃなくて?』
『えぇ。……それに、こう言うと怒られるかもしれないけど、正直、恋愛が面倒なの』
『えぇ?』
『異性と触れ合ってドキドキしたり、夫の不貞に焼きもちを焼いたり、翻弄されるのも鬱陶しいし、そもそも一人の人間にそれほど執着する気持ちも分からないから』
 ベリンダはそれこそ顎が外れかねない勢いで大きく口を開けた。
『別に良いのではないか? 王族としては理想的じゃろう?』
『枯れ切った老体は黙っててよ!』
 ベリンダに睨まれ、将軍は肩をすくめた。
『これは、女の一生を決める大事な問題なんだから!』
 そんなに大事だったかなぁ、と当の本人は首を傾げた。
 と、ふいにユーディリアの身体が立ち上がった。リッキーだ。
『リッキー?』
 さてはうるさかったのだろうか、とユーディリアが声をかける。
「次」
 どうやら手元の分厚い本を読み切ってしまったようだ。書棚へそれをしまうと、その二つ隣にあった別の本を迷いなく引き抜く。
『ねぇ、聞きたいんだけど、どんな基準で選んでるの?』
「……読んだことない本を読んでるだけです」
 どうやら、ここにある本は全て読むつもりになっているらしい。一体、何日かかるか分からないが、その情熱には閉口した。
 将軍とベリンダは、まだ恋愛について口論を続けていた。この二人の主張は平行線をたどり、着地点が見えない。
(まぁ、いつも通りかしら)
 自国にいる時と変わらない三人に、ユーディリアは安堵か諦めか、大きく溜息をついた。
―――結局のところ、昼食を挟んで丸一日を書斎で過ごしたユーディリアは、自室に戻って寝間着に着替えると、両肩をぐるぐると回した。
「時間はたっぷりあるんだから、ちょっとは加減してね」
 バキバキになった肩をぐるぐると回し、恐縮して部屋の隅に縮こまっているリッキーに厳しい視線を浴びせた。
『すみません、お嬢様。知らない本がたくさんあったので、つい……』
 殊勝なセリフを口にしても、いざ知らない本を前にすると我を忘れるのをよく知っているユーディリアは小さく溜息をついた。
「あまり、度を超すようなら―――」
 と、足音が近づいてくるのが聞こえ、ユーディリアは口をつぐんだ。鏡台の前に座り、髪の毛に櫛を入れる。
『見回りか、王子か、さてどちらかのぅ』
 将軍は冗談交じりに腰に佩いた片手剣の柄に手をかける。もちろん、体を持たない将軍が実際に生きている人間に手傷を負わせることなどできない。気持ちの問題なのだ。
 足音はまっすぐこちらに近づき、止まることなく―――
ガチャリ
 止まることなく、ドアを開け放った。
「おう、まだ起きてたか」
「リカッロ殿下?」
 ユーディリアは手にした櫛を置くと、顔を彼の方へと向ける。だが、相手は、ユーディリアを無視するようにずかずかと部屋を突っ切って、バルコニーを覗き込んだ。
「何かお探しですか?」
「いや、監視役からよく話し声が聞こえるってな。誰か隠してんのか?」
「まぁ、申し訳ありません。わたしの独り言ですわ。考え事をしていると、つい、口に出てしまうんです」
「考え事ねぇ……」
 戻って来たリカッロはユーディリアの背中に立つと、ゆるく波打った金の髪を一房すくい取った。
「それで、今は何を考えている?」
「まぁ、お話しするほどのことでもありませんわ」
 鏡に映ったリカッロは、手にした金の髪に軽く口づけをした。ユーディリアの視線に気がついているのだろう。にやり、とからかうような笑みを浮かべている。
「ぜひ聞きたいな。何を考えていた?」
 髪の毛をいじっていた指が、ユーディリアの首筋を撫でた。ごつごつした感触が、頸動脈のあたりを探る。
「お父様のことを考えていただけです」
 心臓が跳ねている自覚はあった。きっと、頸動脈も激しく脈打っているに違いない。
「レ・セゾンの国王か?」
「えぇ、よほど急いでいなければ、使者様が到着するのおは明日の夕方頃ですね。リカッロ殿下が使者様にどのような口上を述べさせるのかは存じ上げませんが、きっと、交渉は難航するでしょう」
「―――その根拠は?」
「セクリアから、わたしへの対価は既にいただいています。ですが、お父様のことです。きっとミレイスに対しても同じように要求すると思いますわ。少なくとも半額、状況によっては倍額を要求してくるでしょう」
「娘であるお前の安全を顧みずにか?」
 脅しのつもりだったのかもしれなかった。だが、リカッロの言葉は、どうしても自分の父親とは繋がらず、目を丸くした後、つい、吹き出してしまった。
「笑うことか?」
 不機嫌な気配に、ユーディリアは慌てて「すみません」と謝った。そして、自分の置かれている状況を説明しようと口を開く。
「お父様にとって、わたしは金の卵を産み終えたガチョウです。もう一度金の卵を産むなら産むでよし。産まないならば別にどうなろうと気にしないでしょう」
「国王にとってお前は道具でしかない、と?」
 声音に同情めいたものを感じたユーディリアは、小さく首を横に振った。
「お父様はわたしを愛してくださってます。ですが、国王としてならば、話は別です。もとより、わたしの身体は国民の血税でできているようなものですから」
 すると、鏡の中のリカッロは顔をしかめた。
「つまんねぇ、とおっしゃいますか? ですが、十何年もこういう考え方をしてきましたので、今さら変えることなどできません」
「そんなことのために、自分の人生を棒に振るっていうのか? つまんねぇにもほどがあるぜ」
「流れに逆らう目的も情熱も持ち合わせておりませんから。……ところで、いつまで首元を触っておいでになるんですか?」
「あぁ、元々伝言に来たんだった。明日の昼過ぎ、謁見の間にハルベルトを引っ張り出す。まぁ、オレの下につくかどうかの最後通告って感じだな。お前も立ち会え」
「―――分かりました」
 実を言えば、その話は夕食を運んで来たマギーから聞いていた。牢にいる間は監視がきつく、ハルベルトを助け出すことができないと。隠密に事を運べないのなら、隙をみて一斉蜂起するということだった。
「ハルベルト様のお味方をしてくださるのでしたら、黒い喪服をお召しになってください」
 元親衛隊が一斉蜂起するということで、大層な自信があるのだろう。マギーはいつになく輝いた笑顔を浮かべていたのが印象的だった。
「そんなに嬉しそうにするな。未来の夫の前で」
「まぁ、気のせいですわ」
「……ふん。見間違いということにしといてやろう。オレはまだ仕事がある。それじゃぁな」
 ようやくユーディリアを解放したリカッロは、手をひらひらと振り、ドアの向こうへ消えて行った。
 残されたユーディリアは思わず緩んでしまった頬に手を添え、寝台へと向かう。
『嬉しそうじゃの』
「そうね、あの無礼千万な男に復讐できるタイミングが来たんだもの。嬉しくもなるわ」
 ふふふ、と抑えきれない笑いが彼女の口の端からこぼれる。
 将軍は肩をすくめて見せると、鏡台の傍から離れていった。


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