11.副官は不必要に弁解する詰所からの道中、ボタニカは沈黙に耐えられなかったのか、リカッロの話を延々としてきた。(それとも、わたしがリカッロ殿下を嫌わないように、とでも思っているのかしら) もし、そうだとしたら、ボタニカはとても無駄なことをしている、と思う。ユーディリアは結婚相手のことを好きか嫌いかで判断しない。 だが、それをキッパリと言うのも憚られて、ユーディリアはよたよたと廊下を歩きながら、その話を大人しく聞くことにした。 ―――リカッロは、十五の頃に女手一つで育ててくれた母親が亡くなるまで、自分が王子であることを知らなかったということだ。家計を助けるために城下町で様々な仕事をこなし、下町を仕切る顔役に気に入られていたらしい。 ミレイスの国王がどういう思惑でリカッロを引き取ったのかは分からないが、城では、ずいぶんと肩身の狭い思いをしていたようだ。 三年後、自分の生まれ育った下町へとやって来たリカッロは、そこで大した仕事もなくぶらついていた輩を集めて軍隊を編成した。 「……戻って来たリカッロ様は、随分と変わってしまいました。城に上がる前は、本当にどこにでもいるガキ大将だったんですよ」 「あなたは、城に上がる前から、リカッロ殿下と知り合いだったんですの?」 今まで、相槌しか打たなかったユーディリアにそう聞かれ、ボタニカは顔を緩ませた。 「先ほどお話しした下町の顔役が私の祖父でした。リカッロ様の頭の回転の速さに惚れこんだ祖父は、リカッロ様に様々なことを教えました。……いつかは、自分の後を引き継いでもらうと考えていたようです」 「孫のあなたを差し置いて、ですか?」 「下町をまとめるのに、血筋なんか関係ありませんよ。私もそれは分かっていた。だからこそ、戻って来たリカッロ様の下につき、下町との橋渡しをしたんです」 手すりを掴み、慎重に階段を上がるユーディリアの少し後ろに立ったボタニカは、話を続けた。 「軍を結成してから、辺境の内乱などを鎮圧し、リカッロ様は確固たる地位を築きあげました。それでもリカッロ様に与えられた領地は産業も資源も乏しい場所ばかり……。リカッロ様は何年も前からこのセクリアを狙っていたんです。だからこそ、こんなことでつまづくわけには行きません」 主に忠実なこの副官のセリフを聞いたとき、ユーディリアはその心意気に感動することもなく、ただ、やっぱり、と思っただけだった。 (本当に、将軍の言ってた通りだったのね) 用意周到にセクリアを落としたと、それはつまり――― (レ・セゾンの姫、さらに言えばレ・セゾンとの関係構築もこの侵略で獲得すべきものだった、ってこと) おそらく、リカッロとは今後、長い付き合いになるのだろう。だからこそ、ボタニカも割って入ったわけだ。 「……ここからは、内密の話なのですが」 何を思ったか、ボタニカは声をひそめて話し出した。 「リカッロ様の母親は父親である国王に一切頼らず、ご自分の手で育てていらっしゃいました。女手一つで懸命に働き、無理がたたってお亡くなりになったのです」 ユーディリアは、黙って階段を上がる。 「その事があったからなのでしょう。リカッロ様は、辛い状況を隠し、平気を装う人を見るとイライラするんですよ。まぁ、私に言わせれば、リカッロ様も十分あてはまるんですけどね」 そのセリフに、ようやく階段を上がりきったユーディリアは、隣で腕を支えているボタニカを、まじまじと見つめた。 褐色の肌に剃った頭、筋肉を盛り上がらせていかにも武闘派な感じだ。童顔に似合わないヒゲを生やしているせいで、そんな印象を受けたのかもと思っていたが…… 「えぇと、あなた、もしかして、リカッロ様よりも随分年上ですの?」 予想外の質問だったのだろう、ボタニカは口元を歪ませ、変な顔を浮かべた。 「? えぇ、リカッロ様より十才も上ですが。そもそも祖父に言われて剣の扱いなどを指導したのも私ですし。とはいえ、剣の腕はとっくに追い越されてますが」 動揺したのだろう、聞いてもいないことを答えるボタニカに、隣にいた将軍が苦笑を浮かべているのが見えた。 「あ、そういえば、ユーディリア姫も剣の扱いがお上手でしたよね。たぶん、私であれば負けていたかもしれません。きっと、明日から兵達の見る目が変わりますよ。いったいどこで、あんな、……と、申し訳ありません。聞かれたくなかったのですね」 兵達の見る目が変わる、と言われたユーディリアは、大声で否定したかったが、ボタニカの狼狽ぶりに、思わず笑ってしまった。 「ありがとうございます。あなたは優しい人なのね。リカッロ殿下の副官をやっていられるのも分かりますわ」 「リカッロ様もお優しいですよ。その、ちょっと……いや、かなり、分かりにくいかもしれませんが」 「ありがとうございます。えぇと、ボタニカさん? あなたのおかげで、リカッロ殿下のことを知ることができましたわ」 ようやく到着した部屋の前で、ユーディリアはにこり、と笑いかける。 「そ、そう言ってもらえるとありがたいんですが。……あ、でも、くれぐれも最後の話はご内密に」 「えぇ、もちろんです。それでは、あなたもどうか仕事に戻ってらして?」 部屋に入り、扉を閉めると、ボタニカが小走りに去って行く足音が聞こえた。 『なぁに? 結局、あの王子ってば、マザコンだったの?』 部分的に曲解したベリンダが、呆れたように感想を呟いた。 「そういうことを言わないの。男の人は、みな多かれ少なかれマザコンだって、あなたも言っていたでしょう?」 ギシギシと軋む身体で身長に部屋の奥へ歩くユーディリアは、寝台の傍に来たところで、自分が男装のままだと気づいた。だが、この身体では、一人で寝間着に着替えることもままならない。着替えるために呼び鈴を鳴らすのも、メイドに傷の理由を聞かれるだろうし、億劫だった。 (まぁ、いいか) 何もかも放り出し、ユーディリアは寝台に横たわった。リカッロの怒るポイントや、その対応策を練りたかったが、睡魔はすぐに襲ってきた。 深夜、本国への経過報告を書き終えたリカッロは、手燭を片手に既に灯りの落とされた寝室へと足を踏み入れた。 食事もとらず、着替えもせず、昏々と眠り続けていると聞いていたユーディリアは、寝台の右端の方で仰向けに寝ていた。布団から覗く襟元は、リカッロも見たことのある寝間着だった。 (少なくとも、一度は起きて、着替えたわけだ) 寝台に上がったリカッロは、穏やかな寝息を立てる彼女を覗き込んだ。今日は疲れていることもあるのだろうが、それにしても、起きる気配が全くない様子に、苦笑する。 「まったく、色々と予想を裏切ってくれるヤツだよ、お前は」 この国を落とす計画を立てた時は、城の中で大切に育てられた姫君など、適当に贈り物でも与えていれば、どうにでもなると思っていた。 あまりに強情ならば、脅すのも視野に入れて……と思っていたが、残念ながら、レ・セゾンの姫は、彼の知っているミレイスの王女達とは、全く異なる生き物だった。 馬車を取り囲んだ時、まさか、本人がいきなり外に顔を出すとは思わずに驚いたが、使用人だけでなく箱馬車まで守ろうと、自らをエサにするその姿勢に、二度驚いた。 リカッロは、枕元に広がる柔らかな金髪を一房すくい取り、軽く口づけをする。 国のために動く人形かと思えば、鎮魂歌という武器でセクリアの人間の動揺を誘う。それなら、セクリアの味方なのかと言えば、自分の私怨で動き、ハルベルトを完膚なきまでに叩きのめした。おかげで、いつでも動けるように伏兵に目くばせをしていたのに、結局、出番を失ってしまった。 「そういえば、伏兵にも気づいていたな。……全く、お前は謎が多い」 声に出してボヤいても、ユーディリアはぴくりとも動かない。 もはや、何をやっても起きないに違いない。呆れたリカッロは、その両手に巻かれた痛々しい包帯に目を止めた。傷に触れないよう、手首の下に自分の手を差し入れ、そっと持ち上げる。 「……ぅなぁん」 まるで甘える猫のような声で、ユーディリアが吐息をもらした。だが、目覚める気配はない。 白く細い手首は、とても柔らかく、温かい。 (傷と疲労のせいか、熱が出ているな) リカッロは彼女の手に顔を近づけた。嗅ぎ慣れた軟膏の匂いがする。自分もよくマメを潰した際に世話になったものだ。 手のひらを触らないように気を付けながら、包帯越しにそっと手の甲に唇を落とす。 「痛かっただろうな……。すまなかった」 彼女の意識がない時に謝罪しても、自己満足でしかないと理解している。それでも、そうせずにはいられなかった。 ―――翌朝、隣で動く気配に、ユーディリアは目を開けた。外は明るく、朝だということが分かる。 「おはようございますー……?」 ゆっくりと上体を持ち上げ、何故か疑問形で挨拶を口にすると、寝台から降りようとしていたリカッロが振り向いた。 「まだ寝てろ」 手を伸ばし、ユーディリアの左肩を軽く押す。大して強く押されたわけでもなかったが、まだ覚醒していない&全身筋肉痛の彼女は、そのままボスンと倒れた。 「それだけの傷だし、昨日も熱があったみてぇだし、今日は一日安静にしてろ」 一瞬、言われたことを理解できなかった。まだ頭が起きていないのかもしれない、と思ったし、空耳だったのかもしれないとも思う。 「何か、おかしいですー?」 そうだ、おかしい。リカッロがこんな優しい気遣いを見せるのには、何か企みがあってのことに違いない。 「お前の身体と頭がおかしいんだ。とっとと寝ろ」 (何だか、とてもひどいことを言われた気がする) とはいえ、もう一度起き上がる気概もなかったユーディリアは、睡魔に負けて目を閉じた。 | |
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