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 12.暇人は無用心に散歩する

 その後、事後処理で忙しかったのだろう。ユーディリアはリカッロと顔を合わせぬままに数日が過ぎた。レ・セゾンへ向かわせた使者が戻って来たことで、更に忙しくなって来たようだ。
 ユーディリアは自国からどのような要求があったのかは聞いていないが、特に気にしてもいない。国同士の政治的なやり取りには口出しすべきではないと思っているからだ。
 今の彼女にとっての関心事は、取りたててやることのない一日をどう過ごすかだった。
 読書をしようにも、書斎の鍵はミレイス兵が管理している。歌って無聊を慰めるにも、また怒られるのではないかという懸念がある。そもそも、許可なくどれぐらい動いていいのかが分からない。怒らせるのも得策でないと分かっているから、部屋でじっと大人しくしているのだ。
「ストレスたまるわ~……」
 晴天の下、バルコニーに置かれたイスに体を預け、小さな声で呟いた。
『だーかーらー! 歌おうよぉ!』
 同じく退屈に身を焼かれたベリンダが、ユーディリアの隣で、手をぶんぶん振り回した。
 ユーディリアは騒いでいるベリンダに軽く視線を向けたが、さらりと無視を決め込む。
「よくよく考えたら、暇を持て余すって、初めての経験よね」
 自国にいた頃は、時間を見つけては写本や刺繍などの内職に精を出していたものだ。その報酬は日々の食事のおかずに変わっていった。たぶん、この話をすると、リカッロにまた笑われるのだろう。
「昼寝でもしましょうか」
『またぁ? そんなに寝てばかりいると、太るわよぉ?』
 はいはい、と治りかけの手を軽く振って、ユーディリアは室内に戻った。
―――その夜、夕食を終えても睡魔が襲って来なかったユーディリアは、やっぱり暇を持て余していた。
「そっか、昼寝すると、夜に眠れないのね」
『当たり前じゃろう。だらけ過ぎて馬鹿にでもなったか?』
 呆れたように将軍が言うのを、ユーディリアは聞き流し、新鮮な気持ちでバルコニーに出た。城下には明かりがいくつも灯っていて、その先、地平線に近い場所に薄く細った月が浮かんでいる。
「こんな時間になっても、リカッロ殿下は戻って来ないのね」
 いつもなら、寝ている時間だったが、目はパッチリと冴えていた。
「……ねぇ、将軍」
 ふと、思いついたことがあって、ユーディリアは姿の見えない将軍に問いかけた。
「この部屋って、まだ見張りついてるの?」
『いいや。ちょうど、謁見の間でのアレが起きた次の日から外されておるよ』
(次の日って、手合せのあった日?)
 それは、ハルベルトの浮かぶ瀬がなくなったから、残党に警戒しなくなったということだろうか。
『大方、あの体捌きを見て、警護の必要なしとでも判断したんじゃろう。人手不足と言っておったからのぅ』
「ちょっ……、そんなことあるわけ―――」
『本当にないと思うか? あながち間違ってはおらんと思うがのぅ』
 言われてユーディリアはぐっと言葉を詰まらせた。そういえば、リカッロの副官にも、とても勝てないとかなんとか言われた覚えがある。
『ねぇねぇ、見張りがいないならさ、城内散歩とかしちゃってもいいんじゃない?』
『ふむ、歌姫殿もたまには良いことを言う。いざという時のために、城の構造を理解しておくのは悪くない』
『もう! そういう意味じゃないわよ。気・分・転・換!』
 目的こそ違えど、二人の提案はとても魅力的なことに思えて、ユーディリアはそっと扉を開けた。
「思ったより、暗いのね」
 夜でも廊下は明かりが絶やされないと思っていたのだが、どうやらそういうわけでもないらしい。
『うわ、なんだか、幽霊とか出そう。ちょっと思ってたより怖いね』
 幽霊本人のセリフとは思えないが、ベリンダはこういう雰囲気が苦手らしかった。
「本当に、誰もいないのね」
 手燭を片手に、一歩廊下に踏み出す。人の気配は全くと言っていいほどなかった。
『まぁ、使用人もほとんど寝ている時間じゃろう。こんな時間に起きているのは、巡回警備の兵ぐらいではないのか?』
「でも、リカッロ殿下もまだ起きているのよね」
『きっとお仕事大好きなのよ。マザコンだし』
 どうやらベリンダはリカッロのマザコン説を捨てていないらしい。
『仕事が好きかどうかはともかく、まだまだ各地に気を遣っていなければならない時期じゃろう。セクリアに面した国々もどう動くかは分からんしのぅ』
「あら、周辺国は本国が押さえるのではないの?」
『強硬手段に出る可能性もあるじゃろう。何と言っても、これほど資源豊富な国。大なり小なりミレイスと同じことを考えていた国もあるじゃろう? みすみす目の前で奪われて何もしないわけがない』
 足音を消すようにゆっくり歩いていたユーディリアが、ぴたり、と止まった。
「それは、また戦が起こるということ?」
『さてなぁ。ミレイスの外交手腕の見せ所、といったところか……』
 戦が起こらなければいい、とユーディリアは思う。セクリアに面した国々の中には、彼女の叔母が嫁いでいる国もあるのだ。
「……戦は嫌いよ」
 再び歩き出したユーディリアは、ポツリ、と呟いた。
『奇遇じゃのぅ。儂も好きではないわい』
「将軍も?」
『手塩にかけた部下が倒れて行く様を見るのはな、何度繰り返しても慣れるもんではないわい』
『アタシも嫌いよ。町が荒むもの』
『じ、自分も、そういうのは、ちょっと……』
 ユーディリアは、てっきりいないと思っていたリッキーの声にびっくりして目を丸くした。
「リッキー、暗いのは苦手ではなかったかしら?」
『は、はい。ですが、この城には非常に興味深いので。……と言いますのも、富める国ならではと言いますか、何年にも渡って建て増しが繰り返された城になっておりまして―――』
「あ、ごめんなさい。詳しい話はまた後でね。……さて、と、どこに行こうかしら」
 リッキーの口を塞いだユーディリアは、いつの間にか階段の所まで来ていたことを知り、口元に手を当てて考えた。
『はいはい、提案! 中庭に行こうよ』
「中庭?」
『ここの中庭ってすごいじゃん? んでさ、夜に行ったら結構ロマンチックだと思うんだよね』
「ロマンチック……ねぇ」
 むしろ、屋外に出るのは物騒なんじゃないかと思えるんだけど、とユーディリアは首を傾げ、ベリンダが推薦するような理由を考えて……ある噂に思い至った。
「ねぇ、ベリンダ。あなた変なこと考えてない?」
『え? なんで?』
「夜の中庭で、ハルベルト様がマギーと逢引きしてたって噂はわたしも知っているんだけど?」
『あちゃー。覚えてたか。……ほらほら、身分違いの恋の逢瀬の場所、見てみたくない?』
「全然」
 だが、そうかと言って他に見たい所があるわけでもなく、ユーディリアは渋々、ベリンダの希望に沿うように階段を下りていった。
「ユーディリア姫様?」
 声を掛けられたのは、一階に下りてすぐのことだった。
「何をなさっておいでです?」
「寝つけなかったので、少し、散歩をしていましたの。……あなた方は巡回中ですの? 遅くまで大変ですのね」
 ユーディリアが微笑むと、三人一組で回っていた兵達が困惑した表情を浮かべる。
「どうぞお気になさらず、お仕事を続けていらして? わたしも、そんなに長く散歩するわけではありませんから」
「で、ですが、ユーディリア姫様に危害を加える不心得者がいるかもしれません。散策を続けるのでしたら、一人、護衛につけますので―――」
「まぁ、不心得者ですか?」
 手燭に照らしあげられた顔が優雅に微笑むのを見て、兵がぴしり、と固まった。
「そうですわね、何かあったら大変ですものね。こちらの突き当りまで行ったら、部屋に戻ることにいたしましょう。……心配してくださってありがとう」
 ふわり、と松葉色にひまわりの刺繍の施されたドレスを翻し、ユーディリアは彼らに背を向けた。当惑した兵達に追いかけてくる様子はないことを悟り、将軍が大げさにため息をついて見せた。
『意識して脅したな?』
「まぁ、何のことかしら? そもそも、わたしの腕が立つことを証明してくれたのは、将軍でしょう?」
 将軍の予測通りかどうか、確認してみようとカマをかけたのは事実だ。だが、あそこまで効果絶大とは思わなかった。
「あの手合せには困ったけど、護衛がつかないっていう副産物がつくなら、そう悪くなかったのかしらね」
 自国でも、護衛も侍女もつけず、自由にやっていた身だ。こっちの方がずっと気が楽だと、鼻歌まじりに暗い廊下を歩く。
―――その後方、将軍も気づかぬ場所を暗い影が動いた。やや浮かれた調子で歩くユーディリアの尾行するように、影は慎重に距離を詰めていった。


―――一方、ユーディリアの背中を茫然と見送った巡回兵は、その場にまだとどまっていた。
「一人で行かせて、本当に良かったのか?」
「でも、お前だって見たんだろ? すごい腕前だったって」
「あぁ、信じられない動きだった。本当にあれで王女なのか?」
 お互い、顔を見合わせて「むぅ」と唸る。
「でも、今の見ただろ? 雰囲気からして育ちがいい感じじゃね?」
「……おい、リカッロ様は知っているのか?」
 一人の指摘に、他の二人が「げ」と呻く。
「やっぱり、追いかけよう」
「そうだな」
 その時、静まりかえった廊下に、甲高い女性の悲鳴が響き渡った。
「なんだっ?」
「おい、姫様が向かった方じゃないか」
「急ぐぞっ!」
 いつでも抜刀できるよう、腰に下げたサーベルの柄に手をかけ、三人は悲鳴の上がった方へと駆けだした。
 暗い廊下の向こうから「誰か来てっ!」と悲痛な悲鳴が続けて聞こえてくる。
 そうだ、いくら腕が立つと言っても、あの姫は武器一つ持っていなかったじゃないか、と後悔するが、そんなことを考えていても、自分の足が速くなるわけではない。
 現場に到着した兵達は、暗闇の中で手にしたカンテラを照らしあげると、そこで信じられないものを目にした。


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