3.暗中模索の夢芝居(疲れた顔してるわ……。いけない、引き締めないと)手にした軽いワインに映り込んだ自分の顔を見て、ユーディリアは自嘲気味に笑った。 ユーディリアも主役の一人であるはずのこの宴だったが、彼女自身、そのさざめきがどこか遠くに感じていた。 隣国の王族同士の婚約披露の宴。ハルベルトと一緒に、一通りの挨拶を終えたユーディリアは、人の波に押されるようにして彼と離れてしまった。次期王位継承者へは、次から次へと挨拶や売り込みの類が途切れることはない。ユーディリアは、無理にそこへ戻るだけの気概も持たず、飲み物片手にぼんやりと宴の様子を眺めていた。 「まぁ、あの方が……?」 「えぇ、あのレ・セゾンの王女ですって」 異能の力を持つレ・セゾンの王族であるユーディリアに、恐怖を感じる出席者も多い。視線を交わしてヒソヒソと囁かれる言葉に耳を塞ぎながら、若干一五歳の彼女は平静を装っていた。 (外に嫁がれた王女様方も、こんな思いだったのかしら……) レ・セゾンの歴史上、無能と判定され、外交政策の一環としてよその国に嫁がされた王族は決して少なくない。自国でさえ、恐れられているのだ、隣国であるセクリアでも、こういった好奇と畏怖の眼差しで見られることは覚悟していた。―――覚悟するようにと言いつけられていた。 (せめて、誰かが話しかけてくれたら、間も持つんだけど) そう思っていた矢先、「失礼」と声をかけられた。 「お疲れのご様子ですね、レディ?」 どこかハルベルトにも似た銀髪の青年が、口元をひきつらせながら――いや、笑いかけているつもりなのだろうか?――ユーディリアの隣に立った。そのセリフも、まるで台本を読んでいるかのようにぎこちない。 「そうですわね。このように多くの方々と引き合わせていただくのは初めてでしたので、少し、疲れてしまったのかもしれませんわ」 えぇと誰だったっけ、と思い出しながら、とりあえず当たり障りのない返事を口にする。 (確か、父親と一緒に挨拶したわよね。そうそう、少し頭が禿げ上がった感じの。えーと) 「この間、叔母上にお会いした時に、かわいらしい人とは聞いていましたが、えー、まるで山吹のように愛らしい方だ」 ユーディリアの返事とちぐはぐなセリフを、どこか棒読みで口にする青年に、あぁ、と思い当たる。 (こういう席に慣れていないのね。それに、きっと父親あたりに言われて無理やり来たんだわ) この場所が居心地悪いと感じるのは、どうやら自分だけではないらしいと分かって、ユーディリアはにっこりと微笑んだ。警戒心が緩んだのもあったのだろう。青年の素性をようやく思い出す。 「確か、アームズ公爵の……。ハルベルト様ともご友人でいらっしゃるとお聞きいたしましたわ」 「ハルはイイ男ッスよ、いや、ですよ。まぁ、この国では俺、げほん、私の次ぐらいですけど」 こういう場での言葉遣いが苦手なのだろう。たぶん、用意したセリフも尽きて、それでも何とか取り繕おうとつっかえつっかえ話す様子に、とりあえず言い間違いはスッパリ無視してあげることにしよう、とユーディリアは思った。 「まぁ、ご冗談がお上手な方なのね。もしよろしければ、ハルベルト様のお話を伺ってもよろしいかしら?」 「は? えぇ、たとえば服装。親衛隊の制服にあやかってなのか、緑系統の服を好んで着ることが多い、です」 ちらり、と人垣の中のハルベルトに視線をやると、今日も落ち着いた濃いグリーンに金糸で刺繍を施した服を着ているのが見えた。 「ユーディリア様は、どんなドレスが好みッス、好みですか?」 一つの話題で少しでも間を持たせようとしているのか、ハルベルトについて話すことと同じことを、その青年はユーディリアに対しても質問してきた。 そうやって、二人は表向きは和やかに談笑した。ドレスの生地や馬の毛並、宝石の類から、好きな食べ物まで――― 「おい、起きろ」 体を揺り動かされ、ユーディリアは、それが夢だったと気づいた。 (わたしは、あの人に、好きな食べ物をなんて答えたかしら……) 普通に考えればベリーの乗ったケーキと答えているはずなのだが、あの時は他の賓客に一歩引かれてしまっていたために、彼に対して油断をしていた。 「―――おい」 目は開けたものの、体を起こす気配のないユーディリアに、再度、低い声が呼びかける。 「……起きております」 上半身を起こせば、そこはいつものカウチだった。夕食後、毒タルトのことと、青い花のことを延々と悩んでいたはずだったが、いつの間にか眠りに落ちてしまったのだろう。 「あの菓子のことを考えてんのか?」 「……当たり前です」 どこかまだ霞がかかっている頭で、口が勝手に返事をする。 『―――』 隣で将軍が何かを言っているので、それをそのまま口に出した。 「……怨恨の線で考えるのであれば、セクリアの王家を裏切ったことに対する報復でしょう。心当たりが多過ぎますわ」 「考えるのまでは止めねぇが、オレに任せておけ。お前が動くのは逆に怖い」 失礼な、とは思うものの、ハルベルトへの復讐もまだ記憶に新しいのだろう。そう考えられてしまうのはもっともなのかもしれなかった。 再び重くなるまぶたを懸命に支えながら、ユーディリアは、まるで隣の将軍の腹話術のように、聞いたままを口にしていく。 「調査は、……大がかりにしているんですの? それとも、秘密裏に?」 今にも再びカウチに沈みそうだと考えたのか、リカッロはユーディリアの隣に腰かけた。 「容疑者が絞れない以上、少数で調査に当らせている。……おい、お前本当に起きてるんだろうな?」 明らかに寝ぼけている様子なのに、口を突いて出る鋭い質問に、リカッロは戸惑っていた、 「起きていますわよ。失礼ですわね。……それで、わたしは明日から体調を崩して引きこもっていた方がよろしいの?」 暗に犯人側に成功したと思わせるのかと尋ねられ、リカッロは小さく舌打ちした。 「いや、それはしねぇ。お前はいつも通りでいい」 「……囮ですわね。分かりました」 失敗と分かれば、相手が次の手を打ってくることも考えられる。その隙を突くつもりなのだろう、と将軍が呟くのをどこか遠くで聞きながら、ユーディリアは自分の身の危険も顧みないことを口にした。 「―――ただし、護衛はつける」 「どんな理由を作って……、ですの?」 「ザッカードだ。あいつは強いお前を尊敬してやがる。あいつの熱意に根負けして、少しでも近くにいられるようオレが護衛につける。そういう筋書きだ」 「……あの方を選んだ理由は? それに弱いのでしたら、護衛としての役には―――」 「あいつは毒や薬の知識が豊富だ。腕は確かに弱いが、お前の近くに兵を配置しているってだけで、相手も直接的な攻撃は仕掛けて来ないだろ」 『―――ふむ』 寝ぼけたユーディリアの隣に立つ将軍が、考え込むようにヒゲを撫でた。 「……いざという時は、あの方の武器を奪って対処しろ、ということですのー?」 眠気に負けて、語尾が怪しくなってきたユーディリアだったが、それでも律儀に将軍の言葉を伝える。 「そこまでは求めてない。ヤバかったら逃げろ。お前は―――おい、こら」 とうとう睡魔に負けたユーディリアは、再びころん、と横になった。隣にリカッロが座っているので、自然と膝枕のような状態になる。 「寝惚けてやがったのか。おい、この体勢、普通、逆じゃねぇのか?」 上から見下ろして、ぎゃぁぎゃぁと文句を言う声を聞きながら、睡眠の海にゆっくりと沈んでいく。 (あぁ、でも、これだけは言わないと―――) 「……信用していないわけでは、ありませんわ。ただ、……ただ、わたしはわたしの出来ることをしたいだけですの……」 わたしにだって自分の身を守るために、やれることがあるんだから、とユーディリアの意識はそこで深く沈み込んだ。 「ちっ、こうなったら起きねぇな、こいつ」 目を瞑り、穏やかな寝息をたてるユーディリアの頬をむにっとつまむ。小さく呻いたが、やはり、起きる気配はない。 「ありえねぇ、ほんとに王女なんだろうな、こいつ」 いまさら影武者でした、と言われても驚かない自信がリカッロにはあった。正直、何年も軍を率いて実戦経験を積んだ自分と、同じ目で物を見ているとしか思えない。内乱の不安もない国で、お城の中に守られて育った王女にしては、何手先も見過ぎている。 幸せそうな寝顔を見ていると、何だか腹立たしくなって、頬をむにむにと揉む。うー、とも、むー、ともつかない声で非難され、ようやく手を放した。 リカッロが気になっていることは、毒入り菓子のことだけではない。彼が預かっている三人の調書の件についても、十分な説明を受けていない。 時代もばらばら、性別もばらばら、その身分も、男爵の次男坊、子爵の囲い者になった元歌姫、そして傭兵上がりの将軍と、やっぱりばらばらだった。 共通点もあると言えばある。同じ墓地に葬られているということだ。だが、その墓地に埋葬された者など何百といるはずなのに、そこからこの三人を選んだ理由が分からない。 「毒の件が片付いたら、もっかい問い詰めるか。―――覚悟してろよ」 そんな発言が真上から降っているのに気付かず、本人はただただ睡眠を貪っていた。 護衛役のザッカードを引き連れ、ユーディリアはいつも通り中庭を散策していた。 護衛としての戦力を当てにされていないザッカード青年は、栗色の髪にかなりの白髪が混ざっていたので、四十代ぐらいだろうか、とユーディリアは当たりをつけていたのだが、なんと、まだ二十代なのだそうだ。 「姫様のお側に仕えられるなんて、僕は本当に運がいいです」 そんなことを嬉しそうに話すものだから、ユーディリアとしても邪険にはできなかった。 いつも通りに生垣の迷路を越え、いつも通りのベンチでベリンダに身体を渡す。 『うぅ、護衛が一人いるだけで、こんなに面倒だとは思わなかったわ』 通常であれば、大っぴらに将軍達と話せなくとも構わないが、それがこんな非常時だと少々キツい。 『一応、該当者について考えてみたんだけど、王族で国王夫妻やハルベルトに近い人物とか、マーベリック卿のような城内の戦闘で亡くなった者の身内とか、わたしに毒を盛ろうなんて考える心当たりがそれこそ星の数ほどいるのよね』 『……セクリアの人間とも限らないんじゃないでしょうか』 『リッキー?』 『ミレイスでは、リカッロ殿下の立場は微妙です。その殿下がこんな富める領地を自力で手に入れた。……その、他の王子が横取りしようとか、そういういことを目論んでも仕方ない状況だと思うんです』 そこは考えていなかった、とユーディリアは黙り込んだ。 『リカッロ殿下からセクリアを奪うために邪魔なのは、その、お嬢様です。お嬢様はレ・セゾンとの友好条約の象徴ですから。……その、自分が思うに、それを予想していたからこそ、リカッロ殿下もお嬢様の輿入れの日を狙ったというか、その―――』 『じゃが、さすがに本国から命令を出すには遠すぎるじゃろ。……いや、違うかのぅ』 『そうなんですよ! 最初から邪魔するつもりでリカッロ殿下の部下にスパイを紛れ込ませていたら? 頃合いを見計らって、お嬢様を、その……』 『わたしを、殺すように?』 『えぇ、その、すみません。あくまで自分の推論で……』 『いいえ、ありがとうリッキー。おかげで絞り込みができないって諦めはついたわ。……とすると、早計な気がするけど、くるみの件で絞り込むしかないのかしら』 『もしくは、二度目の襲撃を待つか? そのつもりで、庭園の中で目立つよう、そんなミカン色のドレスを選んだんじゃろぅ?』 視界の中にいるザッカードを見たユーディリアは、決して小さくない溜息をついた。 『将軍、本当にお願いね』 『承知しておる。そこの兵は、すっかり歌に夢中になっておって、役に立ちそうもないからのぅ』 ザッカードは、ユーディリアの腕に惚れたというより、歌に惚れたのではないだろうか? 『……話を戻すわ。確実にわたしの好物がくるみだと知っているのは、王妃様。でも、王妃様は基本的に外の人間と親しく会うことはないし、宴なんかの社交の場で、そんな話をするとも思えない方よ』 『えぇと、王妃様とプライベートな会話をするような親しい人物は、国王陛下、ハルベルト王子、そして結婚前からの親友であるジレーサ公爵夫人ですね。自分の読んだ書斎の貴族通鑑が正しければ、ジレーサ領は王都とは随分離れてます』 『ねぇ、待って、ペトルーキオは?』 『ペトルーキオ?』 『昨日、ここで会ったセクリア貴族か?』 ユーディリアは昨日の会話を思い返し、そして、三年前の婚約披露の宴での会話を記憶から掘り起こした。 『王妃様と親しかったはずよ。三年前だって、わたしの話を王妃様から伺ったって言ってたし……』 『じゃが、昨日会った限りでは、別段、恨む様子もなかったがのぅ。まぁ、貴族という輩は流れるように嘘を吐くから信用できんが』 『そうね、貴族も王族も大嘘つきばかりだもの』 歌い続けたベリンダが、五曲目を歌い終え、話し合いはそこで中断を余儀なくされた。 『長い歌をお願いしたけど、それでも足りなかったようね』 ユーディリアはベリンダから主導権を返してもらうと、拍手を惜しみなく贈るザッカードに微笑んだ。 「ありがとうございます。そんなに褒められると照れてしまいますわ」 「本当に素晴らしい歌でした。僕はタイミングが悪くてユーディリア姫様の歌を聞くことができていなかったのですけど、本当にみんなの言う通りでした」 兵達の間でそんなに絶賛されているのか、とベリンダを見ると、彼女もまんざらでもないようで笑みを浮かべていた。 「歌もお上手、剣の腕も素晴らしく、何より民のことを考えていらっしゃる、本当にリカッロ様にはもったいないお方で……あ、僕がこんなこと言ったなんて」 「えぇ、わたし、何も聞いておりませんわ。―――もう少し歩きますけど、お付き合いいただけます?」 失言をあっさりと聞き流し、ユーリは散策を再開した。 四季咲きのバラのアーチをくぐり、白い大理石で作られた東屋の方へと向かう。 (そういえば、向こうのラベンダーはもう散ってしまったかしら?) いつものルートより少し奥まった所のハーブを思い出し、庭園の中の細い道を進む。 将軍の切羽詰まった声が耳に届いたのは、その時だった。 | |
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