10.五里霧中に光は差して「―――そういうわけで、それがわたしの三人の相談役の調査報告書なんです。調査はとっくに終わっていたのでしょうけれど、わたしも初めて結果を見ました」自分の異能が幽霊を見て話すことができること、そして身体を貸すことができること。そして、輿入れ先まで付いて来てくれる三人のことを話す間、リカッロは質問も茶々も挟まず、ただ黙ってそれを聞いていた。 「まぁ、辻褄は合う、な」 カウチの隣に座ったリカッロは、腕組みをして考え込む。 『あーあ、言っちゃった』 『まぁ、いつかは言わねばならぬこととは、思っていたがのぅ』 『でも、言わない方が良かったんじゃないでしょうか。自分は少し心配です』 堂々と目の前で話す三人に視線を移し、大丈夫よ、と小さく笑ってみせたユーディリアは、「おい」というリカッロの言葉に慌てて返事をした。 「いくつか確認したい点があるんだが」 「は、はい!」 「そんなに力を入れなくていい。―――まず、基本的に荒事は、この……バナール・ダナンが身体を動かしていると思っていいんだな?」 「えぇ、基本的には将軍が。あ、将軍は自分の名前が嫌いみたいなので、将軍と呼んでいるんです」 ちらりと横目で見れば、そうそう、と頷く彼の姿がある。 「歌っているときは、このベリンダ?」 「はい、そうですわ」 調書をめくりながら問いかけるリカッロに、ただ頷くユーディリア。 「リッキーは、本を読んでいる時か?」 「えぇ。基本的に人と話すことが苦手のようですので、直接声を交わすことはないと思いますわ」 素直に答えるユーディリアを、ちらり、と見ると、リカッロは小さくため息をついた。 「異能は国外に出さないんじゃなかったのか?」 過去の傷をえぐられるような痛みに、ユーディリアは下唇をきゅっと噛んだ。 「……わたしは、役に立たない『無能』と判断されていましたから。つい最近、それが無能なのではなく、外にあって有用なものだと聞かされましたけど」 調書をポイっとテーブルに放り出したリカッロは、足を組みかえると、眉間を軽く揉む。 「……何で、今、これをバラすんだ?」 「お父様からの指示でしたので」 目を伏せて、手紙の文面を思い出す。 ―――残念ながら、お前の青い花は枯れてしまった。 『青い花』は、レ・セゾン王族の異能を示す隠語。『枯れてしまった』というのは、暴露するということだ。 「……以前、そろそろ周辺国にレ・セゾンの異能を再認識させる必要があるとおっしゃっていたので、手始めに、といったところなのでしょう」 「お前の父親も? どんな異能だ?」 「……異能があることは否定しません。けれど、詳細まではお答えできませんわ」 だろうな、とリカッロは肩をすくめた。 「とりあえず話は分かった。……近いうちに、三人それぞれと話してみたいもんだが」 ちらり、と視線を外したユーディリアは、三人それぞれの返答を聞くと、小さく微笑んだ。 「ベリンダは乗り気です。将軍は、気が向けば付き合ってやらないこともない、と。リッキーはイヤだそうです。やっぱり、リカッロ殿下が怖いみたいです」 「呼び捨てでいいと言ったろ? これは、ちょっとした教育が必要そうだな」 立ち上がったリカッロは、ユーディリアを軽々と抱き上げた。 「え、や、なんですか?」 「お前の相談役に言っておけ、覗き見厳禁ってな」 奥の寝室に運び入れると、ぽいっと寝台に放り投げる。 「お前がオレのことを名前でしか呼べなくなるよう、ついでに他の男を名前で呼ばなくなるように、きっちり教育してやるから安心しろ」 自分に覆いかぶさる黒い目に熱を帯びた光が灯るのを見て、ユーディリアは蛇に睨まれたカエルのように身体を硬直させた。 「どうした? この傷も、この腕も『大好き』なんだろ?」 赤くなった自分の顔を、両手で覆い隠したユーディリアの目の前で、絶対にいつもの意地悪な笑顔を浮かべているに違いない、とそう確信する。 リカッロの手が、いたぶるようにゆっくりと、ユーディリアのドレスの裾から侵入する。 「や、めてください。……リカッロ、殿下!」 「聞こえねぇなぁ?」 リカッロの吐息が耳をくすぐる。それだけでも心臓がばくばくと悲鳴を上げているのに、耳朶を甘噛みされてユーディリアは小さく声を上げた。 「い、や……、リカッロ!」 叫ぶように名前を絞り出すと、耳に熱い物を流し込むように「よくできたな」と甘い声が囁く。 「それなら、もう……んっ」 口を塞がれ、濡れた悲鳴がリカッロの耳に届く。 こいつは全然分かってない、と彼は思う。 いつまで経ってもキスに慣れず、わななくように震えるだけでは、かえって彼の嗜虐心に火をつける結果になるということも。 ―――先ほど、ペトルーキオに言って見せたセリフが、どれだけ彼の心を揺さぶったかということも。 歯列を割って入った口内を舌で犯しつくすと、ようやく唇を解放する。 「ふ、ぁ……」 唇を重ねている間、息を止めるクセのあるユーディリアの口が、空気を求めて喘ぐ。 「ほら、復習だ。もう一回呼んでみろ」 酸欠で少しぼんやりした表情のユーディリアの口が、弱々しく「リカッロ……」と声に出すのを聞いて、彼は満足げに笑みを浮かべた。 「さて、今日は手加減しねぇから、覚悟しろよ?」 抵抗する隙も与えず、リカッロの手が遠慮なくドレスの中に侵入した。 まるで嵐に翻弄される小船のようだ、とユーディリアは、リカッロの荒々しい愛撫を受け止めた自分をそう評した。 いつの間にか眠ってしまったようだが、寝る直前までの記憶はきちんとある。 今は、筋肉のついた逞しい右腕に頭を預けていた。首を僅かに動かせば、カーテンの隙間からうっすらと光が漏れているのが見える。丁度、夜明け頃なのだろう。 寝惚けた頭が、昨夜の記憶を再生する。 結局、自分の異能のことを話しても、彼の態度は何一つ変わらなかった。それがとても嬉しい。 (嬉しい……?) 何でそう思ったんだろう、とユーディリアは首を傾げた。 もし、態度を激変させてしまったら、自分はとても悲しい思いをしたに違いない。でも、どうしてそれが悲しいことなのだろうか。 ハルベルトからバケモノ扱いされた時に沸きあがった感情は、悲しみよりも怒りだった。人の目のある場所で、自分に流れる血、ひいては父親、母親、レ・セゾンの王族全てを馬鹿にされたから。人の目がないところで、例えば、二人きりだったとしたら、別に何も感じなかっただろう。 そうだとしたら、どうして、こんなことで一喜一憂しなければならないんだろう? (そういえば……) リカッロが初めて弱音を吐いてくれたことは、嬉しかった。あれは、頼りにされていることの満足感と思っていたが、それも違うのではないか? 疑問がユーディリアの頭を占有する。 ちらり、と腕枕をしてくれている彼を見上げる。 (こうやって、無防備に寝ているのを見ると、どこにでも居そうな人なんだけど……) 右頬から顎にかけての傷。たくましい腕。 あの時、ベリンダに言われたのは、呼び捨てしちゃえということだけだった。その他は、つい口を突いて出てしまった言葉だ。 閉じられたまぶたの下に、強い意志を秘めた黒い瞳があるのを知っている。鉄錆色の髪が、思ったよりも触り心地が良いのを知っている。その口は意地悪い笑みを浮かべることが多いけど、そのトゲの多い言葉の中に優しさが含まれているのも知っている。 どこか覚醒していない頭で、とりとめのないことを考えたユーディリアは、その衝動の赴くまま、自分の身体を少しだけ持ち上げると、鳥がついばむように、リカッロの唇に自らの唇を重ねた。 ゆっくりと元の位置に戻ったユーディリアは、自分の行動に納得が行ったのか、かすれた声で呟いた。 「……そういうことなのね」 リカッロに対して抱く感情に、名前をつけるとすれば――― 「何が、そういうことなんだ?」 視線を上げれば、どこか眠たそうな黒い瞳が、真っ直ぐにユーディリアを見つめていた。 ユーディリアの頭が、ゆっくりと今の自分の行動をリピート再生し……、ボンッと音が立つほどの勢いで、顔を真っ赤に染め上げた。 「やっ、ちが……」 両手で顔を覆い隠して逃げようとするユーディリアを、リカッロは抱きしめ引き止める。厚い胸板に顔を押し付ける形となったユーディリアの心臓が、ばっくんばっくんと踊りだした。 「もう一度聞こうか。何が、そういうことなんだ?」 耳元から低い声が、まるで毒のようにユーディリアの身体を痺れさせる。うかつにこの感情に名前をつけてしまったためか、冷静さがなかなか取り戻せない。 「や、めてください、リカッロ殿下。―――あぅっ!」 突然、耳たぶを噛まれたユーディリアは、たまらず悲鳴を上げた。 「あれだけ叩き込んだのに、まだ足りないか?」 ユーディリアからは表情が見えないが、絶対にあの意地悪な笑顔を浮かべてるに違いない、と確信する。 「まぁいい、―――それで?」 リカッロの左手が、ユーディリアの手首を掴み、その表情が彼の視界に晒された。 (もう、無理……っ) 羞恥に顔を染め、潤んだ瞳がリカッロをまっすぐに見上げる。 「……わたし、恋愛感情がどういうものなのか、分かったみたい、です」 予想もしていない言葉だったのだろう、リカッロは一瞬、虚をつかれたように瞠目し、すぐに、慌てた様子でユーディリアの細い身体を抱きしめた。 (なん……だ、この可愛い生き物はっ!) どこか幸せそうに、でも不安そうに、そしてどうしていいか分からないと途方に暮れたような表情は、破壊力が強過ぎた。いつも相手にしている商売女とは別の角度から、リカッロの心を射抜く。 思わずニヤけてしまう顔を見られたくなくて、彼女の頭を自分の胸に押し付ける。 (なんだこれ。寝惚けてるのか? いやオレが寝惚けてるのか? それとも夢か?) やたらと王女としての対面を気にするユーディリアにしては、素直過ぎる。嬉しい行動なのだが、非現実的過ぎて、素直に信じられない。 リカッロは朝のひんやりとした空気を肺に吸い込み、頭を冷やした。 「恋愛感情が分かった、ねぇ。―――それなら、オレがアームズ公爵を必要以上に脅した理由も分かるな?」 すると、ユーディリアは黙り込んだ。考え込んでいる間に、肌の赤みが徐々に薄れていく。 (まぁ、理由が分かれば、また赤くなるんだろーけどな) リカッロは大人しく、その解に辿り着くのを待つ。 と、何かに弾かれたように、ユーディリアはリカッロの身体を軽く押しやり、顔を見上げた。 「夫としての、独占欲ですね?」 非常に残念な回答に、リカッロは脱力した。ここは「嫉妬」と正解に辿り着いて欲しかったのだが。 (いや、これでこそ、こいつらしいのか) 「あの、違うのでしょうか?」 「―――近いようで全然遠い。お前の相談役には悪いが、今後、お前が読む本を、甘ったるい恋愛小説に限定するか」 え、それは、困ります、と軽い落ち込みを見せるユーディリアの細い身体を、再び胸に掻き抱く。 「ユーリ」 耳元で囁くように名前を口にすれば、どこか慌てたように胸を押して抵抗を始めた。 「や……っ、くる、しっ……」 「そんなに強かったか? すまない―――」 「そんなに、強いわけではないのですけど……」 「? どういうことだ?」 「さきほどの体勢ですと、わたしの心臓が悲鳴を上げるみたいなんです」 ようやくユーディリアの言うことを理解したリカッロは、再びニヤけるのを我慢する羽目になった。やっぱり、この腕の中の小動物がありえないぐらいに可愛い。 「……そんなに、嫌か?」 「そ、れは、その……イヤ、じゃないです」 俯き、耳を首筋を真っ赤にしたユーディリアは、蚊の鳴くような小さな声で答えを返す。 あぁ、これはもう無理だ、とリカッロは力の緩んだユーリの身体を今度こそ抱きしめた。 「嫌じゃないなら、別に構わないんじゃないのか?」 「え……? でも、心臓が苦しいのは、何かの病気なのでは―――」 「よくあることだ、そのぐらい」 丁度、お腹のあたりで、柔らかい胸の感触と共に、早鐘を打つような震えを感じる。だが、逆にそれは心地良かった。 「それなら、……よろしいのでしょうか?」 「あぁ、構わない」 抵抗をやめたユーディリアの柔らかい髪を、そっと撫でる。 しばらく無言の、けれど決して居心地の悪くない時間が過ぎる。 「ユーリ?」 名前を呼ぶと、「むー」とだけ返事が戻って来る。どうやら、再び眠りに入ってしまったようだった。 (もしかして、半分以上寝惚けてたか?) まるで夢のように素直なユーディリアだった。 ―――元々、レ・セゾンの王女に求めていたのは、国内や周辺国への抑止力だけだった。 (随分、変われば変わるものだ) 自分も。相手も。 願わくば、これが自分の夢ではないように。 リカッロは腕の中にある温かな幸せを、優しく抱きしめた。 | |
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