TOPページへ    小説トップへ    バケモノ姫

 11.孤立無援のバケモノ姫

「―――そうか、鉱山の方も問題ないようで、何よりだ」
 謁見の間、玉座に悠然と座ったリカッロは、鉱山視察を終えて戻って来た使者にねぎらいの言葉をかけた。
 その隣、玉座と同じくらい贅の限りを尽くされた椅子には、ローズレッドのシンプルなドレスに身を包んだユーディリアが、じっと使者を見つめている。
「ユーディリア様も、お変わりないようで、何よりです」
「えぇ、使者はあなたでしたのね、マクラウド卿。城の皆は変わりない?」
「はい、王族の皆様方も、わたくしどもも、特に大過なく過ごしております」
 ユーディリアは、周囲に気取られないように小さく息を呑んだ。隣に座るリカッロだけがそれに気付く。
「手紙にもしたためたけれど、お父様にお伝えして。『青い花のこと、知らせて下さってありがとうございました』と」
 一秒にも満たないほんの僅かな瞬間、使者の目がちらり、とリカッロを見た。
「―――確かに、ご伝言承りました」
 使者の表情が、僅かに和んだように見えたのは気のせいだろうか? 少なくともリカッロにはそう感じられた。
 だが、それを問いただすことなく、謁見は終了し、使者は自国へと帰還して行った。
「それでは、わたしは部屋に戻ります」
 ユーディリアの様子がどことなくおかしいことに気付いていたリカッロは、「オレも一度部屋に戻る」とその後を追った。
 言葉も少なく、どこか避けられているフシがある。
 問いただそうにも、人の目のあるところでは、例の「王女の仮面」とやらが邪魔して満足行く答えは得られないだろう。そう考えたリカッロは黙って二歩先を歩く。後ろにきちんと付いて来ている気配はあった。だが、向こうから話しかけるようなこともない。
 やはり、朝方のあれは夢だったんだろう、と思いつつ、先に部屋に入ったリカッロは、ドアを開けたまま、自分はカウチに身を沈める。
 隣に座れるようにと十分なスペースを開けておいたのだが、予想に反してユーディリアは真っ直ぐに鏡台の前に座った。様子を伺えば、綺麗に結い上げられた髪を下ろし、一つ一つピンを抜いていた。
「なんだ? もう、ほどいちまうのか?」
 声を掛ければ、「少しきつめに結われてましたので、頭が痛いんです」と淡々とした声が跳ね返って来た。
 実力行使で行くか、と腰を上げたリカッロは、櫛を入れるユーディリアの後ろに立った。その柔らかい金の髪を一房すくい上げると、鏡に映ったユーディリアの表情が、強張るのが見えた。
「どうした? 随分緊張しているな」
「そうでしょうか。むしろ、一仕事終えて、気が緩んでいるのだと思いますけれど……」
 小首を傾げたユーディリアだったが、その瞳は油断なく鏡に映るリカッロを見つめている。
(なんだ? ……随分、警戒されているな)
 今日の謁見で、また何か、自分の知らない暗号でも取り交わされたか、と考えたリカッロは、ユーディリアをいつもの通り問い詰めようと、頚動脈に手を伸ばした。
「ひゃんっ」
 鏡越しには見えなかったのだろう、まるで子犬のような声を上げたユーディリアの手が、リカッロの手を振り払う。
 一瞬後、申し訳ありません、と座ったまま身体をこちらに向けて頭を下げるユーディリアの耳が赤くなっているのを目にし、リカッロは自分の思い違いに気付いた。自然と持ち上がりそうになる頬を抑える。
 頭を上げたユーディリアの顎にすかさず指を這わせると、のけぞろうとする彼女の後頭部に片手を差し込み押さえ込む。
「ん……っ」
 非難の声を唇で塞ぐ。驚きに目を見開いたユーディリアは、すぐに観念して抵抗をやめる。しかし、舌を割り込ませると、再び抵抗を始めた。何とか引き剥がそうとしたり、背中を叩いたりするが、やめるつもりはなかった。
 第二の抵抗も薄れ、ややぐったりとした様子を見せたところで、ようやく唇を解放する。
 息を整え、どうして、と非難しようとしたユーディリアが、間近にある黒い瞳に怯み、身体を引く。だが、リカッロはそれを許すつもりはなかった。腕を引っ張り、力づくで立たせると、勢いそのままに抱きすくめる。
「やめ、てください、リカッロ殿下」
「呼び方はそうじゃない、だろ?」
 耳元で囁いてやれば、身体が小さく震えるのが分かった。顔こそ見えないが、首筋も耳も赤く染まっている。
「ユーリ?」
 ダメ押しとばかりに、甘い声で囁く。途端にジタバタと華奢な身体がもがく。
 その行動が小動物っぽいなと思いつつ、ふと、今朝のやり取りを思い出す。
「この体勢だと、『心臓が悲鳴を上げる』のか?」
 リカッロの吐いたセリフに、抵抗をやめたユーディリアが、緩慢な動作で彼の顔を見上げた。上気した顔を隠すことも忘れ、じっと見つめる。リカッロの表情から得られる情報を何も取りこぼさないように、と。
「どうして、そんなことを言うんですの?」
 意外な反応だったが、それが何を示すかを理解したリカッロは、いつも彼女をからかう時に浮かべる笑みを見せた。
「―――最初に言ったのはユーリ、お前だろ?」
 目を丸くしたユーディリアの顔が、見る見る赤く染まる。顔が火照っている自覚があったのだろう、慌てて顔を逸らした。
「そんな……っ、だって、あれ、夢じゃ……?」
 混乱して呟くユーディリアに、リカッロは今度こそニヤける頬を抑えきれなかった。いや、見られていない以上、抑える必要もないのだろうが。
「さて、オレはそろそろ仕事に戻るが、……そうだな、オレとしちゃ、愛する妻からの激励のキスが欲しいかなー」
 俯いたままのユーディリアがぴくり、と震えた。
「今日もキッツい仕事が山積みだからなー、そういうご褒美でもないと、やってらんねぇよなぁ?」
 白々しく言葉を重ねると、俯いたままのユーディリアが「あの……」と弱々しく声を出した。
「その、リカッロ……、少し、かがんでもらえますか?」
 ようやく顔を上げたユーディリアに、珍しく十八歳という歳相応の恥じらいが浮かんでいる。
 頬を染めるその可愛らしさに、思わず襲いかかりたくなる衝動をこらえると、抱きしめていた腕を緩めて、膝を少しだけ縮めた。
 少しだけ緊張した面持ちで、そっとリカッロの頬に手を添えると、首を心持ち傾けて、柔らかい唇を重ねる。
 いち、に、さん、とまるで数えていたかのように三カウントで唇を離したユーディリアは「これで、満足ですか?」と今にも泣きそうな声で呟いた。だが、その顔は、はにかむように微笑んでいる。
(くそっ、何だこの小動物は……っ)
 今まで、目の前の妻の色々な面を見て来たと思ったが、まさかこんな部分を隠し持っているとは、とリカッロは歯噛みする。だが、その表情は、いつのまにか自然な微笑みに変わっていた。
「あの、……リカッロ?」
 まだ呼び捨てに慣れないのだろう、小さな声で呼ばれる自分の名前に、思わず笑みを深める。
「―――あぁ、満足だ。明日っからも、この調子で頼むぜ?」
 そう言うと、え、と狼狽する声に背中を向けて、上機嫌で部屋を出る。今日はとっとと仕事を終わらせて、ユーリで思う存分遊んでやろう、と心に決めた。
―――自分が背にした部屋の中、残された彼女が、混乱しきった頭を抱えて座り込んでいるとも知らずに。知っていたら、きっと容赦しないからな、といつもの意地の悪い笑みを浮かべたのだろう。そういう意味では、ユーディリアは命拾いしたのかもしれなかった。


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