第1話.ハンターというお仕事2.ひなびた旅館の小遣い稼ぎカポーン……風情ある山奥の民宿には、ししおどしが良く似合う。 数ある部屋の一つで、浴衣に身を包んだ女が畳の上に新聞を広げていた。 彼女はふわふわの金髪を無造作にたらしている。まるで磁器人形かと思わせるその端正な顔立ちは、年齢すら曖昧にしてしまっていた。 「ねぇ、リジィちゃぁん。そろそろ仕事に戻ろっかぁ?」 彼女がおっとりと呟いた言葉に、呼ばれた男が振り返った。女によく似た顔立ちをしている。こちらは浴衣を着ることを拒み、黒っぽいシャツを身につけていた。物騒なロングソードを手入れしている最中であるせいか、女のやわらかな印象とは違う、明らかに尖った感じがする。同じ顔立ちでここまで雰囲気が変わるものだろうか。 リジィは彼女の方を見つめると、乱暴に短い金髪を掻いた。 「姉さん、何をいきなり……」 「えぇ~? お仕事に戻りたくないのぉ?」 「だいたい、姉さんがいきなり三ヶ月ぐらい休もうって言ったんじゃないか」 「だってぇ、エレーラ・ド・シンが怪盗稼業を休むって言うんだもぉん。宿敵が休むならぁ、私達だってぇ、休まないと不公平じゃない~?」 (宿敵って思ってるのは姉さんだけみたいだけどね) 心の中でため息をつきながら、弟は「はいはい」とやっつけ返事をする。 「それでぇ、考えたんだけどぉ……エッフェの町に行こう?」 「えぇ? なんであんな面白くもない所に行くのさ……」 仕事のタネになりそうもないような、とぶつぶつ呟く弟に、姉が新聞を指さした。 「ほら、これ。見てみたくなぁい?」 リジィは「最高級スタールビー 王室に献上か?」と見出しの入った記事を読んだ。 「見てみたいよね?」 記事の内容はエッフェの町にある極上品のスタールビーがルグラン王室に献上されるということが書いてある。ただし、上層部の一部の人間の利益がからんで、王室がこれを機に取り上げようとしている「かもしれない」とも書いてある。 「……エレーラ・ド・シンが狙いそうなエモノの気もするけどね」 もうすぐ3ヶ月だし、と呟くリジィの言葉を鋭く拾い上げて、姉の方がいっそう脳天気な声をあげた。 「だったら、一石二鳥じゃないのぉ。早速ぅ、明日出発ね?」 「……あぁ、はいはい」 気のない返事をするところを見るに、どうやらリジィはこの姉には逆らえないらしい。 「そうと決まれば、……温泉に入りおさめっ!」 慌ただしく『ディアナ』と名前が刺繍されたタオルを取って、彼女が部屋を出る。 「入り口の段差に気をつけなよ? 姉さん昨日もつまずいて、……やったよ」 弟の忠告もむなしく、ディアナは入り口の引き戸を開けたところでけつまずいた。 だが、それだけでは済まなかった。よろけた先で、不幸にも廊下を歩いていた男性にぶつかってしまったのだ。 襟元に小さな入れ墨をしたその男がギロッと彼女を睨み付ける。 「あ、すいません。……ほら、姉さんも謝って」 慌てて駆け寄る弟とは対照的に、ディアナはコワモテの男に寄りかかったまま、その顔を見上げて微動だにしない。 「……あれぇ?」 首を傾げて、その容姿にお似合いのかわいらしい声を出す。 「すいませぇん、どこかで会ったこと……ありましたっけ?」 怖い顔に物怖じせずに尋ねる姉。男の方はやや驚きながらも「ねぇよ」とディアナに凄む。 「姉さん、何言ってるんだよ。ほら、ぶつかったこと謝らなきゃ」 もたれかかったままの姉のからだ身体をまっすぐに立てて、すいませんね、とリジィが頭を下げる。 と、突然、ディアナがぽむっと手を叩いた。 「えぇっとぉ、お名前、ファブ・パラポジアとか言いません?」 口にした名前にぎょっとした男を見て、ディアナは「わぁい、当たったぁ」とぱちぱち手を叩く。 彼女はそのまま男の着ていた浴衣の裾を掴むと、弟の方に振り向いた。 「あのねぇ? 連続強盗殺人犯で指名手配ランクCのぉ……」 「姉さん、危ないっ!」 カシィンッ! 手入れしたばかりのロングソードが、ディアナに向かって振り下ろされようとしていた小刀を受け止めた。 リジィはそのままディアナをパラポジアから引きはがして臨戦体勢を整える。 「まさか、こんな所でハンターと遭遇するとはなぁ……」 パラポジアは不敵に笑う。だが、その顔に余裕の色はない。 「ここで会ったのも何かの縁だ。おとなしく捕まれよっ!」 気合いをこめて、リジィは小刀を跳ね上げた。 元々、小刀でロングソードを相手にするのも無駄と悟っていたのか、パラポジアはあっさりと小刀を手放し、一目散に逃げ出した。 「逃がすかっ!」 追いかけるリジィ。逃げるパラポジア。 やたらと曲がり角の多い板張りの廊下がぎしぎしと悲鳴をあげている。 「ルイ! ハンターに見つかっちまった。逃げろ!」 パラポジアが大声をあげると、呼んだ相手ではなく他の湯治客がわらわらと様子見に顔を出した。 ―――が、皆一様に、ロングソードを持った男に追いかけられる人相の悪い男の図に、すぐさま逃げるようにきびすを返した。 「ちっ、逃げ足の早いっ……!」 残念ながらリジィの手に飛び道具はない。元々ロングソードを持って出ていたこと自体が奇跡のようなものだったが。 (……これだっ!) リジィの目の端に映ったのは回収を待つ酒ビン。それをひっつかみ、彼は直線の廊下を待って投げつけた。 僅かに底に残っていた液体がこぼれてきらめきつつ、ビンは先を行くパラポジアの右肩にすい込まれるように当たる! ゴトン、とにぶい音とともに床に落ちるビン。 だが、パラポジアの足は止まることなく走り続ける。迷うことないその様子から先ほど名前を呼んだ仲間のいる部屋へ行こうとしているのだろう。 (合流されたら、厄介だよなっ) 弾む息の中、リジィは何かいい方法はないかと思案し――― 「よいしょぉっ!」 かわいらしい掛け声が聞こえたかと思ったその瞬間、前を走るパラポジアが盛大にすっ転んだのが見えた。 「……っとと」 慌てて急ブレーキをかけると、そこには手伝ってくれた仲居さんに礼を言う姉の姿があった。その手に浴衣の帯があるということは、……まぁ、その通りのことをやったのだろう。 「リジィちゃん、今がチャンスぅ!」 「分かってる!」 起き上がろうとするパラポジアの背中を、ぐいっと全体重をかけて踏みつけたリジィは、そのまま彼の顔の横にロングソードを突き出した。 「おとなしくしておけば、命までは取らない」 荒い息遣いの中でそれだけを勧告する。 「きゃー、リジィちゃん、かっこいいわぁ」 パチパチと姉を含む周囲から拍手があがった。 「姉さん、こいつ仲間がいるみたいだから―――」 「はぁい、それじゃぁ、そっちはもらうわねぇ?」 くるりと仲居さんに振り返って部屋を尋ねる姉を見ながら、リジィは取り押さえたパラポジアの右腕をくいっと曲げる。 「んがっ…!」 「よくも、姉さんに手ぇ出そうとしたな」 姉に聞こえないぐらいに低い声で囁く。次の瞬間、パラポジアの腕がコキッと外れた。 「それじゃぁ、リジィちゃん、それはよろしくぅ~」 浴衣姿の姉が、先ほどの帯を片手にパタパタと走り出す。こんな時ぐらいはスリッパを脱げばいいのに、と見送る弟は呟いた。 「くっ、三文ハンターが。あんな女をルイにぶつけるたぁな……」 苦しげに、それでも嘲笑を浮かべるパラポジアに、リジィの容赦ない拳が飛ぶ。 「左腕もイッとくか?」 「……はんっ! 浴衣にスリッパで何ができる」 「減らず口はおさまんないな」 本気で左腕もやろうかと思ったその時、廊下の向こうから近付く影に気づいた。 「丁度いいや、その目で確かめてみなよ」 パラポジアに跨ったまま、リジィは人影の方へ頭を向けさせた。 「なっ……!」 浴衣姿にスリッパ、ついでにふわふわの金髪の女性がパタパタと歩いてくる。その後ろでズルズルと引きずられているのは――― 「ルイッ!」 どうやらお仲間で間違いないようだ。 「アニキぃ……。このアマ、やたら強いんスよぉ」 「ひっどぉい~。『このアマ』って言われたぁ~」 仕返しとばかりに、彼女は履いていたスリッパを手に取り、スパンッと頭を叩いた。 ―――その日の鄙びた温泉での捕物は、地方紙の三面記事をおおいに賑わせた。 | |
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