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第5話.橋のある川

 3.AAA(トリプルエー)


 その日、スリフリカタリ亭は滅多にない盛況ぶりだった。
 元々、2階が宿になっているここの食堂は旅の人が利用することは多い。旅芸人のように、さらなる客を呼び寄せる泊り客もいなかったわけではない。ただ、今日の客は、別の意味で食堂に客を呼ぶ客だった。
 彼女は食堂の隅のテーブルでお茶を飲んでいるだけだった。吟遊詩人のように歌を奏でるわけでもなく、ただ、そっとお茶を飲んでいるだけで、少なくとも、ここに座ってからはお茶しか頼んでいない。
 だが、彼女のテーブルには何故かケーキやらクッキーやら、別のお茶やらがずらりと並んでいる。
(ま、儲かる分にゃ、全然構わないんだけどね)
 食堂を一人で切り盛りする女主人が笑みを浮かべる。食事時以外は閑古鳥の鳴くこの店では願ったり叶ったりだ。たとえ、さっきから老若男女問わず彼女と話すきっかけに何かを注文していようとも。
 彼女はそんな様子を何とも思わないのか、まったりとお茶の時間と決め込んでいる。
 ふわふわとした金髪に磁器のような白い肌、着ている服はひらひらと布の多いワンピース。そこに可愛らしい声、とくれば是非ともお近づきになりたいと思う人間もいるのだろう。
 前に彼女の向かいに座った男はケーキ2人分を頼んだ。
 その前は女の子二人連れが紅茶とクッキーで彼女に話しかけた。
 そして、今は―――
「まぁ、そうなんですかぁ~」
 ほやほやとした声で相槌を打つ彼女の向かいには、遠くの町にいる孫を自慢する老人が座っていた。漬物と番茶で行くあたり、なかなかのチャレンジャーである。
「ねぇ、オバさん。あの子って、もしかして―――」
「前に来たアニタとサリーがアンティークドールがどうとかって話してたけどね」
 女主人に話しかけて来た女の子は「やっぱり!」と感激する。
「アンティークドールの専属モデルよ! ハンターと兼業でモデルやってて、アンティークドールの中でもあの子のシリーズがあるんだからっ!」
―――アンティークドールというブランドがある。主に中産階級から貴族階級をターゲットにしたそのブランドは基本的にフリルたっぷりのビスクドールのような服ばかりである。縁あって旅する広報塔となっているディアナは、一部の女の子には憧れの目で見られていた。
「あの子、あの子っていうけどさ、実際はいくつぐらいなのさ」
「そこが分からないところがいいんじゃない! 永遠の少女! すてきだわ~」
 きゃいきゃいと喜ぶ彼女の視線の先で、老人が席を立った。どうやら話すだけ話して満足したらしい。
「んで、どうすんだい? 行くのかい?」
「え~、どうしよう~……」
 迷う彼女の近くには同じように迷っている男が数名。
「よう、頼まないんなら、先にいいか」
 そう言って入って来たのは、たくましい身体つきの男だった。
「お茶あるか? 甘ったるくないやつがいいんだけど」
「あいよ、緑茶でいいなら」
 それでいい、という男の言葉にすぐさまトレイと急須、そして湯のみが差し出された。
 男はポケットから取り出したコインと引き換えにそれを受け取ると、まっすぐに渦中の彼女の方へ歩いて行く。
「あ~、お帰りなさぁい~」
 微笑みを浮かべて手を振る彼女の姿に、カウンター近くにいた数名の男女ががっくりと肩を落とした。
「よぉ、ディアナ。……なんかすげぇことになってるな」
 テーブルの上には紅茶ポットが複数とケーキ、クッキー、そして先ほどの老人が残して行った漬物が並んでいた。
「いろんな人が話しかけてきてくれたのよぉ~」
 その言葉に、カウンター近くでまごまごしていた人々を思い出し、フェリオが苦笑した。
「なんだ、人気者だな。女も居たみてぇだが、ありゃ、なんだ?」
「あぁ~、アンティークドールのねぇ、新作の話よぉ~」
 優雅にティーカップに口をつけるディアナ。どうやらアンティークドールの専属広報塔となった際に言葉遣いから作法をキッチリ叩き込まれたというのは本当のようだ。
「じゃ、いつもこんな感じか?」
「いつもはリジィちゃんと一緒だからぁ、あんまり話しかけては来ないわねぇ~」
 そっとクッキーに手を伸ばす彼女を、フェリオが見つめる。
(ったく、こればかりはリジィに感謝しねぇとな)
 この姿のままで一人でハンターとして動いていたなら、ライバルが増えていたことは間違いない、と思う。
「そんで? 収穫はあったんだろうな」
「もちろんよぉ~。でもぉ、とりあえずリジィちゃんが帰って来てから話すわ~。……ところでぇ、すっごく気になるんだけどぉ~」
 それまでとは明らかに質の違う笑みにフェリオがたじろいだ。
「な、なんだよ」
「呑み屋のお姉さんにぃ、何かされたぁ? すっごく香水の匂いがついてるんだけどぉ~」
 にこにこと笑みを浮かべるディアナの前で、慌ててフェリオが自分の服の匂いを嗅ぐ。だが、鼻がその匂いに慣れてしまっているのか、特に何も感じなかった。
「あぁ~、ひっかかったぁ~。別に何も匂わないわよぉ~?」
「げ、そういうことかよ」
 ガラにもなくうろたえてしまった自分を恥じるかのように、フェリオは緑茶に手を伸ばす。そして、ふと気づいた。
「なぁ、ディアナ」
「なぁに~?」
「何か、不機嫌じゃねぇか?」
「……そうかしらぁ~?」
 自覚しているのかしていないのか、ディアナは首を傾げる。だが、先ほどから一度も笑みが崩れていない。
「何かあったのか?」
「ん~……。別にないわよぉ?」
 ディアナはクッキーを頬張る。
 なんとなくフェリオも近くにあった漬物に手を伸ばした。
「あ、リジィちゃんだ~」
 こっちこっちと立ちあがって手を振るディアナに、女主人と話していたリジィが空のティーカップだけを持って来る。
「何か、すごい人気だったって? あのテーブルの人と知り合いなら注文するだけ無駄になるって言われたよ。……あれ?」
 ディアナを一目見るなり、リジィは不思議そうな声をあげた。
「どうしたのぉ~?」
「どうした?」
「えーと……」
 リジィはじっと姉の顔を見つめる。そして、ポットを取り上げ、何気なく自分のカップに紅茶を注ぐその動作に紛れてつぶやいた。
「姉さん、何かあった? すっごく機嫌悪そうなんだけど」
「……」
「……」
 思わず顔を見合わせるディアナとフェリオ。
「あ、クッキーもらうね」
 返事も待たずに、パリ、と音がする。
 フェリオに噛みつくわけでもなく、もぐもぐとクッキーを頬張るリジィも、いつもとは違う感じがして、フェリオは首を傾げた。
「なんだなんだ~? お前ら二人ともブルーになってんじゃねぇの?」
「……うん、そうかもね。もしかして、姉さんもどっかで聞いたのかな」
 リジィは紅茶を口に含んだ。ディアナは弟の意図が読めず、いたずらにスプーンで紅茶を掻きまわす。
「リジィちゃん?」
 言葉を飲み込む代わりに紅茶を飲み下した彼は一言だけつぶやいた。
「……アイヴァンのこと」
 カチャ、とディアナの持つスプーンが音をたてた。
「そんなに広く出まわってる噂話なのぉ~?」
「いや、僕の場合はちょっと情報料に値が張ったからだと思う。行った店のマスターも誰にも話せないって言ってたし」
 まさか情報料がヒゲヅラのほっぺにチュ、とは言えない。
「そっか……」
 落ち込むディアナとリジィの様子にどうしたもんか、と考えあぐねるフェリオ。完全に蚊帳の外だし、アウトオブ眼中だし、孤独だった。だが、直球で「アイヴァンがどうしたんだ?」とは聞けない。彼もBBTにかかったおかげでAAAにはかからなかった一人だが、それでもAAAの猛威とアイヴァンをめぐる様々な騒ぎは目にしていた。
(……AAAで誰か亡くしてるってところかな)
 黙り込んでしまった二人を前にフェリオはそう位置付けた。

「んで、オレはお邸の私兵がハバきかせてるってこと、ハンターの仕事がないってことは聞いた」
「仕事に関しては僕も聞いたよ。あと、私兵にハンターがリンチ受けたこともあるみたい」
「うわぁ、恐いわねぇ~」
 結局、食堂では話がしにくいということもあって、ディアナとリジィがとった部屋にフェリオを呼びつけ、下から運んだ夕食を囲んでお互いの成果を報告し合うことになった。
「でもぉ、ちょっとまずいかもねぇ~。ここまで私兵がいるとなるとぉ……」
「そうだね、ハンターに対する警備募集は来ないだろうね」
「うぅん、それならまだいいんだけどぉ。最悪のパターンとしてぇ、いっさい情報が漏れないかもしれないわぁ~」
「あぁ、なるほどな。自分とこだけで何とかなるんだったら、何もエレーラの予告状があったなんて吹聴はしねぇわな」
 フェリオがハンバーグをフォークで刺しながら納得する。
「そういうことか。確かにそれはあり得るね。エレーラの予告状なんて、自分が後ろ暗いことしてるっていう証拠みたいなもんだし」
 キャベツのスープをずずっとすするリジィ。
「でもぉ、どこかには兆候が出るはずだからぁ、見逃さないようにしないとねぇ~」
 ディアナはつけ合わせのセロリを口に頬張る。
「つまり、エレーラがここに来るのは疑わないってことだな」
 フェリオのつぶやきに「そんなわけないでしょぉ~」とすぐさまツッコミが飛んだ。
「情報を疑うなら別の町に行けば? 誰も止めないから、安心してよ」
 もぐもぐと口を動かしながらリジィも冷たく言い捨てた。
「おいおい、そんなんじゃねぇよ。……お前らはずっとこうやってエレーラ追って来たんだろ? だったら信用できるさ」
 つーか、他に手がかりねぇし。そうぼやくフェリオに、姉弟はやれやれと肩をすくめた。


「やっぱりぃ、おかしいわよねぇ?」
 先頭きって歩くディアナに「そうだね」と半歩後ろのリジィがうなずいた。
―――朝、窓から外を覗いたディアナが見まわりが多すぎることに気づいた。それはお邸の私兵だった。一見するとただうろついているだけだが、いかんせん、数が多すぎる。
 朝ごはんを食べに下りた食堂で、それは確信となった。明らかに不安そうな様子の女主人に背を向け、3人はこうしてハンターギルド加盟店へと向かっている。
 もちろん、有益な情報など回っているハズもないだろうが、腐ってもギルド加盟店の主人ならば、異変の予測ぐらいはできるのではないかと一縷の望みをかけて。
「おはようございますぅ~」
 ドアを開けると、ヒゲの主人がすぐに応対に出た。
「あれ、昨日のコやないか。二人は新顔やね」
「お邸からぁ、依頼流れて来てませんかぁ?」
 ディアナがぱたぱたとカウンターに近付く。
「依頼? 来るわけないやんか。……たとえ何があったって、自分らで何とかするような連中やし」
 やっぱり、とうなずく一同。
「おはようございます。今日の私兵の動きについて、もし、何か知っているようであれば、教えて欲しいんですけど」
 リジィは少しばかりディアナを店主から遠ざけ、代わりに自分が前に出た。この店主に限って言えば、姉が前に立つのは逆効果だと知っているからこその動きである。
「そやね、昨日サービスしてもらったし、アンタになら話してもいーか」
 サービスって何?という姉の視線を感じつつ、「お願いします」とリジィは頭を下げた。
「確証はないねんけどな、前にも似たようなことがあったんよ。―――あんときは、ヤードのスパイが入ってるっていう話やったけどな。今回も似たようなもんやろ」
「つまり、厄介な相手がこの町に来ている、という情報を掴んだ」
 リジィの言葉に「そやね」と答える主人。
「……姉さん、どう思う?」
「え? お姉さんなん? いややな、そう言ってくれたらよかったんに。アンタの姉さんやったら、おれにとっても姉さんやんか。なんでも聞いてやー」
 と、いきなり気さくにディアナに話しかける店主。ディアナは冷たい目でちらりと弟をみやると「あ~、助かりますぅ」と店主に向き直った。
「さっそくですけどぉ、前回ヤードのスパイが来たときの話、もう少し詳しく聞かせてくださいますぅ~?」
 一歩踏み出し、弟の足をぐりっと踏みつける。それも予測の範囲内だったのか、リジィはちらとも顔に出さず耐えた。
 隣でフェリオが一連の流れを気の毒そうな表情を浮かべて見ていた。
 
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