第9話.シンデレラの涙2.その背中、見納めにつき『今度の満月の夜、魔法がとける時刻にお伺いいたします。 つきましては、教団の所有する「シンデレラの瞳」は、もうないものと思っていてください。 怪盗エレーラ・ド・シン』
「えぇい、クソいまいましいっ!」 セルフストリーム本部の前で悪態をつく男がいた。年の頃は四十を過ぎているだろう彼は、ヤードの制服を身にまとっている。 「警部、落ちついてください」 隣に立つ若い男の声も耳に届いていないようで、ひたすらに壁を蹴りつけていた。 「アンダースン警部ぅ? どうかなさったんですかぁ~?」 近寄りがたい雰囲気もなんのその、そこに声をかけたのはディアナだ。 「んん? おう、姉ちゃんキーズか」 悪態を呟く口を閉じ、振り向いたアンダースン警部は、その後ろにいる二人の男に驚いた表情を向けた。 「弟キーズに、ドナーテルさん。……なんじゃい、三人で行動しとるんか?」 「とりあえずぅ、協力してエレーラを追うという話になったもんですから。……不本意ながら」 答えたのはリジィだった。対して「どうも、お久しぶりです」と、あいさつだけに止めるフェリオ。 (なんじゃ、結局、弟キーズの警戒は強いままかいな) アンダースンは心の中で呟く。もちろん、表情に出すまでのヘマはしなかった。 「それでぇ、そちらの若い子はぁ、新人さんですかぁ?」 「はい、自分はアンダースン警部の元で研修中のアレクセイ・ピエモフといいます」 真面目を絵に描いたような姿勢で答える彼は、じっとディアナを見つめる。 「……どこかで、お会いしませんでしたっけ?」 「え? 私かしらぁ? ……仕事中にナンパしていいのぉ?」 「いや、そういうわけではなくて―――」 「そっかぁ、私ってぇ、ナンパする価値もないのかしらぁ?」 「あの、そんなことないです。その、とても、その、魅力的だと思います」 慌てて弁解を口にするアレクセイ=スワン。 「姉ちゃんキーズ。あんまり若いのをからかわんでくれ。……あぁ、この三人は、ハンターでな、右から―――」 「ディアナ・キーズさん。リジィ・キーズさん。フェリオ・ドナーテルさんですね。エレーラを追っているハンターの中では有望株と聞いています」 すらすらと三人の名前を並べたスワンは三人とそれぞれ握手をかわした。 「ええっとぉ、それでぇ、アンダースン警部は何を怒ってたんですかぁ? ライフストリームに行ったんですよね?」 ディアナの言葉に、それまで穏やかだった警部の顔が一転して険しくなった。 「そうじゃっ! あんのアホンダラ教団が、ヤードの警備を拒否すると言うて来おった!」 「大丈夫ですよ。ハンターすらお断りですから」 突如、会話に割り込んできたのは、誰であろう――― 「おんどれ、まだおったんか!」 「いやぁ、ディアナさんたちを待っていたんですよ」 ダファーがにこにこと三人の方を向いた。 「ヤードだけじゃなく、ハンターもお断りって、どういうことなんだ?」 「教団本部――彼らは総本山と言っていますが、そこに入れるのは信者だけで、特例はいっさい認められないということです」 「……つまり、入信しろと?」 「はい。入信するだけであれば、いくつかの戒律を守り、総本山で暮らすだけでよいのですが、還俗、つまり脱退しようとすると―――」 「百万イギンの後布施がいるとぬかしおった!」 アンダースン警部が「ぬがぁっ」と壁を蹴る。白い壁にはすでにたくさんの蹴り跡が並んでいた。 「百万かぁ、払えないこともないけどぉ、ちょっとイヤねぇ~」 「そもそも、エレーラに狙われるってこたぁ、怪しいってことだろ? 誰がそんなところに入るかっての」 「でも、そうすると外回りだけってことになるよな。……ダファーはどうするんだ?」 「……わたしですか?」 リジィにふられ、きょとん、とするダファー。 「あの資料があるってことは、何らかの方法で中に入ったってことじゃないのか?」 「あぁ、あれですか。確かに中には入りましたけど、正攻法とは言えませんし……」 と、全員に注目されていることに気づき、ダファーはため息をついた。 「―――まぁ、仕方ありませんね。脱退したがっている信者と渡りをつけまして、信者の正装を貸していただいたんですよ」 ダファーはちょいちょいっと教団本部の門を指差した。門番に断って出入りする者はみな、真っ白なローブに身を包んでいる。 「正義新聞の者だと言いましたら、その方は喜んで迎えてくれまして、いろいろと便宜をはかってくれたんですよ」 「……それは、正義新聞に悪事を暴かれれば、脱退金がいらなくなるってことか?」 フェリオが呟く。 「さて、それは記事のデキによりますね。あとは向こうの対応ですか。……ですから、それをアテにして入信するのは止めておいた方がいいと思いますけど」 「つまり、おんどれは悪事のしっぽを掴んでおきながら、あえてエレーラがやるのを待つというわけかいな」 地獄の底から響くようなアンダースン警部の声に、ダファーがあとずさった。 「部数を伸ばすにはそういうやり方の方がいいんですよ。ヤードと違って『営利商売』ですから」 警戒しつつもにこにこと笑みを崩さないダファーに、とうとうアンダースンの堪忍袋の緒がぷちん、と切れた。 「とっとと証拠を出さんかいっ! 何人たりとも、ヤードに協力する義務が―――っ!」 それまで黙って傍観していたスワンがとっさに警部の口を押さえた。 「警部、ここで騒いだら中に聞こえてしまいますっ! 自分たちの仕事は、エレーラの対策であって、怪しい宗教団体の告発までは権限がありませんっ!」 しばらくもがもがと何かを言おうとしていたが、大きく深呼吸して、落ちつく気配を見せた。 「まぁ、ええわい。……こんなのに構っとるヒマはないわい。ほれ、支部に戻って警備網を作るぞっ!」 「はい、警部。それでは、みなさん。失礼します」 バカがつくほど丁寧にお頭を下げ、アンダースン警部の後ろについて去るスワンを見て、ぽつりとリジィが呟いた。 「……姉さん。あぁいう感じが好みだったよね」 「えぇ~? それはぁ、確かにかわいいとは思うけどぉ~」 「なにっ! ディアナの好みはあんななのかっ!」 フェリオが慌てて目を凝らす。 「でもぉ、やっぱり……、もう少し歳とったらぁ、兄さんみたいになりそうだしぃ~」 警視正を勤める兄弟子を引きあいに出して、ディアナはため息をついた。 「さて、では、ディアナさんをお借りしますね」 「あれぇ? もう? だって、予告の時間ってぇ、真夜中でしょぉ~?」 「今回のターゲットは手ごわいんですよ。それに、エレーラの来る時間には終わらせたいでしょう」 「ん~。それもそっかぁ。フェリオと行動してぇ、目の前でかっさらうのもアリだけどぉ~」 「おいおい、俺かよ」 「リジィちゃぁん? フェリオの足引っ張ってねぇ? 隙をついて自分で捕まえてもいいけどぉ~」 何気にひどいことを言うディアナ。 「……それは、僕にフェリオと一緒に行動しろってこと?」 「だってぇ、見取り図からしてぇ、エレーラが突破しそうな壁っていうのは~」 ディアナは封筒から見取り図を取りだした。 「……う~んとぉ、一つとも言いきれないわねぇ?」 別行動でも構わないかなぁ~、と首を傾げて見取り図を見るディアナ。 「二人で決めてねぇ?」 封筒ごとリジィに渡して、ディアナは丸投げする姿勢をとった。 「姉さん。僕にこれ渡しちゃっていいの?」 「私はぁ、頭に全部いれちゃったからぁ、必要ないのぉ」 「……」 リジィは姉の記憶力に改めて舌を巻いた。 「わかった。じゃぁ、姉さんも気をつけてね」 「は~い。それじゃぁ、運が良ければ、また夜にねぇ?」 手を振って去るディアナとダファーに、ぽつり、とフェリオが呟いた。 「まさか、あの二人がデキてるってわけじゃねぇよな」 「……姉さんは、彼氏ができたら喜びまくってふれまわるタイプだと思うけど」 ![]() 「……なんか、改めて見ると、すごいわね」 隣にはダファーしかいないとなると、ディアナ=エレーラは、がらりと口調を変えた。目の前には真っ白な門と白いローブの門番、そして門の向こうにはホワイトライオンの像が立ちはだかっている。 「ここで驚かれても困ります。中に入るまでは少し抑えてください」 隣のダファーも白いローブを着ている。もちろん、エレーラもだ。下にはいつもの黒装束を来ているため、さすがに暑いらしく、ローブの裾でパタパタと風を作っている。 「それで? まさか白いローブだけでノーチェックってわけじゃないわよね」 「もちろん。毎月変わる『祈りの文句』を門番に唱えないといけません」 「ふぅん」 エレーラは先ほど渡された『聖典』をぎゅっと握りしめた。 「とはいえ、わたしが言いますから、構いませんよ」 言うなり、すたすたと門番の方へ歩み寄るダファーに、エレーラはぴたりと着いていった。 門番が二人を見つけ、無愛想なまま口を開いた。 「……人の夢は」 「はかない」 「人の為とは」 「すなわちにせもの」 「ゆえに我らは」 「手をとり歩もう」 まるで謎かけのようなやりとりに、エレーラがこみあげる笑いを慌てて堪えた。 見れば門番はすでに道をあけている。 その前をエレーラが通り過ぎようとした瞬間、声がかけられた。 「……人の言葉を」 予想外の事態にぎょっとした時、聖典の裏表紙の文字が目に入った。 「信ずるものが我らなり」 慌てて口にすると、門番は何も言わず、二人を見送った。 無言のまま進み、ライオンの像の前でようやくエレーラが息を吐いた。 「……持っててよかった」 「ほんとにその通りです。さすがにわたしも焦りましたよ」 「それで、―――どこに行くの?」 「これから祈りの時間ですから、そこに紛れ込みます。その後でしたら、いくらでも自由行動できますよ」 「そっか。いやな宗教の教祖にお祈りを捧げないといけないわけね」 エレーラは皮肉な笑みを浮かべた。 「―――話は変わりますが、あのヤードの新人ですが」 「アレクセイ・ピエモフくん?」 「そうです。もしかしたら、何かを感付いているのかもしれませんね」 「そうね。キャリアだし、侮っちゃいけないかも。……でも、アンダースン警部の所にいるのも、あと少しよ」 「下手に警視正付きになられても困ります」 「……それはちょっとマズいわね」 エレーラは軽く考え込む仕草を見せた。 「まぁ、またそのときに考えればいいわ。……それより」 スワンの話をする時とはうってかわった厳しさでエレーラが問う。 「リジィちゃんに何か言った?」 「……いいえ、何も?」 「嘘つき」 「嘘はついていませんよ。むしろ、向こうから『何も知らない』と言われました」 「……」 「もう、いい加減にしてもいいんじゃないですか? このままどっちつかずでいられても、困るのはリジィさんとわたしですし」 「何か困ってるの?」 「あなたが、こちら側に寄ってくだされば、わたしの仕事も減るっていうものです」 「そうね。一応、考えておくわ」 「三ヶ月の休養期間で、弟くんをシゴいたのは、てっきりこちらに専念するためだと思ってましたのに」 「違うわ。あたしがどうなっても、一人で生きられるようにしたかっただけ」 「……それは困りますね。あなたあっての正義新聞ですし、それに、リジィさんのためにこの仕事がやりにくくなってるじゃないですか」 「そうね。でも、リジィちゃんに捕まるなら本望だわ」 「……」 「さ、いくわよ」 二人は祈りの間に向かう人の群れの中に自然に溶け込んでいった。 | |
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