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第9話.シンデレラの涙

 1.灰かぶりと愉快な仲間たち


 人が一人で住むには広すぎるその部屋には、机が二つだけあった。あとは、まるで山のように、紙が所狭しと積まれているだけだ。
「ようやく、しっぽが掴めた。まったく、世話かけさせてくれるぜ」
 男の声が響いた。
「よかった。待ってたの。悪人ほど用心深いとは言うけれど―――」
 女の声がそれに答える。
「ターゲットはどれがいい? お前が決めていいぞ」
 男は女に向かって一枚の紙を差し出した。何かのリストのようだ。
「じゃぁ……」
 女が指差したものに、男の口が笑みの形になる。
「なるほど、おあつらえ向きだな」
「やっぱり、そう思う?」
「あぁ。あいつが先行しているから、合流して詳しい情報をもらえ」
「はいはーい♥」
「しくじるんじゃないぞ」
「いつものセリフね。大丈夫。しくじっても、あなたに迷惑はかけないようにするわ」
「別に迷惑の一つや二つ、問題ないさ。共犯を切り捨てるわけにはいかないだろ?」
「ふふっ、共犯ね。……ありがとう。覚えておくわ」
 その言葉を最後に、女の気配が消える。
 残された男は、自分の本来の仕事に戻るため、紙の山に向かった。


「そういえばぁ、フェリオぉ~?」
 何故か沈んだ面持ちで歩いている弟を視界の端におきながら、ディアナが声をかけた。
 ちょうど、弟をダシにストーカーを逮捕してホクホクと歩く彼女はまさに鬼畜だ、と思っていたフェリオは、慌てて自分の心を打ち消して「なんだ?」とことさらに何でもないように返事をした。
「どうしてぇ、ここにいるのかしらぁ?」
 ぐさり、と軽く胸をおさえたフェリオは、偉いかな、それでも歯の浮くような答えを口にした。
「そりゃぁ、もちろん。ディアナと一緒にいたいからに決まってるじゃねぇか」
「……じゃぁ、エレーラの情報とは関係ないのねぇ?」
(訂正。やっぱ鬼畜だ)
 心の中でそう呟いたフェリオはわざとらしく大きなため息をついた。
「そんなつれねぇこと言うなよ。同じエレーラを追う身じゃねぇか」
「……うん、考えたんだけどねぇ? フェリオと仕事場がカチ合うようになってからぁ、一度もエレーラと渡り合えてないんだけどぉ~」
「いや、それは俺に言われても」
 困ったな、と顔をかくフェリオと沈んだ表情のリジィが一瞬だけ目を合わせた。
(助け船いるか?)
(……できれば、頼みたい)
 そんな感じで目で会話をしたかどうかは定かではないが、リジィが声を上げた。
「姉さん。それはちょっと違うと思うよ」
「そ~お? でもぉ……」
「ダファーの仕事を受けるようになってからだよ」
 前の仕事のショックから立ち直りきっていないだろうに、ダファーをこきおろすチャンスを見逃さないリジィ。
「……ん~? そうかもぉ?」
 むむむ、と考え込むディアナに、フェリオがほっと胸を撫で下ろした。
「エレーラか。……そういえば、エレーラとディアナって直接渡りあったことはあるんだよな?」
 ディアナは「もちろんあるわよぉ?」と答えた。
「リジィはその場にいたのか?」
「うん。あの時は姉さんと見回りしてたから。……誰かさんがひっつくようになる前までは」
 皮肉はさらりと聞き流し、フェリオが「どうだった?」と尋ねた。
「フェリオぉ? エレーラが今も活動してるのにぃ、そういうこと聞くのぉ?」
 取り逃がしたに決まってる、とぷんすか怒るディアナ。
「いや、俺がエレーラと交えたときも、リジィは見てたんだよな。比べてどうよ?」
「え? 僕?」
 まさかそういう質問だったとは思わず、驚いた様子のリジィに、ディアナのジト目が突き刺さった。
「えーと、当の本人を目の前にして比較しろって言うのは、ちょっと問題が」
 慌てて逃げ口上を述べるリジィだったが、頭の中では姉とエレーラが対峙していた光景がまざまざと蘇っていた。
―――あれは、どの予告状の時だっただろうか。
 暗い路地に追い詰めたエレーラと、それを追う途中で一度見失った姉と。
(あの頃は、僕もランクCになりたてだったからなぁ)
 今では絶対に見失うはずはないと確信している。そうだ。あの頃の自分に比べれば、今の自分は各段に進歩している。そう思いたい。
 あのときは、ボルギア家の首飾りを手にしたエレーラと姉の間に割り込むことなど考えられなかった。それがどうだ。今ではそこに少しなりとも割り込む隙を見出せる。
「リジィちゃん? どぉなの?」
「あ、姉さん。そ、そうだね。……ほら、あの時に比べたら、僕も成長したわけだし、あの頃の自分の目と、今の自分の目を比べるのは、ちょっと難しいなって―――」
「あの頃ってぇ?」
「ほら、エレーラが三ヶ月間の休養に入る前だよ。えぇっと、ボルギア家の首飾りのとき」
「……あ! あぁ、あのときねぇ~?」
 何かに思い当たったのか、少し慌ててディアナが答えた。
「そっかぁ、三ヶ月の休養の前ねぇ?」
 ディアナが、うんうんとうなずく。
「あぁ、二人でエレーラと一緒にハンター家業を休業してたときな? 『し』なびた温泉行ってたんだろ?」
「『ひ』なびた温泉~! しなびちゃってどうすのぉ?」
「……休業、ね。そっか。ハンター家業は休業してたんだよね」
 リジィがそこはかとなく空虚な笑いを浮かべた。
「なんだよ。のんびりしてたんじゃねぇの?」
「……姉さんは、のんびりしてたよね」
「そうねぇ~。久しぶりの温泉でゆっくりしたわぁ~」
 ほわわん、と両頬に手をあててうっとりとするディアナ。
「僕にとっては地獄に等しい三ヶ月間だったんだけどね」
「……なんだよ。まさか、宿代のために下働きしてたとかいうオチじゃねぇだろうな」
「その方がマシだよ」
「いやぁねぇ、リジィちゃんったらぁ~、ちょっと大袈裟すぎるわよぉ」
 あはは~と軽く笑うディアナを、リジィがうらめしそうに見た。
「あの三ヶ月間、本当にナマキズが耐えなかった。温泉だって傷にしみない日はなかった」
「いやぁねぇ、ちゃんと手加減してたってばぁ」
 ディアナが笑う。
「せっかく~、三ヶ月間ヒマしないようにぃ、体がなまらないようにって思ってぇ、稽古つけてあげたのにぃ……」
 ディアナの言葉に、なんとなく状況を察したフェリオが苦笑いを浮かべた。
「つまり、その三ヶ月でリジィはスキルアップを果たしたと」
 スキルアップせざるを得なかったと。
「別にぃ、シゴいたとかぁ、そういうわけじゃなくてぇ~」
「いや、みなまで言うな。もう、想像ついてるから」
 リジィの様子から、それがどんなにスパルタだったかは推測できた。
「まぁ、そのおかげでランクCを十分狩れるようになったんだから、上出来じゃねぇの?」
「まぁね。それはそうだけど」
 最後の最後で賞金首をしとめるというオマケつきで。
「あぁ、の、ほらぁ、えぇっと~、エレーラの情報ならぁ、アニキに聞けばよかったんじゃな~い?」
 慌てて話題を変えるディアナ。
 一方、フェリオは大きくため息をついた。
(あんな紹介のされかたしておいて、どのツラ下げて……!)
 張本人のリジィをギロリとにらむも、すでに覆水盆にかえらず。どうにもならないことは分かっていた。
「ありゃ、並みのオヤジよりこえぇぜ」
―――お嬢さんを僕にください。
―――なにを言うかこわっぱがぁ!
 そんなやりとりが頭に浮かぶ。妄想の中でフェリオはほうきを持ったマッチョなアニキに追い回されていた。
「まぁ、ディアナと一緒に行動できるんだったら、これでもいいやな」
「……ふぅん。じゃぁ、フェリオも頭数に入れるとしてぇ、リルアタに着いたらぁ、それぞれ情報収集ねぇ?」
 フェリオはもちろん断らなかった。いや、情報をもらっている立場上、断るはずもなかった。


「……あのときの答えが、これですか」
 ハンターやハンター未満のゴロツキが集まる酒場で、リジィの向かいに座った男が目を細めた。
「あぁ」
「あなたは、それで良いのですね?」
「僕には姉さんを止める理由はないよ。……むしろ、僕の方から手伝うべきかもしれない」
 リジィはきっぱりと答え、手にしたグラスをあおった。
「そこまで言うのでしたら、気づいたんですか?」
「……僕は気づいていないし、何も知らない。そういうことだ」
「分かりました。そこまで言うのでしたら、構いません。せっかく私の後釜になってくれるかと期待していたんですけどねぇ」
「……」
「まぁ、いいですよ。ちゃんと分かっているのでしたら、もしもの時も問題なく動くのでしょう。何かあれば―――」
 突然、男はぴたりと口を閉ざした。
「?」
「今度の『祖父』の法要ですが、リジィさんは来るんですか?」
 口を動かしながら、男はテーブルの上で、ちょいちょいとリジィの方を指差す。
(後ろに誰か……?)
 確かめることもせず、リジィはその急ごしらえの話題にのることにした。
「いや、姉さんが一人で行くと思う。特に何かを言われたわけじゃないし」
「うらやましいですね。私は手伝いを押しつけられてしまいましたよ」
 困ったという割に笑顔を浮かべる男。
「……珍しい組み合わせだな」
 リジィの背中に、冷ややかな声が飛んできた。
「なんだ、フェリオか。今度の姉さんの師父の法要について話してたんだ」
「私達は一応、孫弟子にあたるわけですから」
 フェリオは冷ややかな眼差しをダファーに向け「ふん」と鼻をならした。
「そういえば、フェリオさん。私、社長から伝言を預かっていたんですよ」
「……」
 黙したままで先を促す。
「今後ディアナに近づくなら、オレを倒していけ」
 フェリオは大きなため息で返事をした。
「挑戦する気があるのでしたら、案内はしますよ?」
「遠慮する」
 フェリオの脳裏には新聞社社長のイメージに程遠いマッチョが浮かぶ。
「元はと言えば、リジィ、お前のせいだからな」
 格好悪いと思いつつ、やり場のない怒りを彼に向けた。
「そう? 僕には姉さんと一緒に行動できる口実ができて喜んでるように見えたけど?」
「……激しく気のせいだ。行く手にあんなでっかい壁ができてるってのに喜べるか!」
「まぁ、二人の父親代理と一人の母親代理がいますからねぇ。苦労しますよ」
 同情の言葉を向けるダファー。だが、笑みを浮かべたままでは面白がっているようにしか見えない。
「どうせお前も小姑の一人だろーが!」
 指を差されたダファーは、その指をリジィの方へ押しやった。
「相手を間違えていますよ。わたしはあの方々に便乗する気はありませんから」
 そんな疲れること、誰がするんですか。とダファーが呟いた。
「僕はもともと誰にも渡す気はないけどね。……あぁ、でも、姉さん次第かな」
「よかったですね。ディアナさんさえ説き伏せれば、誰にも負けませんよ」
「あたしがぁ、どうしたのぉ~?」
 いつの間にそこにいたのか、ディアナがにゅっと顔を突き出した。
「いやいや、ディアナさんと付き合う方は苦労しますね、という話です」
「……苦労ぅ? なぁに、それ?」
「少なくとも四人に認められなければ、蹴り出されてしまうらしいですよ」
 ダファーのセリフに、四人? と首を傾げるディアナ。
「それってぇ、リジィちゃんも入ってるのかしらぁ?」
 本人に尋ねられ、リジィは「うっ」と言葉に詰まる。
「……そりゃ、もちろん」
「うれしぃっ!」
 リジィの頭をぎゅっと抱え込み、わしゃわしゃっと髪を撫でくりまわすディアナは、満面の笑みを浮かべていた。
「……そう来ましたか」
 ダファーが呟く。その目の前ではまるで幼い子にするように「リジィちゃん、だぁいすきっ!」とはしゃぐディアナがいる。
「……間違えた。小姑じゃなくて、ライバルだ」
 呆然とフェリオが口にした言葉は誰も聞いていない。
「それでぇ、何か情報はあったぁ?」
 ディアナがリジィの頭を抱きしめたままフェリオに話を振った。
「情報って、お前、ターゲットについて何も言ってねぇじゃねぇか」
「えぇ~? この街でぇ、エレーラが狙いそうな所って~、……一つしかないわよねぇ?」
 ようやくリジィを解放し、同意を求めると、リジィはひとつ、うなずいた。
「うさんくさい教団しかないじゃん」
「……『セルフストリーム』?」
 フェリオの挙げた宗教団体の名前に、姉弟はそろってうなずいた。
「金でできた教祖の像があるとか言ってたな。そういや。……でも、エレーラの趣味じゃねぇだろ? 悪どいところを除いて」
 フェリオが声を落として呟いた。
「僕は、教祖の裏金が美術品収集の資金に流れてるって聞いた」
「―――あぁ、そうでした。ディアナさん。これを」
 ダファーがディアナに大きめの封筒を渡す。
「団体本部の見取り図と『裏』美術品の目録です。結構苦労したんですよ」
「ありがとぉ~。いつも悪いわねぇ」
 にこにこと封筒を受け取るディアナ。
「悪いと思うのでしたら、いつも通り、詰めの証拠集めを手伝ってくださいよ。今回は本当にきついんですから」
「ん~、分かったぁ」
 果たして今日の情報収集に散った意味があったのか、ほくほくと資料を封筒の口から覗くディアナを見つつ、男二人が大きなため息をついた。

<<8-4.ストーカー事件。その顛末。 >>9-2.その背中、見納めにつき


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