第14話.そして最後の鐘が鳴る1.予想通りの再会 予想外の展開ガシャン、と重々しい音が響いた。 湿ったひんやりとした空気の中、コツン、コツンという足音と、ぺた、ぺた、という二種類の足音が聞こえて来た。 中にいる人間が、いつもの巡回とは違うことを悟って、動揺を見せる。 「シーア、こちらへ」 「ハイ、てぃたにえサマ」 鉄格子の並ぶ中、二種類の足音はまっすぐに歩いて行く。 片方は、ここの住人の誰もが知る、この国の国主、ティタニエ・ユッカであった。もう一人のメイドが持つ灯りに、照らし出された彼の顔は、とても六十過ぎには見えない精悍なもので、体格こそ往時のものとは比べられないものの、そのオーラは覇者の輝きを帯びている。 メイドの方はと言えば、何故か顔の上半分を真っ白な仮面で隠し、ここが牢屋であるだけになおさら、不気味さを漂わせていた。 「お前は、驚かないんだな。シーア」 「ソウでしょウカ」 不思議な発音のメイド――シーアが首を傾げた。 「むしロ、コのセイケツさにオドロいていマス」 「そうか、人買いのところにいた、という話だったな。それはすまないことをした」 「イエ、キになサルことデハ、アリまセン」 今やすっかり上達したシーアの言葉遣いに、牢の住人の一人が小さく驚いた。 と、その囚人の前で、二人の歩みが止まる。 「マクグルー」 名前を呼ばれ、立てた膝に頭を埋めていた囚人が、ゆっくりと顔を上げた。金色の髪に青い目の、顔の整った男だ。年は二十代ぐらいだろうが、その顔には疲労が色濃く見えている。その見知った顔にも、シーアは何ひとつ動揺を見せなかった。 「これは、国主様。また押し問答の時間ですか?」 マクグルーと、偽名で呼ばれたリジィは、国主の隣にいる仮面の女に目を丸くして見せた。 「なるほど、今度の新しいメイドですか。あっちの牢にいるミシェルの代わり、といったところですか?」 あえて仮面のことには触れず、自分と同じ容疑で捕まっていたメイドの名前を出す。 「今度はヤードからの推薦状付きだ。お前と違ってな、マクグルー」 「やれやれ、ひどい雇い主もあったもんです。慣れない職場で迷子になっていたら、有無も言わせずレジスタンス呼ばわりですからね」 マクグルー=リジィはひらひらと手を振った。 「そうだったな。だが、今は違う考えだ。ここにいる他のレジスタンスの人間と、お前は違う。何より私を見る目がな」 憎悪がない、とティタニエは笑みを浮かべた。 「でしたら、ここから出してくれることを希望しますよ。せっかくのスイートルームですけど、僕には荷が重過ぎますからね」 まっすぐにティタニエだけを見据え、リジィが要望を突きつける。 「残念だがそれはできんよ。レジスタンスではないにしろ、エレーラのスパイかもしれん」 「エレーラ?」 リジィは、動揺を少しも見せずに、名前を反芻した。 「……残念ながら、元・軍部関係者にも、貴族関係者にも、その名前に心当たりはありませんが」 そらっとぼけて見せるリジィを、見つめたティタニエは「そうか?」とだけ答えた。目を細め、その言葉に嘘の匂いがしないかと、見極めるようにリジィを見つめた。 「ならばよいがな。……どちらにせよ、お前は式典後まではそのままだ。本当に何も知らないのなら『不運だった』というしかないな」 言い捨てると、ティタニエはシーアの方を見た。 「シーア、お前はどうだ? 『エレーラ』を知っているか?」 この問いに、リジィは必死で動揺を押し殺した。シーアのことをどこまで知っているのかと、冷や汗が流れ落ちる。 「ハイ、モチロン、シっていマス」 即答してみせるシーアに、ティタニエは満足そうな笑みを向けた。 「そうだったな。お前は、そのエレーラに助けられた人間だったな」 リジィが拳を握りしめた。 この国主は、シーアの生い立ちを知った上で尋ねている。シーアが雇われたときに、どこまで話したのかは知らないが、エレーラに狙われている相手に対し、マックスやウォリスが、シーアに、自分が村から出た経緯を話させるとも思えなかった。 「ワタシ、てぃたにえサマにハナしたでスカ?」 シーアが、ちょこっと首を傾げ、不思議そうに尋ねた。 「いいや、悪いが、事前に調べさせてもらったよ。……とぼけるようなら、と思ったが、シーアは正直らしいな」 「……モッタイないおコトバでス」 シーアは深々と頭を下げた。 「さて、行かなくては。あまりここにいると、宰相あたりにどやされそうだ」 ティタニエはくるり、と背を向けた。その後をシーアが慌てて追いかける。 コツコツぺたぺたと足音が遠ざかり、再びガシャン、という音とともに牢は静寂を取り戻した。 残されたマクグルー=リジィが、はぁ、と大きなため息をついた。 ![]() 「社長、連絡が来ました。……彼に間違いない、ということです」 「おー、そーか」 ちまちまとニセの契約書作りに励んでいたマックスは、顔を上げることもせず、その作業に没頭していた。 一方、連絡の手紙をマックスの机の端に置いたダファーは、もう一つ手にしていた紙束を確認しながっら、ソファに身を沈めた。 「ディアナさん、大丈夫ですかね」 「あー、大丈夫大丈夫。よほどのことがない限り、先走りはしねーから」 マックスはカリカリと契約書の文章を書く。 「とりあえず元気だったみたいですけどね。……しかし、あの国主は恐いですから。本当に自粛してもらわないと困ります」 「そりゃ、百戦練磨のじーさんだしな。その腕で軍部を黙らせ、その舌先で貴族を丸め込んだ大物だ」 一枚目の契約書を書き終えたマックスが、イスに座ったままぐぐっと伸びた。 「だからこそ、こっちも総力戦でいかねーとな」 「そうですね。……にしても、社長。ディアナさんの言いかけた案、覚えてますか?」 「あぁ、リジィに似た特徴を持つ他のハンターに、思わせられねーかってヤツか。なんだ、やるのか?」 「いいえ、やるつもりはありませんよ。ディアナさんが提案して、自分で取り下げた案なんて」 ダファーは資料に目を通しながら、淡々と言い放つ。 「どうにかして、元の暮らしに戻してやりたいってことは分かるんだがなー」 「かといって、全く知らない第三者に被せるわけにもいきませんし」 「ハンター名簿はきっちりヤードに残ってっからなー。こんなことなら、偽装用のハンター証でも作っとくんだった」 「作るのは楽でしょうけど、維持するのが面倒ですからね。……自分のものですら、時々忘れそうになるぐらいなのに」 資料をめくりつつ、ダファーが「偽装用の維持なんてしませんよ」と牽制した。 「……まぁ、どーせ遅いし、別にいーか」 「そうですね、ディアナさんも、一応納得してくれたみたいですし」 「あー、おいダファー、喉かわいたんだけどよー」 インクの乾いた偽契約書をひらひらとさせ、マックスが茶を所望する。 「シーアさんはいないんですから、自分でやってください」 あっさりと切り捨て、資料に没頭していたダファーが「あれ」と声をあげた。 「あんだ?」 「……なんで、式典の招待客リストに、社長の名前が入ってるんですか?」 「そりゃ、要人だからだろ?」 「……私は真面目に聞いてるんですけど」 「いや、腐っても新聞社の社長だぜ? 建国三十周年式典なんつービッグイベントに、お呼びがかかんねーワケねーだろ」 ダファーは半眼でマックスを見た。 「そんなことよりー、俺は茶が飲みたいなー」 「……社長?」 「お前も飲みたいよなー?」 ダファーは大きくため息をつく。 「はいはい、お茶いれればいいんですね。そしたら、ちゃんと話してくださいよ」 資料をソファテーブルに置くと、ダファーはよっこらせ、と立ち上がった。 「戸棚に、カノアのばーちゃんから貰ったマフィンがあっから、それもなー」 「はいはい」 ダファーが別室に消えたのを確認すると、マックスは小さくガッツポーズをした。 「……にしても、ヤな予感するな。背筋がゴリゴリする」 マックスは、作業を中断し、先程までダファーの座っていたソファに座った。ダファーの確認していた資料――式典の招待客リストと、当日の式次第、城の見取り図を眺める。 「ま、会場が出来てみねーとわかんねーわな」 ペラペラと紙をめくり、国主に刃向かうレジスタンスの主要人物、そのスポンサーのリストを眺めた。 国主がこの国を共和制に変えたことで、恨みを持つ者は特権階級とそのコバンザメに絞られる。もちろん、貴族や軍部の中で主だったものは『戦犯』として裁かれたものの、小物はそれこそ腐るほどにいた。 「リスト……か。逆に頼らねー方がいいかな」 大きなレジスタンスの組織を押さえるのは勿論だが、小物をどうやって縛りつけるか、そこが問題だった。頭を押さえても、手足になっていたハネッカエリが動かないとも限らない。いや、むしろ頭を押さえることで、逆に出る杭もあるだろう。 「まぁ、あとはエレーラの知名度次第、だろーけどな」 エレーラがどんな悪にも対応する、という印象さえあれば、それでいい。報復を恐れて行動に移さない者も出る。だが、それを問題にしない人間もいる。……きっと。 「だからこそ、俺がフォロー役で行かねーとな」 ばさり、と資料の束をテーブルに置くと、マックスは自分の机に戻り、作業を再開した。 カリカリと一枚目の契約書を複写していると、ほどなくトレイにお茶とマフィンを乗せたダファーが戻ってきた。 「おー、きたきた」 書きかけの契約書を机の端によせ、待ってましたとばかりに場所をあける。そこにマフィンの乗った皿が、ドン、と置かれた。 「まったく。……さぁ、これで話してくれるんですよね。どうして招待客に社長の名前があるのか」 「少し考えりゃ、分かることじゃねーのか?」 「いいえ、残念ながら思慮深い社長のとる方法なんて分かりませんよ」 ダファーはマックスの前に、カップを二つ並べ、ティーポットから褐色の液体を注いだ。 「なんてこたぁねーよ。この国にいる協力者に、ちょっと頼んだだけだ。隠居の身でも、発言力のある人間は多いからなー」 「……推薦状でも書かせたんですか?」 「さぁな。とりあえず三人ほどに声をかけてみたら、それぞれに『手は打った』って返事は来たけど」 それは、三人が別々の方向からアプローチをかけたということか。 ダファーが首を横に振った。 「なるほど。それについては分かりました。……でも、どうしてそこまでして、出席する必要があるんです?」 マックスは、なみなみとお茶の注がれたカップを、そっと持ち上げた。湯気とともに柔らかな香りが鼻腔をくすぐる。 「ま、非常事態の対処要員だな」 「……ということは、私は動かなくてもいいんですね」 「あほう。総力戦って言ったろが。それに、ウォリスから連絡もあったろ?」 ダファーは机を挟んでマックスの向かいに立ったまま、自分のカップを取った。 「はぁ、警備にハンターは募集するようですが、わたしは絶対に除外するとかいう話ですか」 「アンダースン警部だけならまだしも、ヤツに教育を受けたピエモフがいるんだ。さすがにゴリ押しも通る」 ダファーは、ため息混じりにお茶に息を吹きかけた。 「別に、警備に入らなくても、潜入する方法はあるんですけどね。中にシーアさんもいることですし」 「どっちにしろ、堂々と動ける人間は必要だしな。……それに、相手がてごわい」 マックスはずずっとお茶をすすると、マフィンに手を伸ばした。 「でも、社長まで出ると最終的な後方支援は―――」 「アネキがいるからいいんだよ」 ぱくり、とマフィンにかじりつくマックスは、ふと、思い出して声をあげた。 「そういや、ディーは『完全にモノにしましたぁ』とか言ってたけど、どーなんだ?」 「あぁ、例の『秘伝』の話ですね。……どうやら、酔拳を経て、完全会得みたいですけど。そういうものなんですか?」 「酔拳? あぁ、なるほど。そーゆーことか。……なるほどなー」 マックスがペンを鼻の下に乗せて、むむむ、と腕組みをした。 「わたしも、そこに居合わせていたフェリオさんも、ディアナさんの腕を掴むこともできなかったんですよね。なんか、こう、ふわふわ落ちて来た、タンポポの綿を掴もうとして掴めないような、そんな感じで」 ダファーの説明に、ふむふむ、と声を出すマックスは、どうやら鼻の下にペンを置くのが気に入ったようだ。 「ま、あの秘伝を会得したのは、ディーが初めてだからな。あとで手合わせしてみっか」 「……『あの』秘伝? 別の秘伝もあるんですか?」 「俺らの師父は、それこそ『一子相伝』級の秘伝をいくつも持ってた人でな、俺とサミーはそれぞれ別なのを会得してる。ウォリスは、あれは自分を鍛えることより、下に教える方が好きみたいでな。けっこうイイセンいってたんだが」 「……」 ダファーが頷くでもなく、カップを机に置いたのを見て、マックスが「言いたいことがあるなら言っとけよー?」と促した。 「さすが、お三方の師匠ですよね。常識の枠には入らないみたいです」 「あー……、そりゃ俺も否定できねーわ。あんなんが常識だったら、俺はきっとマジメ人間だからな」 ![]() 「おい、あんた。トマス・マクグルーさんよ」 薄暗い闇の中、ニセモノの名前を呼ばれた彼は顔を上げた。 本日三回目のエサの時間が終わって――あんなものを食事などと呼べない――後は寝るだけ、と思っていたところだった。 「その声は、二つ隣の、えーとダイス・コフィエフ?」 「あぁ、あんたがエレーラの手先って本当か? 本当に、あの義賊が国主狙ってんのか?」 「知るか、そんなこと」 あっさりと切って捨てた彼は、目にかかってきた自分の金髪をかきあげた。こっちはシーアのことで頭がいっぱいだというのに。 牢に入った彼を見てもシーアは動揺ひとつしなかった。もちろん、動揺など見せたらおしまいなのだけれど。それでも、今後の行動を示唆する何かがある筈だと、国主と問答しながらそれとなく気を配っていたのだが、それらしい仕草はいっさい見せなかった。 (甘えるな、ってことだろうな) この後に及んで期待するな。リジィは知らず知らずのうちに助けを待っていた自分に気が付いて額を軽く叩く。 それでも、どこかで期待している。あの姉が、自分を見捨てる筈がないと。 (―――最低だな) 時期が時期だけに、あの姉ですら、手を割く暇もないという気もする。最悪のパターンも考えてはいるのだが、どうにも現実味が帯びてこない。 「おい、マクグルー」 「なんだよ。考え事してんだから、ほっといてくれ。それに、看守に目ぇつけられんのもゴメンだ」 そこまでこじつけてから、ふと見れば、看守は、並ぶ牢の真ん中でこっくりこっくり船を漕いでいる。そのうち鼻ちょうちんでも出し兼ねない勢いだった。 「今なら聞かれてねーよ。……なぁ、マクグルー。それじゃ、どうしてあんな所にいたんだ? 何か探ってたんじゃねぇのか?」 「だから、道に迷ってただけだっての! あーあ、これじゃ式典も見れないよな。……式典が終わったら解放してくれればいいけど」 「エレーラじゃねぇなら、別のレジスタンスか?」 「くどいっつーの」 リジィが投げやりに答えたとき、ガタタッと物音が響いた。 「なんだ?」 牢の中に動揺が広がる。リジィも例外ではなく、耳をすませていた。 音は外に通じる、たった一つのドアの向こうからだった。乱暴な足音がいくつも響く。……誰かが争っているようだった。 (まさか、助けか―――?) 姉やダファーの顔が頭をかすめるが、それは違うだろうと即座に断定する。元々、隠密に行動することを好む彼らが、他の囚人に気がつかれるような真似をするとは思えなかった。 そう考えている間に、ガシャン、とドアが開き、どやどやといくつもの足音が入ってきた――― ![]() 「どういうこと……?」 台所で朝食の支度の合間に、新聞記事に目を通していたサミーが、呆然と呟いた。 ウェルフォントの首都、セゲド周辺でしか発行していない『ワッデルタイムズ』。ここ最近は、七日後に控えている、建国三十周年記念式典に関連した記事ばかりだったのだが――― 『深夜の大脱走! 内部の手引きか?』 記事には、昨晩セゲドにある城の牢から、過激派レジスタンス、スレッジハンマーの容疑で勾留されていた数名が脱獄したことが書かれている。 もちろん、それ自体はサミーにとっては大した問題ではなかった。また治安がちょっと悪くなるから、ベルナルドにお遣いを任せるのはやめよう、というぐらいだ。 ただ、その脱獄した数名の中に『トマス・マクグルー』の名前が含まれていたのだ。どうしてここにリジィの使っていた偽名が含まれているのか。国主側が人知れず抹殺したならば、脱獄騒ぎに紛れて死亡ということにもなるだろうが、脱獄した人間とされているのは――? (確認の必要があるわね) サミーはくるりと台所に向き直ると、パタパタと急いで朝食の支度を終わらせにかかる。ベルナルドに言い含めておけば、ちょっとマックスの所に行く時間ぐらい――― そこまで考えて、サミーは手を止めた。シーアが国主のところに行くのと前後して、出張所の場所をここ――ヘイドンから、セゲドに変えたことを思い出したのだ。 (……ったく、役に立たないわね) 「おはよう、おとうさん」 声をかけられ、サミーは笑顔を浮かべて振り向いた。 「おはよう、ベル。もうすぐ朝ごはんできるから、ちょっと待っててね」 まだ眠そうな目をこするベルナルドが、「うん」と頷いて、ちょこん、と食卓についた。 「おとうさん。おかあさんは、もうしごとにいっちゃった?」 「そうね、お仕事忙しいからね。式典が終わるまではちょっと無理かしら。……なぁに? アタシだけじゃ淋しいのかな?」 卵をじゅわっと焼きながら、サミーがおどけて聞くと、小さく「うん」と頷く声が聞こえた。 「だって、リジィお兄ちゃんもディアナお姉ちゃんも、シキテンってやつのせいでいないんだよね」 「そうね。でも、あと七日だから、もうすぐよ」 フライパンから目玉焼きを器用に皿に移すと、かたん、とベルナルドの前に置くと、サミーはじっと息子の顔を覗き込んだ。 「それに、式典が終わったら、たぶんマックスとウォリスもこっちに寄ると思うから、今のうちにグロリア一人占めしておきなさいね」 「げ、マックスのおじさんが、くるのかよ」 顔をしかめるベルナルド。だが、マックスを『おじさん』呼ばわりできるのも、恐いもの知らずの彼しかいない。 「そうよー。だから、どうやってグロリアを守るか、考えとかないとね」 マックスに子守を頼むことを、ベルナルドは極端にイヤがる。マックスは子供好きなのかは知らないが、手加減なしにからかいまくるのだ。プロレスごっこにしても、子供の限界ギリギリを見極めて、ぶんまわしたりするものだから、ベルナルドには嫌われている。ましてや、今は妹グロリアもいるのだ。被害が小さな妹に行くことを考え、ベルナルドがきゅっと拳を握った。 「ぼく、バリケードつくらなきゃ。あと、ぶきも」 「そうね、あと七日しかないんだもんね。がんばらなきゃ」 (体格差とか考えたら、角材ぐらい渡してもいいかしら。……あ、でも、間違ってグロリアに当たるとマズイわね) と、物騒なことを考えたところで、二階から聞こえるグロリアの泣き声に気づき、「ちょっと行ってくるわ」と、猛然と朝食をかき込む長男に言い置くと、階上の寝室へ向かった。 部屋に近付くにつれ、ぎゃんすかぎゃんすか泣くグロリアの泣き声も大きくなる。 「あらあら、何があったのかしら――?」 ドアを開けると、もうすぐ一歳になる愛娘グロリアが、涙と鼻水とよだれまみれの、必死の形相で這ってきた。娘の顔とはいえ、一瞬ひるんだ隙に、びちょっとしがみついてくる。 「あらあらー?」 足から引っぺがすと、靴下にくっついた鼻水がびろん、と伸びた。 とりあえず、抱き上げたグロリアの顔をハンカチで拭い、ちん、と鼻をかませる。 そこまで終えてから、ようやくサミーはそれに気付いた。 「あの、鳥は」 グロリアの枕にちょこん、と乗っていた白い鳥が「ぴ」と鳴いた。 「……マックスのところの連絡係ね。あらまぁ、ちょうどいいタイミング」 足に括りつけられた紙を「ちょっと失礼」とサミーがほどくと、鳥が再び「ぴ」と鳴いた。 「あーだぁ、だー」 自分の枕を占領したのが、実はおとなしいものだったと気付いたグロリアが手を伸ばす。 娘を片手でだっこしたまま、グロリアは細かく折りたたまれた紙を器用に開いた。その内容は、本来マックスに向けて放たれるはずの、ダファーからの報告だった。 ―――イトコは無事。鍛冶屋の両手金槌が握る。急ぎ報告。 相変わらずの不可解な文章だったが、サミーにはその意味がしっかりと理解できた。鍛冶屋の金槌、すなわち、レジスタンスのスレッジハンマーが、ダファーにとっては従兄弟にあたる、リジィを拉致したのだと。 「こっちに来たってことは、マックスはお出かけ中なのね。……いいわ、出張所に戻りなさい」 グロリアを布団に戻しがてら、枕の上に鎮座していた鳥をすくいあげると、その足に再び紙を結ぶ。 「だーだ! だぁだ!」 グロリアが頑張って抗議の声をあげるが、さすがに彼女のおもちゃにするわけにもいかない。 「捕まらないうちに、行きなさい」 窓に向けて、軽く放ってやると、鳥は「ぴ」と挨拶をしてパタパタと飛んで行った。 ……その背中に向けて、グロリアが怪獣のような泣き声をあげた。 ![]() 「てぃたにえサマ。コチらに、いらっシャいマスか?」 淡いサーモンピンクのワンピースに、白いエプロンという、城内で働くメイドの制服をまとったシーアが、ひょこん、と衝立の向こうに首を伸ばした。 「あぁ、ここだ。……すまないな、シーア。探させてしまったか?」 書類を片手に、窓の外を眺めていた男が振り返る。 白髪混じりの鳶色の髪を後ろで束ねた彼は、柔らかな表情を浮かべ、彼女に答えた。短く整えられたアゴヒゲは、強い意志を放つ黒の瞳には似合わず、むしろ飼い馴らされた虎の印象さえ受ける。 「トンでもゴザいません。オウセツマに、おキャクサマがいらシタそうでス」 「そうか。……時間通りに来たか」 ティタニエは手にしていた書類を棚のファイルに戻すと、再び窓に目を向けた。 「シーア。昨日のトマス・マクグルーが逃げたのは知っているか?」 一瞬、何を聞かれたのか分からず、シーアがきょとん、とした。 窓に映し出された、その可愛らしい様子に、ティタニエの顔がほころぶ。 「え、と、ハイ。ダツゴクした、デスよネ」 「お前も、あいつがレジスタンスだったと思うか?」 ティタニエ付きになってから、こういう問答はよくあった。 初めこそ、シーアは戸惑っていたのだが、すぐにこの問答が彼の自問自答に近いものだと気付き、それ以後はできるだけ、彼の心中の整理に役立つような答えを口にするように心がけている。 「ザンネンでスガ、よく、ワかりまセン」 「……あれは、レジスタンスではないと思うのだよ」 かつて、マクグルーの前で口にしたものと同じ考えを、ティタニエは吐露した。 「でハ、どうシテ、ダツゴクするでショウ?」 今回の脱獄騒ぎでは、スレッジハンマー容疑のあった者だけが牢を脱出していた。他の組織の容疑者や全く別の囚人は、それを指をくわえて見ているしかなかったのだ。 「それなんだ。騒ぎの一部始終を見ていた囚人達は、マクグルーが抱えられるようにして出ていったところしか見ていない。だが、本当に、彼はスレッジハンマーの一員だったのだろうか」 窓の外を見るティタニエに、シーアは何と返事をしたらよいか、としばし逡巡し、ぼそり、と声を出した。 「ツれてイかれたのカモ」 もちろん、シーアは実際に現場を見ていたわけではない。だが、マクグルー=リジィの図式を知る彼女には、どうしてもレジスタンスに付いて行く理由が見つからなかったのだ。 「なるほど。……どうしてそう思う?」 理由を問われ、シーアは沈黙した。理由がないわけではない、だが、彼を知っていることを、口にするわけにはいかなかった。 「シーア?」 ティタニエに促され、シーアはゆっくりと口を開いた。そして、二番目の理由を語る。 「キノウ、ロウで、てぃたにえサマが……、えれーらのカンケイシャと、イったカラだとオモいマス」 「―――なるほど、エレーラの動向を探る為、というわけか。確かに、その可能性はある。……シーアは賢いな」 「そ、そンナ、モッタイないおコトバでス」 シーアは慌てて両手を振って、深々と頭を下げた。 くるりと振り向いたティタニエは「応接間にお茶を頼む」とシーアに声をかけると、そのまま部屋を出て行った。 シーアは、ティタニエの心の整理がついたと知って、ほっとし、すぐに厨房へと足を向けた。 ![]() 「やぁ、よく来てくれたものだね」 応接間で待つ客人に、ティタニエは気さくに笑みを向けた。 数十年続いた内乱を終結させた英雄ティタニエの前にあって、その客人はソファに身を沈めたままで「どうも、呼びつけられたもんでな」とぞんざいな返事をする。 確かに、ティタニエの方から呼んだ客ではあるが、初対面にしてこの尊大さを見せる客に、憤りよりも呆れに似たものを感じた。長年、彼の隣にいる宰相がこれを見れば、きっと激昂していただろうことを考えると、自分一人で会う事を選択して良かったと思う。 「なるほど、ウワサにたがわぬ人柄のようだな」 ティタニエが率直な感想を洩らしたとき、コン、コン、と遠慮がちなノックの音が響いた。 「おチャをおモちイタしまシタ」 ドアの外から聞こえてきた独特な発音に、客の眉がぴくりと上がる。 「入りなさい」 ティタニエの許可に、「シツレイしマス」とティーセットの乗ったワゴンを押して、シーアが現れた。 彼女は深々とお辞儀をして顔をあげ――― 「シャチョさん」 驚いた感情そのままに声を出した。 「こんないい子に、スパイさせるなんて無理じゃないのか?」 面白がるようにティタニエがソファに座る彼に顔を向けた。 筋骨逞しい身体に無精ヒゲ付きの顔を乗っけた彼は、苦笑いを浮かべて「スパイじゃねーよ」と答えた。 「正義新聞の社長、マクシミリアンで間違いなさそうだな」 ティタニエはそう言うと、彼の向かいのソファに腰を下ろした。 「影武者送りこめるほど、人手はないんでねー」 驚きから立ち直り、お茶の用意をするシーアにひらひらと手を振り、ふんぞりかえっていた体勢を直して背筋を伸ばした。 「それと、フルネームを呼ぶのはやめてくれ。マックスでいい」 こそばゆくなっちまう、とマックスは真剣な目でティタニエに懇願する。と、その様子に、ティタニエは古くからの友人が同じようにフルネームで呼ばれるのを嫌っていることを思い出し、顔を和ませた。 「そうか。では、マックス。君が招待客リストに入っていることにびっくりしたよ。君のような一介の新聞社社長が。……いったい、どんな手を使ったんだ?」 予想通りのティタニエの指摘に、マックスはがしがしと頭を掻いた。 「あー、回りくどい話はいらねーよ。……聞きたいことがあんだろー?」 国主を国主とも思わない言葉遣いに、ティタニエはニヤリ、と笑った。 この男と話していると、英雄扱いされる以前の、ただの平民だった頃を思い出す。 褐色のお茶を注いだシーアが二人の前に、カップをそっと差し出した。ふわりと鼻腔をくすぐる香りに、ティタニエは小さく息をついた。 「シーア。お前は怪盗エレーラ・ド・シンを、実際に見たことがあるか?」 「……ハイ。ミたコトがありマス。まだ、ヒトカイのトコロに、イたコロでス」 シーアは、たどたどしく、その時の話をした。 ―――シーアは、生まれ育った村から、山菜を採りに出たところを、人買い商人に捕まった。 セリにかけられる前、シーアを含む数人の少女が、ひとつの場所に押し込められていたときに、エレーラに会ったのだ。 彼女は、近くの村から誘拐されて来た子だった。 少女達の中では、一番大人しく、それこそ人買い商人の一挙一動に、ビクビクするような子だったのだが、エレーラとして動き出したとたんに、その目が自信に満ち溢れたのをよく覚えていた。 シーアの話が終わると、ティタニエはマックスに向き直った。 「君は、エレーラのことを、どこまで掴んでいるんだ?」 マックスは、不敵な笑みを浮かべ、「そういうストレートなのを待ってたんだ」と答えた。 「残念だけどな、正義新聞の購読者にいるかもしれねぇが、見当はつけられねーな」 「だが、君の新聞の一面や特集記事を読んで動くんだろう。本当は知っているのではないか?」 ぐい、と乗り出したティタニエに、マックスは首を横に振った。 「確かに、エレーラも動くかもしれねーけどな。それを追うハンターも動くからなー」 「そして君らは、多くの人間に対して誘導するような情報を発信し、自らもエレーラを追いかけて、後日談の記事を書くわけだ」 「それが、一番効率のいい仕事だからな。おかげさんで発行部数も伸びたぜー?」 人を食ったような笑みを浮かべるマックスに、ティタニエは苦い顔を見せた。 「……それで、次のターゲットはこの私、というわけか」 自嘲気味に呟いたそのセリフに、近くに控えていたシーアが驚いて顔を上げた。 「大臣の中には、君を招待客から外(はず)すべきだ、という声もある」 マックスは、おや、と眉をあげた。 「そいつは賢くねーな。別にウチが書かなくても、他の新聞屋が書くだろーに。そりゃ焼け石に水ってもんだ」 「―――同感だ。エレーラが関わった以上、揉み消すことは不可能だろう」 痛くも痒くもないことのように言い捨てると、ティタニエは目の前に置かれたお茶をすすった。 「君はエレーラのことを良く知っているようだが、君の予測では、予告状はいつ来ると思う?」 その問いに、マックスは即答することはせず、お茶請けに並べられたクッキーに手を伸ばした。 「……予告状は前日から一週間前まで様々だ。だが、指定日については予測がつくぜ」 クッキーを一口で放り込むと、紅茶をすすって飲み下した。 「派手好きなエレーラのことだ、式典に狙いを定めてくるんだろうな」 ―――実際には、派手好きなマックスが式典に狙いを定めている。 ティタニエはしばらく沈黙を守っていたが、自分を納得させるように「そうか」と呟いた。 「なに、心配するこたねーさ。エレーラは義賊だ。内乱に発展しない程度のアフターケアはあるんじゃねーのか?」 実際にマックスは、レジスタンスについて手を打っている。だが、ティタニエには楽観的な意見に聞こえたようだ。 「もし、そうなら……ありがたいことだがな」 内乱に疲弊しきった、あの日の寒村を思い出し、ティタニエは苦々しく呟いた。 | |
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