第13話.嵐の前のエトセトラ5.特別に効果のある薬だから『特効薬』です「トライペッド亭、ここねぇ~」 夕闇も近付く頃、ディアナはとある宿の前に立っていた。宿とはいえ、一階は酒場になっているらしく、気の早い何人かの笑い声が聞こえてきた。 (わざわざダファーが言付けるからには、何かあるわよね~) 幸い、賞金首を引き換えたばかりで懐具合に問題はない。多少、居続けても『何か』を見つけなければ――と、中に入ろうとしたところに、「嬢ちゃんじゃねぇか」と声を掛けられた。 「あれぇ~? ゼインさんですかぁ?」 振り向いた先にいたのは、道場にいた時よりもくだけた服を着た、ゼインがいた。 「なんだ、守備よく賞金首でもとっ捕まえたのか?」 「はい~。―――あ、もしよかったら~、一緒に飲みませんかぁ?」 一人で飲むよりは、二人の方がいいですよね、と続けるディアナだが、むしろ一人で飲むと周りがうるさいのである。女が一人で飲んでいると、やたらとおせっかいな男が寄って来るのだ。 「別に構わねぇけど、オレなんかでいいのか?」 「あったりまえじゃないですか~」 にこにこと微笑むディアナを見て「あー、誰かに見つかったらアレだな」とボヤいたものの、ゼインはあっさりと承諾した。 野暮ったい男にピンクのフリフリの女、この二人連れに無遠慮に好奇の視線をぶつけてくる客もいたが、おおむね平和に二人は空いていたテーブルにつく。 ゼインは元々夕飯を食べに来たのだろう、定食ついでにエールを注文する。 「嬢ちゃんはどうすんだ?」 「えぇっと~、ティリリ蟹の甲羅揚げとぉ、ルツ菜のピクルスにぃ、……オードヴィーでお願いしますぅ~」 酒のツマミと、パンチのある酒を頼んだディアナにぎょっとしたのはゼインも女給も同じだった。 「おいおい、初めから飛ばすんだな」 「そうですかぁ~? でも、イヤなことがあった日は呑むに限るしぃ~」 ―――そのセリフに顔を引きつらせたゼインは、小一時間後にディアナに声をかけたことを、後悔することになった。 「おい、もうやめといた方が……」 「いーのいーのぉ! 今日はもう飲むことにしたんだからぁ」 ゼインの注文した定食はすでに片付けられ、テーブルの上にはディアナが空にしたボトルが二本、立っていた。 さっきからカパカパと飲み続けているディアナは、全く顔色も変わることなく平然としている。 ゼインは延々と、リジィやサミー、彼の見たこともないディアナの兄弟子の愚痴を聞いていたが、そろそろ限界を感じ始めていた。 「あー、しくじったよなぁ」 「何か言ったぁ?」 黙って首を横に振ったゼインは、どうしたもんかと考えた。見捨てて先に帰るか、とことん付きあうか。 持ち合わせもあまりないので、先に帰りたいところだが、次に会った時が恐い。何より酔っ払ったランクBハンターを放置しておくことも得策ではないだろう。何が起こるか分からない。 (なんたって、ランクBハンターさまだもんな、はは……) 心の中で乾いた笑いを洩らし、ゼインは大きく嘆息した。 すでに満席近くなっている店内をぐるり、と見回す。 (せめてグエンなりテッドなり、見つけられれば押しつけようもあるんだが……) と、そこまで考えて、リジィはいつもこんな役周りなのかと思い当たり、何度目かのため息をついた。 「あれ、ディアナか?」 突然の声に、ゼインは渡りに船、とそちらを向いた。声の主はボサボサの黒髪に、ゼインに負けず劣らずの体格をした男だった。「ディアナ」と呼び捨てにした所を見ると、かなり親しい知人か――― 「あれぇ? なんでフェリオがいるのぉ~?」 三本目のボトルを手にしたディアナが首を傾げて声を出した。 「誰なんだ?」 というゼインの声に「同業者だよ」と、フェリオ自身が答えた。 見れば、近付いて来た彼は、「お前こそなんだ」という不機嫌な顔でゼインを見下ろしていた。 「嬢ちゃんと、ある程度親しいなら問題ないな。……手を出してもらえるか?」 ガタン、と立ちあがったゼインに、フェリオは警戒心を見せながらも手のひらを出す。と、そこにパン、とゼインの手が置かれた。 「もしアンタがランクC以上だったら、お願いしたい」 「はぁ? まぁ、ランクBだけどよ」 戸惑いながら答えたフェリオに、ゼインはにやり、と笑みで返した。 「それなら問題ないな。俺はもう帰るから嬢ちゃんをよろしくな」 ひらひらと手を振って、ゼインは素早く席を離れた。 「あぁ~、ゼインさん、ひっどぉい~」 不満の声を上げたディアナだったが、立ちあがることもせず、そのままグラスを干した。 そして、またボトルを傾けて琥珀色の液体を注ぐ。 「おい、ディアナ」 「なぁに~?」 「オレはせめて謝罪の言葉を聞きたいんだけどな」 フェリオは先程までゼインの座っていたイスに腰かけた。すこし生暖かくてイヤな気分もしたが、ディアナの真正面に座るにはこれしかないし、わざわざ別の椅子と入れ替えるのも馬鹿馬鹿しかった。 「えぇっと、ごめんなさいぃ~。……で、何に対して謝るのぉ?」 「……お前なぁ」 睨みつけるものの、ディアナは全く我関せずでカパカパと酒を飲む。 「あ、すいませぇん。これもう一本お願いしますぅ~」 空になりそうな三本目を女給に振って見せると、ディアナはようやくフェリオをまっすぐに見た。 「あれぇ? そう言えば、なんでフェリオがいるんだっけぇ~?」 「あー、いいや。好きなだけ飲んでろよ。潰れたら遠慮なく襲ってやっから」 「ふぅん。変なのぉ~」 言動こそいつも通りに見えるが、やはり酔っているのだろうか。そうフェリオが考えたとき、ディアナがずっと持ちっ放しだったグラスを置いた。 「……ちなみに、どこまで理解してるの?」 真剣な眼差しに、フェリオは「だいたいは」と曖昧な返事をした。いったい何が『理解してる』のだろう。 ディアナはそれきり黙り込んだ。グラスは空になっているが、さらに酒を注ぐようなことはしない。 フェリオは居心地の悪さを感じながら、定食を注文した。 「……なんだ、飲むのは終わりか?」 と、口に出して、ようやく三本目のボトルも空であることに気づき、大きくため息をついた。 「荒れてんなぁ……」 「だってしょうがないじゃない。リジィちゃんが……」 言いかけて、ディアナがうつむく。 フェリオは、目の前に座るディアナの中に見える「もろさ」に愕然とした。こんなディアナ、知らない。そうつぶやきそうになった自分にさらに驚愕する。 「やっぱり、あれはリジィだったんだな?」 自分の動揺を押し殺しながら、フェリオはゆっくりと、言い含めるように尋ねた。 「確認はしてない。……でも、リジィちゃんは帰って来てないもの」 まつげを伏せるディアナは、それこそ触れれば壊れてしまいそうなぐらい、儚く見える。 「覚悟はしてたんだろ? あいつがハンターになった時から」 「……したくないもん。もう、そういうのヤなんだもん」 小さくつぶやいた言葉は、人でごった返す店内でも、フェリオの耳に届いてしまった。 「あー……」 シーアの語ったディアナ=エレーラの過去を思い出し、フェリオは眉間に手をやった。 (見えちまった) 何も恐れる物がないかに見えるディアナが、心底恐れるもの。 それは例えばリジィが自分の手を離れること。 リジィが帰って来なくなること。 ―――『家族』をまた、失ってしまうこと。 (オレは家族ん中にゃ入ってねぇんだよな~) 悔しいと言えば悔しいが、こればかりはどうしようもない。 「おまたせしましたー」 女給が定食と四本目を持って来ると、ディアナは顔を上げた。 「あれぇ? 食べないのぉ~?」 トクトクと良い音をさせてグラスに琥珀色の液体を注ぐと、ディアナはそのままグラスをあおった。 「いや、食うけどよ」 フェリオは運ばれて来た食事に手をつけた。 「……んで、どうやっても助けられねぇのか?」 「ん~? 偽名使ってもぉ、本名がバレる可能性高いしぃ、何よりヤードの人に顔見られたらアウトでしょ~? 騙されて使われたってことにしてもぉ、ハンターとしての評価が下がっちゃうなぁ、って」 「助けるだけなら、できるってことか」 フェリオが、トマトをひょいっと頬張った。向かいのディアナは相変わらずのハイペースでグラスを干していく。 「ヤードに顔割れてるから、他人の空似で通しきれない。……それこそ、リジィ自身が外で自分のアリバイ証明しねぇとダメだよな」 ま、捕まってる本人がどうやって外でアリバイ証明するんだって話か。とフェリオがささみフライにかぶりつく。 「なのよねぇ~」 ディアナはため息をついて、再びグラスに酒を注いだ。 もちろん、二人とも、今の会話がいかに楽観的なものであるかを重々承知している。 建国三〇周年の式典を控え、現政権に反旗を翻そうというレジスタンスの動きに、国主側がこれ以上ないというぐらいに過敏になっている状況で、リジィが五体満足という確信はない。むしろ尋問を受けているに違いないのだから。 「リジィちゃんとずぅ~っと手を繋いでいたかっただけなのにぃ、どこで間違っちゃったのかなぁ~」 八分目まで注がれたグラスを掲げ、ディアナがつぶやいた。 「オレと手ぇ繋ぐか?」 即座に左手を差し出して見せたフェリオを、ディアナはきょとん、とした顔で見つめた。 「……へこたれないのねぇ~?」 「いまさらだな。へこたれるんだったら、お前のもう一つの顔を知った時にへこたれてるさ」 「……」 「だいたい、諦めが早ぇんだよ。へこたれるんだったら、取り返しのつかないとこまで行き着いてからにしろよ、ディー」 フェリオが定食のスープをずずっとすすりながら、なんでもないことのように言ったセリフに、ディアナは「あぁ、そっかぁ」とつぶやいた。 (ダファーの目論見は、フェリオだったのね) さすがに酔いのせいか、判断力が鈍っているらしい。そこまで思い当たって、ディアナはくすくすと笑いだした。 「あんだよ、いきなり」 「うぅん。ちょっとは元気出たわぁ~。ここに行くように勧めたダファーの思惑も分かったしぃ~」 オレのことか? と自分を指差すフェリオに小さく頷くと、ディアナは最後のグラスを空っぽにして、勢いよく立ちあがった。 だが、次の瞬間、あっさり座る。 「あれ? どした?」 フェリオが最後のパセリを口に放り込んで尋ねる。 「うぅん、別にぃ~?」 ディアナはふるふると首を横に振った。だが、そこはかとなくそわそわと落ち着きがない。 「まさか、酔いが回った、とか?」 「うるさいわねぇ~。別にいいじゃないのよぉ」 むっとした顔で反論するディアナに、フェリオはチャンス到来とばかりに満面の笑みを浮かべた。 「あーあー。そいじゃオレの部屋で介抱してやっからよ」 立ち上がったフェリオに危機感を覚えて、ディアナもまた席を立った。……その左手はテーブルに添えられている。 「昼間のお返しもしてやんねぇとな~」 鼻歌を口ずさみそうなほど上機嫌なフェリオが、ディアナの左手に伸びる。支えをなくしてしまえばこっちのもの、という心情が顔に出たか、ディアナはその左手をテーブルからイスの背もたれに移した。 「フェリオぉ、実はすっごい後悔してるんだけどぉ~」 「ん~? 今更弁解なんて聞かねぇぞ?」 「……足腰立たなくなるぐらいに、思いっきりやっとくべきだった」 一オクターブ低くつぶやいたセリフも、自分の完全優位を悟ったフェリオには効くわけもなく、むしろ彼は、「せいぜい抵抗するがいい!」ぐらいの余裕の表情を見せていた。 「ま、おとなしく―――」 フェリオの伸ばした手が、ディアナの左手を掴む直前、支えとなっていたその手を、ふわり、と放した。 「おい、そりゃ賢くねぇな」 ふらつくディアナに手をかけようとするも、触れる直前、まるで風に舞う花びらを掴もうとした時のように、するりとディアナがよろける。 「あれぇ?」 ディアナは支えを失った状態で、まっすぐ立つこともできずに、ふらふらとよろめいている。 「あんまり、そうやってーと、他の客にも迷惑だろう」 と、周囲に対して言い訳めいたことを口にしながら、フェリオは何度目かの手を伸ばす。 「そんなこと言ってもぉ、目がエッチぃんだもん」 とろん、とした半眼で、ディアナはするりと紙一重で避けた。 「あ、すいません、勘定置いときますぅ~」 ゆらゆらとしながら、財布からお金を出すと、たすん、と勢い良く机に叩き付けた。 「おい、こら待てよ」 フェリオも同様に小銭を机の上に置くと、店を出ようとするディアナを追いかけた。 「エッチぃ人の言うことはぁ、聞きません~」 ふらふらと通りに出たディアナの手首をようやく掴んで、「逃がしてたまるかよ」とフェリオが声を出す。 「ねぇ、フェリオ~。あたし、分かっちゃった」 「あぁ?」 「師父の言ってたぁ、秘伝の言葉のぉ、最後の意味ってこれよねぇ~?」 いきなり秘伝と言われても、とフェリオは困惑するが、相手は酔っ払いとあって、すぐに立ち直る。 「何の事だかわかんねぇけど、ま、捕まえたからには……」 「残念でしたぁ~」 んふふ~っと笑って、ディアナは苦もなく掴まれた手首を引き抜いた。 「なっ」 まるで掴んだものがウナギだったかのような感触に、フェリオが目をみはる。 (オレは酔ってねぇよな?) 「ねぇ、フェリオ。賭け、しない?」 にこにこと上機嫌でディアナは切り出した。 「賭け?」 「さっきぃ、あたしの二つ目の顔を見てもへこたれてないって、言ったわよね?」 ディアナは自分の両耳に手をやった。 「あ? あぁ、そりゃお前はお前だしな」 ディアナの意図と腕の両方を何とか掴もうとしながら、フェリオは答える。 ふらふらとしながらも、決してフェリオに触らせないディアナは、彼の有名な酔拳でも会得したのだろうか。 「じゃぁ、三人目も見つけてよ」 言うが早いか、ディアナは何かを放り投げた。 「っと」 フェリオが受け取ったそれは、いつか彼がシーアに言付けた白いイヤリングのようだった。金具が赤く塗られているのを見つけ、そう確信する。 「そしたら、あたしもフェリオの言うこと全部に、こたえてあげるから」 (答えて? 応えて? 堪えて?) ぐるぐると混乱するフェリオ。 「はいはい、そこまでですよ。ディアナさん」 唐突に割り込んで来たのは、他の誰でもない、ダファーだった。 「おまっ、ダファー!」 「フェリオさんも落ち着いてくださいねー。酔ったディアナさんを襲いでもしたら、わたしが社長に怒られますから」 「あっれぇ? なんでダファーがいるのぉ?」 まだ上機嫌のディアナが彼を指差す。 「あーあ、いったいどれだけ飲んだんですか。社長のカミナリくらっても知りませんよ?」 と、ダファーの伸ばした手を、ディアナはするりと避けた。 「あたし、このままサミーお姉ちゃんのとこに帰るから」 もはや、『ディアナ』を装うこともせず、彼女は笑みを浮かべた。 「送りますよ。そのまま帰したら、わたしが社長に怒られます」 手を掴むことをあっさり諦めたダファーは、「それでは」とフェリオに一礼をした。 「それじゃ、フェリオ。賭けはよろしく~」 「ちょ、待て、おい」 呆然とするフェリオに振り向きもせず、ふらふらと歩くディアナと、それに付き添うダファーは夜の闇に消えて行った。 もちろん、フェリオに追いかけるという選択肢はあったが、以前、自分と互角に渡り合ったダファーが隣にいるということと、何よりディアナの口にした、『秘伝』が気になってとても追いかけられる状況ではなかった。 「賭け……ねぇ」 三人目の自分まで捕まえろとは、なんと傲慢なセリフだろう。そうは思うが、今日のディアナはあまりに脆過ぎて、まるで捕まえて欲しいと言ってるような錯覚さえした。 (ま、ノるしかねぇか) 白い象牙のイヤリングを軽く握り、フェリオは軽いため息をついた。 リジィの安否も気になったが、リジィを気にかけるディアナの弱さはもっと気になる。それに少しでも近づけるなら――― (意地でも捕まえるしかねぇよな) フェリオは、甘いため息をついた。 | |
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