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第14話.そして最後の鐘が鳴る

 4.彼は彼女と決着を


 太陽はゆっくりと昇り、中天を目指しつつあった。
 植え込みと花壇だけしかなかった、ウェルフォントの城の中庭には、今は所狭しと椅子が並べられている。
 何の滞りもなく、ウェルフォント建国三十周年式典は進んでいた。だが、その進行状況とは裏腹に、中庭を幾重にも囲むように警備しているヤードや衛士、雇われた警備要員達の緊張は最高潮に達していた。
 今まさに、国主の演説が始まろうとしているのだ。エレーラが出るか、レジスタンスの残党が出るか。どちらにしても彼を狙う輩が出てくるのは、この時を除いて他にないような気がした。
 注目の的となっている国主ティタニエは、ちらりと隣に座る宰相に視線を移し、まるで「大丈夫だ」と言い聞かせるように頷いた後、ゆっくりと立ち上がった。
 式典のために設けられた壇上に、ゆっくりと歩き出す。来賓席から、マックスがその様子を見つめていた。その顔には「さぁどうする?」と笑みが浮かんでいる。
 壇上の中央に上がったティタニエが、まっすぐ前を見据えた。
「あー、このウェルフォントが建国されて、はや三十年。ここにお集まりの皆様方も、共和制という新しい制度に戸惑うことも少なくなってきたことと思う―――」
 頭の中に叩き込んだ原稿を、集まった来賓の顔を見渡しながら、ティタニエが語り出した。
「フィトモニアという王制の国が、こうして共和制への道を踏み出せたのは、夢を語って散っていった、いくつもの若い命があってこそだった」
 ティタニエの演説を聞き流しながら、ウォリスはひたすら式典会場の外へ、神経を注ぎ込んでいた。
「私達は、彼らのことを忘れてはならない。彼らの夢があってこそ、今の私達の国があるのだと」
 スワンが来賓の中に、不審な動きをする者がないかと、まるで睨むように来賓席を見つめている。
「私はまだ、夢に見る。まだ、フィトモニアであった頃の、故郷の夢だ。私は食べるものもなく、するべき仕事もなく、ただ荒れ果てた大地を見つめていた」
 アンダースンは、城の中を城の衛士と共に巡回していた。エレーラの傾向として、高い場所から姿を現すことが多い。式典会場の中庭を見下ろせる場所はいくつもあった。
「この場所で、二度とあのような内乱を起こさないことを誓ってから、三十年。私達の国が、着々と、そうありたいと願った道を進んで来ていることは、この国の代表として、本当にうれしいものだ」
 他のメイドと共に、国主の演説を城内から見物していたシーアが、「コワくてミていラレまセン」と、奥に駆け戻って行った。
―――たくさんの人の思惑をよそに、国主の演説は何事もなく進んでいった。不審人物が出てくるわけでもなく、ただ、静まり返った会場内に、年を感じさせない朗々とした声が響き渡る。
「―――ウェルフォントの今後の栄光と繁栄、そして何より平和を願い、国主としての祝辞を締めくくらせていただく」
 カタン、とティタニエが一歩下がり、ゆっくりと自分の席へ向かう。会場のほぼ全員の視線がティタニエの一挙一動に寄せられ、そして彼は自分の椅子に腰を置いた。
 ほう、と安堵のため息をついた警備の心境を嘲笑うかのように、タスッという音が響いた。
「っ!」
 ざわつく会場の中、その音源、壇上に突き刺さった銀色の何かを確認するため、衛士が複数名、壇上に上がる。
「いやぁん、どいてーっ!」
 脳天気な声と共に、黒い何かが演壇の中央に降り立った。
 黒装束に黒頭巾、顔の上半分を覆うゴーグルに、挑発的な笑みを浮かべた唇。その手は腰のベルトポーチに、油断なく置かれていた。
「エレーラ!」
 誰ともなく、その名が叫ばれた。
「ちゃぁんと、忠告はしてあげたのにね、国主サマ♥」
 彼女はティタニエと宰相の座る方へ身体を向けると、すっと左手を天高く上げた。
ドォンッ! ドォンッ!
 腹に響くような轟音とともに、城の屋上に設置されていた祝砲用の大砲が白煙をあげた。
「な、早過ぎるっ!」
 進行側の誰かの声も、その音にかき消された。
 音に驚いて身体を小さくした来賓の上に、ばさばさと大きな紙ふぶきが舞い散った。
「こ、これは―――」
 それを手に取った人々に、驚愕が走る。
 そこに書かれているのは―――
「なるほど、よく調べ上げたものですね」
 内容を確認した宰相が、淡々と呟いた。それは、アイヴァンを買い占めて利益を得た証拠。そして、その利益の使い道が詳細に渡って書かれていた。
「まさか、ぜーんぶ、地震被災地の復興にあててるとはね♥」
 壇上で余裕を見せて話すエレーラだが、その周りには徐々に警備の輪ができつつある。
「お、おい、待てこれっ!」
 来賓の一人が悲鳴を上げた。彼が拾い上げたビラは、アイヴァン使用の証拠品ではなかった。
 そこには、共和制反対派レジスタンス『スレッジハンマー』の、要人暗殺計画の全貌が記されていた。式典が終り、警備の面々が一息ついた時を狙って、事前に仕掛けた爆薬に一斉に火をつけるというものだった。もちろん、火付け役にも命がない。自爆覚悟のものだった。
「みんな死んじまう! 爆薬で吹き飛ばされちまうんだっっ!」
 その絶叫に、来賓を含む、全ての人間の時間が凍りついた。
「ちょっと、見せてくださいっ!」
 来賓席に割り込んだスワンが、そのビラの内容に青ざめた。
「うわぁぁぁっ! ワシは死にたくないっ!」
 髭の長い、隣国の特使が少しでも早くこの会場から逃げようと、立ち上がった。
「総員、避難誘導にあたれっ! エレーラのすることだ、爆発の危険性は薄いとは思うが……。わたしとアンダースンは爆薬設置場所を確認する! ピエモフ警備は避難誘導を指揮してくれっ!」
 ウォリス警視正の指示に、ヤードも落ち着きを見せるが、逃げ惑う来賓にあてられ、平静を保つことは難しかった。
 同じく警備にあたっていた衛士も、国主以下、要人を警護しながら城から出るべく動いている。一方、警備に雇われたハンターや私設警備会社の者は、こんなところで命を落とすわけにはいかないと、逃げる人々の群れに紛れていた。ヤードに協力して避難誘導に当たっている人間もいるが、ほんの一部にしか過ぎない。
 まるで蜘蛛の子を散らすように中庭から人が消えていく。
 その喧騒の中、別に逃げるわけでもなく、どっかりと座ったままの正義新聞社長、マックスに、声をかける者がいた。
「どうも、お久しぶりです。社長さん」
 マックスが顔をあげると、茶色の巻き毛の顔の整った男がにこやかに話しかけてきていた。
「……確か、『王子様の集い』の会長さん、だったかなー?」
「えぇ、その節はどうも」
 この危機的状況には場違いな笑みを浮かべ、その男――アレクはマックスの隣に座った。
「なんだ、逃げねーのか?」
「なんで逃げる必要があるんですか? 私はエレーラ様を信じておりますし、同じようにエレーラ様に詳しいあなたも、逃げようとはなさっていません」
 なるほどな、とマックスは目を細めた。
「それに、今回も華麗なエレーラ様が見られそうですからね。こんなチャンスは逃す手はありませんよ」
 アレクが指差す先には、外へ流れる人の波に、猛然と逆らって駆ける一人の男がいた。ボサボサの黒髪に、鍛え上げられた体躯。人ごみを抜けたところで、愛用のカタールを右手にはめた。
「エレーラぁっ!」
 彼女の正体を知っているはずの彼は、彼女の本名ではなく、あえて「エレーラ」と彼女を呼んだ。それは、彼なりのけじめだった。目の前にいるのはよく知る同業者ではなく、捕らえるべき賞金首とするための。
「いやん、ちょっとは退屈しなくて済みそうね♥」
 それまで逃げ惑う人々を、ヒマそうに眺めていたエレーラが、唇に笑みを浮かべた。声には出さず、「ねぇ、フェリオ」と、唇だけで彼の名を呼ぶ。
「いいかげんに、おとなしく、捕まっちまえよっ!」
 壇上に上がったフェリオを、エレーラは空っぽの両手で迎えた。ムチを構える必要はないと、指をくいくいっと曲げて挑発する。
「おや、彼相手にムチを使わないつもりですか?」
 既に見物を決め込んでいるアレクが呟くと、「そうだろうな」とマックスが答えた。
 今のエレーラにとって、鞭は頼るべき武器でもなく、力を調節するためのものでしかない。今回に関して言えば、城に潜入するのに邪魔なだけだった。
「んのっ! なめるなよっ!」
 フェリオの右腕が、ぶぅんっ!と風を唸らせる!
「あんまり熱くならないの♥」
 エレーラは上体を動かすという、最小限の動作でそれをかわした。だが、それを見越していたのか、フェリオの後ろ回し蹴りが彼女を狙う!
「見え見えの手だっていうのに」
 エレーラは回し蹴りを避けるどころか、逆にフェリオの足に手を伸ばした!
「!」
 意図すら読めないその動作に、フェリオが戦慄を覚えたのも束の間、エレーラは手に触れた蹴りの勢いを流し、その力をそのまま彼自身をひっくり返すことに転換した!
「んぁっ!」
 背中打ちつけ、一瞬、圧迫された肺が吸気を拒んだ。
「なんか、エレーラ様の戦い方が変わりましたか?」
「そーだな。前にも増して省エネだ」
「そうですね。以前も相手の力を利用していましたけど、あそこまで芸術的ではありませんでしたね」
 アレクの表現に、マックスが「うえ」とイヤな顔をした。
 二人が呑気に話している間も、フェリオの猛攻をエレーラはしのいでいた。一見、接近戦に特化したフェリオのスタイルに合わせているように見えるが、エレーラの立ち位置は、接近戦よりもさらに近く――拳が最高速度に達する地点よりも近くにあった。
「んのっ!」
 自分の繰り出す拳がことごとく外され受け流されるのを、フェリオが苦い顔で見つめていた。
「だから、無理って♥」
 まだ余裕の笑みを浮かべているエレーラが、からかうように唇を動かす。その間も、まるで風に舞う羽毛のように、フェリオの猛攻を避けていた。
(のままじゃ、こっちが消耗するだけかっ!)
 フェリオが、後ろに跳び退り、間合いを空けた。
「あら? もう終りかしら♥」
 息ひとつ乱さず、エレーラが問いかけると、フェリオは黙って左手でカタールを撫でた。それは、ほんの何気ない仕草。
「こっからが、本番だよっ!」
 カタールを構えたフェリオが、エレーラの横に回り込もうと地を蹴って―――かすかに左手が奇妙な動きを見せた。
「いやん♥」
 いつになく大きい動作で後ろに跳んだエレーラ。さっきまで立っていた位置に、陽光にきらめく何かが見えた。
「ちょっと、人のこと殺すつもり?」
「自分が生死不問の賞金首ってこと、忘れてんのか!」
 怒鳴り返すフェリオは「ちっ」と舌打ちをした。初撃を見破られたのは痛い。
(もしくは、致命傷を恐れて、こっちの手が鈍ったか?)
 フェリオが自問するが、避けられたのは事実、それなら次の手を考えなければならない。
 この『糸』の存在さえ見抜かれたものの、高速で動くこれを見極めるは至難の技だ。扱っているフェリオでさえ、自分の左手の動きで『糸』の場所を予測しているに過ぎない。だからこそ、これを避ける手段は、たった今エレーラがやったように、狙われた範囲から遠ざかる、ということなのだが―――
「今のは、なんだったんでしょう」
「……さてな」
 マックスにはもちろん予測がついていた。前回、ディアナがやられた原因と同じものだろう。だが、遠くにいる自分達には、ただエレーラが大きく飛びのいたようにしか見えない。
「とりあえず、あっちのフェリオってハンターが、何か見えねーもんを使ってるのは間違いなさそーだ」
 軽く言い放ちながら、内心マックスも舌を巻いていた。あんなものの相手はできればしたくない、と。
 マックスの見つめる先で、再びエレーラが大きく飛びのいた。エレーラの近くにあった式次第の立て看板が、スパン、と真っ二つに割れる。
「ありゃ、ちょっとヤベェか?」
 マックスが呟いた瞬間、エレーラがフェリオに向かって地を蹴った。再度、接近戦に持ち込むというのか、今のフェリオに近付くのは危険以外の何でもないように思えるが―――
「ちいぃっ!」
 フェリオが舌打ちして、向かってくるエレーラにカタールを構えた。それを見て、マックスの目が細められる。
(あれは、接近戦じゃ使えねーのか?)
 見えない何かを接近戦では使わない。それは、扱う者にとっても危険だからか?
 マックスの仮定を裏付けるように、エレーラはぴったりとフェリオに寄り添う。
「やっぱり、見えてないのね♥」
「うるせー」
 フェリオが口でこそ反論するものの、左手が動く気配はない。
「……遊んでいたいけど、そろそろかしら♥」
 エレーラが至近距離ついでに、そっとフェリオの耳元で囁く。
「なんのことだ?」
「そろそろ避難も完了したってこと♥」
 エレーラは、にこり、と笑うと壇上から離れ、そのまま右手の入り口から城の中に逃げ込んだ。
「な、どういう……」
 まさか、あっさり逃げるとは思ってもいなかったフェリオが呆然と叫びかけたとき、ちょうど彼が中庭に戻って来た。
「エレーラはどこに行ったーっ!」
 エレーラを追い続けて幾星霜、のアンダースン警部である。いつも通りだみ声を張り上げて、いつも通りのくたびれた茶色のコートで、いつも通りの無精ひげで、いつも通りエレーラを追っていた。
「……って、なんで避難してないんじゃいっ」
 来賓席でのんびり座るアンダースンの天敵二人と、同じくエレーラを追っているであろうハンターに向けた問いに、答えを求めるのも間違っているとすぐに気付き、アンダースンは首を大きく振った。
「エレーラはどっちにいるっ?」
 切羽詰まったようなアンダースン警部の問いに、示し合わせたわけでもなく、三人は壇上から向かって『左手』の城の入り口を指し示した。

<<14-3.花火と女装と決戦前夜 >>14-5.戦い終わって酒飲んで


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