TOPページへ    小説トップへ    ひとつの空にあるように

1.出会いの冬

 3.新しい立場


ゴトゴト、ガタン!

 石を踏んだのか、馬車が大きく揺れた。手綱を引いた若い男が「おっと」と声を上げる。

「えぇと、アンジェラ?」
「はい、ご主人様」

 馬車の荷台から、毛布にくるまった少女が、すぐさま返事をした。

「あぁ、大丈夫なら構いません。……ところで、その『ご主人様』はやめてもらえませんか?」
「どうしてですか? ご主人様がわた……あたしを、お引取り下さったんですよね?」

 不思議そうに首を傾げたアンジェラだが、うっかり「私」と言いかけてしまったことで、恐々とした様子で問いかける。

「私は、あなたを奴隷として引き取ったわけではありませんよ」
「? では、ご主人様は何のために、あたしをこうして連れていらっしゃるんですか?」

 これでも随分と少女、アンジェラはウィルに慣れてきていた。自分のことをつい「私」と言ってしまっても、口で訂正するだけで怒ることもムチを振りかぶることもない。
 それでも、ちょっとした拍子に、アンジェラはぎゅっと体を縮めて怯えてしまうのだ。

 だが、別にウィルはそれほど悲観してはいなかった。2年という長い虐待生活に、心が萎縮しているだけで、擦り切れてしまったわけではない。表情こそ少ないものの、この調子ではすぐに順応してくれるだろうと考えている。

「そうですね。正直、売り言葉に買い言葉だったのですが……」

 彼は悪友の顔を思い出す。
 別れ際に「どうして『あたし』という呼び名にこだわったのですか?」と疑問をぶつけてみると、単なる好みだという答えが返ってきた。そして、奴隷出身でなくとも、平民出身の女性が「長らく療養していた娘」などという触れ込みで社交界にデビューすることもある、という話まで(聞いてもいないのに)披露してきた。どこそこの、だれそれ夫人が元々貴族の愛人の子で子どもの頃は平民として暮らしていたとかナントカ。

「では、どうして、あなたが引き取らないのですか?」
「そりゃあ、面倒くさいからさ。その点、キミはちゃんと育ててくれそうだしね。数年後を待ってるよ」

 嘘だか本気だか分からない顔をして、カークは騎馬隊を率いて王都の方へ去って行った。副官であるウィルも、勿論王都に行く予定だったが、引き取った少女のためにも、すぐ自分の領地に戻るようにと言われたのだ。
 そして、カークはウィルに1枚の地図を押し付けた。
 帰りがけに寄るといい、そう言われて向かっているのだが、やたらと人をおちょくるところのある彼は、結局ウィルにその店がどういうものなのか説明をしてはくれなかった。

「―――ご主人様?」
「あ、あぁ、すみませんね」

 呼びかけられて、はっと現実に立ち戻ったウィルは、荷台から不思議そうにこちらを眺めている少女を見た。彼女はウィルが謝ると、決まって首を傾げる。

「ちょっと考え事をしていました。そういえば、もうそろそろですね。この『ミーナの家』は」

 胸ポケットに折り畳んでおいた紙を、ごそごそと取り出す。そこには「民家と変わらない外観、見落とさないように注意!」という走り書きがある。こんなことを書くぐらいなら、何の店なのか教えて欲しいと思うが、まぁ、今更なのでウィルも気にしなかった。
 ぱっかぽっこと歩く馬の手綱を制しながら、彼はきょろきょろと立ち並ぶ民家を見渡した。

「あ、ありました。赤いポストに『M』の文字。目印通りですね」
「ご主人様、ここがお邸ですか?」
「いいえ、カークが教えてくれた場所ですよ。まだ、もう少しかかりますので、辛抱してくださいね」

 馬車を脇に寄せて止める。少女を荷台から下ろそうと手を差し伸べるが、アンジェラは大きく首を横に振って遠慮すると、一人でぴょん、と飛び降りた。毛布をぐるぐると巻いているのに身軽なことだ、と的外れの感心をする。

「ごめんください」

 扉に手をかけて、ぐいっと引くと、カランカラン、とカウベルのような音が二人を出迎えた。

「あら、いらっしゃい。……旦那様は、ここが何の店だかご存知なのかしら?」

 微笑んで出迎えた二十歳前後の女性が、何故か手を出して尋ねてきた。何を出せと言われているのか分からないまま、ウィルはとりあえずカークから渡された地図をその手に乗せてみた。

(相変わらず、人にこういう嫌がらせをするのが好きですね、カークは)

 隠された符牒など知らない。聞いていない。つまりは、自分で何とかしろということだろう。

「ん? お金じゃないの? これ、地図かしら?」
「はい。友人からこの場所を教わりました。『ミーナの家』で間違っていませんよね?」

 あぁ、なるほど、と女性が、ぽむっと手を打つ。そのままくるりと店内を振り向いた。

「だってよ、お母さん!」

 足踏みミシンをカタタン、カタタンとリズムよく動かす壮齢の婦人が顔を上げた。

「あらら、見慣れない顔だから、てっきりお前の客かと思ったよ。こんな所に来るなんて、誰の紹介だい?」

 ダカダカダカッと一息に直線を縫い上げた婦人が、よっこらしょ、と腰を上げた。四十代前半ぐらいだろうか、少し緩慢に見える動作は、こちらを警戒しているからのようだ。

「えぇ、友人の、ティオーテン公爵から、この店のことを聞いたのですが」
「ふぅん? ……あれ、もしかして、領主様じゃないかい?」

 ぎくり、としたウィルに向かって、婦人はどたどたと早足で近寄ってきた。

「あぁ、間違いないよ。なんだい、カタブツ領主様だと思ってたけど、こんな店に来るなんてね。あぁ、その子だね。名前はなんて言うんだい?」

 腰を落として視線を合わせた婦人に、アンジェラは、そっと隣のウィルを見上げる。どうやら直に話して構わないと見て、改めて婦人に向き直った。

「わた、……あたしの名前は、アンジェラです」
「そうかい、アンジェラかい。いい名前だね。あたしの名前はミーナって言うんだ。よろしくね。―――それじゃ、さっそくだけど、こっちに来てもらおうかい」

 有無を言わせず包まった毛布ごとアンジェラを抱き上げると、婦人はすたすたと奥に向かっていく。

「ちょ、ちょっと待ってください。どこに連れて」
「ミルフィナ、領主様に説明しときな」

 その太い腕で少女を抱え上げたまま、ずんずんと去っていく婦人を追おうとしたウィルの前に、最初に応対した女性が立ち塞がった。

「はい、若様ストップ」
「しかし―――」
「母さんは、あの子を風呂場に連れて行っただけよ。ちょっとひどい状態だったでしょ? 心配しないでもいいのよ。それよりも、こっちの仕事をやってもらわないと」
「仕事?」

 困惑するウィルを店内に通すと、見慣れない光景にウィルはあちこち見回した。所狭しと並べられたハンガーラックには、色とりどりの服がかけられている。どれもこざっぱりとして清潔な印象のものだ。飾りは少ないながら、小さなリボンの位置や、布の切り返しの位置で可愛らしく見せているものもあった。

「このお店はね、買った奴隷とかを自分の娘として育てたり、一人前の使用人にさせようとする人が来るの。古着をほどいて縫い直したり、少しデザインに手を加えたりしたものがほとんどなんだけど、普段着なら十分でしょう?」

 早口で説明しながら、ミルフィナは暖炉で暖めてあったお茶をカップに注いだ。

「はい、若様。外は寒かったでしょ」
「ありがとうございます」

 状況を説明してもらって、ようやく落ち着いたウィルは、素直にお茶のカップを受け取って、ふーっと吹いて冷ます。

「あ、そうだ。若様の予算ってどれくらいなのかしら? あと、何着ぐらい買う予定なの? ちょっと考えておいてね」

 口を動かしながら、棚から下着を、奥のタンスからタオルを手際よく取り出したミルフィナは、そのままパタパタと軽い足音を立てて店の奥に消える。

「予算、ですか」

 一人残されたウィルは、ぼんやりと呟いた。突然のことで、どれだけ使うのが妥当なのかも分からない。ただ、幸いなのは、食い扶持が一人増えたところで問題ないぐらいには、金があることだった。
 すぐにパタパタと戻って来たミルフィナに、ウィルは率直な疑問をぶつけることにする。

「あの、相場はどのくらいなんでしょうか?」

 あまりにバカ正直なその質問と、困った仔犬のような表情に、ミルフィナは「若様はお客様だし領主様だから」と、爆笑だけは何とか堪えた


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「へぇ、苦労したんだねぇ」

 新しいご主人様であるウィルの前では、表情を抑え気味なアンジェラも、全く関係のないミーナとはすぐ打ち解けて会話をしていた。

「そんなことはありません。わた、あたしの代わりに、色々な子がいなくなっていったんです。だから、あたしは」
「そりゃ違うよ。あんたは頑張った。そういうことだよ。……まぁ、それもこれで終わりだろうねぇ。領主様については、悪い話は全然聞かないし」

 体のあちこちにある傷を刺激しないよう、ミーナは少女の体を、丁寧にお湯をくぐらせた布で拭いていた。

「ご主人様は、領主様なんですか?」
「あぁ、この地は、あの方のおかげで楽に暮らしていけてるんだよ。ヨソの所は重税で締め付けられてるって話だ。その税もみーんなワイロ行きだってね」

 せっせと新しいご主人様の情報を集めようとするアンジェラを、ミーナはくしゃりと撫でた。

「母さん」

 木戸の向こうから呼ぶ声に「なんだい?」とミーナが返事をすると、ミルフィナがアンジェラの背丈と好きな色を尋ねてきた。

「大きさは四番で大丈夫だよ。色は―――」
「緑の色か、空の色が好きです」

 ミルフィナに届くようにと大き目の声を出したアンジェラに、「わかったー」と元気な返事が聞こえた。そしてすぐさま軽い足音が遠ざかっていくのが聞こえる。

「あの子もね、あんたと同じ奴隷だったんだよ。しばらくは、どっかのお貴族様に囲われていたらしいんだけどね、隙を見て逃げてきたってさ」

 思ってもみないミルフィナの前身に、アンジェラの瞳が驚きで丸くなった。

「しばらくは、まぁ、あんたみたいに、ちょっと表情が薄くてね。そりゃぁ、心配してたのさ。でも、時間が経つにつれて、少しずつ表情も柔らかくなってね。笑顔を見せてくれるようになって……、まぁ、泣き顔を見るまでは、随分かかったけどね」

 ちょっと沁みるよ、と傷の上を拭うミーナに、アンジェラは「大丈夫です」と痛みの欠片も見せずに頷いた。

「あんまり我慢するもんじゃないよ。正直に感情を表に出しな。……って言っても、すぐには無理だろうけどね」

 ミーナは軽くウィンクして、指先にこびりついた泥を洗い落とした。


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「なるほど、緑か青ですか。―――そこのワンピースなんてどうでしょう?」

 四番の大きさの服がまとめられた一角の中から、ウィルは青竹色のワンピースを選び出した。

「うっわー、若様ってば、お目が高い! それ、あたしが作った服なんですよ。嬉しいな」

 満面の笑みを浮かべたミルフィナが、指差された服を取って、ウィルの前に広げる。

「あぁ、やっぱりいいですね。女の子には、こういうひらひらしたスカートが似合いますし」
「あららぁ? もしかして、若様ってスカート履いたことあるんですか?」
「えぇ、悪友に無理やり着せられたのですけどね。男がコルセットなんてつけるものじゃないですよ」

 ウィルの言葉に、ミルフィナが声を上げて笑う。

「良かった。若様だったら、きっとあの子も幸せになれるよね」

 笑いすぎで滲んだ涙を拭いながら、ミルフィナはそっと呟く。ちょうどその時、奥からミーナに手を引かれてアンジェラが姿を見せた。

「ほら、どうだい? 磨けば光るだろう?」

 ミーナが自慢げに前に押し出したが、アンジェラはまっすぐにウィルを見ずに、わずかに視線を外していた。まだ、ウィルに怯えがあるのか、それとも純粋に恥ずかしいだけなのか、判断に困るところである。

「最初の服はそれかい? さ、着てごらん?

 ミーナに促され、アンジェラは素直に落ち着いた緑のワンピースを頭からかぶった。ゆったりとした袖と、ふわふわ揺れるスカートがアンジェラを包む。

「ちょっと後ろ向いてくれる?」

 ミルフィナに言われるままに、くるり、と半回転したアンジェラの足元で、スカートがふわりと風を孕んで浮き上がった。

「うん、サイズはぴったりみたい。……どう、若様?」

 ミルフィナに問われて、ウィルも少女がはにかんでいる気がして、ふふふ、と笑う。

「よく似合っていますよ」

 ウィルの誉め言葉に、アンジェラは一瞬だけ、ほのかな笑みを浮かべた。もちろんすぐに表情を消してしまったが、その一瞬だけでウィルには十分だった。

「さて、あとはどれがいいかな。若様、笑ってないで、選んでよね」
「そうだよ、あんたが選んであげなきゃね」

 ウィルは慣れない女性の服選びに四苦八苦しながらも、コートや下着を含めて20着ほど購入した。予想以上の量だったが、値段は良心的で、今回の任務を受けるにあたって提示された給金の半分も使わなかった。それでも、彼が今着ている服の一着分にも満たない。

 店を出て、再び馬車を走らせ始めたウィルの隣には、スカイブルーのワンピースにベージュのコートを羽織った少女が座っている。荷台で毛布にくるませたままにする必要がなかったので、御者台に呼んだのだ。外の景色を見せてあげたいという思いと、この少女ときちんと話をしなければ、という思惑が半々、といったところか。

「さて、何から話をしましょうか」

 景色を眺めていたアンジェラは、首を巡らせてウィルの顔を見上げた。どうやら言葉の続きを待つつもりらしい。

「そうですねぇ……。おや、そういえば、アンジェラは何歳ですか? 聞いていませんでしたね」

 のどかな街道に、ぱっかぽっこと馬が歩き、車輪がガタガタと揺れる。

「あたしは、今度の春で12になります。ご主人様」
「12歳ですか。……え、12歳?」

 無駄に緊張させないようにと、敢えて少女の方を見ないようにしていたはずのウィルが、思わずぐりん、と首を回した。

「はい。10の冬に変われて、それから春が2回きました」
「いや……あー、12歳ですか、そうですか。……まいりましたね」

 ウィルはその2つ下ぐらいの年齢を予想していた。それほど、アンジェラの体は細く、か弱く見えたのだ。だが、このままでは、カークの冗談も冗談ではなくなってしまう。あと、たった4年で少女は16歳になる。
 この国では、婚姻は16からと決められている。と言っても、婚約制度には年齢制限がないため、貴族にとってそれほど意味はない。

「12では、だめなんですか? ご主人様」

 まるで捨てられた子犬のような目で、アンジェラが見上げる。黒檀の色をした瞳だと思っていたが、陽光の下では、そこに僅かに紫が混じっているように見えた。
 ひたむきな視線に負け「そんなことありませんよ」と言いかけたウィルだが、思うところあって、その言葉を少し曲げることにする。

「そうですね。アンジェラ。あなたが私のことを『ご主人様』と呼ばなければ、いいですよ」

 それまで真っ直ぐにウィルに向けていた視線が、宙を泳いだ。
 ご主人様という言葉を禁じられて、その代わりにどう呼べばいいのかが分からなかったのだ。特に指定されたわけではないから、きっと察しろということなんだろうと考えて、必死に頭を動かす。材料があまりに少なくて好みがさっぱり分からないが、それでも、答えないわけにはいかないのだろう。

「―――わかりました。『だんな様』」

 アンジェラは自分なりに「これだ」と思える呼び方を見つけてみたのだが、ウィルは少し困ったような表情を浮かべた。

「まぁ、ご主人様よりは、マシ、ですかね」

 小さくため息をつくと「ウィルフレードと名前で呼んで欲しかったのですが」と彼にとっての正解を呟いた。

「そんな恐れ多いこと、とてもできません! わ、あたしを引き取ってくださった以上、あたしはだんな様のものなんですから」
「そこなんですよ。私は奴隷としてあなたを買ったわけでも、譲り受けたわけでもありません。―――そうでぅね、言うなれば、娘みたいなもので」

 少しだけ夢見るように呟いたウィルに、アンジェラはきょとん、と目を丸くし「娘?」と小さく口の中で言葉を紡いだ。

「そう。娘ですよ。だめでしょうか?」

 とうとう視線を外し、俯いて考え込んだアンジェラは、表情には見せないながら、混乱の極みにあった。
 娘というならば、目の前の人は、自分の父親ということになる。でも、アンジェラにはちゃんと父親がいる。今も生きているかどうかは分からないが、確かにいる。それなのに娘として扱いたがるこの『新しいご主人様』の目的はなんだろう、と。こんなご主人様は知らない。命令を知らないご主人さまなんて。

(……そうだ。命令)

 アンジェラは、この2年、慣れ親しんだ言葉を思い出して、ぐっと顔を上げた。

「娘になるのが、命令でしたら、従います」

 命令ならば何にでも従う覚悟をしていたはずなのに、何故か唇が震えた。

「『命令』はしませんよ。するのは『お願い』か『頼み』です。……そうですね、娘がいやだと言うのであれば、娘兼小間使いでも構いませんよ?」

 どうあっても『娘』を外す気がないらしいウィルは、それでも『命令』をするつもりがないようで、少女は頷いた方がいいのか迷った。命令されることに慣れすぎて、いざ命令がなくなると、何をどうしてよいか分からなかったのだ。少なくとも、2年以上前の自分は、誰からも命令なんてされてはいなかったはずなのに、その頃の自分をすっかり忘れてしまっていた。

「それでも難しいなら、娘兼小間使い兼婚約者なんていうのはどうでしょうか?」

 少しだけ悪友を見習って、譲歩に見せかけたいじわるを仕掛けたウィルに、少女は慌てて声を上げた。

「娘兼小間使いでお願いします、だんな様!」
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