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 9.女神様(※カルル視点)


 オレの名前はカルル・バルトーヴ。
 王立騎士団所属の騎士だ。一応、親から爵位を継ぐ予定だけど、先々代が大商人だったってだけの成り上がり貴族だから、ステキな血筋のお嬢さんをお嫁さんに希望。
 っていうか、ステキなレディならいつでもウェルカムなんだけどね。
 残念ながら一人の女性に尽くすよりも、何人もの女性の間を渡り歩くのがオレに合ってるみたいだよ。爺さんも親父も愛人がたくさんいるし、そういう血筋なんだろう。
 そんなオレの一番の友人は、れっきとした伯爵家の血を引くクレスト・アルージェ。軽薄を絵に描いたようなオレとは正反対の性格だ。美形としか評価できない素晴らしい顔を持つクレストと一緒にいるだけで、ご令嬢が大群を為して寄ってくるんだけど、残念ながらクレストには愛想の「あ」の字もない。そこが良いというご令嬢も多いのだから、世の中はうまくできているもんだ。
 オレと同じく、クレストも寄って来る令嬢の中から適当に一人を選んで奥さんにするって思っていたんだけど、それが全くの的外れだと知ったのは、オレが十四になった頃だった。
「俺の祈りであり、唯一の救い手だ」
 剣技や乗馬、様々な知識を競い合って学ぶ中で、クレストはたまに「マリーツィア」と呟くようになっていた。
 その言葉が何を表すのかと聞いても、前述のような答えしか返って来ない。前から少し冷めたヤツとは思っていたから、何かのきっかけで神の道に目覚めてしまったんじゃないかと不安になった。
 まぁ、ある意味正解だったんだけど。
 何度か通ったアルージェ伯の別邸で、メイドたちが噂しているのを聞いた。末子を溺愛する伯が買い与えた子ども。子どもらしい我侭を言わない末っ子が、珍しく親にねだったプレゼント。
 幸運にも、親友の女神様に一度だけ会うことができた。
 邸の中で、綺麗な服を着せられて、それでも知らない場所に連れて来られた猫みたいに、警戒心丸出しで歩いていた女の子。
 あまり長くない黒髪を無理に結い上げたせいで、白く細い首筋に後れ毛がはらはらと落ちていたのが、子どもでも妙に色っぽく見えるんだと感心したのを覚えている。
 オレが声をかけると、どこか不安そうに、それでも深いアメジストの瞳を、好奇心にきらきらと輝かせた。
 残念ながら、クレストに見つかってしまい、大した話はできなかったけどね。
 買い与えた、と噂されるからには貴族の血も引いていないだろう。「関係ない」と一蹴されるのを承知で、その少女をどうするつもりなのかと聞いてみれば、
「傍に置いておくに決まっているだろう」
 という真意の読めない答えが返って来た。
 それが「娶る」つもりなのか「雇う」つもりなのか「囲う」つもりなのかを聞こうにも、あの子の話をすると途端に機嫌が悪くなるので、迂闊に突っ込めなかった。
 あの頃、既に美少年の称号を欲しいままにしていたクレストは、それでも無表情・無感動・無愛想の三無しで同年・同性の友人には恵まれていなかった。あ、無口も入れると四無しか。
 特に美形が怒ると怖いのだと、オレも何度思い知ったことか。
 それでも傍に居続けたのは、商魂たくましい父親から友人になっておいて損はない、と諭されたのと、なんだかんだと周囲にいないタイプで面白かったからに他ならない。


 あの少女が居なくなったと聞いた時、元々彼女を連れていた魔術師が連れ去ったのだと激怒するクレストを見て、ドン引きしたのを覚えている。
 声を荒げている彼にも驚いたが、その表情が、何故か怖かった。
 あれはオレのものだ、とか口にする彼を見て、姉のよく読んでいる恋愛小説に出て来る敵役と同じだな。とか恐怖に麻痺した頭が現実逃避に走ったものだ。
 数年経って騎士見習いになったにも関わらず、まだ彼女を探し続けているクレストを見て、狂気というものがあるとすれば、目の前のこれなんだろうな、とか完全他人事として思った。
 当時から複数のレディと楽しくやっていたオレは、これは重くてたまんないね、とクレストを放置していた。
 こんなのを一時的にとはいえ引き受けていた少女=マリーも、さぞや大変な日々を送っていたんだろう。マジ女神様のあの子も、四ヶ月しか持たなかったわけだ。
 そう考えると、マリーを売った魔術師が取り返したのではなく、マリー自身がなんらかの手段で逃げたのかもしれない、と思うようになった。
 どちらにしても、自分には関係ない、と思っていたはずだった。
 まさか、任務の途中で、すっかり娘らしく成長したあの子を見かけることになるとは思わなかった。
 新米騎士に課せられるのは、主に王都内の治安維持と、地方各地への巡回だ。地方の巡回は、様々な地方へ足を運ぶことで後々の任務に役立てる意味合いもあるのだけど、生涯騎士の身分に留まるつもりのないオレにとっては、親父の仕事を手伝うための下地作り、と思っていた。
 親父は様々な商売に手を出していて、特に流行を支配することに情熱を燃やしている根っからの商売人だ。親父の知らない地方の珍品や名産なんかを見つけたら、すぐに知らせろというお達しも出ていた。
 残念ながら、その時の巡回はこれといった名産もない町だった。山の実りはあるが、特に収穫が多いわけでもないし、鉄鉱山もしょぼい。どこにでもあるような町だった。
 一緒に回っていた先輩に連れられた食堂で、彼女を見つけた。
 アム、アマリアと呼ばれていたその子は、テーブルとイスの間を華麗にすり抜けて美味しそうな定食メニューを運び、客と笑いながらやり取りをしていた。
 あの子に似ている。きっとあの子もこんな風にどこかで日々を生きているに違いない。だから心配ない。
 そんな風に考えて、ついクレストに話してしまったのは、もしかしたら間違いだったのかもしれない。
 だけど、友として、一向に見つかる気配のない少女を探して寝不足に苦しんだり、無表情が酷くなったりしているクレストを見ているのも忍びなかったんだ。ただ、似ている子を巡回の合間に見て、きっとあの子も大丈夫だと、心配いらないと慰めるつもりだったんだ。
「それは、どこだ」
「ウォルドストウだったよ。……って、おい。きっと別人だってば。名前も違ったし」
 オレは話を聞くなり立ち上がったクレストを、慌てて引き止めた。
「名前?」
「そう。アムとか、アマリア?とか呼ばれてた。マリーツィアじゃないんだよ」
「アマリア……?」
 苛立つようにその名前を口の中で転がすと、僅かに彼は眉間にシワを寄せた。
「アマリアは、マリーにつけていたメイドの名前だ」
 吐き捨てると、今度こそオレの制止を振り切って、クレストは部屋を出て行った。
 結局、アマリアと名前を変えて働いていたマリーツィアは、邸に戻されることになった。
 オレは、久しぶりに罪悪感に似た何かに悩まされることになった。女性関係で、こんな思いを抱いたのは初めてかもしれない。


「ここに先客がいるなんて、珍しいですね」
 声を掛けて来たのはマリーからだった。
 その日、社交辞令を口説き文句と勘違いした令嬢に追われ、逃げるようにクレストの邸へやって来たオレは、約束の時間よりも随分と早く到着してしまった。
 たまには庭でぼんやりするのもいいか、と東屋に腰を落ち着けて秋に向かっていく木々を眺めていたところに、話しかけて来たのが彼女だ。
 豊かな黒髪を結い上げた彼女は、二人の女性を伴っていた。出で立ちからするに護衛だろうか。肉感的な胸に目を吸い寄せられたが、鍛え上げられた四肢と腰に下げられた物騒なものに、油断するなと騎士としての自分が警鐘を鳴らした。
「どうぞ、必要以上にマリーツィア様に近づかれませんよう」
 護衛というよりは監視役のような二人に、オレは笑って頷いた。
 ようやく会話を許されたマリーだけど、残念ながらオレのことは覚えていないようだった。
 食堂で働いていたのも見かけたと言うと、一瞬だけ睨まれたような気がしたけど、気のせいだよね? それともやっぱり恨んでる?
 マリーは四年前と同じように紫暗色の瞳を好奇心にきらきらと輝かせて、オレに質問をしてきている。
 オレがマリーに戻って来てくれてありがとう、と感謝したのをどう解釈したのか。聞いてくるのはクレストのことだ。
 そう、マリーが戻って来るまでは、常に極寒の空気をまとっていたクレストだけれど、今は小春日和と言えるぐらいまでに和らいでいる。オレも気付いたぐらいだから、きっと邸の人達だってマリーに感謝しているはずだ。
「あの方にも、恐れるものがあるんでしょうか」
 オレは思わず吹き出した。
 まさかの自覚なし!
 何やってるんだよクレスト!
 あれだけ色んな令嬢から惚れられちゃってるのに、本命にはアプローチ無しなのか?
 いくら無表情・無感動・無愛想・無口の四無しだからって、限度があるだろう!
 個人的には、アレコレあることないこと吹き込んで、こじれる所も見てみたいけど、オレはクレストの友だ。
 誤解されやすい友のためには、オレがきっちり真実を伝えてあげるべきだろう!
 決して、これも面白いとか思ったわけじゃない!
「そんなの決まってるよ。あいつが恐れているのは、何よりマリーが」
「そこで何をしている」
 いなくなっちゃうことなんだから、というオレの言葉は喉元から出陣することなく退避。
 総員退却! ヤバいのが来たぞー!
「えーと、あれー、クレスト? 用事はもう済んだのかなー?」
「あぁ、お前が来てると聞いたからな、早めに切り上げた」
「用事が片付いたら、誰かを呼びにやらせるって聞いてたんだけどなー?」
 これは怒っている顔だ。ついついオレも声に抑揚を付けるのを忘れてしまった。
 見れば、向かいに座っているマリーの表情も固く強張っているような気がする。
「マリー、二度とこいつと言葉を交わすな。穢れる」
 うわ、人のことを病原菌みたいに。まぁ、色んなレディと楽しくやっている自分としては、否定はしないけどさ。
「けがれる、というのは、どういう意味でしょうか?」
 マリーの純粋な問いに「そのままの意味だ」と答えるクレストを見ていると、なんだかいたたまれなくなる。クレストのオレに対する認識も酷いけど、マリーの白さが眩しい。さすが女神様。
「私はこの方と楽しくお喋りをしていただけです」
 うわ、その答えはまずい。「楽しく」おしゃべりしてたなんて言われたら、オレが後で痛い目に遭う。女神様の天然ぶりが怖い。オレは慌てて口を開いた。
「そ、そうだよ。マリーが健気にもクレストのことを聞いてくるから、オレが面白おかしく答えてやろうと思って―――」
「俺のことを?」
 オレではなくマリーに確かめるクレスト。
 うわ、傷つくなぁ。オレの言葉を信用していないのかい。
 とりあえずマリーが、ちゃんと頷いてくれたので、オレの不幸な未来は回避された模様。
 すぐ傍でじぃっと見上げるマリーを見ていられなくなったのか、クレストはふいっとあさっての方向を向いた。
 え、クレストでも照れるのか。
 さすが女神様すげー!
 心の中で大絶賛していたら、何故かマリーがクレストの視線の先に顔を向けた。
 え?
 女神様気づいてない?
 目の前の人、照れてるだけだよ? そっち見たって何もないよ?
 クレストの完全な一方通行を悟ったオレの腹筋が、痙攣を起こした。笑ったら絶対に後で痛い目に遭うと分かっていても、オレの腹筋だけでは対抗しきれなかった。
「ひっ、く、くるし、……これ、どんな、喜劇っ」
 思わず声を洩らしたら、クレストから鉄拳制裁をくらってしまった。
 せめてもの罪滅ぼしに熱々カップルイベント雷王祭の話を持ちかけると、マリーは大賛成。クレストもマリーの熱烈な視線にやられて落ちた。今度はオレの腹筋も頑張ったので制裁はない。
「一つ、聞くが、どうしてカルルの名前を呼ぶ?」
 おぉっと、油断してたら嫉妬フラグが。
 言われてみれば、マリーはクレストの名前を呼んでないな。
「? カルルさんは、カルルさん、ですよね?」
「俺の名前を覚えているか」
「えぇと、クレスト・アルージェ様です」
 名前を呼んで欲しいんだろうな、クレスト。
 そのことを、天然な女神様は気付いていないんだろうな。
 オレは嫉妬による制裁フラグを回避すべく、クレストを指差し「名前で呼んで」と口パクでマリーに伝える。
 伝わってくれー。
 でないとオレは五体満足で帰れないかもしれん。
「えっと、お祭、見てみたいです。……クレスト様」
 よっし! 女神様グッジョブ!
「分かった。検討する」
 クレストは女神様の頭を優しく撫で、―――そこでオレの思考は停止した。
 他人を殴ることはあっても、撫でる機能がついていたのかい?
 っていうか、オレ、クレストが笑ったところなんて、初めて見たかもしんない。
 あー。女神様。マジすげぇ。
 このままずっと、クレストの手綱を握っておいてくれ。オレの平穏のために。

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