42.交渉見慣れないサロンで、私はソファに深く座って体重を預けていた。 不躾にも約束なしで押しかけてしまったのだけど、残念ながらまだ職場から帰っていないのだと言う。どうやって時間を潰そうかと考え込んでしまったのだが、何故か訪ねた相手の父親が私をこの部屋に通す許可を出してくれた。 年配のメイドさんにお茶を出されたが、口にするわけにもいかず、すっかり冷めてしまっただろう。 とにかく私は俯き加減でひたすらじっとしていた。 コンコン 「は、はいっ」 慌てて立ち上がると、入って来たのは見知らぬ男性だった。年は五十に達しているかどうか、というその人はすらりとした長身で、私を観察するように見下ろして来る。 「君が、マリー、ですか」 年齢と、着ている上質の服から類推される相手は、おそらく私を通してくれた父親だ。 「は、はい。突然に訪問してしまい、申し訳ありません」 「楽にしていい。座りなさい」 促されるままに再びソファに腰を下ろすと、さっきのメイドさんが新しいお茶を用意してくれる。 「あ、あの、外での飲食は控えていますので、どうぞお気になさらず……」 私の言葉に、ちらりと向かいに座る男性を見たメイドは、彼が大様に頷くのを見て、下がってくれた。 「えぇと、初めまして、バルトーヴ子爵様……で、合ってますか?」 恐る恐る尋ねれば、頷いて肯定してくれたものの、息子そっくりの藍色の目が、一瞬だけ面白そうに輝いた。 「報告書で聞いていたが、君は本当に肌が弱いのですか」 「は、はい。太陽の光に当たると、赤く熱を持ってしまいます」 「道理で、そんなに抜けるような白い肌をしているわけですね。デヴェンティオを出て、今はどちらに滞在を? ニコルと一緒に?」 思わずぴくりと私の動作が止まる。いけない、いけない、と慌てて困ったような表情を浮かべた。 「申し訳ありません。その件も含めて、内密にカルル様にご相談したいと思っておりまして」 そもそも、薬屋の店舗は手付かずで残っていたけど、ニコルとマリー兄妹の扱いってどうなってるんだろう。早朝にいきなり捕まってそれきりだから、クレスト様がどういう処理をしたのか全く知らない。 つまり、下手な言い訳を口にすれば、辻褄が合わなくなってアウトですよ。一から説明し直すのも面倒だし、子爵様を信用していいのかも分からないし、何より時間がない。 「マリー。君は私の一存でここへ通されたと、理解していますか?」 「……はい、もちろんです。突然押しかけることになってしまった私を迎え入れて下さったことは感謝しています」 「それならば、相応の礼をしてもらっても良いでしょう」 ぐ、その「礼」とやらは「情報」ということなんでしょうか? うぅ、前にもカルルさんと似たような遣り取りをした覚えがあるけど、本当に商人の家系なのね、ここんち。 さて、どう答えよう。 下手な情報を与えてしまうと、後々面倒なことになる。絶対。 「何らかの見返りを求めて、私を招き入れてくださったのでしたら、私を放り出して下さって構いません。カルル様とお会いする別の方法を考えますので」 唇を噛み締め、上目遣いで相手の出方を伺う。 「なるほど。兄と同じく、きちんと物を考えているようですね。では一つだけ、簡単な質問に答えてくれますか? ―――君の兄は息災ですか?」 その質問にちょっとだけ考える。 一応、全て拒絶するんじゃなくて、取っ掛かりぐらいは残しておいた方がいいのかな。デヴェンティオでお世話になったわけだし。 「はい。少し不自由な環境を強いられていますが、身の危険があるわけではありません」 カルルさんには兄のことを相談しに来たのだと答えれば、何故かにこやかに二度、三度と頷かれた。 「マリー、君はいくつになる?」 「え、あ、十七です」 すると、ふむふむと私を見つめた。子爵様の遠慮ない視線に、私は戸惑いの表情を浮かべ、もじもじとする。 「明確な情報は渡さず、相手の興味・関心を引く発言をしますか。なかなか良いセンスを持っているようですね。良ければ私の下で働きませんか?」 「えぇっ?」 「できればニコルとセットが望ましいけれど、君だけでも構いません。もちろん、病気のことは考慮しますよ?」 「と、とてもありがたい申し出ですけれど、兄の件が片付かないことには―――」 「息子よりも私に事情を話してください。アレよりはずっと良い解決法を提示できると思います」 「いや、その……」 バタン 「人の客に手ぇ出さないでもらえますかね、親父殿」 ノックもなく入って来た彼は、この部屋まで急いで来たのか、騎士団の制服のままで栗色の髪も乱れていた。 「時間切れですか。残念ですね。それではマリー。もし息子が頼りなければいつでも。ニコルと一緒ならなお歓迎しますよ」 立ち上がった子爵様は、すれ違い様に息子の頭をくしゃくしゃと撫でると、スタスタとサロンを出て行った。 「……はぁ。えぇと、久しぶり、じゃなくて、こうして話すのは初めましてだよね。親父殿と何を話してたんだい?」 「その、不自由な環境にある兄の件で、カルル様にご相談があるとだけ、話しました。詳しいことは、何も。……ただ、私の対応が気に入られたようで、兄とともに働く気はないか、とお誘いを受けました」 なんだか、どっと疲れた。 それでも、気を抜き過ぎず、表情を動かすのだけは忘れないように気を遣う。 「マリーちゃん。君は、ニコルのことをどれだけ知っているんだい?」 カルルさんの真剣な目が、私に注がれていた。 そこで、思い出す。そういえば彼は『マリー』のことを知らなかったんだと。 「兄と私のことを詳しく説明する前に、その、……人払いをお願いしても良いでしょうか?」 「うーん。男女でそれやっちゃうと、色々と洒落にならなくなるから、―――ちょっとそっちに座らせて」 カルルさんは、私のすぐ隣に腰を下ろした。 近過ぎると思うけど、『マリー』の持つ感覚は視覚・聴覚だけなので、あまり緊張はしない。クレスト様の至近距離に比べたら、全然軽いもんだ。 「はい」 耳をこちらに向けるカルルさん。 え、耳打ちしろって? 扉のあたりに控えてるメイドさんに聞こえないように? (耳打ちなんて、『マリー』でやったことないんだけど) このぐらいかな、と声量を調整してカルルさんの耳元に口をつけた。 「このぐらいで、聞こえますか?」 すると何故か驚いた表情を浮かべたカルルさんだったが、「うん、聞こえる」と頷いた。 「何か、変でした?」 「……耳に息をかけずに囁ける人、初めてだよ」 あぁ、それは、そもそも息をしていないからです。 さすがにいきなり事実を口にするのも憚られて、私は『マリー』について最初から説明することにした。 ![]() 「―――さすがに、はいそうですか、とは信じられないな」 一通り聞き終えたカルルさんの第一声が、これだ。 私は、ちらり、とドア近くに控えるメイドの位置を確認すると、袖を肘の上までまくり上げ、薄手の長手袋をずり下ろして見せた。 「うわー……」 小さく驚きの声を上げたカルルさんの指が、『マリー』の肘の球体関節をそっと触る。これで、『マリー』が人形だと信じてもらえたはずだ。 あとは、私がマリーツィアであると、どう証明するか。 「実は、謝らなければいけないことがありまして」 「うん?」 「家紋と名前を刺繍したチーフをお渡しすることになっていたと思うんですが、クレスト様に見つかってしまいまして」 「げっ」 「名前を刺す前だったので、エデルさんへのお礼ということでごまかしました。エデルさんも結婚を控えてますし、家紋入りの小物は不要だとお伺いしたので、今後は刺繍のモチーフも厳しくチェックされることですし、お渡しすることができなくなってしまいました」 私の謝罪に驚き・恐怖・安堵・落胆とくるくる表情を変えたカルルさんは「うん、確かに女神様だね」と力なく呟いた。 「でも、刺繍の許可が出たんだね。良かった」 「そうなんです! ほんの数日前なんですけど、ちょうどその日、あの人に『面倒な客』が来ていたらしくって、もしかしたら、そんな面倒なお客さんに応対してる時に、私のつらさとか共感するようなことがあったんじゃないか、って思うんですけど、カルル様はどう思います?」 「数日前? 面倒な客?」 思い当たる人でもいるのか、カルルさんは藍色の瞳を逸らして、何か考え込むようにぶつぶつと呟いた。 「ねぇ、マリー。前に姉上が着てた服、憶えてる?」 「前、ですか? あ、若草色のドレスですよね! 日傘とお揃いの!」 「あー、うん。そっか。分かった」 「? もしかして、面倒なお客様って、服飾関係の方とかですか?」 「いや、まぁ、たぶんオレも知っている人のことだろうけど、うん。この話は一度おしまいにしようか」 ぱむ、と両手を叩いて、区切りを付ける。両手の隙間に起こった風が『マリー』の前髪をふわりとなびかせた。 「本題に入ろう。―――君はオレにどうして欲しいんだい?」 さっきまでの軽い空気が、一気に商談モードに切り替わった。 私の――『マリー』ではない自分の喉が、ごくりと鳴った。 「二つ、お願いしたいことがあるんです。一つは、近々私からエデルさんへ贈る結婚祝いの中から、あるものをこの『マリー』に渡すこと。もう一つは、……この『マリー』を、あの人の邸に連れて行って会わせること」 藍色の瞳が興味に揺れたが、真っ直ぐな眼差しはそれ以上の情報を引き出そうと私に向けられたままだった。 「……それで、君は何をオレにくれるんだい?」 やっぱり来たか。 渡せるものは、あんまりないし、カルルさんが何を欲しいかも分からないんだよね。 デヴェンティオから持ち出した五冊の研究ノートの内容を思い出す。薬草の効能・調合についての研究が二冊。人形の作り方・操作法が二冊。その他、ミルティルさんの山小屋付近で調べた鉱物・木の実・薬草以外の草花についてのメモ書きが一冊。 いったいどれがアタリなのか、そもそもアタリが入っているのかを考えつつ、口を動かした。 「以前提供した、藍色の評判はいかがですか?」 「あぁ、あれ? なかなか好評だよ。デヴェンティオには丁度良い鉱脈もあるみたいだし、このまま陶器の町で名を売っていくことになるかな」 その言葉に、ミルティルさんや息子のホルトさんが元気でがんばっているんだと知れて、胸を撫で下ろした。 「また、陶器関係で申し訳ないのですが、そろそろミルティルさんに渡した絵付けの緑に使う材料が切れるんじゃないかと。色々と研究を重ねましたが、食欲を失わせるような色がお蔵入りになったりもしましたけど、緑だけじゃなく、鮮やかな色が出るんです」 拙い私の説明に、一応関心を持ってくれたらしく、「それで?」と尋ねて来る。 「既にできている五色の製法。あと、新しい釉薬の開発だけなら、ニコル……兄さんの手を借りなくても、この『マリー』だけでやり遂げられます。その将来性も含めて、いかがでしょうか?」 ダメ押しとばかりに『マリー』を微笑ませれば、カルルはまじまじと『マリー』を見つめ、突然「あはははっ」と笑い出した。 「あ、あの……」 「いや、ごめんごめん。人間、予想を超えたことが起きると、笑いがこみ上げてくるんだね。うん、すごいすごい」 ひとしきり朗らかに笑ったカルルさんは、私の頭をぽんぽん、と軽く叩いた。 「そこまでしてあいつに会って、マリーが何をしようとしてるのかは気になるけど、まぁ、今は詮索はしないでおくよ」 まさか、私のやろうとしていることに気付くとは思わないけど、何となく商人の顔をしているカルルさんは苦手だ。こうやって笑っていても、どこか観察されている気がする。 「オレから要求することは一つ。――耳貸して」 『マリー』の耳を通して聞こえた要求に、思わずマリーの制御を手放しそうになった。 「それ、本当に交換条件になるんですか? というか、あの人が何て言うか―――」 「あぁ、大丈夫……じゃないかもしれないけど、誘拐事件の時に言質は取ってあるから」 あぁ、クレスト様にまで、同じようなことを仕掛けているのかこの商人は。 いや、深く考えないようにしよう。この件については、一応味方なんだから。これほど心強い味方はないと思って……おきたい。 | |
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