1.ダイヤの在り処「あの、……アマリアさん。今、時間ありますか?」 色々と悩んだ挙句、仕事に出掛けるクレスト様をお見送りした後に声を掛けたのは、色々と迷惑をかけているメイドのアマリアさんだった。 ずっとこのお邸に勤めているみたいだし、きっと、こういう話も、色々と知識があるに違いない……と思いたい。 「どうしました、マリーツィア様。邸の敷地内なら、いくらでも―――」 そう、クレスト様はあっさりと監禁生活から解放してくれた。 どうも、お互いに、その、気持ちが通じ合ったことが確認できたから、無理に閉じ込める必要はないと判断してくれたらしい。 「いえ、その、相談したいことが、あって……」 内容を思い出すと顔が赤くなってしまうが、アマリアさんは察してくれたようだ。 「それでは、マリーツィア様のお部屋で伺わせていただきますね」 さすがです、アマリアさん! 私は彼女を部屋に招き入れ、座るのももどかしく話を切り出した。 「実は、その、貴族の方々の考えというか、常識とかの話なんですけど」 「そういった話であれば、わたくしよりもハールの方が―――」 「ハールさんには、とても話せないんです!」 見てもらった方が早いかと、私は部屋着の胸元をくつろがせた。そこにあるのは、赤い花びら。 「……」 アマリアさんの目が、細められた。 「どこまで、です?」 「え?」 「いえ、失礼いたしました。クレスト様の部屋のベッドメイクが必要ということですね」 「ち、違います!」 勘違いしないで!! 私は今にも部屋を出て行きそうなアマリアさんを慌てて引き止めた。 「これだけです。これだけなんです! 朝方、寝ぼけたクレスト様に付けられただけなんです!」 私が必死で訴えると、なぜか少し落胆されたような気がした。どうしてだ。 「聞きたいのは、ですね、その、貴族の方々って、正式な結婚前に、えぇと―――」 うぅ、勢いに任せて聞いてしまったけど、その行為を何と口にすればいいのか分からない。 「……マリーツィア様」 「はい」 「おっしゃりたいことは分かりました。わたくしの知る限りでもよろしければ、お答えさせていただきます」 「お、お願いします」 アマリアさんは、どこか困ったような表情を浮かべている。 そうだよね。いきなりこんなこと聞かれても困りますよね。 でも、クレスト様の行動が常識の範囲内なのかどうなのか、知る術がないんです……! 「相応の血筋の方、または跡取りであれば、妻に処女性を求めることが一般的です。生まれてくる子どもが自分の血を引いていなければなりませんから」 アマリアさんの言葉に、私は胸を撫で下ろした。 「しかし、血筋に囚われない次男、三男であれば、必ずしも処女性を重要視するわけではございません。政略結婚であればなおのこと、お互いが夫・妻の立場でいれば、他はどうでも良いと考える方もいらっしゃいますから」 「え、と、つまり?」 「つまり、人それぞれということです」 なんっの解決にもならなかったよー……。恥ずかしいの我慢して聞いてみたのに。 落胆した私に気付いたのだろう、アマリアさんが救いの手を差し伸べてくれた。 「マリーツィア様。人それぞれということは、マリーツィア様も思う通りになさって良いということです。クレスト様に直接ご相談されてみては?」 ぽろり、と目から鱗が落ちる。 「それは、私がクレスト様に『結婚するまでそういうことはしません』て言っても良いってことですか?」 「―――そうですね。これまでマリーツィア様は色々と不自由を強いられたのですから、多少はクレスト様にも同じようなことをしてみても良いと思います」 あれ、何故かアマリアさんが黒い笑みを浮かべた気がする。 ついでに、散々気を揉ませた使用人たちのうらみも、とか聞こえた気がする。 まぁ、いいや。アマリアさんの言うことももっともだし! 「ありがとうございます、アマリアさん」 「いいえ、こちらこそ。お役に立てたようで何よりです」 仕事に戻るアマリアさんを見送って、私は机に向かった。 久しぶりに得た自由。頭の中で考えるに留めておいた魔術陣の構成や、既存の魔術陣の新しい活用法について、ノートに書き出しておこう。 (あ、あと、商売につながりそうなことも考えなきゃ) 時間が経つのも忘れ、考えることに没頭していた私は、一時、クレスト様のことを完全に頭の隅に追いやった。 ![]() 「おかえりなさい」 アマリアさんに声を掛けられなければ、うっかり出迎えを忘れてしまっていただろう。クレスト様の気が変わらないように、お邸内で自由に動くこともクレスト様の利益に繋がるんだと態度で示さなきゃいけない、……というのは、私とアマリアさんの共通認識だ。 久々のお出迎えにクレスト様の機嫌も……悪いなぁ。 「や、昨日ぶり、マリー」 たぶん、原因はこの人だ。いや、私がこうしていられるのも、この人のおかげだから、恩人なんだけど。 無言のクレスト様に引きずられるようにサロンへと向かう。後ろからニヤニヤしているカルルさんが付いて来た。 「さて、まず女神様には、こちらを返却~」 歌うようなふしを付けたカルルさんの言葉に、そっと手を伸ばすとコロン、と小さなものが手に落とされた。 「あ……」 それは空っぽのイヤリング。ダイヤに貯めた魔力はすっからかんになっていた。おそらく、最初に『マリー』もとい『クリス』の中にあったものだろう。 「どうしてお前が持っている」 「えー? だって『クリス』の動力源らしいじゃん。こっちはもう空っぽになったから返却したかったんだよ」 「マリー?」 冷ややかな視線に、私の身体が身構える。 「え、えぇと、『クリス』を動かすのに核となるものはどうしても必要で、最初に『マリー』……じゃなくて、『クリス』を作った時に、身近にあったのがこれで」 うぅ、なんだか視線がより冷たくなった気が……! 「自分の分身を作るのに、ずっと身近に置いてて馴染んだものが良かったので、イヤリングを使いました、すみません!」 怒られるのを覚悟して頭を下げたのに、空気が和らいだ。……どうして? そろり、と顔を上げると、微妙に機嫌の直ったクレスト様の無表情がある。あれ? マリーは無自覚だから怖いよね、と呟いたカルルさんの声は私の耳には届かなかった。 「さて、これで一つ目の用事は完了。あとはね、マリー。『クリス』を定期的に動かして、商談できるようにしたいんだ。その時間帯を決めたくてね」 「あ、はい」 商談、という言葉に馴染みがないけれど、要は私の持つ技能・情報で商売にできそうなことについて相談するってことなんだろう。 カルルさんにも騎士団の仕事があるだろうから、時間はやっぱり朝か夕方で…… あれ、カルルさん、騎士を辞めるって言ってなかったっけ? 「あの、騎士団にはまだいらっしゃるんですか?」 「あぁ。遠くないうちに辞めるってだけで、まだ時期は決めないよ」 「それなら、朝か夕方以降がいいですよね。それなら―――」 「待て」 何故かクレスト様が制止の声を上げた。 「俺とマリーの時間を邪魔する気か?」 「大丈夫です。自分の身体と『クリス』を同時に動かすのは慣れてますか、ら?」 ぐいっと身体を持ち上げられ、何故かソファに座るクレスト様の膝の上に座らされた。 「俺といるのに、俺以外のことを考えるつもりか? しかも毎日?」 これを愛の囁きと誤解できたらいいんだけど。子どもみたいな独占欲と同じだろうなぁ。 そして、私とカルルさんに向けられる視線が冷たいです。 それなのに、何故かカルルさんがお腹押さえて震えてます。 「クレスト様。平民の私なんかが、クレスト様と婚約できたのは、カルルさんのおかげなんです」 「……」 「それを、恩返ししたいという気持ちは間違っているんでしょうか」 すぐそこにあるクレスト様の美貌が、新緑の瞳が、私の言葉に戸惑うように揺れた。 「それに、私はずっとクレスト様のことを考えてます。クレスト様にちゃんと私のことを見てもらうにはどうしたら良いかって」 どうしたら、魔術師としての私とか、薬師としての私とか、子爵令嬢として役に立たないといけない私を理解してもらえるのか、ずっと考えてます。 そんな想いを込めて、じっと視線を返せば、深いため息が私の前髪を揺らした。 「マリー。お前は、俺の忍耐を試してるのか?」 「忍耐、ですか?」 求めているのは忍耐なんだろうか。まぁ、クレスト様が、私の興味が自分以外に向くのを嫌がるという意味では、そこを耐えてもらうんだから、「忍耐」という言葉で合ってるのかもしれない。 頷こうとした私の耳に、慌てて立ち上がるカルルさんの足音が飛び込んで来た。 「マリー。この件は、また、後で話そうか」 お腹を押さえたまま、声が少し跳ねている。なんだか呼吸もつらそうだ。 「あの、体調でも―――」 「うん、まぁ、腹筋が、ちょっとね。それじゃ、後で」 小さく手を上げたカルルさんは、慌しくサロンを出て行った。 「……」 それを見送るクレスト様の目は不機嫌そのものだ。 「あの、クレスト様?」 なんだか妙な雰囲気になってしまったな、と声を掛けてみると「着替える」と呟いてクレスト様はサロンから出て行った。 いったい、何だったんだろう。 ![]() 「それじゃあ、昼過ぎから動かしてもらって、クレストが帰ったら止めるってことで」 「はい、カルル様」 あれから半刻後、『クリス』は自分に割り当てられた部屋でカルルさんと話を詰めていた。 「ちなみに、今は大丈夫なの? クレストの視線とか」 「あ、今、夕食中です。ラウシュニングさんて方のお話を伺ってます」 「え、それなのにオレと話してて大丈夫なの?」 「はい、もう慣れました。ニコルとして薬を調合しながら、『マリー』が接客することも、何度もありましたし」 そう告げると、なぜか「うわー」と変な目で見られた。 「あ、もちろん、事情を知っているカルル様を相手にしているので、表情とか出すのを手抜きにしてもいいから、楽はしてますよ?」 慌てて取り繕うと、「うん、そこじゃないから」と『クリス』の頭を撫でられた。 「まぁ、あまり焦らなくてもいいし。もし、何か必要なものがあれば、オレが親父殿に言って? 使用人にも『クリス』の扱いは周知したから」 「あの、以前から気になっていたんですけど、……使用人さんたちには、どういう話に?」 「え? マリーの友人で新商品の研究者。人当たりは良いけど、研究のことになると偏屈になるから、基本的に声を掛けられた時以外は無視しちゃって良いよ、って」 思わず、自分のフォークを持つ手がぷるぷると震えるところだった。ふー、まずいまずい。実は甘味好きだと言うラウシュニングさんに、驚いたことにしておこうっと。 「どうしたの、『クリス』?」「どうした、マリー?」 私の二つの視界が、同時に似たような質問を浴びせかける相手を捉える。 「いいえ、ちょっと衝撃的だっただけです」 私と『クリス』は同時にそう答えた。 | |
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