TOPページへ    小説トップへ    重たい執着男から逃げる方法

 3.その頃彼は(※ハール視点)


「ハール。もう一度説明を」
「―――何度、お伺いになられても、答えは変わりません。マリーツィア様はおよそ二週間の行程で旅行に向かわれました」

 同じ返答を繰り返すのは、もう3度目である。坊ちゃま、もとい、クレスト様の纏う空気は、その都度、厳しい冷気を帯びていかれる。
 ご幼少の頃より、何くれとなくお世話をしてきた坊ちゃまだが、ことマリーツィア様への執着となると、手に負えなくて困る。
 これ以上室温が下がると、最近、鈍い痛みを覚えるようになった腰の容態が悪化するのではないかと心配になってしまう。自分のもう年だと自覚しなければ。

「何故、許可を出した」
「マリーツィア様のお申し出が至極真っ当なものでございましたので」

 私は、彼女が坊ちゃまのために様々な我慢をしているのを知っている。こんな坊ちゃまを安心させるためだけに、天性の素質を持つ魔術研究を昼間だけに留めてくださっているというのに、坊ちゃまはそれを理解しているふしがない。至極、残念なことだと思う。

 マリーツィア様が、私に相談を持ちかけられたのは、一週間ほど前のことだった。

「ハールさん、ご相談があるんです」

 ひどく思い詰めた様子に、また逃亡をお考えなのかとヒヤリとしたのは内密にしていただきたい。実際、逃亡にも似た旅行の相談だったのだが。

「どうしても、ご迷惑をかけた方々に謝罪をしたいのです。ウォルドストウでは厚意で雇っていただいたにも関わらず、ご挨拶もできないまま去ることになってしまいました。デヴェンティオでは、唯一の薬屋でしたのに、突然閉めることになってしまいました」

 経緯は不肖の孫から聞いている。
 本家で家令の見習いをしている孫は、それなりに上手くやれていると聞くが、どうにも気が弱いところがあっていけない。
 事実、マリーツィア様を連れ戻される際に、坊ちゃまに乞われて同行したにも関わらず、為したことは見張りと通せんぼときた。直々に鍛え直してやりたいぐらいだが、本邸と別邸で離れていては、それもままならない。もどかしいことだ。私の後を継いで別邸を任せたいと考えていたが、それも考え直す必要があるかもしれない。

 話がバカ孫のことに逸れてしまったが、マリーツィア様を拉致した際のことだ。
 ウォルドストウで食堂の給仕をなさっていた時は、ご友人のカルル様の知らせにより、マリーツィア様の居所を把握されていた。
 四年間も探して探して探して、もうこの国にはいないだろうとさえ思っていたが、王都よりさほど離れていない場所で見つかったのは意外だった。後に、マリーツィア様ご本人の口から、師であるズナーニエ様の庵が、ウォルドストウにほど近い山の中腹にあったと伺って、探したところで見つからないわけだ、と納得したことを覚えている。
 四年間の坊ちゃまは、それはもう、見ていて痛々しかった。
 マリーツィア様が、あれだけしっかりと手紙を残されていらっしゃったのに、「誘拐された」と断じられ、十四歳の騎士見習いとしてできる限りの伝手を使って探し始めたのだ。
 本邸の旦那様からも、何度も制止の声があったにも関わらず、坊ちゃまはただひたすらに探し続けていた。
 坊ちゃまの執着、もとい一途な想いがなければ、単なる失恋で終わった筈のことだった。若さというのは、時に面倒なものだ。
 ウォルドストウに向かわれる際、坊ちゃまに孫を付けたのは私だ。「不肖の孫ですが、如何様にもお使いください」とは言ったが、まさか単なる見張りとして使われるとは。坊ちゃまよりは四つほど年下とはいえ、きちんとお諌めすることもできないなど、本当に「不肖」の孫だった。

 ウォルドストウでは、「貴族の子息が捜し求めていた(理想の?)女性だった」ということで押し切ったらしい。かろうじて伯爵家の名前は出さなかったらしいが、もっと取り繕いようはあったのではないかと思う。真正面から特攻した坊ちゃまも坊ちゃまだが、それを止められなかった孫も、……いや、もう何も言うまい。

 さすがにデヴェンティオの時には、坊ちゃまも学習をしたようだった。マリーツィア様が周囲にどのような身の上話をしているのか、情報を集めた上できちんと動かれた。マリーツィア様は、魔術で作られた人形を「病気の妹」と仕立て上げられていたため、その設定に忠実に、王都から薬の研究者とその患者を連れ戻しに来たことにしたのだ。
 坊ちゃまに残って後始末と荷物整理を押し付けられた孫が、店の隣に住む女性がどうのと言っていたが、話を聞く限り、孫の手には余る女性だったので、諦めろと切り捨てておいた。女に現を抜かすのが悪いとは言わないが、せめてあと五年は待てと言いたい。十五の孫にはまだ早い。

「―――それに、『クリス』のこともあります」

 バカ孫のことに気を取られてしまった私に気が付くことはなく、マリーツィア様は俯きがちに呟いた。
 彼女が『クリス』と呼ぶのは、かつて病気の妹に仕立て上げた人形のことだ。何かあっても良いようにと二体作成していたそれを交互に使っていたというのだから、その深慮ぶりには頭が下がる。孫に爪の垢を煎じて飲ませてもらえないものか。

「『クリス』のスペアを作るためには、私自身が土を捏ねて成形する必要があるんです。デヴェンティオで薬屋を再開し、子爵家のために新たな商品を開発するために、『クリス』のスペアは必要なんです」

 マリーツィア様の深い紫の瞳が、真っ直ぐにこちらに向けられた。
 一時期は衰弱して命も危ぶまれた彼女だったが、あの件以降、とても強かになったと思う。逆に坊ちゃまの成長があまり見られないのが……男性の方が成長は遅いのだろうか。

「マリーツィア様がお一人で邸の外へ出られるのを、クレスト様がお許しになるはずがございません。どうぞお考え直しを」
「……ハールさん。もちろん、クレスト様が簡単に許すとは思っていません。でも、新たに『クリス』を作るのに、どう少なく見積もっても三日はかかってしまうんです。中隊長のクレスト様は、近親者の葬儀など一部を除いて連日の休みを取ることができないと聞きました。だから、私、一人で行くんです」

 思わず、大きなため息をついてしまいそうになる。
 マリーツィア様の遠慮深さと、ぼっちゃまの短慮さに、だ。

「マリーツィア様。それでも、この邸を取り仕切る家令として、それを許可するわけには参りません」
「でも、ハールさんって、クレスト様に仕えているわけではないんですよね?」

 マリーツィア様の言葉に、私は是も非も伝えない。この指摘はいつか来るとは思っていた。おそらくは、彼女の義理兄であるカルル様の誘導なのではないだろうか。

「……既に、カルル様や子爵様に許可を?」
「はい。事情を説明しましたら、協力を約束してくださいました。カルルにいさまは渋々、でしたけど、お義父さまは必要なことだからと」

 なるほど。子爵家は既に味方に引き入れている。それならば、こちらも頑なに拒否しても仕方がないだろう。顔の広さや経済力で言えば、このアルージェ伯爵家よりもバルトーヴ子爵家の方が優勢だ。無闇に亀裂を作ることもない。それに―――

(うまく運べば、ぼっちゃまと愚孫の成長も促せる、か?)

 打算が働けば、後はぼっちゃまの許容できる妥協点を見つけるだけだ。それならば、私の得意とするところである。

「でしたら、マリーツィア様。いくつか条件がございます」

 私の出した条件は、決して軽いものではなかったにも関わらず、三日ほどでマリーツィア様は見事にクリアなさった。

―――あぁ、これほど有能な方なのに、なんと勿体無い。

 そう思ったことは秘密である。


「ハール。もう一度説明を」
「―――何度、お伺いになられても、答えは変わりません。マリーツィア様はおよそ二週間の行程で旅行に向かわれました」

 記憶の巻き戻しなどではない。四度目の遣り取りである。信じたくないのは分かるが、一度で理解していただきたい。

「マリーツィア様のお言葉は、全てそちらの手紙に記されているかと存知ます」

 マリーツィア様が手紙を残されるのは二度目。一度目は最初に坊ちゃまに引き取られてから四ヶ月後、まさに最初の逃亡のことである。まだ十二の少女が、使用人に非があったわけではないのだと綴った箇所には、不覚にも涙を浮かべそうになった。坊ちゃまとの気遣いの差に。
 誘拐未遂事件の際にも、犯人に手紙を書かされたとは伺ったけれど、内容があまりに坊ちゃまの意に添わないものだったようで、すぐさま灰になったらしい。

『クレスト・アルージェ様

 旅行に出ることを隠してしまい、申し訳ありません。
 正式にクレスト様の妻となる前に、お世話になったウォルドストウとデヴェンティオの親切な方々に会って来ようと思います。
 特に、デヴェンティオでは、突然、薬屋を畳むこととなってしまい、諸方にご迷惑をおかけすることとなってしまいました。義父の許可も下りましたので、今後は『クリス』を薬師として常駐させたいと考えています。
 万が一のことを考えると、『クリス』は同型のスペアが必要です。デヴェンティオから王都へ来る際に、一体を土に還してしまったため、もう一度、作成したいと思います。
 合わせて、お師さまに預けている薬師としての私の弟子をデヴェンティオでお世話になった皆様方に引き合わせる予定です。

 詳しい行程は同封の旅程表をご確認ください。
 毎晩、その日のことを報告いたしますので、心配は無用です。

 あちらで調合した、打ち身によく効く軟膏をお土産に持って帰る予定です。首尾よく運べば、陶器も持って帰りたいと思います。

    マリーツィア・バルトーヴ』

 土産を持参して「帰って」来るというのだから、大人しく待てば良いと思う一方で、二度も逃げられてしまったことに疑念が残っているのだろう。坊ちゃまの顔はいつも通りの無表情だ。
 マリーツィア様の前では、その表情筋も仕事をなさるが、逆に言えば、マリーツィア様がいらっしゃらない限り、表情筋は怠惰を貫く。坊ちゃまは本当に難儀な方だ。

 まぁ、間が悪いというのもあるかもしれない。

 マリーツィア様が出発なされた夜、そして昨晩も坊ちゃまは邸に帰って来られなかったからだ。
 王都で裕福な商家を襲っていた強盗団が、なんと城を狙うとのいう情報があったとのことで、騎士団は多忙を極めたらしい。ほとんど睡眠を取られていないご様子の坊ちゃまが、マリーツィア様で癒されようとなさった矢先に、……この状態である。間が悪いというか、坊ちゃまは人より不幸を呼ぶ性質なのかもしれない。
 既に日が落ちて大分絶つ。今日のマリーツィア様の定時報告もそろそろしたためられる頃合だった。

「クレスト様。本日と昨日のマリーツィア様よりのご連絡を、ご覧になりますか?」
「無論だ」

 相変わらず冷気を放ち続ける坊ちゃまを、私は書斎へ先導する。季節が春になったとは言え、まだ夜は寒い。坊ちゃまの周囲も寒い。後でしまったばかりの腹巻を引っ張り出そう。

「こちらです」

 書き物机の上に重ねられていたマリーツィア様の手蹟をお渡しする。ちらりと机に立てられたペンの隣に置いた紙を確認したが、今日の報告はまだらしい。

『一日目
 予定通り、サルドの宿場に到着しました。
 特にトラブルもなく順調な行程でした。乗り合い馬車の他のお客さんも良い人が多く、乗り物酔いで寝ているということにしているクリスを気遣ってくれています。
 自分を知らない人の中に入るというのは、どこか緊張するけれど、でも、妙な解放感があるものだと、再認識しました。ただ、一人なので少し寂しい気もします。
 それでは、明日、また連絡します』

 トラブルもなく、と書いてくださることが、本当にありがたい。その一方で、「妙な解放感」と書き記すあたり、マリーツィア様が人との関わりに飢えていることは想像に難くない。
 だが、「一人なので少し寂しい」というのは、意図的なのだろうか。初日の報告だから、推敲に推敲を重ねて、坊ちゃまを宥めるような文章を書いてくださったと考えるのが妥当だろう。

『二日目
 ウォルドストウに到着しました。住み込みで働いていた食堂に顔を出したのですが、おかみさんやお店の常連さんが、まだ私の顔を覚えていてくれたので、とても嬉しかったです。
 突然、事情も説明できずに去ることとなってしまったので、謝り倒すことを覚悟していたのですが、人にはそれぞれ事情があるのだから、とあっさり受け入れてもらえました。
 薬屋を引き継ぐ予定の弟子レックスとも先ほど対面を終えました。明るくて元気な子ですけど、接客するにはちょっと口が軽そうなので、そこは指導が必要だと思います。
 それでは、明日、また連絡します。』

 実は、この報告には私は頭を抱えてしまった。
 ウォルドストウでの職場に、温かく迎え入れてもらったというのは、非常に喜ばしいことだと思う。
 だが、問題がある。
 弟子のレックスというのは、名前を見る限り男性と考えるのが自然だ。
 マリーツィア様が、自分以外の男性と(それどころか女性とも)会話をすることを不快に思っている坊ちゃまだ。これはいただけない。
 だからと言って、弟子に引継ぎをするということだから、弟子のことを何も書かないのも不自然だ。……個人的なお願いで甚だ恐縮だが、せめて名前を書かないで欲しかった。女性かも、と思わせていて欲しかった。
 あぁ、またクレスト様の纏う冷気が一層厳しいものになった。恐ろしいと思うことはないが、冷えはこの年齢になると大敵だ。

「ハール。念のため、意見を聞きたい」
「……なんでございましょう」

 おそらく、質問はそれだ。

「ここにあるレックスという呼称は、男性だと思うか?」
「―――それは」

 あぁ、答えたくない。だが、家令としては、答えなくてはならない。
 その時、まるで救いのように書き物机の上のペンが鈍く淡い輝きを纏った。

「これは―――?」
「本日の、マリーツィア様のご報告かと」

 助かった。
 ただ、この報告内容次第では、より一層、坊ちゃまの機嫌が悪くなるだろう。
 内容が、坊ちゃまの気に触らないことを願うだけだ。

『三日目
 今日はアイクとレックスの指導で一日を終えました。
 レックスは素直で働き者なので、薬屋を引き継ぐのに申し分ない人材です。もともと農家の出身なので、店の裏手にある畑もきちんと管理できそうで安心しました。
 昨晩から夜通しで行われたアイクの修行も見学しましたけど、まだ制御に甘いところがたくさんあります。一人前にはまだまだ遠いようでした。
 昼食にお師さまの釣ってくれた魚を料理しましたけど、そういえば、クレスト様って釣りとかできるんでしょうか? 騎士団では野営の訓練もすると聞きましたが、その一環でやったりするんでしょうか。クレスト様とピクニックに行く機会でもあれば、その流れで聞けるんでしょうけど、出かける機会はありませんしね。
 明日もアイクとレックスの修行の手伝いで終わりそうです。
 それでは、明日、また連絡します。』

 差し引きゼロ。
 それが私の評価だ。

 前半は、さぞや坊ちゃまの神経を逆撫でしたに違いない。男性名が二つも並んでいる上に、『夜通し』修行を見学したとなれば、坊ちゃまの嫉妬は最高潮に達していることだろう。
 だが、後半はどうだ。
 坊ちゃまへの興味を示し、さらには坊ちゃまとピクニックに行きたいとも取れる言葉運び。素晴らしい。
 落としてから上げるとは、まさかマリーツィア様は俗に言う「小悪魔的技巧」を身につけられたのではないだろうか。

「ハール。これが毎晩?」
「はい。昨日も、一昨日もこのぐらいの時間帯に綴られました」

 私の答えに何を思ったのか、ぼっちゃまがくるりと踵を返した。

「詰め所に戻る」
「……ですが、先ほど戻られたばかりかと。どうぞお休みください」
「いや、仕事が残っている。またこの時間に戻る」

 無表情・無感動・無愛想・無口の四無しに戻ってしまったぼっちゃまは、私の制止の声を無視して邸を出ていかれた。
 嫌な予感がする。
 中隊長という責任ある立場になられたぼっちゃまが、その責務を全て放り出してマリーツィア様を追われる可能性は低いとは思う。マリーツィア様を手元に置かれるために、社会的地位や経済力が必要と知っているからだ。
 だが、正式な手続きを踏み、急務を全て片付けたとしたら―――?

 私は、マリーツィア様より預かった、緊急連絡の手段を取るかどうか、迷うことになった。

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