TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 02.それは、出来心だったのです。


 無事に中間テストを乗り切った私は、せっせとバイトに励んでいました。
 うちの高校はバイトOKなのですが、許可制を取っていて、担任からは「全教科平均点以上なら許可するよん」と言われています。
 初日こそアクシデントが発生したものの、つつがなく試験を終えた私は、担任の設置したハードルを無事に飛び越えることができたのでした。
 ファミレスとかに比べて、精神的ダメージを受ける代わりに時給の高めな今のバイトは、始めてからそろそろ一年になります。
 正直、高校生で時給千円オーバーは破格です。事情があってお金が必要なので、たとえ精神が多少削られてもありがたいことには変わりないのです。
 今日も今日とてガリガリ削られ、少しばかり残業して気付けば時間は午後九時。ちょっぴり補導が怖い時間になっていました。補導されてもバイトのことは一切口に出しませんけど。今の職場は時給も高いですし、それなりに気に入ってますし、時給も高いですし。

 予想外の残業ということで、店長さんに夕飯もゴチになってしまいました。お腹もふくれて、鼻歌を歌いたくもなるものです。
 ルンルン気分でいつものショートカット――公園を突っ切った時でした。
 良いことと悪いことは、一緒に起きるんだなぁ、としみじみ思ってしまいましたね。
いつもなら視界にも入らないはずの場所を、どうしてこういうときに限って見てしまうのでしょうか。虫の知らせってやつですか? それとも違和感が仕事したのでしょうか。

 公園のベンチに、背もたれに身体を預け、星空を見上げるような恰好の少年を見てしまいました。少し伸びた黒髪がボサボサに乱れていて表情を隠しています。とてもガッシリとした体つきをしているのは分かるのですけどね。
 これだけなら、別に何てことのない光景なのでしょうけど、少年の着ている服の袖が千切れて無残な状態になっていました。顔はよく見えませんが、口元が少し切れているようで、街灯の光に照らされて赤っぽいものが見えています。
 言うなれば、カツアゲ後?
 いつもの私だったら、見ないフリをしてしまったのでしょうね。
 でも、久しぶりに店長さんに夕飯を奢ってもらったせいなのか、ちょっぴり周囲に優しくしてあげたい気持ちがむくむくと湧いていたのです。
 ……決して、店長さんの頼んだワインを味見させてもらったわけではありません。えぇ、決して。

「あの、大丈夫ですかー? 手当てとか救急車とか警察とか必要ですかー?」

 多少、酔っぱ……げふん、気が大きくなっても、見知らぬ人に声をかけるのは、少し怖いので、自然と逃げ腰な声の掛け方になってしまうのは仕方ありません。これが私ですから。
 そんな私の内心を察してはくれなかった少年は、声を掛けた私をギロリ、と睨みつけました。
 竦み上がってしまうような、その鋭い視線に、私は……

(あれ?)

 残念ながら、覚えがありました。

(……えぇと、佐多くん?)

 そうです。満身創痍(?)の少年は、隣の羅刹だったのです。
 ケンカとかするって噂は本当だったみたいですね。腕にも青あざが見えます。ついでに着ているパーカーにも黒っぽい汚れが……?

「って、もしかして、血ですか、コレ?」

 やっぱり、救急車が必要です、っと慌ててカバンからスマホを取り出した私ですが、何故か佐多くん本人に止められてしまいました。「余計なことすんな」ですって。
 でもでも、ですよ。
 やっぱり、医者とか行った方が良いと思うのですよ。だって、血の染みが付いているってことは、出血しているってことですし、バイキンが入ったら大変ですよ?
 そう力説してみると、「オレの血じゃねぇ、ほっとけ」と言われてしまいました。ついでに、何だか変なものを見るような目で見られているようです。
 もしかして、クラスメイトって分かってないのでしょうか。
 よく考えれば、当たり前かもしれません。だって、この間の定期テストの時しか会ってないのですから。制服を着てるわけでもありませんし、バイトに行く時の格好ですから、見知らぬ人認定されるのも仕方ないんだと思います。

「ご家族とか、心配されてるんじゃないのですか?」
「どうだか」
「おうち帰って、手当てした方が良いと思いますよ」
「どうでもいいだろ」

 残念ながら、佐多くんは頑なでした。仕方がないので、佐多くんの座るベンチを離れることにします。

 でも、放っとくつもりはありません。
 ハンカチを水飲み場で濡らした私は、再び佐多くんの休むベンチに戻ってきました。アイルビーバックです。
 ちらり、と私の方を見た佐多くんが「何で戻って来たんだ、めんどくせぇ」と呟くのが聞こえました。
 ですよねー。
 でも、こっちもちょびっと意地になってるのです。けが人を放置すると、後味悪いですからね。出来るだけのことはしておかないと、何かあった時に自分に言い訳ができないのです。

「口元の血だけでも、拭っちゃいますね」

 変なことはしませんよ、と宣言して、私はそっと佐多くんの口元にハンカチをちょいちょい、と当てました。すると、痛がる様子もない佐多くんの手が、なぜか私の手首を掴みます。

「こっち」

 ハンカチを頬に移動させられてしまいました。よく見れば、頬がうっすら赤く腫れているような……? 冷やすと気持ち良いってことですか。そうですか。

「……おせっかいだな、アンタ」
「うっかり見てしまった以上、見捨てると後味悪いですから」

 とりあえず、自己弁護の材料は作った、と濡れハンカチを頬に乗せたまま、私はもう帰ろうと佐多くんに背を向けて――――

「? あの……?」

 なぜか服の裾を掴まれました。

「えぇと、私、明日があるのでそろそろお暇したいのですが」
「……」
「私はもう帰りますので、あなたも帰った方が良いのではないでしょうか?」
「……」

 何ということでしょう。コミュニケーションが取れません。

「もしかして、迷子とかですか?」
「違う」

 あぁ、ちゃんと話は聞いてくれているみたいです。

「えぇと、ケガが痛くて動けないなら、おうちに連絡して迎えに来てもらうのはいかがでしょう? 携帯電話とか持ってますか?」
「……はなしたくねぇ」

 ズボンのポケットからスマホを取り出した佐多くんは、じっとそれを見つめ、何故かこちらを見て来ました。
 言葉が少なくて、何を言いたいのか、さっぱり分かりません。
 でも、服の裾を掴まれたままなので、放置して帰ることもできないみたいです。
 話したくない、ってことは、おうちの方とケンカでもしたのでしょうか?

「えと、メールならどうですか? きっと心配されているのでは?」

 首を傾げて尋ねると、無言でこっちを睨みつけ、何故かスマホを私の方に突き出してきました。まさか、代わりにメールを打てと言うのでしょうか。確認してみるとその通りみたいです。あれ、佐多くんて、こういう文明の利器に弱い人なのでしょうか?
 とりあえず、明日の古文の予習が途中だったのを思い出した私は、おそるおそるスマホを手に取ると、電源さえ入っていないようなので、ボタンを長押しします。操作を知っているリンゴマークのスマホで良かったと、こっそりホッとしました。
 電源が入ると、ロックのかかっていないスマホは、何度も着信があったことを教えてくれました。

「えっと、『ハヤト』さん、て方から、何度も着信があるみたいなのですけど、この人に連絡してしまって良いですか?」

 佐多くんは、少しだけ顔をしかめて怖い表情をしましたが、小さく頷いて、なぜか別の方を向いてしまいました。
 そんなにイヤな人なのでしょうか。

ピルルルルル!

 突然、私の手の中にあるスマホが大きな音を立てました。
 着信です。そしてまた『ハヤト』さんです。

「ちょ、また電話がかかって来ましたよっ!」
「出たくねぇから切ってた」

 そんなに淡々と言われても困ります。
 でも、このまま鳴らしっぱなしにしてても仕方ありません。

「ど、どうするのですか、これ?」
「出れば?」

 何だか他人事のように、さらりと言われてしまいました。
 そうですね、けたたましい音を鳴らしっぱなしにしてても目立ちますし、古文の予習の続きも気になります。
 私は、すぅ、と息を吐いて画面をタップしました。

『――てめぇ、トキ! どこほっつき歩いてんだこのバカ!』

 怖いです。
 こちらが名乗るより先に、いきなり怒られてしまいました。
 もしや、これを予想してそっぽ向きましたか、佐多くん!

「あ、あの、すみません」
『あぁん? 誰だテメェ』
「こ、このスマホの持ち主に遭遇した者です。ケガが痛そうで声をかけたら、なしくずしに私が電話を受けることになってしまいまして。……その、迎えに来てもらえたりとか、しますか?」

 怖い! 怖いです!
 何か電話越しにメンチ切られているような気がして、思わずこちらの声も震えてしまいました。

『あぁ? 歩けねぇほどのケガなのか? そこドコ?』
「駅南口の柿原公園というところなのですが」
『りょーかい。十分でそこ着くから、悪いんだけど、そいつ捕まえておいて。……ぷつっ』

 何ということでしょう。こちらが返事をする前に切られてしまいました。
 でも、まぁ、十分ぐらいなら、大して変わりないので大人しく待つことにします。

 スマホを返すと、佐多くんはまだ私の服を掴んだままで、こちらを見上げて来ていました。
 よく考えれば、とても奇妙な状況です。
 私は身長百四十五センチと、自他共に認めるミニマムな身体をしています。そんな私が、百八十センチオーバーの佐多くんを見下ろしているなんて……!

「十分ほどで来られるそうです」
「……聞こえてた」

 そうですか。結構な大声でしたもんね、『ハヤト』さん。
 私はあと十分をどう潰そうかと考えて、くい、と掴まれた服を引っ張ってみました。
 ……離してくれません。
 じっとこちらを見上げています。
 なんだかそんな一途に見つめられると、おじーちゃんちで飼っていた黒のラブラドール・レトリバーを思い出します。

 いやいや、何考えているのですか。自分。
 佐多くんは、アレですよ。えぇと、羅刹ですよ?
 黒ラブの平蔵(おじいちゃんは鬼平犯科帳のファンでした)と比べたらダメですよ。

 ちらり、と佐多くんを見れば、まだこちらを見上げています。

 うぅ、ダメです。
 平蔵に見つめられると、つい散歩に連れて行ってしまった自分を思い出します。
 こんな目で見られてしまったら、腕がだるくなってもボールを投げ続けますし、足が棒のようになっていても散歩をしてしまうのです。

 仕方がないので、隣に腰を下ろすことにしました。

「……アンタ、警戒心とかないわけ?」
「そう思うのなら、服を掴むのをやめてほしいのですが」
「……」

 どうやら、掴みっぱなしなのを失念していたようで、渋々ながら服を離してくれました。

「一応、お迎えが来るまでは付き添いますよ」
「……見返り目当てか?」
「え? 何かくれるのですか?」
「……」

 黙ってこっちを睨んできました。
 本当に怖いので勘弁してください。十分待たずに逃げたくなります。
 そのまま会話も途切れてしまい、何となく無言のままで私は夜空を見上げました。
 今日は満月だったみたいで、皓々とした輝きで星を霞ませて夜空に我が物顔で居座っています。オンステージですね。
 さっきまで、佐多くんもこの月を見上げていたのでしょうか。
 中秋には程遠いので名月とは言えませんが、梅雨の晴れ間の月も乙なものだと思います。

「月が、きれいですね」

 隣から、ガタン、と音がしました。
 まるで、キノコが二足歩行で「こんにちは」と言ったのを見たような目でこちらを見ています。珍獣ですか? 私は別に「んふんふ」なんて言ったりしませんよ?
 佐多くんがここまで驚いたのを見たのはおそらく初めてです。まぁ、中間テストの時しか会っていないのですから、当然かもしれませんけど。
 ……でも、私、そんなに変なこと言いましたか?

 ほどなく、公園の入り口に車の止まる音がして、スーツを着た男の人と、その人に従うように二人の男の人がこちらに向かって来るのが見えました。
 あのなかの誰かが『ハヤト』さんなのでしょうか?

「キミが、さっきの電話の人?」
「あ、そうです」
「――トキ、人に迷惑かけんなっつったろ、このボケ!」

 スーツの人が勢い良く隣の佐多くんの頭をはたきました。スパンというとても良い音がしました。「はたく」というよりは「しばく」と表現した方が正しいでしょうか。
 あの、ケガ人なのでお手柔らかにお願いします。

「迷惑かけてスマンね。家ドコ? 送るから」
「いいえ、お気になさらず。それよりも、早く連れ帰って手当てしてあげてください」

 立ち上がった私は、ペコリと頭を下げました。
 従えた男の人達が佐多くんに肩を貸すのを見ると、やっぱり結構なケガをしていたみたいです。
 学校で聞いた噂の一部は、本当だったのでしょうか?
 あ、いけない。古文の予習!

「それでは、私はこれで失礼します」
「――待て」

 佐多くんに呼び止められて振り返ると、何故か不機嫌そうなオーラを出していました。
 迎えに来て欲しくなかったのでしょうか?

「ハンカチ弁償するから、連絡先よこせ」
「いいえお気になさらずどうせ安物ですから」

 なんだか目が怖かったので、一息にそれだけ言い切ると、私は早足で彼らに背を向けました。
 うん。スーツの『ハヤト』さん(推定)はともかく、他の二人はガタイが良すぎて余計に怖かったとかそういうのではありません。
 ミニマムな身体つきの私は、できるだけ危険を避けるように生きるのが賢い生存方法なのです。
 ようやくアルコールが抜けて正常な思考能力が戻って来たとかそういうんじゃありませんから!

 どっちにしろ、佐多くんが私のことをクラスメイトと気付いていないみたいで良かったです。はい。

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