TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 03.それは、予想外だったのです。


「須屋、ちょっと職員室まで来るように」

 担任の瀬田先生から呼ばれた私は、バイトの時間に響かないことを祈りながら出頭しました。
 期末テストは、ギリギリながら平均点を超えていたはずなのですが、他に何かまずいことをしてしまったのでしょうか?
 私としては、このまま気持ち良く夏休みを迎えてバイト三昧をしたいところなのですが。

「失礼します」

 職員室に入ると、まるで大怪盗アルセーヌさんのお孫さんのように針金っぽい体型の担任が手招きをしました。少し表情が硬い気がします。お小言でしょうか。

「実はな、須屋」

 瀬田先生は、周囲に聞かれたくない話なのか、声を潜めました。

「前期の授業料が納金されていないようなんだが―――」

 なんということでしょう!
 これなら、お小言の方が百倍マシでした。

「えぇと、前期の授業料って、イクラデスカ?」

 無言で渡されたA4用紙の督促状に記載された金額に、私は頭痛を感じました。
 えぇ、そうですよね。県立高校とは言っても、このぐらいの授業料は必要ですよね。

 ―――はぁ。

「分かりました。数日中に持ってくるようにします」
「あー……、大丈夫か?」

 瀬田先生が不安そうに聞いてくる。
 ソウデスネ。食事の回数を減らしたり、水でお腹の虫をごまかしたりすれば、何とかならないこともないんじゃないですか。きっと来月のエンゲル係数は普通とは逆の意味でスゴいことになるかもしれません。

「ダイジョウブデス。ホラ、モウスグ、ナツヤスミデスカラ?」
「本当はな、申請すれば授業料もきちんと給付されるんだけど―――」
「はぁ、何回も説明したと思うのですが、書類上、私を扶養してくれている人が、給付の上限を超えた高給取りなのです」
「分かってる分かってる。う~ん。大丈夫ならいいんだが、本当にどうにもならなくなったら、ちゃんと言うんだぞ?」
「……はぁ」

 お金でも貸してくれるのかな。いや、教師は公務員だし安月給と聞いたことがあるから、それは期待できないな。

 小さくため息をついた私は、瀬田先生に背を向けて、職員室を出ようと―――

ドンッ

「あ、すみませ……ん?」
「―――おぅ」
「あ、佐多。悪いな呼び出して」

 同じように瀬田先生に呼び出されたらしい、羅刹とぶつかってしまいました。
 というか、テスト期間でもないのに、佐多くんを見かけるとかレアなのですけど!
 そして、やっぱり顔とか目つきとか怖いのですけど!
 うっかり接触事故とか、トラックと軽自動車ぐらいの割合で私の被害が大きいのですけど! 主に精神的に。

 ちなみに、この羅刹。もとい、佐多くん。
 中間テストでも期末テストでもベスト十に入っていました。授業が出ていないのに頭が良いとか、どれだけハイスペックなのでしょうか。
 昨年は、そんな成績にカンニング疑惑が出ていたらしいのですが、テスト期間しか学校に来ないのでは机に細工をする暇もないだろうし、周囲の席より点数がずば抜けて良いのでカンニングとかそういうレベルではないだろう、と疑惑はあっさり晴れたらしいです。そう、噂好きな玉名さんから聞きました。

 いや、今は佐多くんのことはどうでも良いです。
 お金のことを考えなくては……!

 こんなにお金に苦労している高校生、滅多にいませんよね。
 そもそも、お金がないんだったら、全日制の高校ではなく通信制とか定時制とかに通えば良いとか思った時もありました。
 でも、まぁ、できるところまでやってみようかな、と思ったのですよ。

 どうしてお金に苦労しているかと言えば、うちの母が……えぇと、言葉をどう選んだら良いかわかりませんが、自由な人、だからです。
 私が中学の頃に大恋愛をした母(シングルマザー)は、お付き合いをしている男性の家で暮らしています。相手には小学生の男の子がいて、せっせとお母さん的なことをして好感度を上げているみたいです。
 まぁ、若くして私を産み、育ててくれた母親ですから、新しい恋愛に生きることを止めはしません。
 付き合い始めた当初、年下の彼氏さんには、私みたいな大きい娘がいることは内緒にしていたので、高校に上がると同時に私は六畳一間のアパートで一人暮らしをすることになりました。生活費と学費は渡すから、と両手を合わせてお願いされたら、断るのも何だか悪い気がしましたし、その場で了承しました。
 幸い、働きに出ている母の代わりに家事は請け負っていたので、一人暮らしはそれほど苦ではありませんでした。母と一緒に暮らしている時も、母はあまり仕事や逢い引きやらで家にはいませんでしたし。

 まぁ、半年を過ぎたあたりから、いろいろと滞るようになってくるまでは、私ものん気に高校生活を過ごしていたのですよ。

 年下の彼氏さんから、息子のために家に居て欲しい、と言われたらしく、仕事をやめて昼間だけのパートタイマーになったという話は聞いたのですが、どうも、パートで働くのが性に合わなかったようです。
 で、無職の専業主婦になったようなのですが、そうすると、月々の仕送りが厳しいようで、最初はこづかいまで用意してくれていたのが、今では家賃のみ負担してくれています。
 籍は入れているので、私はその年下の彼氏さんの扶養家族ということになっています。書類上。でも、母の口から、私への月々の仕送りの件について言い出しにくいらしいですね。お金の話が非常にデリケートなのは分かります。
 ま、そんなわけで、光熱費と食費をせっせとバイトで賄う日々が、去年の冬頃から続いています。
 授業料については、すっかりその存在を忘れていたのですが、どうやら去年は春に一括で納金してくれていたようです。でも、今年はそうは行かなかったみたいで、非常に厳しい話です。高校の授業料無償化の話はありますが、調べてみたら一定以上の所得の家庭には給付されないみたいですし。

 今のバイト先の店長さんは、私の窮状をきちんと知っていて、勤務時間も生活に苦労しないよう調整してくれています。
 ですが、この分では、相談して勤務日数を増やしてもらうか、それとも別の所と掛け持ちするか、早急に考えないといけないようですね。

 アパートに帰った私は、制服を抜いてハンガーに掛けると、私服に着替えました。
 折り畳みの鏡をちゃぶ台に乗せると、店から支給されているポーチを取り出し、つけまつげを装着し、唇にルージュを引き、頬にチークを乗せます。
 有り体に言えば、化粧を施します。
 続いて、耳の後ろで切り揃えた母譲りの真っ黒な髪をネットに押し込み、明るい栗色のウィッグを乗せてピンで留めていきます。バイトを始めてからずっとこんな感じなので、すっかり手順に慣れました。
 最後にユニットバスに足を運んで、青いカラーコンタクトを装着して、バイト仕様の私が完成しました。

 ……別に、いかがわしいバイトをしているわけではありません。

 バイト先は『カフェ・ゾンダーリング』というお店です。
 私の仕事はホールの給仕と、一日に数回、同僚と寸劇を披露することです。
 あ、ゾンダーリングってドイツ語で変人て意味らしいです。店長が変人なのか、客層が変人なのか、どっちなのかは知りません。
 ファミレスのホールと違う点は、ホールに出ているウェイター&ウェイトレスがコスプレをしている所と、一日に数度、お客様に寸劇を披露する、という所です。
 従業員の素性を知られないためと、お客様の夢を壊さないようにという配慮から、スタッフは全員、自宅である程度の仮装(?)をしてから出勤することになっています。
 ちなみに、この仮装で初めて自分が化粧栄えする顔なのだと知りました。地味顔ですからね。色を乗せるだけで随分と変わるのですよ。
 だから、一ヶ月ほど前に佐多くんと出くわした時も、私だと分からなかったのも無理はありません。きっと、恩田くんや玉名さんも、私だと気付かないと思います。


「お疲れ様ですー」

 タイムカードをガチャンと押して、控え室のロッカーに荷物を置くと、店長さんが、ちょいちょい、と私のことを手招きしました。

「ミオちゃん、ちょっと相談があるんだけど」
「はい。次の作品の話ですか?」

 そう、お客様に飽きられないようにするために、定期的にコスプレ内容は変えているのです。企業努力ってやつですね。

「実は、ここだけの話なんだけど、引き抜きの話が来てね」
「引き抜き、ですか?」

 予想もしなかった単語に、私は首を傾げました。
 引き抜き、って、確か舞台で上に着た衣装を脱いで下の衣装を客に見せる、衣装の早変わりのことでしたよね。
 今、私が担当しているキャラは、そんなことができるような衣装でも設定でもなかったはずなのですけど……。

「申し訳ないんだけど、ちょっと断れない関係からの話で、ヨソのバイト先の面接に行ってもらえないかな」
「え! 私、この店を辞めないといけないのですか?」

 引き抜きってそっちですか?
 っていうか、授業料を稼がないといけないのに、それはツラいのですけどーっ!

「いや、できるだけミオちゃんにはうちで続けてもらいたいんだよ。今やってもらってるエリムーは、ミオちゃんのハマり役だとおもうし」
「はぁ……」
「ただ、ボクの知り合いで、どうしてもミオちゃんを雇いたいって人がいてさ。時給もウチより弾むって言うんだ」
「え、この店よりも、ですか?」

 思わず目を輝かせたら、店長が少し困ったような表情を浮かべました。つい、自分に正直な反応をしてしまったことに反省です。

「学生だから、それほど時間に都合がつけられないって話はしたんだけどさ、夕方四時から七時の三時間だけでいいって言うんだよ」
「でも、ここのバイトを辞めるのは……」
「うん、それで、ボクの顔を立てると思って面接には行って欲しいんだけど、水・土・日以外で調整できないかって思ってさ。ミオちゃんみたいなロリきょ……逸材は手放したくないのさ」

 店長。それは、私が毎日働いてもいいから、その曜日だけはこっちの店に出勤しろってことなのですね。
 あと、今「ロリ巨乳」って言いかけましたね。その認識は本当に勘弁してください。身長が低いのと、胸が平均より豊かなのは認めますけど、その単語はいかがわし過ぎます。
 ……まぁ、こちらとしては自分から言い出さずにバイト掛け持ちができるので、願ったり叶ったりなのですけど。

「お話は分かりました。とりあえずは、その面接に行ってみます。……念のため、なのですけど、いかがわしいお店とかではないのですよね?」
「あぁ、それは大丈夫。仕事内容はアニマルセラピーのお手伝いって言ってたからさ。動物は嫌いじゃないよね?」
「あ、はい。苦手意識もありませんけど、……受付とか、なのでしょうか?」
「詳しい内容は聞いていないけど、助手っぽい感じの言い方はしてたかな。コミュニケーション能力がどうとか言ってたからさ」

 なるほど。それなら、今のバイトで培った能力が活かされるということ、なのかもしれません。

「ただ、うちも苦心して従業員の身元バレを防いでいるところはあるから、うちの店から派遣するって形態を取ることになると思う。だから、あちらさんには本名バレはないから安心していいよ」
「身元バレ防止ってことは、この格好でそっちの面接にも行くってことでしょうか」
「う~ん、そこは自己判断に任せるよ。でも、そうしてくれるとありがたいかな」
「分かりました」

 話はこれでおしまい、と言われた私は、とりあえず仕事の準備をするべく「エリムー」の衣装を手に取りました。
 エリムーはロップイヤーの垂れたウサミミを持つ獣人で、ヒロインであるメルディリア王女の侍女をしている娘です。
 ここ『ゾンダーリング』で演じられるキャラクターは、とあるアマチュア作家さんと契約を結んで製作されたオリジナルキャラクターなのです。その作家さんは、同僚に聞いた話だと「大手サークル」の「同人作家」さんで、「コミケ」で「壁サー」なのだとか。正直、知らない単語が多くて意味が分かりませんでしたけど、とりあえず、プロではないけれどすごい人なのだということは伝わりました。
 去年の冬に「コスプレして売り子をお願いしたいの」と、その作家さんにお願いされたのですが、時間外の無償労働のようでしたので、是非やりたいと言っていた同僚に譲りました。後日、その同僚に聞いてみたら、忙しかったけど楽しかったらしいです。
 え、私がその時何をしていたか、ですか?
 年末年始は郵便局でバイトをしていました。冬休みでしたし。

「よく来てくれたムー! 席に案内するムー!」

 私は来店したお客様を空いている席へ誘導しました。
 え? 語尾がおかしいですか? これがエリムーなのですから、仕方がありません。
 羞恥心を押し殺してキャラになりきるからこそ、このお店は時給もそれなりに高いのです。心の切り売り賃です。
 一日に数回公演される寸劇では、メルディリア王女が恋人の騎士に口説かれるという羞恥プレイを茶化す役どころです。今回の作品では、おそらくメルディリア王女役の同僚が一番恥ずかし度は高いのではないでしょうか。まぁ、本人はノリノリなので問題はありません。プライベートでもコスプレを楽しむお姉様なので、ここの仕事は天職だと言ってました。

「ご注文を繰り返すムー! メルディリア姫のお絵描きクレープ二つと名状しがたいコーヒーのようなもの二つだムー?」

 ちなみに、前者は薄く焼いたクレープ生地にチョコペンでイラストを書くだけのもので、後者は単なるコーヒーです。メニューに書かれている名前にそれほど他意はありません。
 もちろん、エリムーのお絵描きクレープもありますが、姫様のクレープほどは注文されませんので、私はもっぱら注文聞きに回っております。
 ちなみに、どうでも良い設定ですが、エリムーは「画伯」ということです。芸術が変な方向に爆発しちゃっている方の「画伯」です。
 エリムーの設定を聞いた時に、画伯設定のキャラはどんな絵を描けば良いのか同僚に尋ね、こっそり特訓したのは懐かしい思い出です。まぁ、五ヶ月ぐらい前の話なのですけど。
 その前に演じていた作品の中では、それなりに絵が上手な設定だったので、ちょっぴり苦労しました。

 まぁ、とりあえず本日の夕飯は抜こうと思うので「エリムーの餌付けドーナツ」がたくさん注文されるといいなぁ、とか願っておきます。
 文字通り、お客さんが手ずからエリムーにドーナツを食べさせる、普通だったら大変羞恥プレイなメニューなのですが、生きていくためには糧は必要なのです。せいぞんせんりゃくー。

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