TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 05.それは、習慣だったのです。


 樋口一葉さんの入った封筒をカバンに仕舞いこみ、辞去の挨拶をした私は、エレベーターに乗り込みました。
 まったく、変なバイトだったのです。
 スマホを手に取り、着信・メールがないことを確認します。
 そして、スマホをいじるたびに確認しているログ画面を見たところで、愕然としました。

「なんですか、これ……」

 バイト先や母との連絡のためにスマホを使っている私ですが、通話もメールも必要最低限に抑え、コミュニケーション系のアプリもゲームアプリも一切インストールしていません。
 理由は明白です。いろいろ削って基本料が一番安いプランにしているからです。
 基本料が一番安いプランだと、うかつに通信をしてしまうと、途端に通信料が跳ね上がってしまうので要注意です。
 以前、うっかり定期的に通信をしてしまうようなアプリをインストールしてしまったことがありまして、その時の通信費がとても大変なことになってしまいました。

ポーン

 一階に到着した私は、じっくりとログ画面を眺めます。
 先月末に一度リセットした累積データ通信量が、少しずつではありますが、確実にカウントアップしています。
 少しだからと言って、油断してたら痛い目を見るのです。いいえ、一度痛い目を見ているのです。

 やることは決まっています。あの時と同じです。

 私は久々の操作に慎重になりながら、人差し指で目指す機能を実行させます。

『初期化しますか?  YES/NO』

 はい、できましたー。
 母の番号やメールアドレス、バイト先の番号なんかは、もう頭の中に入っているので、特に困りません。クラスメイトともアドレス交換していませんし。過去のメールは、サーバ上に残っているので困ることもありません。メールの設定については、機械に詳しい同僚に感謝です。
 それに、驚くかもしれませんが、もともとアドレス登録ゼロ件でしたから!

 あ、別にぼっちとかじゃありませんよー。
 ただ、バイトに明け暮れたり、テストで平均点以上を維持したりするのに、メールとかアプリとか遣り取りする時間が惜しいだけなのです。学校では普通にクラスメイトとお話してますよ。

 それにしても、何なのですかね。
 たまに耳にするウィルスとかでしょうか。迷惑なので、そういうものを拡散するのは止めて欲しいですよ。本当に。

 そんなことを考えながら、私はこの五千円で二週間分のご飯を賄うにはどうしたら良いかと、頭の中の算盤をフル稼働させ、通学路に面したスーパーに張り出されていた特売チラシを思い出し、あれこれと思索を巡らせていました。

―――結局、輸入鶏むね肉(解凍)を購入しました。


「姫様、ひどいムー! エリムーだって、姫様のこと心配していたムー!」
「ふふふ、ごめんなさいね、エリムー。でも、わたくしも王女である前に、一人の女なのですわ。たった一人の殿方に心配していただくことが、これほど幸せだなんて……」

 私の目の前で、メルディリア役の同僚が頬に手を当て、恥らう素振りを見せます。このお姉様、本当にハマり役です。
 思わず侍女のエリムーもうっとりしちゃうぐらいに綺麗だムー!

「エリムー。あなたもいつか恋を知る時が来ますわ。そうしたらきっと、わたくしの幸せも分かります」
「エリムーはそんなこと分からなくってもいいんだムー! 姫様とずっと一緒にいられたらいいんだムー! 姫様の分からず屋―!」

 エリムーは、騎士にベタ惚れの姫に除け者にされたような疎外感を感じて、舞台袖に走って退場します。
 この後は、うろたえる姫様を騎士が甘く慰めて終わります。

 私は、寸劇の出番を終え、厨房に駆け込みました。

「ホール入ります。次どれですか?」

 寸劇の何が大変かって、一時的にホールの人数が減ることなのです。
 出番を終えたらすぐにホールに入らないと、注文が滞って大変なことになるのです。これについては、もう少し店長さんは考えた方が良いと思います。作家さんの書いた台本を鵜呑みにするのではなく、キャストを減らす方向性をですね……

「うさ耳クッキーセット、お待たせしたムー」

 目元を少し擦って赤くした私は、いつものエリムーとは違い、少し元気のない声を出して配膳をします。
 ほら、さっき姫様とケンカ別れになってしまいましたからね。
 寸劇の後は、こうした小技を効かせる必要があるのです。こうした努力が世界観を壊さないことに繋がるのです。……という店長さんの方針です。

「エリムー、元気出して」
「ありがとうだムー」

 お客さんも、流れを分かっている常連さんなんかは、こうして私に声をかけてくれたりします。あ、この間、餌付けドーナツ注文した人ですね。先日はおいしい食料をありがとうございました。おかげで今日も生き延びています。

 小舞台では、騎士役の男性が姫様に甘いセリフを吐いていました。彼、歯が浮くセリフはダメなんだと毎回言っていますが、甘いマスクのせいで、いつもこんな役どころです。
 それでもこの仕事を辞めないのは、何だかんだ言ってもお金が欲しいからなのだそうで、こっそり私の同類認定しちゃってたりします。

 寸劇も終わり、姫や騎士もホールに戻って来ると、そろそろバイト上がりの時間が近づいて来ました。
 さっき注文を受けた「エリムー画伯のお絵描きクレープ」を出したら上がっても良いでしょうか?

「エリムー、ゾンダーくん描いてよ」

 ゾンダーくんはこのカフェ・ゾンダーリングのマスコットキャラです。変人の名に恥じないパンツ一丁でへらへら笑っているゆるいキャラです。―――店長、変人と変態を履き違えていませんか。

「分かったムー! エリムーがすっごく上手にお絵描きするムー!」

 さぁ、腕の見せどころです。
 エリムー画伯(笑)がんばりますよー。練習の成果をとくとご覧あれ!

 以前、他の作品で画伯設定のキャラを演じた同僚に教わったコツがあるのです。
 いわく、画伯は画伯たる書き順があるのだと!
 絵を描きにくい順番でパーツを描いていけば、自然と画伯っぽくなるのだそうです。

 さて、いきますよー。

 まず、ゾンダーくんのトレードマークの白ブリーフを描きます。お客さんが「え、そこから?」とか言ったような気がしますが、気にしたら負けです。
 次に描くのは、ゾンダーくんの一押しポーズ、ダブルピースの手の部分です。良い感じに手がブレて、宇宙怪獣っぽくなりました。両手がハサミの有名な星人です。
 胴体を描かずに、ブリーフから腕を生やしてチョキの手に繋げます。覗き込んでいた隣のテーブルのお客さんが「おおぉっ」とか驚きの声を上げました。
 スケベっぽい垂れ目を書き、そこを囲むように顔の輪郭を描きます。胴体がないので、ブリーフの上に生首が浮かんでますね。我ながら気持ち悪い出来です。
 最初に描いたブリーフの位置が失敗していたため、短足にしかできないスペースになってしまいましたが、画伯はそんなこと気にしません。ぐにっと足を描いて終了です。

「できたムー!」

 とてもキモい、見ているだけで心の裏側がざらつくような、ゾンダーくんが描き上がりました。
 近くのテーブル席から「すげぇ」「マジ画伯」「これ食うのかよ」などと賞賛の声が上がります。
 はい、ここでダメ押しのセリフです。

「今日はとっても上手く描けたムー!」
「う、うん、ありがとうエリムー。トッテモ上手ダヨ」

 おぉ、お客さん、良いリアクションしますね。後半カタコトとか、芸が細かいです。あれ、もしかして、本気で口元引き攣ってたりしますか? 私、頑張りすぎちゃいました? 気のせいですよね。よく訓練されたリアクションなのですよね。
 私は「またいつでも描くムー」と満面の笑みでテーブルを離れます。
 あ、ちなみに。
 あまりに画伯過ぎる出来なので、滅多に注文はありません。前作の画伯キャラをやった同僚も似たような感じだったので、店長さんに怒られることもないのが幸いです。

「さすがね、エリムー。主人として鼻が高いわ」
「姫様に誉められたムー!」

 裏に戻ると、苦笑いで王女役の同僚に誉められました。王女はそこそこ絵が上手い設定なので、注文数も多くて大変みたいです。

「もう上がって良いって。あと、着替えたら神殿に顔を出しなさいって言ってたわ」
「分かったムー」

 神殿とは、事務室です。神様(=店長さん)から、何か神託(=事務連絡)があるのでしょう。
 タイミングを考えると、昨日の面接の件なのでしょうね。昨日は樋口一葉さんにホクホクして、つい鶏肉の照り焼きとごはんと塩もみキャベツという豪華な夕飯にしてしまいましたが、まさか、日当を返せとは言われませんよね。
 控え室で着替え、ウサ耳付きカチューシャを外し、いつものバイト通勤用メイクを施した私は、事務室に足を運びました。

「失礼します」
「あ、ミ……エリちゃん、丁度良かった」

 待っていたのは店長さんだけでなく、昨日の雇用主さんまで一緒でした。

「昨日も会ったと思うけど、こちら、徳益ハヤトさん」
「あ、昨日はどうもありがとうございました」
「いや、こちらこそ、どうも」

 私は促されるままに事務室の面談机にちょこんと座る。
 とりあえず、雇用主さんは徳益さんという名前なのだと、もう一度深く心に刻み込みます。

「さっそくだけど、明日からでも仕事に入って欲しくてね。それも含めて仕事内容の説明と時給とか諸々の雇用条件を改めて話したいんだ」
「はぁ……」

 私は差し出された資料を手に取り、順に読み進めて行きました。なんだか、表現がおかしい記載がたくさんあるような気がしますが―――

「あの、質問をしても良いですか?」
「どうぞ」
「そもそも仕事内容が『狼の世話』って書いてあるのですけど」
「昨日見たのは、狼だったよね?」
「……」

 そうですか。佐多くんは狼認定されているのですか。
 小動物認定された私が狼認定された佐多くんの世話をするのって、何かおかしくないですかね?
 深く突っ込むと話が進まない気がしたので、もうスルーすることにします。大人にはスルースキルが必要なのです。

 出勤して、着替えて、お茶を出して、要望があればブラッシングとかもする。勤務時間は、この店で働くのと同じ時間帯にしてもらえているようです。来週から夏休みなので、もっと長く働くこともできるのですが、そうしてしまうと、精神的に瀕死になってしまいそうです。お金は欲しいですが、諦めた方が良いのでしょうね、きっと。

「……時給、こんなにもらっちゃって良いのですか?」
「あの狼、好き嫌いが激しいからね。あそこまで気を許しているのはキミぐらいなんだよ」

 そうなのでしょうか。
 一ヶ月前に助けた下地があったとは言っても、いきなり膝枕とか、随分と人懐っこい狼だと思うのですけどね。
 とりあえず、ここのカフェよりも時給が良い所なんて初めて見ました。だって、私、高校生ですよ。

「あ」
「ん?」

 もしかして、雇用主さん……じゃなかった、徳益さんは、私が高校生だってことを知らないんじゃないでしょうか。それなら、こんな時給を出して来るのも納得です。

「あの、私、まだ学生なのですけど、それなのにこんなに破格の時給設定で良いのでしょうか?」
「あぁ、言ったろ? 学生とか年齢とか関係ない。キミに働いて欲しいんだよ」
「……はぁ」

 それならば、良い、のでしょうか?
 後期の授業料も、おそらく自分で支払わなくてはならないでしょうし、助かると言えば助かるのですが。

「それで、出勤なんだけど、こちらとしては明日から毎日でも良いから来てもらいたいんだけどね」
「ちょ、それは困りますよ徳益さん。もう次のキャスト決まってるんですから」
「えー? そのぐらいどうとでもなんだろ」
「だめです。次はヒロインの妹役に決定しているんですから。貧乳姉のコンプレックスを刺激する巨乳妹なんて、彼女にしかできないんです!」

 店長さん。また私を「ロリ巨乳」扱いするのですか。そうですか。
 自分の体ですし、童顔なのも、胸肉が豊かなのも否定しませんけど、そういう商品価値はできれば本人のいないところで口にして欲しいです。

 いたたまれずに、小さくなった私を放置して、店長さんと徳益さんは、あーでもないこーでもない、と交渉を続けています。見ていると、徳益さんの方が少しだけ偉いのでしょうか。店長さんが押され気味です。

 それでも、結局、水曜の夕方と土・日+お盆期間はカフェ・ゾンダーリングに出勤することになり、それ以外の曜日は狼のお世話をしに行くことになりました。
 え? 休日ですか?
 どうやら無休で働けというお達しらしいです。

「エリさんは、夏休みはいつから?」
「あ、今度の水曜からです」
「ふぅん、狼と同じなんだね。助かったよ」

 そうですね。狼さんは、私と同じクラスですから。
 あ、中間テスト後しばらくして、また席替えがあったので、もう隣の席じゃありませんよ。
 というか、狼さんは授業に出てないのに、夏休みとか関係あるのですか? それ以前に出席日数不足で留年とかにはならないのですか?
 色々と疑問があるのですが、身元バレはご法度だし、私もバレたくないので、ぐっと喉の奥にしまいこみます。

 また明日よろしく、と、徳益さんは私にマンションの鍵を渡して帰って行きました。

「一応、変なバイトじゃないと思うけど、ミオちゃん大丈夫?」
「あー、はい。……たぶん?」
「何かあったら言うんだよ? 徳益さんに言いにくいなら、ボクでいいから」

 一応、心配してくれているらしいです。
 そうですよね。よく考えたら、同年代の男子のお世話とか、いかがわしい雰囲気もしちゃいますもんね。

「そしたら、大手を振ってミオちゃんは毎日ここで働けるからさ」

 心配じゃなかったみたいです。
 まぁ、今月いっぱいでエリムーとおさらばして、来月から新しくヒロイン妹(名前不明)になるわけですからね。
 新作&夏休みということで、掻き入れ時というのも分かります。今月末にグランドフィナーレイベントが待ってますし、来月頭には新作お披露目イベントですもんね。
 採寸はしましたけど、衣装班は間に合うのでしょうか。私もそろそろ設定とか口調とか、頭に入れておかないといけない時期ですね。

 とりあえず、授業料と食費のためです。頑張りましょう。

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