TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 11.それは、無茶振りだったのです。


 第一声は、どこかポヤヤンとしたものでした。

『ん~? こんな朝からどうしたの?』
「お母さん、正直に答えてください。いくら積まれたんですか? いくらで買収されたのですか?」
『ミオちゃん? なんだか声が怖いわ? どうしたの?』
「とぼけたって無駄です。何年母娘やっていると思っているのですか。婚姻届の件です」
『あらぁ? もう見せてもらったの? 早いわねぇ?』
「……お母さん?」

 そうですか。ちょっとだけ、徳益さんが偽造したものなのかと思っていましたが、間違いなく電話の向こうの人が書いたもののようです。
 というか、昨日の夜のうちに説得&記入&捺印なんて、どれだけ早業なのでしょうか。いえ、そもそも私、お母さんの居場所を徳益さんに話した憶えもありません。
 ……深く考えると怖いので、この件はそっとしておきましょう。

『もう、そんなに怒らなくってもいいじゃない。昨晩ね、徳益さんて方から申し出があってね?』
「……」
『本来なら本人が来るべきだけど、二人でイチャラブ中だから代理で来ました、って』
「……」
『まだ親の庇護にあるべき年齢なのは承知してますが、どうしても嫁にいただきたいのです、って』

 ふふふ、あとで徳益さんをしばいても良いところですかね。どこかにハリセンがありませんか?

『ねぇ、ミオちゃん。ミオちゃんは、ママみたいに誰かを愛することで幸せになるタイプじゃないと思うの。きっと、誰かに愛されることで幸せになるタイプなのよ?』

 あれ、今、不穏な言葉が含まれていました?

「お母さん?」
『ママね、思うの。ミオちゃんは、きっとパパ似なのよ』
「―――言いたいことは分かりました。つまり、お母さんはそれが良いと思うのですね」
『そういうことよ♪ それじゃ、ダーリンとマイエンジェルが待ってるから、切るわね?』

ぷつん、つー、つー、つー

「話は終わった?」
「はい。……ところで、今後どうするにせよ、一度うちに帰りたいのですが」
「荷物を取りに、ってことで解釈していいのかい?」
「分かっているのに確認するのですか?」

 徳益さんは驚いたように眉を上げました。
 私があっさり納得したことが、それほど予想外だったのでしょうか。

「徳益さん。物事は諦めが肝心だとおもうのです」
「実の母親に裏切られた後だと、なんだか言葉の重みが違うね。……ハヤトでいいよ。キミはもう身内みたいなものだから」
「徳益さん、帰宅の件なのですが」

 え? 下の名前で呼べと言われても、はいそうですか、なんて頷くわけがないじゃないですか。

「ハヤト」
「……譲ってはもらえないのですか」
「一応、色々あるからね」

 色々というのは何でしょうか。深くつっこむべきところ―――ではないですよね。正直、まだ諦めていない私なので、そこは現状を維持したいです。

「徳益さん」
「ハヤト」
「……」

 どうしてそんなにイイ笑顔を浮かべているのでしょうね?
 譲るつもりはないのですね? 私に譲れと言っているのですね?
 仕方がありません。このままではサッパリ話が進みませんし。

「ハヤトさん。帰宅の件なのですが」
「んー、まぁ、いいか。とりあえず、部屋ごとこっちに持って来る予定だから、帰宅の必要はないよ」
「……はい?」

 今、とても不思議な表現があったような気がします。
 まさかあのボロアパートを解体して、私の部屋だけクレーンで……いやいやまさか。

「変な想像してる顔だね。うん、予想通りの反応で嬉しいよ。単に家具の配置をそのまま持って来る引越しのやり方があるってだけだよ。心配しないで」
「そういうことでしたか。それで、徳ま……ハヤトさんは、お母さんとあの部屋について何か―――あゃっ?」

 なんということでしょう!
 私、いきなり視界がおかしくなりました。真っ暗です。
 直前に、お腹が苦しくなって、ぐらりと眩暈がしたのですが、何かの病気でしょうか。今も、腕を動かせないぐらいで、全身に圧迫感を感じます。

「あれー、トキ、お早いお目覚めで」
「オレのに触んな話しかけるなどっか行け」

 訂正します。すごい勘違いをしていました。
 後ろからお腹を持ち上げられて、ぐりんと引っ張られた私は、どうやら佐多くんに抱きすくめられているようです。
 変な病気ではなくて良かったです。

「ひっでぇ独占欲だな。俺は今後のことをミオさんと話してただけだってのに」
「今後、オレのいないところで、こいつに近づくんじゃねぇ」

 えぇと、何やら口ゲンカをしているところ悪いのですが、ここから解放してくれませんかね。渾身の力を込めても、佐多くんの太い腕がピクリとも動かないのですが。正直、苦しいのです。

「とりあえず、ミオちゃんが苦しがってるから、放してやんなよ」
「るせぇ、名前で呼ぶな」

 あ、力を緩めてくれました。ふぅ、ようやく深い呼吸ができます。はふぅ。

「えぇとですね、佐多くん。びっくりして寿命が縮まるので、何かする時には声を掛けてからにしてもらえませんか? あと、力加減をしてもらわないと、呼吸もままならないぐらいに苦しいのです」

 私は、首をぐいっと持ち上げて恐ろしい羅刹の怒り顔を見ながらお願いしました。
 怖いですが、ちょっとだけ怖い顔にも慣れてきたかもしれません。それに、お願いをする時は、ちゃんと相手の顔を見なくてはいけませんからね。これ、基本です。

「……」

 あれ、返事が聞こえません。改善する気がないということでしょうか?
 それなら、男前モードのミオさんが出張りますよー。

「そうやって、力尽くでイヤなことばかりすると、私、佐多くんのことを大嫌いになってしまうかもしれません」
「善処する」

 おぉ、すごく良い返事が戻ってきました。やはり、きちんと『どうしていけないことなのか』を説明すれば、通じるものなのですね。

 結果に満足した私は、佐多くんの腕の中から、再びハヤトさんに視線を移しました。何故かニヤニヤ笑っているのですが、ここはナメられたらダメなところです。踏ん張りますよ。

「先ほどの話なのですけど、私、一度部屋に戻って――」
「だから、その必要はないって言ったよね?」

 それは、もう引越し業者に任せてしまうという意味合いなのでしょうか。室内に洗濯物を干しっぱなしにしていたり、昨日の午前中に広げていた物理の宿題とかも、引越し先に復元されてしまうというのですか?
 さすがにそれは、プライバシーの侵害というものです!

「……もしかして、何でも圧力かければ、私が流されるとか思っていませんか?」
「まさか? ちゃんとミオちゃんの意思は尊重してるよ?」

 そういえば、いつの間にかエリ「さん」からミオ「ちゃん」に格下げされてます。これ、完全に舐められてますよね、私!
 覚醒した(?)男前ミオさんを、見くびらないでいただきたいのです!

「一応、これでも流されて良いところとダメなところは判断しているのです。そしてここは流されたらいけないところなのです」
「それで?」

 ぬぅ! 完全に面白がっている雰囲気なのです。
 不本意ですが、手持ちのカードを使うことにしましょう。

「佐多くん、あの人がいじめるのです!」
「あ゛ぁ゛?」

 羅刹の威をかる小動物作戦なのです!
 予想通り、佐多くんの険しい視線がハヤトさんを射抜いています。
 え、卑怯ですか?
 使えるものは何でも使うのは、弱者の知恵ですよ?


「あー、悪かった。うん。からかい過ぎた」

 一応、ハヤトさんは謝ってくれました。
 殴りかかる前にストップは掛けたのですが、止めるのがちょっと遅かったみたいで、ハヤトさんの口元がちょびっと切れてます。故意ではないですよ。そもそも私、暴力行為は嫌いですから。

「私もあのアパートから出ることについては前向きに検討しますので、ちょっと話し合いましょう」

 ダイニングテーブルで、私とハヤトさんは正面に向かい合っています。お互いの立ち位置を示す適切な配置ですね。
 あ、私が佐多くんの膝の上に腰掛けている点についてはスルーさせてください。でも、場所だけ見れば、佐多くんも私の味方と判断できるので、これはこれで良いかもしれません。

「昨晩、うちの母とお話されたのですよね。その時に母はあのアパートを引き払うように言っていましたか?」
「ん? こっちはこのマンションにミオちゃんを住まわせることしか話してなかったし、そんなことは―――でも、普通に考えたら、住む人がいないなら解約するよね?」
「解約するかどうかは母が判断することです。……ハヤトさん、私、一度部屋に戻って身の回りの荷物だけまとめてここに来ます。それで良いですよね?」
「まぁ、それでいいんなら、いいけどさ。―――トキ、睨むのやめてくんね?」

 睨む、ですか?
 くるりと佐多くんを振り仰いでみれば、妖気、じゃない、怒気を撒き散らしていました。快適な温度が保たれている部屋では、そんな冷気を放たないでいただきたいです。間近で見るだけで心臓が、うぅ。

「佐多くん、どうしました?」
「――トキ」
「え?」
「名前で呼べ」

 なんだか、似たような遣り取りをつい先ほど終えたばかりのような気がします。デジャビュってやつですか?

「ハヤトのことは名前で呼べても、オレのことは呼べないのか?」

 えぇと、平等に扱えということでしょうか。
 今後、共同生活をする上で、この二人を平等に扱わないといけないのですね? そういうことと理解してよいのですよね?

「―――分かりました。徳益さん、話を戻しますが、今日の午前中に、一度家に戻ります。荷物をまとめるのはそれほど時間もかからないと思いますの、でっ!」

 いたたたたっ! 佐多くんが、後ろから何故かぎゅうぎゅうと私のお腹を締め上げてきます。ちょ、本当に痛いのですけど……っ!

「佐多く……、力が強いですっ」
「トキ」
「そうや、って、何でもかんで、も、力で解決し、ようとしないで、くだ、さ……」

 途切れ途切れに注意すれば、ようやくお腹に回された腕の力を緩めてくれました。
 ふぅ、死ぬかと思いましたよ。これも圧死になるのですか?
 ぜぇはぁ、ぜぇはぁ。
 さっきから、まったく話が進みませんね。

「徳益さんも、佐多くんも、無茶振りが過ぎます。そんな次々に色々と要求されても、対応しきれません」

 とりあえず、うやむやのままに徳益さんの名前呼びもなかったことにしてしまいました。

「とりあえず、部屋はそのままで、必要なものだけあちらから持ってきます」
「うーん、予想外に手ごわいね、ミオちゃん」

 徳益さんがしみじみと呟くのは、スッパリ無視することにしました。
 腹を決めて開き直った男前ミオさんをナメないでいただきたいのです!

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