10.それは、強引だったのです。「とりあえずミオちゃんは、ここに泊まること」 「ふぇぁっ?」 私の口から変な声が出てしまいました。 「あのな、あんなアパート、年頃の女の子が一人で住む場所じゃないから。しかも一階て防犯のこと考えてないだろ」 「で、でも、一年以上も住んでますけど、何もありませんよ?」 「今後もそうとは限らないだろ。必要なもんがあれば揃えるから」 「いやいやいや! 言っている意味が分かりませんよ。私はここにバイトで来てるだけですよね? 明日も五時からここに働きに来るのですよね?」 ダメです。ここは踏ん張らなければダメな所だと思います。 何事も最初が肝心と言うではありませんか。ずるずると押し流されてはいけないのです。 どうして先ほど私の本名を教えたばかりなのに、住んでいるアパートを知っているかなんて問題は、……大問題ですが、今は優先順位が下です。 「あぁ、もうバイトじゃなくていいよ」 「へぁ?」 まさかのクビ宣言! んあぁぁっ! やはりお客様のプライバシーに深く関わるのがいけなかったのですね。 うぅ、店長さんに相談して、シフト増やしてもらわないとです。 「あ、もしかして勘違いしちゃってる? 違うよ? キミはもうここに住むんだから、バイトに来なくてもいいって」 えぇと、徳益さんの頭がおかしくなってしまったのですか? それとも、おかしいのは私の方ですか? 相変わらず私を囲い込むように座っている佐多くんに判断してもらおうと振り仰げば、何故だか「うんうん」と熱心に頷いていました。 もしかしなくても、私が少数派ですか。 「どうして、私がここに住むことが前提なのでしょうか」 「それはもちろん、トキがキミのこと離すわけないからだよ」 「……」 つい、まじまじと羅刹の顔を見てしまいました。 「イヤなのか?」 「イヤとか言う以前に、どうして離してくれないのか教えてもらえますか?」 「オレのにするから」 「……」 私の中で「羅刹の正体=我侭っ子」説が浮上しました。 不条理過ぎて、どこからツッコミを入れたら良いのか分かりません。あと、「オレの」と言う割に、相変わらず睨むのはやめてください。 「人は物ではないので、所有権を主張するのはやめてください」 「もう決めた。オレのだ。―――逃げんのか?」 ぞわり。 私の肌が粟立ちました。夏だというのに肌がボツボツしちゃってます。冷気ですか妖気ですか、不穏な空気ですよね、分かっています。 私の背筋を、冷たい汗がつつっと流れました。 「逃げるんじゃありません。人と人、クラスメイト同士、客とバイトという間柄に適切な距離を取るだけです」 「まだるっこしい。……選べよ」 「何を、ですか?」 やばいです。喉がカラカラに渇いてきました。 さっきから、とても細い綱渡りをしているような感覚です。一歩間違えれば奈落の底が口を開けて待っているような気がしてなりません。 「ここでオレに飼われるか、オレのになるか」 前者と後者の違いが分かりません。 いや、ここはおそらく選択肢を間違えてはいけないところです。 これまでのことを思い出してください。結構、この羅刹は強気な態度に弱かったりとかしてませんか? さっきだって、ゾンダーリングについての説教もきちんと聞いていたじゃありませんか。 ここは強気で押していきます! 「私は誰かの物になるつもりはありません! あと、念のために言っておきますけど、佐多くんが私の物になると言ってもお断りですから!」 何故か、ずっと傍観していた徳益さんがお腹を抱えて爆笑しました。 ![]() 「あの、佐多くん。この格好では寝にくいので、Tシャツか何か貸してもらえるとありがたいのですが」 「……ほらよ」 私は佐多くんがぽいぽいと投げて寄越したシャツを慌てて受け止めました。黒地に赤いラインの入ったTシャツと、グレーのハーフパンツです。あぁ、ウェストは紐で調節できるので、都合が良いですね。 「そっちにバスルームあっから、中のモンは適当に使え」 「あ、はい。ありがとうございます」 ついでにと投げられたバスタオルをありがたく受け取り、私は指差されたドアを開けます。 えぇ、とても広いバスルームですね。ユニットバスに一年以上慣れ親しんだ身としては、嬉しい限りです。 え? どうしてこうなっているか、ですか? 家に帰ろうと頑張ったものの、徳益さんによって佐多くんと一緒に監禁されてしまったからです。 元々、佐多くんが手に負えなくなったときは、外から鍵をかけてしまえる作りになっているらしく、いつものセラピールームと台所を繋ぐドアがですね、外から、ガチャリ、と閉められてしまったのです。 生活に不便がないように、こちら側にも小さい冷蔵庫とIH調理器、トイレにバスルームは備え付けられているので、安心なのだそうです。 ここまでの説明で、いくつもの不審な点がありましたよね。 佐多くんが手に負えないってどういうことか、とか、どうしてマンションがこんな作りになっているのか、とか。 気になってますよ? 気になっていますけど、スルーしました。知っちゃったら余計に怖いと思ったのです。 とりあえず、今夜は我慢してここに泊まることにしました。 幸いに、そんなに足の早い食材は、我が家の冷蔵庫にはないので安心です。 気になるのは大家さんからいただいたゴーヤくらいでしょうか。苦味を減らそうと塩もみしたまま放置しちゃってるので、早く帰らないと苦いからしょっぱいに変化してそうで怖いのです。 あと気になっているのは宿題、ですね。日々コツコツとこなしていく性格なので、こういう不足の事態で予定が狂ってしまうと困るのです。明日もここのバイトに来る前にこなしておこうと思ってましたから! ちゃぽーん あー、広々と手足を伸ばせるのは良いですね。 昨日と今日と、ずっとゾンダーリングのバイトに明け暮れてましたから、足がすっかり疲れてしまっているのです。 ふわぁ……。 いけないいけない。こんな所で寝てしまうところでした。 汗を流す程度にとどめておこうと思ったのに、ついつい長湯をしてしまうところでした。 ざばっと上がった私は、ちゃかちゃかと着替えます。下着の替えがないのは残念ですが、まぁ、仕方がありません。 「すみません、お風呂を先にいただいてしまって」 部屋に戻ると、羅刹に睨まれました。 せっかくのほかほかぬくぬく湯上りタイムが、一気に極寒地獄になってしまったのは気のせいですか? 「あの……」 「いい。オレも入る」 「あ、そうですか」 なんだか不機嫌そうですね。 まぁ、私のとばっちりで監禁されてしまったのですから、それも仕方ないでしょう。 とりあえず、ミニサイズの冷蔵庫に入っていた麦茶を少しいただいて、一息つきます。やっぱり日本の夏には麦茶ですよね。ついでに風呂上がりにも麦茶を推奨します。 使ったコップを軽くゆすいだ私は、いつもの部屋に戻りました。 せっかく佐多くんがいないのですから、今のうちに気になっていたことをしていまいましょう。 リクライニングソファの座り心地を確かめるのです! いつも私が抱きこまれている革張りのソファと違って、布張りのこちらは、通気性が良さそうです。 ぼふり、とお尻を乗っけると、そのフカフカ加減に思わずニヤついてしまいました。背もたれに体重を乗っけると、なんだか羽毛布団に包まれているような心地がします。 私は上体を少し持ち上げて、リモコンを探しました。あ、ありました。脇息の横に専用のポケットがあるのですね。 ムィィィィン、と音を立てて、ゆっくりと背もたれが下がっていきます。ついでに足のところも上がっていきます。 私の身長がもう少しあれば、丁度ひざの下から上がってくるのでしょうけれど、残念ながら、深く座った私は足の先が浮いた状態になっていたので、そこに追いついてくる感じでしょうか。 あぁ、丁度良い角度になりました。ストップストップ。 ふー、極楽です。 なるほど、これは佐多くんがうたた寝するのも分かりますね。こんな素敵なソファなら、眠りに誘われても文句は言えません。 ……。 ………。 ………ぐー。 ![]() んむぅ、なんだか寝苦しいのです。 あれ、壁にぶつかってますか? 最近、暑いですからね。涼しい場所を求めてゴロゴロ転がってしまったのでしょうか。 えい。えいえい。 あれ、おかしいです。寝返りが打てません。 まさか、これが噂に聞く金縛りというやつですか? 「あくりょーたいさんです……」 九字を切ると良いと聞いたことがありますが、そもそも九字ってどう切るのでしょうか? とりあえず、重たい瞼をぐぐっと持ち上げます。霊感はないので、幽霊さんとご対面、なんてことはないはずです。 「……」 すみません。幽霊さんとご対面の方が良かったかもです。 何と言っても、目の前に大殺戮ロボ・羅刹の顔がありますから。 目を瞑っていると、随分と印象が変わるのですね。長めの前髪が重力に負けて横に流れているので、キリッと整った顔がよく見えます。どうして、目を開けると途端に怖くなってしまうのでしょうか。目力が強すぎるのがいけないのでしょうか? ぐい、ぐいぐい 羽交い絞めにされているので、身動きが取れません。寝ている間も離さないなんて、どれだけ執念深いのですか。 とにかく解放して欲しいのですよ。 同い年の男の子に抱き枕状態で落ち着けるわけがないじゃないですか。 「んん……」 「ひぎゃっ!」 私の反抗が鬱陶しかったのでしょうか。余計にきつく締められました。というか、あの、右手がちょっと、妙なところを触っているので、やめていただきたいのですが。 人の胸をですね、さわさわしないでいただきたいのですよ! 「おはようございます、佐多くん。とりあえずこの手を離してください」 「……なんで」 「私が窮屈な上に、不埒な所に当たっているのですよ」 「あぁ? ……あぁ、別に減るもんじゃねぇし」 「いや、減ります」 私の精神的ライフゲージがガリガリと削られますとも! 身を捩って時計を見れば、朝の六時半です。どうやら、習慣とは恐ろしいもので、きちんといつも通りに目が覚めたみたいです。 十分ばかりの押し問答の末、ようやく自由を勝ち取った私は、とりあえず顔を洗います。 佐多くんですか? まだ寝てますよ? どうも、うっかりリクライニングソファで寝入ってしまった私を、自分のテリトリー(ベッド)に運んで寝たらしいのですが、夜更かしさんらしくまだ眠いと言っていました。 そんな彼を放置して、簡単に身支度を整えてお借りしたTシャツ+ハーフパンツのまま台所へ通じるドアに手をかけます。 ガチャリ 見慣れた台所では、ダイニングテーブルに一人の男性が座ってパソコン片手にコーヒーを飲んでました。 「おはようございます」 「あぁ、おはよーさん」 反射的に挨拶をしてしまいました。 えぇ、まだどこか頭が覚醒していないみたいですね。ようやく気が付きました。 監 禁 解 除 されてるじゃないですか! 「……徳益さん」 「なに?」 「とりあえず、私はもう帰って良いのですね?」 「トキが許可するならね」 昨日の執着ぶりを思い出す限り、許可するわけがないじゃないですか……。 がっくりと項垂れてしまいます。 「まぁ、そこに座りなよ。コーヒーはブラックでいい?」 「あ、ミルク入れてもらえるとありがたいです」 「りょーかい。―――怒鳴られると思ったけど、随分落ち着いてるね?」 電子レンジを操作しながら、何気なく指摘されてしまいました。 私もね、どうして怒らずにこんなに普通に対処しているのでしょうね。普通だったら激おこぷんぷん丸ですよ。 感情に任せて怒るのは簡単です。でも、怒ったって何も解決しないのを知っているのですよ、私。 「喚き散らしたところで、何も変わらないし、カロリーの無駄遣いですから」 コーヒーを受け取りながら、そんなふうに答えておきます。 「それは諦めなのかな、処世術なのかな。どっちにしても、そういう所がトキも気に入ったんだろうね」 「……正直、甚だ迷惑なのですが」 「一応、これでも、悪いとは思ってるよ? でも日頃他人を気にかけないトキが、ようやく見つけたお姫様だしね」 「話を戻しても良いですか? どうしたら私が家に帰れるのか」 チーン 話の腰を折るように電子レンジが鳴りました。ほかほかになった朝食用のプレートが私の前に差し出されます。パンにウィンナー、スクランブルエッグです。たんぱく質ばっかりだ、と見ていたら、サラダと桃が追加されました。 「どうぞ? 気が引けるなら、迷惑料とでも思ってくれればいい」 「はぁ……、いただきます」 餌付け、されているのでしょうか? 警戒心はありますが、食べ物に罪はありません。美味しく頂くことにしましょう。 ……うまっ! これ、私の知っているウィンナーと何かが確実に違います。パンもふわっふわのパリッパリです。 「食べながらでいいからさ、これ、見てくれる?」 そう徳益さんが差し出して来たのは、透明なクリアファイルでした。挟まっているのは、何かの書類のようで……はぁぁ? 自分の目を疑いました。 これ、婚姻届です。間違いありません。 ついでに言うなら、何故か、私のお母さんの名前が書いてあります。保護者の署名欄に。 「昨日、事情を説明したら、喜んで賛成してくれてね」 「……」 「恋愛不感症な娘ですが、よろしくお願いします、って、その場で署名してくれたよ」 お母さん。これはちょっと、自由過ぎませんか。 それとも、アレですか。お金でも積まれましたか。 思わず遠い目になってしまいましたが、とりあえずやることは一つです。 「すいません、ちょっと失礼して電話を掛けさせてもらいます」 | |
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