TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 09.それは、失言だったのです。


「てめぇ、取り成す俺の身にもなりやがれ」
「それも仕事だろ」

 はい、羅刹はめちゃくちゃ怒られています。英語で、受動態を現在進行形にするのってどうするのでしたっけ?

「ざけんな、武蔵塚のトコだから良かったものの、他んトコだったらこうまで穏便に済まねぇぞ?」
「だろうな」

 すごい形相の徳益さんに怒られているのに、羅刹はさっきから、さらっと受け流しています。心臓に毛が生えているというのは、こういうことなのでしょうね。私はさっきからビクついているというのに、不公平です。

 あ、私、出向先のマンションにいます。
 あれから、佐多くんに担がれたままマンションまで文字通り運ばれまして、部屋の玄関を開けた途端、仁王立ちの徳益さんが待ち構えていました。おそらく店長から連絡がいったのではないかと思います。
 着替える間もなく、いつもの部屋まで運ばれて、そこから延々と説教を受けています。佐多くんがいつも通り私を抱え込んでソファに座っているので、とんだとばっちりです。良い迷惑です。

「ほんっとスマンね、エリさん。ここまで執着するとは思わなかったんだ」
「はぁ……」

 徳益さんがグラスに注いだオレンジジュースを、何故か佐多くんの手を経由して渡された私は、それを両手で抱えてちびちびと飲んでました。だって、そうでもしないと間が持ちませんから。

「ハヤト、あの店辞めさせろ」
「あ゛ぁ?」

 うひぃ、また始まってしまいました。
 さっきから、徳益さんの表情も怖いのですよ。いつもが夜の飲み屋街でキャッチやってるオニーサンだとしたら、今の顔は任侠映画の若頭クラスです。あれ、そうすると、佐多くんは組長クラスの怖さですね。妙に任侠設定がしっくり来てしまいます。
 ……なんて考えている場合じゃ、ありません。今、「辞めさせろ」とか言いませんでした?

「あの、私、あのバイトを辞めるつもりはないのですが……」
「あんな胡散臭いものを?」

 佐多くんにバッサリと切られてしまいました。
 たとえ胡散臭いと言われても、大事な命綱でもあるバイトです。むしろ胡散臭いからこそ時給が高いのですが……

「ここだけにすりゃいい」

 傍から見れば、ここも十分に胡散臭いバイトだと思うのですが、気が付いていないのでしょうか?
 でも、困りました。このままですと、本当に佐多くんの我侭が通ってしまいそうです。何だかんだと徳益さんは佐多くんに甘いですし、店長さんは徳益さんに弱いみたいですし、そうすると、佐多くんを御しきれなかった徳益さんが店長さんに圧力をかけ、私が解雇されてしまうのではないでしょうか? 勤め始めて一年、それなりに愛着もある職場ですので、こんな形で解雇というのは避けたいです。

「あんなところで働くことなんてない」

かっちーん!

「何を言っているのですか!」

 それはダメです。その言葉は、いくら羅刹と言ってもスルーできません。クラスメイトに男前と呼ばれるミオさんが降臨しちゃいますよ!

「あのカフェを『あんなところ』と呼ぶのは、あの店を作り上げている店長さん、キャストの皆さん、楽しみに来店してくださっているお客さんの全員を侮辱することと同じです。撤回してください」

 腕に囲われたまま、くるりと上半身を捻った私は、羅刹を振り仰いで睨みつけました。睨むのが羅刹だけの専売特許と思わないでいただきたいです。

「あの場所は、お客さんも含めて協力し合って、虚構の空間でちょっとツラい現実を忘れて、ひと時の安らぎを得る場所なのです。それを『あんなところ』だなんて、あなたは今日、VIPルームで何を見ていたのですか。それともVIPルームだったから、その雰囲気も読み取れなかったのですか。それならVIPルームは廃止するように店長に進言しないといけません」

 羅刹は目を丸くして私を見下ろしています。

「アンタ……」
「何ですか」
「あんなカッコで、あんな口調で恥ずかしくないのか?」

 そ れ を 言 い ま す か!

「恥ずかしいに決まってるじゃないですか! でも、私が恥を捨てて与えられた役に成りきることで、お客さんもそれに乗っかれるのです。あの店はそういう暗黙のルールに守られて成り立っているのです。自分が理解できないからと言って、全否定するのは間違っています!」

 ぎろり、と上から睨まれました。怖いです。でも、ここまで来たら引っ込みがつきません。頑張って睨み返すのです。

「そこらへんでストップ。エリさんもそこで止めてやって」

 その声に体勢を戻せば、何故かニヤニヤした笑みを浮かべる徳益さんがいました。

「とりあえず今日のことについては、武蔵塚んトコにも、エリさんにも迷惑料を払うよ」
「それは……っ」
「分かってる。二度とこんなことがないよう、トキにもしっかり言いつけるさ。――今日は、このぐらいで勘弁してやって?」

 してやって、なんて、まるで私が加害者みたいじゃないですか。むしろ被害者だと思うのですよ。
 そんなことを思いつつ、ちらり、と後ろの佐多くんの顔をもう一度振り仰ぐと、いつもと全く違う顔つきになっていました。

 ……あれ、ぜんぜん怖くない?

 むしろ、いたずらを叱られた黒ラブの平蔵を思い出します。思いっきり叱ると、こっちがいたたまれなくなるぐらいに、しょぼんとしてしまうのですよね。

「えと、私もちょっと言い過ぎました……?」

 手を伸ばし、頭をそっと撫でると、いきなり手首を取られ、がばっと抱きしめられてしまいました。
 く、くるしいです! 新手の反撃ですか!?

「アンタが悪い」
「え?」
「他の男からも餌付けされて」

 餌付け?
 いや、確かに「エリムーの餌付けドーナッツ」は今日もオーダーありましたけど。
 順番から言えば、むしろ佐多くんの方が後ですよ?

「……て、待ってください。今日、私を、見たのですか?」
「見たに決まってる」
「私だと、分かったのですか?」
「? 当たり前だろ」

 はいぃ?
 私、一応「エリムー」を演じている時は声から変えているはずなのですけど? 店長の言う「ロリ顔巨乳」に当てはまってしまうのは業腹ですが、ホールに出る時は、意図的にぶりっ子ボイスを出しているのですよ? ついでに褐色設定なので、肌の色も濃いファンデーションで変えていますし、眉だって獣っ娘だからと濃く太く描いてます。自分で言うのも何ですが、「エリ」の姿と比べても別人に近いレベルだと思います。

「あの、徳益さんも、私だと分かりました?」
「いや、俺はさっぱり。エリムーだって言われても全然ピンと来ない」
「……ですよね」

 どうしてバレたのでしょう。直接顔を合わせたのは、来店時ぐらいですし、あとはモニター越しにしか見られていないはずです。

「ハヤトは鈍い。見れば分かんだろ」
「てめぇぐらいだよ」

 とりあえず、次のキャストに入る前に聞けて良かったです。今度は絶対に見破られないように完璧に役作りをしなくてはなりません。次の配役の設定資料と台本を、帰ってもう一度見直しましょう。

「とりあえず、私はもう帰宅しても良いですか?」
「もちろん。悪かったね。――トキ、明日があんだろ」

 佐多くんは渋々と私を解放してくれました。
 立ち上がった私は、ソファのすぐ横に転がしてあったカバンを持ち上げます。

「ありがとうございます。相容れないところはあるでしょうけど、佐多くんも、あのお店について少しでも理解してもらえると嬉しいで……すっ?」

 身体を強く引かれた私は、何故か再び佐多くんの両腕包囲網の中に入れられてしまいました。

「アンタ、今なんつった?」
「え?」

 あれ、しょぼんとした犬がどこかに行ってしまいました。私を捕らえているのは、どう見ても狼です。
 声が低いです。怖いです。そんなに脅されても小銭しか出ませんよ、私。

 助けを求めるように徳益さんに視線を移せば、何故か徳益さんも険しい目で私を見ています。
 これ、もしかして絶体絶命のピンチですか? 私はどこで竜の尻尾を踏んでしまったのでしょうか。

「エリさん、悪いけど、キミをこのまま帰すわけにいかなくなったよ」
「あの、どういう意味なのでしょうか?」

 さっきは帰って良いとか言いませんでしたか?
 数秒前までの柔らかい表情はどこに飛んで行ったのでしょうか。探しに行きますので教えてください。

「キミ、自分が何を言ったか分かってないだろ」
「え、えぇと、お店について理解してもらえると嬉しいな、と言っただけだと思うのですが……」

 二人から放たれる不穏な空気で、私の声もだんだん小さくなってしまいます。数分前までは、私、もっと威勢が良かったのですけどね?

「俺はこいつを『トキ』としか呼んでないし、こいつが自己紹介するはずもない。……で、キミはこいつを何て呼んだ?」
「え―――?」

 ぎゅるぎゅると脳内記憶テープを巻き戻します。ローテクなのでHDDでもSDDでもなければブルーレイでもない、昔懐かし磁気テープですよ。

「さ、佐多くん?」
「うん、そう呼んだね。―――誰から聞いた? どうして知ってる? 何の目的で取り入った?」

 ととと徳益さんの目がマジです。本気と書いてマジです。こ、これ、猛禽類の目ですよ。小動物な私はもしかしなくとも捕食対象ですか?

「取り入るって、何ですか? 佐多くんは取り入って何か得になるような人なのですか?」
「こっちの質問に先に答えろ」

 こ、怖い。怖いです!
 さっきのセリフ、佐多くんじゃないのです。徳益さんなのですよ。完全にキャラ変わってますよ!
 まずい流れです。これ、どこかミスったら死亡ルート行きとかではないですか? さっき考えた任侠設定だと、東京湾でコンクリ詰めとかいう未来が待ってたりしませんか?

「うぁ、あの、とりあえず、佐多くんが佐多くんだというのは、最初から知ってましたよ? 公園で遭遇した時には―――」
「へぇ、認めるんだ。で、誰の差し金?」
「差し金というのはないのですけど……」
「誰から聞いたか、キリキリ吐けよ」

 あの、すみません。
 今まで、ですね、佐多くんのことを怖いと思っていました。
 でも、今、目の前にいる徳益さんの方が怖いのですけど……っ!
 残念ながら、佐多くんの腕の中から逃れることもできない私は、真正面から徳益さんの不穏な視線を受け止めることしかできません。
 とりあえず、すごく誤解されているような雰囲気なので、一般小市民の小動物は大人しく正直に説明するのです。

「えぇと、佐多くんのクラスメイト、なのです」
「あぁ?」

 め、メンチ切られました。生メンチです。
 あれ、生メンチと言うと、ちゃんと火に通さないとダメって感じがしませんか? あぁ、現実逃避はもう十分ですか、そうですか。

「ですから、私、春原高校2年C組に在籍しているのです」
「証拠は?」
「今は、学生証は持ってません。家にあります」
「ふぅん、トキ、見覚えは?」
「ない」

 ざっくり切り捨てられました。ひどいです。
 いや、気付いていないのですよね。カツラ+フルメイク+カラコンですし。

「メイク、落とさせてもらっても、いいですか?」
「トキ、洗面所に連れてって。あと、キミの本名は?」
「……須屋、ミオです」

 すみません、店長。身元割れしちゃいます。そうでないと東京湾に浮かびそうな雰囲気だったので!
 私は、自分のカバンから化粧ポーチを取り出すと、洗面台の所まで佐多くんに運ばれました。おそらく逃亡防止なのではないでしょうか。残念ながら、小動物といえども運動神経は良くないので、逃げることもできそうにないです。

 クレンジングオイルとコットンを取り出した私は、まず、明るい栗色のウィッグを外します。鏡越しに後ろに立つ羅刹・ザ・ジャイアントが見えるので、閉塞感が半端ないのですがそこは頑張ってスルーします。
 ウィッグの下の髪はネットにまとめているので、まず先に顔を何とかしちゃいましょう。手を軽く洗い、ポケットからハンカチを取り出すと青いカラコンを外してハンカチに乗っけます。つけまつげを外し、ルージュを落とし、ベースとチークをさささーと拭い取れば見慣れた須屋ミオの顔が現れます。
 うーん、ちょっと肌のキシキシ感が気になるので顔をざっと洗って良いですかね。そこにかかっているタオルを借りてしまいましょう。
 ざばざばーっと顔を洗うとスッキリします。水気を拭って、最後に髪の毛をまとめていたネットを外して手櫛で整えれば、二年C組の須屋ミオのできあがり、です。

「……という感じなのですが、見覚えありますか?」

 後ろに立つ佐多くんに感想を尋ねると、鏡越しに見える彼の鋭い眼光が一層、不穏な輝きを放ちました。どうして睨まれているのでしょうか。まさか、クラスメイトの顔も憶えていない、とかですか? それもあるかもしれませんね。だって、テスト期間中しか来てませんし。
 いやいやいや、それマズいですって。
 佐多くん以外に誰が、あの悪鬼降臨バージョンの徳益さんに私のことを説明できるのですか!
 えぇと、ちゃんとクラスメイトとして認識されていますよね。記憶力掘り起こしてください!

「須屋、ミオ?」
「はい、そうです」

 良かった。納得してもらえたようです。
 これで、悪鬼な徳益さんとお別れして、キャッチ黒服な徳益さんに再会できますね。

「ふゃっ?」

 ちょ、どうして人のことを持ち上げるのですか、佐多くん!

「で、トキ。結局、見覚えのある顔だったか……って、何だ、その顔?」
「ハヤト、コイツだよ、テストん時の」

 いや、二人で会話は良いですから、人の脇の下に手を入れて持ち上げるのやめてください。くすぐったいですし、下手に動くと、その、胸が、いえ、なんでもないです。

「同じヤツだったんだ。―――もう、決めた。コイツにする」
「あー……、うん、リョーカイ」

 えぇと、何だかよく分からないですが、不穏なものを感じるので、詳しい説明をしてもらっても良いですか?

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