TOPページへ    小説トップへ    それは、通り魔的善行から始まったのです。

 08.それは、御法度だったのです。


 うぅ、ちょっと足がだるいのです。

「エリムー、四番お会計と写真ご指名でしてよ」
「了解したムー!」

 姫様に声を掛けられ、私は反射的に営業スマイルで返事しました。
 昨日もなかなか盛況でしたが、今日も盛況です。
 夏休みに入って最初の土日から、ここまでお客さんが来るとは思っていませんでした。来週にもグランドフィナーレを迎えますからね、駆け込み需要というやつでしょう。

「ここまで客が入るなら、例のVIPルームはもう少し後の方が良かったんじゃないかしら?」

 メルディリア姫がオーダーを厨房に伝える傍ら、そんな風に呟きます。
 そうなのです。
 客席から完全隔離されたVIPルームをこの店で導入することになったのです。残念ながら寸劇を生で見ることはできませんが、VIPルームに設置されたモニターで中継はされるようです。
 なんでも、うちの店には来たいけど、他の客に見られたくない人向けのサービスだそうで、完全事前予約制で運営していくそうです。
 今日は、事前テストということで、店長さんのお知り合いがVIPルームにお試し滞在されるそうです。ホールに出ているキャスト達も、忙しさに追われながらもそわそわしています。

「エリムーは難しいことは分からないムー! とりあえずお写真に写って来るムー!」

 ロップイヤーをぴこぴこと動かしながら、私は四番テーブルの会計に向かいました。男性三人組のグループが私を待ち構えています。

「エリムー、今月いっぱいで終わりって聞いたよ」
「その揺れる耳が見られなくなるのは寂しいな」
「でも、今度はどんなのやるの?」

 スタンプカードも中盤に差し掛かるレベルの常連さんたちです。正直、男三人でこの店に来て、脇役な私に流れるようなセリフを掛けるぐらいなら、その情熱を身近でリアルな女子に向けたら彼女もできるだろうに、とか思わないではありません。
 おっといけない、忙しくて思考回路がやさぐれてますね。

「エリムーもちょっと寂しいムー! でも、そういうことを言ってもらえると、心がほっこりするんだムー。あ、あと写真代も含めてお会計四千八百六十円だムー」

 三人にそれぞれ肩を抱かれたり、耳を触られたり、頭を撫でられたりのポーズで写真を撮られました。このバイトで一番つらいのは、後々まで形に残ってしまう、この写真かもしれません。……はぁ。

「また、来てくれるのを待ってるムー」

 三人組を見送って、私はほぅ、と息をつきました。
 昨日からこんな調子で、それなりに疲れています。足の疲労も蓄積されています。明日はアニマルセラピーの方なので、肉体的な疲労は回復できるでしょうが、精神的な疲労は、……いえ、頑張りましょう。

カランカラーン

「カフェ・ゾンダーリングへようこそだムー!」

 条件反射で笑顔を浮かべた私は、思わず口元を引き攣りそうになりました。
 入って来た男性二人組に見覚えがあります。
 いやいや、でも、今の私は『エリムー』なのです。このキャラを貫くのです。お客様に動揺を見せるなんてもってのほかなのです!

「当店のメンバーカードはお持ちだムー?」

 ことさらに耳を揺らすように首を傾げれば「予約してた者だけど」と柔らかい印象の方の男性が告げました。もう一人は、お店の雰囲気にそぐわない尖った感情を隠しもせずに、店内のあちこちを睨んでいます。

「VIPルームのお客様、ご案内だムー」

 店長にも聞こえるように裏に向かって声を掛ければ、丁度、給仕から戻って来たメインの二人、メルディリア姫と騎士カヴァリエが駆け寄って一礼しました。
 そうそう、可能な限りVIPルームへの案内はこの二人がやるという話でした。
 私はこれ幸いにとお客様を二人に押し付けると、代わりに厨房から出来上がった皿を受け取り、一般客の給仕に勤しみます。

 正直に言いましょう。
 姫様と騎士に助けられました。
 だって、ボロが出ないとは言い切れませんから!
 あっちのバイトの時に、このエリムーのキャラについてアレコレ言われたら、さすがに恥ずか死しますから!

 VIPルームの試験客は、徳益さんと佐多くんでした。
 店長は、もうちょっと色々考慮してもらえないかと思います。


「あぁ、何ということだ! 私がいながら、メルディリア姫をこのような目に遭わせてしまうなんて……」
「カヴァリエのせいじゃないムー! 悪いのは隣国のいじわる王だムー!」

 エリムーは、ぷるんぷるんと垂れ耳を振って悲しみを表します。
 兼ねてから美しいメルディリア姫を狙っていた隣国の王様が、手に入らないならいっそ、と姫様に矢を放ったのです。
 ベタだと言わないでください。作家さんいわく、ベタな方が分かりやすくていいのだそうです。

「カヴァリエ……」
「メル! 動いちゃだめだ。いま手当てを」

 上半身を騎士に支えられた姫様の胸には、ぶっすりと矢が刺さっています。衣装を傷つけないようにと先が吸盤のようになった矢とマジックテープでくっつけられているのですが、これ、最前列のテーブルからはバッチリ分かりますよね?

「わたくしは、大丈夫ですわ。貴方が守ってくれましたもの……」

 指先を振るわせて重たげに自分の手を持ち上げ、騎士の頬に添える姫様。すばらしい演技力です。今後のことも考えると、私も見習わなくてはならないですね。

「違う! 不甲斐ない私のせいで、メル、君が―――。あぁ、愛している者すら守れない騎士など、もはや騎士ですらない!」
「カヴァリエ、様? 今、なんて……」
「愛している! 愛しているんだ、メル! 私なんかが手の届かない存在のままでいい! 生きているだけでいいんだ! こんな所で、その命を散らさないでくれ……」

 騎士様の声も震えています。
 このシーン、あまりにクサいセリフなので、歯が浮くどころか、つい顔がニヤけて笑ってしまうと言っていた騎士役の同僚ですが、本番でも笑いを堪えきれていないみたいです。姫を抱きしめているのでお客様からは見えていないと思いますが、私の位置からは、ばっちりニヤけて奇妙に歪んでいる口元が見えていますよ。

「嬉しい、カヴァリエ様……」

 姫様は感極まって声を震わせます。こちらは本当に演技です。
 そして、胸元からくすんだ金色の懐中時計を取り出します。

「わたくし、これがなければ、きっと命を落としていたと思いますわ。貴方がくださった、この懐中時計がなければ」
「メル!」
「姫様! 良かったムー!」

 私は騎士役を押しのけ、ついでに矢もべりっと引き抜き、姫様に抱きつきます。
 え、お邪魔虫ですか? 台本通りですよ?
 客席からクスクス笑いが洩れるのは、むしろ本望です。

「まぁ、エリムーったら、そんな顔をしないで?」
「エリムーは姫様がいなくなったら、ここにいる意味もなくなってしまうムー! 本当に心配したんだムー!」
「ありがとう、エリムー。でも、胸に矢を受けた衝撃のせいかしら、とても歩いて帰れそうにないの。誰か、人を呼んでもらえないかしら?」
「分かったムー!」

 びしっと手を上げて、エリムーは元気良く返事をします。そして、舞台袖へ退場。
 あとは、体よく邪魔者を追い払った姫様と、騎士カヴァリエの甘い囁き合いが続くのです。

 袖に引っ込んだ私は、前回と同じようにすぐホールには戻らず、厨房から上がったメニューを裏手に並べていきます。
 グランドフィナーレ前ということで、寸劇後にキャスト全員が並んで観客に向けてお礼をするのです。と言っても、「ここまで応援してもらってありがとうございました」+一礼の簡単なものですけど。身元バレはNGなので、「○○を演じた××です」なんてキャスト紹介はありません。

 注文のあったテーブルごとに運びやすいようトレイを整えていると、どうやら甘い甘い愛の囁き合いは終わったようです。寸劇が終わったことをスタッフに知らせるベルがチリチリと鳴りました。
 私は、客席の並ぶホールの端に立って、小舞台を見上げます。注文をお願いする声がしましたが、「もう少し待って欲しいムー」と小声でお断りします。
 小舞台の上では、手に手を取り合う姫君と騎士、そして、私の先輩侍女役(猫耳)に、カヴァリエの同僚である別の騎士が客席に手を振って挨拶しています。

「エリムー! いらっしゃい」
「分かったムー!」

 舞台上の姫様に声を掛けられ、私はテーブルを縫ってわざと遠回りしながら小舞台まで行きます。
 手を差し伸べてくれた同僚騎士に引っ張りあげられ、無事に舞台に上がった私は「みんな、ありがとうだムー」とお客様に向けて満面の笑顔(営業)を見せました。

 はぁ、あと何回この寸劇を演じるのでしょうか。ちょっと数えたくありません。笑顔も頬の筋肉を使うのでカロリーを消費するのです。それでなくても元気キャラのエリムーは動きがオーバーなので、通常のホール業務も疲れるのです。
 あ、いけない。また思考回路がやさぐれてきました。
 こんな姿をモニター越しとはいえ佐多くんに見られているかと思うと、それだけで……いえ、考えるのはやめましょう。どうせ、私が「エリ」だということも分からないはず、ですから。

 幕が下りると、私含め、キャストは一斉にホールに出ます。オーダーも溜まっていますし、新たな注文も聞かなくてはなりません。
 あ、メルディリア姫と騎士カヴァリエはVIPルームに向かってもう一度挨拶をするそうです。大変ですね。私、メインじゃなくて良かったです。


「お先に失礼しまーす」
「あ、エリムーも今あがるの? おつー」

 バイト通勤仕様になって更衣室から出た私に声をかけて来たのは、同じくバイト通勤仕様の騎士カヴァリエでした。

「お疲れ様です。カヴァリエ様」
「うっわ、エリムーに丁寧にされると、すっげー違和感あんのな」
「ふふふー、日頃あれだけ愛の囁きをしているカヴァリエ様がそんなぞんざいな口調をするよりは、違和感ありませんよ?」

 同じバイト仲間でも、役名で呼び合うのがルールです。まぁ、店の外では、それすらタブーになってしまいますが。
 甘いマスクのカヴァリエ様は、肩近くまである長髪のカツラを着用していました。今の季節は暑いので髪は一つに束ねていますが、夏以外はそのまま垂らしています。
 男性でも、ストーカー被害に遭わないよう、こうして変装をするのルールです。だから私も、目の前のカヴァリエ役の本名も知りませんし、本業も知りません。

「はー、今度の役は参ったよー」
「ヒロインに横恋慕するヒール(悪役)でしたっけ?」
「そーそー。それでいて、甘いセリフがまたあるんだぜ?」

 非常階段を下りながら、そんなたわいもない話をします。カフェの入っているビルを一歩出れば、全くの他人になりますが、ビルを出るまではグレーゾーンなので、このぐらいは許されます。

「私も、いい加減に店長さんのイメージから抜け出したいのですけどね」
「あぁ、前にも言ってたっけ、――『ロリ巨乳』はいやだって」
「その単語を使わないでください!」
「はは、ごめんごめん。あ、もう出口だね。それじゃ……あれ、ちょっと待って」
「はい?」

 一歩前を歩いていた同僚が足を止めるので、私の足も止まります。

「誰か、入り口前に立ってる。出待ちか?」
「え、男の人ですか、女の人ですか?」

 私はカヴァリエさんの背中越しに、ぴょこたんぴょこたんとジャンプしてその出待ちの姿を探します。こういう時、もう少し背があれば良いと思うのですが、まぁ、ないものねだりをしても、仕方ありません。
 たまにこうして、熱心過ぎるお客さんが、スタッフを待ち伏せすることがあります。まぁ、こういうことを予測して変装しているので、出て来る人間が厨房の人間か、ホールの人間かさえ判断つかないでしょうけど。ホールに出るキャストは、それこそ衣装から髪型から目の色から、下手すれば肌の色まで変えるわけですしね。

「とりあえず、店長に連絡するわ、オレ」
「あ、はい。お願いします」

 私は店長に電話するカヴァリエさんの隣で、待ち伏せしている客を見ようと目を凝らしました。
 出入り口の目の前に陣取っているのは、ずいぶんとガタイの良い男の人のようです。人目を憚ることなく堂々と立っているので、とても待ち伏せとかストーカーとか後ろ向きな単語は似合いません。
 ……ん?

「――えぇ、そうですね、オレは見たことない人です。年齢は、遠目なので自信ありませんが、二十歳前後ってところでしょうか。……え? いや、小太りとかじゃないですね、もっと」
「カヴァリエさん、店長さん!」

 私は慌てて通話先の店長さんにも届くように声を上げました。

「すみません、カヴァリエさん、店長さんと話したいので替わってもらえませんか?」
「え? や、あ、あぁ」

 困惑しきったカヴァリエさんからスマホをお借りした私は、慌ててその向こうの店長さんに告げました。

『どうしたの、ミオちゃん』
「店長さん、あれ、出向先のお客さんです」
『え゛っ』

 そうなのです。あれ、佐多くんです。
 というか、VIPルームで対応したはずなのに、どうして気付かないのですか、カヴァリエさん!

「自意識過剰かもしれませんが、ターゲットは私じゃないかと思うのですけど……」
『う~ん、確かに、今日、姫と騎士のダブルでおもてなししたけど、反応は思わしくなかったって言うし、可能性はあるかな。向こうでミオちゃん、そんなに気に入られてるの?』
「気に入られてるといいますか、懐かれてる?といいますか、少なくとも嫌われていない自信はあります」
『分かった、とりあえず徳益さんに連絡してみる。ミオちゃんはそこで待機、もしくはこっちに戻ってくるように』
「分かりました」

 私は頷いてカヴァリエさんに電話を戻しました。
 再び店長さんと話し始めたカヴァリエさんは、二、三度頷いて通話を切ります。

「オレも一緒に戻ろうか?」
「あ、大丈夫です。明日は、午後からしか用事がないので、最悪、店内に泊めてもらいますか……らぁぁぁっ?」

 突然、私の体がふわりと浮き上がりました。
 いえ、違います。人間は浮きません。持ち上げられた、が正しいです。

「ちょ、おい! お前、何なんだよ!」

 カヴァリエさんが私を持ち上げた人物に向かって、抗議してくれました。

「てめぇこそ、なんだ?」

 カヴァリエさんが凍りつくのが見えました。
 そうですよね。怖いですよね。分かります。声しか聞こえていない私でさえ凍りつきそうになりましたもの。
 そして、確信しました。これ、間違いなく佐多くんです。

「あの、こっちはお店の同僚です。……えぇと、この人は今日来てたVIPのお客さんですよ?」

 ぷらーんと後ろから猫の子のように両手で持ち上げられた私は、間抜けにもお互いのことを説明しました。どちらも固有名詞が使えないので、不便極まりないのです。
 というか、のん気に紹介し合う雰囲気じゃないですよね。私、何しているのでしょうか。

「えぇと、お仕事は明日の夕方から、でしたよね?」
「これから来い」

 その場合、賃金はちゃんと発生するのでしょうか? 気になります。雇用主はあくまで徳益さんですよね?
 そんな私の文字通り現金な疑問も、羅刹には関係ないようです。私を右肩に担いでのしのしと歩き始めてしまいました。

「あ、あの、店長さんに出待ちはさっき話した通りだったと伝言しておいてください! お疲れ様でした、お先に失礼します!」

 呆然と私を見送るカヴァリエさんに、声を張り上げて伝えます。最後の挨拶は不要でしたか?

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